江上由美の経歴と現在を徹底解説!日立時代から五輪銅メダル、2026年の指導活動まで

目次

女子バレーボール界で世界的なセンタープレーヤーとして活躍した江上由美さん。1984年ロサンゼルスオリンピックでの銅メダル獲得や、全日本女子代表の主将としてチームを率いた実績で知られています。1957年11月30日生まれで、現在は結婚後の姓である「丸山由美」の名前でも活動しています。

2026年10月現在、江上由美さんは現役引退後もバレーボールの普及や指導に携わっています。日立バレーボール部での活躍、1977年ワールドカップ優勝、ロサンゼルス五輪とソウル五輪への出場、小田急女子バレーチームの監督就任、そして近年のバレーボール教室まで、その歩みを年代順に整理します。

📌 【この記事の重要ポイントまとめ】

  • プロフィール:1957年11月30日生まれ。2026年10月30日現在68歳で、丸山由美は結婚後の姓。
  • 現役時代:日立で活躍したセンター。1977年ワールドカップ優勝、1984年ロサンゼルス五輪銅メダルを獲得。
  • 五輪実績:1984年ロサンゼルス五輪で3位、1988年ソウル五輪で4位。両大会に出場した。
  • 引退後:小田急女子バレーチームの監督を経験し、日本バレーボール協会公認講師などとして指導活動を継続。
  • 2026年の活動:富士宮市や小松市のドリーム・バレーボールに参加。11月15日には埼玉県幸手市のイベントにも参加予定。

【江上由美とは?年齢・生年月日と丸山由美の関係】

バレーボール江上由美

江上由美さんは、1970年代から1980年代にかけて日本女子バレーボール界を代表する選手として活躍した元日本代表選手です。現役時代はセンターを務め、ブロックを中心とした高い技術と、チームをまとめるリーダーシップで知られました。

基本プロフィール

バレーボール江上由美

実業之日本社の人物プロフィールや講談社のデジタル版日本人名大辞典などに掲載されている情報を整理すると、基本的な経歴は次のとおりです。

  • 名前:江上由美(えがみ・ゆみ)
  • 現在の名前:丸山由美
  • 生年月日:1957年11月30日
  • 年齢:68歳(2026年10月30日現在)
  • 出身:東京都
  • 出身高校:松蔭高等学校
  • 身長:175cm
  • 現役時代のポジション:センター
  • 主な所属:日立、小田急
  • 主な実績:1984年ロサンゼルス五輪銅メダル

2026年11月30日に69歳の誕生日を迎えます。

江上由美と丸山由美は同一人物

バレーボール江上由美

検索すると「江上由美」と「丸山由美」という2つの名前が出てくるため、別人なのかと疑問に感じる人もいるでしょう。

この2人は別人ではありません。江上由美さんは旧姓で、結婚後は丸山由美という名前で活動しています。

実際に、1984年ロサンゼルス五輪の日本代表記録には「江上由美」、1988年ソウル五輪の日本代表記録には「丸山由美」と記載されています。日本バレーボール協会の公式記録でも、同じセンタープレーヤーとして確認できます。

そのため、過去の試合映像やオリンピック記録では江上由美、近年の講師紹介やインタビューでは丸山由美と表記される場合があります。検索時には両方の名前を使うと、経歴をたどりやすくなります。

【検証資料 1】バレーボール江上由美の当時の様子・関連報道写真(出典:Yahoo!ニュース)

【日立バレーボール部で築いた黄金期とセンターの技術】

江上由美さんの競技人生を語るうえで欠かせないのが、1976年に入社した日立バレーボール部です。

東京都の松蔭高等学校を卒業した江上さんは、1976年に日立へ入社。翌1977年には女子日本代表に選出され、国内リーグと国際大会の両方で存在感を高めていきました。

日立の主将としてチームを支えた

日立では、若い時期からチームの中心選手として成長しました。丸光産業の公式プロフィールでは、1979年に日立の主将に就任したと紹介されています。

当時の日立は、日本リーグで圧倒的な強さを誇ったチームです。江上さんは中田久美さん、三屋裕子さんらとともに、その黄金期を支えました。

個人の得点力だけでなく、チーム全体の動きを考える能力も高く評価されていました。主将として選手同士の連携を整え、試合の流れを見ながら攻撃や守備の判断をする役割を担っていたのです。

175cmのセンターが世界で評価された理由

江上さんの現役時代の身長は175cm。世界の強豪国には180cmを超える選手も多く、体格だけを比較すれば必ずしも恵まれていたわけではありません。

それでも世界的なセンタープレーヤーとして評価された理由は、ブロックの技術にありました。

スポーツナビの2009年の特集記事では、江上さんについて、相手の攻撃を読む能力と、絶妙なタイミングで跳び上がるブロックが強みだったと紹介されています。日本リーグではブロック賞を4度受賞した実績もあります。

バレーボールのセンターは、相手の攻撃を止めるブロックと、素早い攻撃への対応が求められるポジションです。単純なジャンプ力だけでなく、セッターやアタッカーの動きを観察し、相手の攻撃方向を予測する能力が欠かせません。

江上さんは、こうした技術を武器に海外の強豪選手とも渡り合いました。身長差を技術と判断力で補ったことが、名センターと呼ばれる理由の一つです。

【経歴を年表で整理:1977年ワールドカップ優勝から五輪へ】

江上由美さんの競技人生は、日立での活躍から日本代表の主将、オリンピックでのメダル獲得、そして小田急での指導者活動へと展開していきます。

特に重要なのは、1984年のロサンゼルス五輪で一度現役を退いた後、指導者を経験し、1987年に再び選手として復帰した点です。

江上由美・丸山由美の年代別キャリアと関係性

年代 所属・大会・役割 主な出来事と実績
1957年 東京都 11月30日生まれ
1976年 松蔭高校・日立 高校卒業後、日立バレーボール部に入社
1977年 女子日本代表 代表に選出。同年のワールドカップで日本が優勝
1979年 日立 チーム主将に就任
1982年 全日本女子代表 日本代表の主将を務める
1984年 ロサンゼルス五輪 主将として出場。日本が銅メダルを獲得
1986年 小田急女子バレーチーム 監督に就任
1987年 小田急 選手として現役復帰
1988年 ソウル五輪 丸山由美名義で出場。日本は4位
引退後 指導・普及活動 日本バレーボール協会公認講師、小田急バレーボールクリニック主任講師などを務める

この年表から分かるのは、江上さんが選手としてのキャリアを終えた後も、競技との関係を断ち切らなかったことです。

特に1986年の小田急女子チーム監督就任から1987年の現役復帰という流れは、選手と指導者の両方の立場を経験した江上さんならではのキャリアです。

1977年ワールドカップで日本が優勝

1977年は、江上さんの日本代表としてのキャリアを考えるうえで重要な年です。

日本バレーボール協会の国際大会記録によると、1977年に日本で開催された第2回女子ワールドカップでは、日本が1位、キューバが2位、韓国が3位という結果になりました。

江上さんは同年に全日本女子代表へ選出され、ワールドカップにも出場。日本女子バレーが世界の頂点に立った時代を支えた選手の一人です。

その後も1981年のワールドカップで日本は準優勝、1982年の世界選手権では4位と、国際舞台で実績を重ねました。

1970年代後半から1980年代前半にかけての日本女子バレーは、世界の強豪国と競い合う時代でした。江上さんはその中心にいた選手だったのです。

【検証資料 2】バレーボール江上由美の活動歴およびメディア掲載記録(出典:Yahoo!ニュース)

【ロサンゼルス五輪銅メダル、ソウル五輪4位の意味】

江上由美さんの名前を現在も多くのバレーボールファンが覚えている最大の理由は、2度のオリンピック出場です。

1984年のロサンゼルス五輪では全日本女子代表の主将として銅メダルを獲得。1988年のソウル五輪では丸山由美として出場し、日本は4位となりました。

1984年ロサンゼルスオリンピックで銅メダル

1984年ロサンゼルスオリンピックは、江上さんにとって競技人生の大きな到達点となりました。

日本バレーボール協会の公式記録では、女子日本代表は大会3位。江上由美さんは日立所属のセンターとして登録されています。

当時の日本代表は、江上さんをはじめ、三屋裕子さん、中田久美さん、杉山加代子さんなど、実力のある選手がそろったチームでした。

江上さんは主将としてチームをまとめ、相手の攻撃を封じるブロックや守備面で貢献しました。世界的な強豪国を相手に銅メダルを獲得したことは、日本女子バレーの歴史に残る成果です。

また、この大会は江上さんにとって一度目の現役引退につながる節目でもありました。

引退から復帰へ。ソウルオリンピックへの挑戦

ロサンゼルス五輪後、江上さんはいったん現役を引退します。その後、1986年には小田急女子バレーチームの監督に就任しました。

しかし、競技生活はそこで終わりませんでした。1987年に選手として復帰し、1988年のソウルオリンピックへの出場を果たします。

ソウル五輪の日本代表メンバー表には「丸山由美」という名前で登録されており、所属は小田急、ポジションはセンターです。

日本バレーボール協会の記録では、女子日本代表の最終順位は4位。メダルには届きませんでしたが、一度引退した選手が再び代表の舞台に戻り、世界大会に出場したことは印象的な経歴です。

なお、1988年大会の結果を1984年と混同しないことも大切です。江上さんが獲得したオリンピック銅メダルはロサンゼルス大会のものであり、ソウル大会では4位という成績でした。

【引退後は小田急の監督へ:指導者としての現在地】

ソウルオリンピック後に再び現役を退いた江上さんは、指導者としての活動に力を注ぐようになります。

現役時代の経験だけでなく、監督としてチームを運営した経験も持っていることが、その後の指導活動につながっています。

小田急女子バレーチームの監督に就任

1986年、江上さんは小田急女子バレーチームの監督に就任しました。

これはロサンゼルス五輪後の引退期間に当たります。選手としてプレーする側から、チームを育てる側へと立場を変えた時期でした。

その後、1987年に選手として復帰し、1988年のソウル五輪に出場しています。

小田急は、江上さんの競技人生において選手と指導者の両方を経験した重要な所属先です。ソウル五輪の日本代表公式記録でも、丸山由美さんの所属は小田急と記載されています。

小田急バレーボールクリニックでの普及活動

引退後の江上さんは、競技レベルの高い選手だけでなく、一般のバレーボール愛好家への指導にも携わってきました。

2021年4月に公開された丸光産業のインタビューでは、丸山由美さんは日本バレーボール協会公認講師、小田急バレーボールクリニック主任講師として紹介されています。

特に力を入れてきた分野の一つが、ママさんバレーの指導です。

ママさんバレーは、競技経験や体力、年齢が異なる選手が同じコートでプレーすることも多いスポーツです。現役時代と同じ練習方法をそのまま適用するのではなく、参加者の身体能力や習熟度に合わせた指導が必要になります。

2021年のインタビューでは、20代から70代まで幅広い年代の参加者がいることや、90歳でコートに立つ人に出会った経験についても語っています。

また、指導者として大切にしている考え方として、得意なことを見つけて伸ばすことや、無理をせず自分の身体を理解しながらバレーボールを楽しむことを挙げています。

現役時代の経験を指導に生かす

江上さんの指導活動には、現役時代に培った技術だけでなく、自身の身体の故障や回復を経験したことも反映されています。

本人はインタビューで、現役時代から膝を痛めていたことや、引退後に筋力が落ちて身体の調子が変化したことを説明しています。

この経験を通じて、サポーターなどを適切に活用しながら、身体への負担を調整することの大切さを実感したといいます。

また、バレーボールの楽しさについても、ブロックで得点を取ることだけでなく、自分が拾ったボールを仲間が決めてくれる喜びを挙げています。

世界の舞台で勝利を目指した経験と、幅広い年代の選手と向き合ってきた指導経験。その両方が、現在の普及活動を支える土台になっています。

【検証資料 3】バレーボール江上由美に関する近況・インタビュー報道記録(出典:Yahoo!ニュース)

【2026年最新活動:バレーボール教室やドリームチームへの参加】

2026年10月30日現在、江上由美さんは元日本代表選手として、地域のバレーボール普及イベントにも参加しています。

特に注目されるのが、宝くじスポーツフェアの「ドリーム・バレーボール」です。元日本代表選手が各地に集まり、バレーボール教室や親善試合を通して地域の選手や子どもたちと交流する取り組みです。

2026年7月:富士宮市のバレーボールイベント

2026年7月19日には、静岡県富士宮市で「ドリーム・バレーボールin富士宮」が開催されました。

7月24日付の富士ニュースの報道によると、江上さんは元日本女子代表のドリームチームの一員として参加。市選抜チームとの親善試合や、地域のバレーボール愛好家との交流が行われました。

当日は小中学生から一般参加者まで約160人がバレーボール教室に参加し、基本的なプレーの指導を受けています。

オリンピックで活躍した選手と直接交流できる機会は、地域のバレーボール振興にとっても貴重なものです。

2026年8月:石川県小松市のイベントにも参加

2026年8月9日には、石川県小松市でも宝くじスポーツフェア「ドリーム・バレーボールin小松市」が開催されました。

小松市の公式開催報告では、江上由美さんがドリームチームの選手として記載されています。

同イベントには市内外から約1,200人が来場。フレンドリーマッチや小中学生、ママさんバレーボール選手を対象とした教室などが実施されました。

こうした活動は、過去のオリンピック実績を紹介するだけではなく、実際にコートに立ち、次の世代や地域の愛好家にバレーボールの魅力を伝えるものです。

2026年11月15日:埼玉県幸手市のイベントに参加予定

2026年10月30日時点で、次に注目したいのが埼玉県幸手市で開催予定の「ドリーム・バレーボール in 幸手」です。

幸手市の公式案内では、江上由美さんがドリームチームの選手予定者として掲載されています。

  • 開催日:2026年11月15日(日曜日)
  • 時間:午前9時30分~午後3時
  • 会場:幸手市民文化体育館(アスカル幸手)
  • 主な内容:バレーボール教室、フレンドリーマッチなど
  • 江上由美さん:ドリームチーム選手として参加予定

当日は午前9時30分から11時45分までバレーボール教室が予定されています。午後には親善試合も組まれています。

なお、選手一覧は予定として掲載されているため、実際の出演や参加状況は開催情報の更新を確認する必要があります。

2026年の活動から見える現在の役割

2026年の公開情報を整理すると、江上さんは富士宮市、小松市などの地域イベントに参加し、11月には幸手市のイベントにも参加予定です。

また、2026年10月25日に開催予定だった山口県萩市のイベントは、台風30号の接近による荒天予想を理由に中止が発表されています。予定されていたイベントと実際に開催されたイベントは区別して見る必要があります。

こうした活動から見えてくるのは、江上さんの現在の役割が、単に元オリンピック選手として過去の実績を伝えることにとどまらない点です。

実際の指導や交流を通して、年齢や競技経験を問わずバレーボールを楽しめる環境づくりに関わっていることが、2026年の活動から確認できます。

【バレーボール江上由美に関するよくある質問(FAQ)】

Q1:江上由美さんは現在何歳ですか? A1:1957年11月30日生まれです。2026年10月30日現在は68歳で、2026年11月30日に69歳になります。

Q2:江上由美さんと丸山由美さんは同じ人物ですか? A2:同じ人物です。江上由美は旧姓で、結婚後は丸山由美の名前で活動しています。1988年ソウル五輪の公式記録にも丸山由美として登録されています。

Q3:江上由美さんの現役時代のポジションは何ですか? A3:センターです。175cmの身長を生かしたプレーに加え、相手の攻撃を読むブロック技術に優れ、日本リーグで4度のブロック賞を受賞しました。

Q4:江上由美さんはオリンピックで何のメダルを獲得しましたか? A4:1984年ロサンゼルスオリンピックで女子日本代表の銅メダルを獲得しました。1988年ソウルオリンピックにも出場し、日本は4位でした。

Q5:江上由美さんは引退後に何をしていましたか? A5:1986年に小田急女子バレーチームの監督に就任し、その後1987年に現役復帰しました。ソウル五輪後の引退後は、日本バレーボール協会公認講師や小田急バレーボールクリニック主任講師などとして指導・普及活動に携わっています。

Q6:江上由美さんは2026年もバレーボール教室に参加していますか? A6:はい。2026年7月の富士宮市、8月の小松市のドリーム・バレーボールに参加しています。また、11月15日開催予定の埼玉県幸手市のイベントでも選手予定者として名前が掲載されています。

まとめ:江上由美の功績は現役時代から2026年の普及活動へ

江上由美さんは、1976年の日立入社から日本女子バレーボール界の第一線で活躍し、1977年ワールドカップ優勝、1984年ロサンゼルスオリンピック銅メダルという実績を残した名センタープレーヤーです。

1982年からは全日本女子代表の主将を務め、1984年にはオリンピックの表彰台に立ちました。その後、一度引退して小田急女子バレーチームの監督を経験し、1987年に現役復帰。1988年ソウルオリンピックにも出場しました。

引退後は指導者として活動し、ママさんバレーをはじめ、幅広い年代の選手にバレーボールの魅力を伝えてきました。

2026年には富士宮市や小松市のイベントに参加し、11月15日には幸手市のドリーム・バレーボールにも参加予定です。現在の活動を調べる際は、旧姓の江上由美だけでなく、丸山由美という名前でも情報を確認すると、より正確に近況を把握できます。

江上由美さんの功績は、ロサンゼルス五輪の銅メダルだけではありません。世界の舞台で培った技術とリーダーシップを、引退後も地域のバレーボール普及や次世代の育成に生かし続けていることも、その競技人生を評価するうえで欠かせない要素です。

主な確認資料: 日本バレーボール協会の国際大会記録、実業之日本社の人物プロフィール、講談社『日本人名大辞典』、丸光産業の本人インタビュー、2026年の富士宮市・小松市・幸手市のイベント資料。