山本KID徳郁の現在・死因・戦績は?生い立ちからHERO’S王座、UFC参戦まで徹底解説

目次

2026年現在も、日本の総合格闘技史を語るうえで欠かせない存在が、山本“KID”徳郁(やまもと・キッド・のりふみ)さんです。「神の子」の愛称で知られた彼は、レスリングで培った身体能力と大胆な打撃を武器に、修斗、K-1、HERO’S、DREAM、UFCと国内外の舞台で活躍しました。1977年3月15日に生まれ、2018年9月18日に41歳で逝去しています。

本名は岡部徳郁(旧姓・山本)。父はレスリング五輪代表の山本郁榮さん、姉は山本美憂さん、妹は山本聖子さんというスポーツ一家に育ちました。この記事では、幼少期からの生い立ち、プロデビュー、HERO’S初代ミドル級世界王者の獲得、UFCでの挑戦、胃がんによる闘病と逝去までを時系列で整理します。家族との関係やKRAZY BEEで残した指導者としての功績も紹介します。

📌 【この記事の重要ポイントまとめ】

  • 現在:2018年9月18日に41歳6か月で逝去。2026年現在、没後8年を迎えています。
  • 死因:胃がん。2018年8月26日に本人ががん治療中であることを公表していました。
  • 戦績:日本修斗協会の公式記録では修斗7戦6勝1敗。UFCの追悼記事ではMMA通算18勝6敗2無効試合とされています。
  • 代表的な実績:2005年にHERO’S初代ミドル級世界王者を獲得しました。
  • 家族:父・郁榮、姉・美憂、妹・聖子、甥・山本アーセンも格闘技・レスリング界で活躍しています。
  • 指導者としての功績:格闘技ジムKRAZY BEEを主宰し、後進の育成にも力を注ぎました。

【山本KID徳郁の現在】2018年9月18日に41歳で逝去

山本キッド徳郁

山本KID徳郁さんは、2018年9月18日、41歳6か月で亡くなりました。

訃報を発表したのは、本人が主宰していた格闘技ジムKRAZY BEEです。同日、所属先の公式発表を通じて、山本さんが逝去したことが伝えられました。

格闘技界への影響は大きく、RIZIN FIGHTING FEDERATIONも公式サイトで追悼コメントを発表しています。RIZINで活動していた姉の山本美憂さんや甥の山本アーセンさんとの関係にも触れ、故人の功績をたたえました。

日本修斗協会も公式に追悼文を掲載。選手としての実績だけでなく、KRAZY BEEで後進を指導し、数多くのプロシューターを育てた功績を評価しています。

2026年現在、山本KID徳郁さん本人の新たな試合出場や活動はありません。しかし、HERO’Sでの王座獲得や数々のKOシーンは、現在も格闘技ファンの間で語り継がれています。

「神の子」と呼ばれた格闘家が残したもの

山本キッド徳郁

山本さんの魅力は、単純な勝敗だけでは説明できません。

小柄な体格ながら、相手の懐に飛び込むスピード、レスリング由来の組み技、そして一撃で試合を終わらせるパンチを兼ね備えていました。特に、右フックやグラウンドでの連打を使った攻撃は、彼の代名詞として知られています。

また、総合格闘技の選手でありながら、K-1の立ち技ルールにも挑戦しました。異なる競技のトップ選手と対戦する姿勢は、当時の格闘技ファンに強い印象を残しました。

競技者としてだけでなく、ジム運営や若手選手の育成にも取り組んだことが、現在まで評価される理由の一つです。

【検証資料 1】山本キッド徳郁の当時の様子・関連報道写真(出典:Yahoo!ニュース)

【生い立ちと本名】岡部徳郁として生まれ、レスリング一家で育つ

山本キッド徳郁

山本KID徳郁さんは、1977年3月15日、神奈川県で生まれました。出身地は神奈川県川崎市とされています。

本名は岡部徳郁(おかべ・のりふみ)。旧姓は山本で、競技者としては山本徳郁、山本“KID”徳郁の名前で広く知られています。

幼少期からレスリングに親しむ環境にありました。その背景には、父親の山本郁榮さんの存在があります。

父・山本郁榮は1972年ミュンヘン五輪のレスリング代表

父の山本郁榮さんは、1972年のミュンヘンオリンピックでレスリング日本代表を務めた人物です。競技経験を持つ父親のもと、徳郁さんは姉や妹とともにレスリングのトレーニングを積みました。

山本家は、父親だけでなく子どもたちも国内外のレスリング大会で実績を残したことで知られています。

姉の美憂さんは女子レスリングの世界選手権を制し、妹の聖子さんも世界選手権で優勝。徳郁さん自身も学生時代からレスリングで優秀な成績を収めました。

アマチュアレスリングで培った競技力

山本さんは1999年の全日本レスリング選手権で2位となり、全日本学生選手権でも優勝するなど、アマチュア時代から実力を示していました。

2000年9月10日には、第7回全日本アマチュア修斗選手権大会のライト級で優勝しています。この大会は、プロの総合格闘技へ進む重要な足掛かりとなりました。

レスリングで磨いたタックルやテイクダウンの技術に加え、打撃を積極的に取り入れたことが、後の独特なファイトスタイルにつながります。

「神の子」というニックネームも印象的です。日刊スポーツの追悼記事では、本人が父親を「神」と感じていたことに由来する愛称として紹介されています。父親への敬意と、山本家の競技者としての背景がうかがえるエピソードです。

【経歴年表】修斗デビューからHERO’S王座、UFC参戦まで

山本KID徳郁さんの競技人生は、アマチュアレスリングから修斗への転向を経て、K-1、HERO’S、DREAM、UFCへと広がっていきました。

特に2001年のプロデビュー、2005年のHERO’S王座獲得、2011年のUFC参戦は、キャリアを理解するうえで重要な転換点です。

時期 出来事・関係者 主な実績・内容
1977年3月15日 誕生 神奈川県出身。レスリング一家に生まれる。
1999年 アマチュアレスリング 全日本レスリング選手権2位、学生選手権優勝。
2000年9月 全日本アマチュア修斗 ライト級で優勝。
2001年3月2日 プロ修斗デビュー 塩澤正人戦で判定勝利。
2004年 K-1参戦 立ち技格闘技にも挑戦。魔裟斗とも対戦。
2005年9月 HERO’Sトーナメント ホイラー・グレイシー、宇野薫を破る。
2005年12月31日 須藤元気戦 1R4分39秒KO勝利。HERO’S初代ミドル級世界王者に。
2007年 北京五輪を目指す挑戦 レスリングに復帰し、全日本選手権にも出場。
2009~2010年 DREAMなど 総合格闘技の舞台で活動を続ける。
2011年 UFC参戦 世界最高峰の総合格闘技団体に挑戦。
2015年12月31日 魔裟斗との再戦 キックボクシングルールで対戦し判定負け。
2018年8月26日 がん闘病を公表 自身のSNSでがん治療中であることを発表。
2018年9月18日 逝去 41歳6か月で死去。

2001年:修斗でプロ総合格闘家デビュー

2001年3月2日、山本さんは『修斗 SHOOTO TO THE TOP』で塩澤正人選手と対戦しました。結果は判定3対0の勝利。これがプロ修斗公式戦のデビュー戦です。

その後も勝利を重ね、修斗で実績を積み上げていきました。2002年にはステファン・パーリング選手に敗れましたが、そこから再び勝利を重ね、2003年9月のケイレブ・ミッチェル戦まで連勝しています。

2004年:K-1に参戦し、魔裟斗とも対戦

2004年、山本さんはK-1の舞台に進出します。総合格闘技とは異なる立ち技ルールへの挑戦でした。

同年12月31日の『K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!』では、当時のK-1 WORLD MAX王者だった魔裟斗さんと対戦しています。

この試合では1ラウンドに魔裟斗さんからダウンを奪いました。しかし、2ラウンドには自身もダウンを喫し、最終的には判定2対0で敗れました。

敗戦ではあったものの、立ち技のトップ選手を相手に積極的に攻めた試合は大きな注目を集めました。

2005年:HERO’S初代ミドル級世界王者に輝く

山本KID徳郁さんのキャリアを代表する出来事が、2005年のHERO’Sミドル級世界最強王者決定トーナメントです。

同年9月7日の大会では、準々決勝でホイラー・グレイシー選手を右フックによるKOで破り、準決勝では宇野薫選手にTKO勝利を収めました。

そして12月31日、大阪ドームで開催された『K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!』の決勝で須藤元気選手と対戦します。

試合は1ラウンド4分39秒、KIDさんのKO勝利。これにより、HERO’S初代ミドル級世界王者の座を獲得しました。

ホイラー・グレイシー、宇野薫、須藤元気という実力者を相手に勝ち上がったことは、当時の総合格闘技界における大きな実績です。

2011年:UFCで世界最高峰に挑戦

国内の大会で実績を積んだ山本さんは、2011年にUFCへ参戦しました。参戦階級はバンタム級です。

UFCではデメトリアス・ジョンソン選手、ダレン・ウエノヤマ選手、ヴォーン・リー選手らと対戦しましたが、勝利には届きませんでした。

2015年のUFC 184ではローマン・サラザール選手との試合がノーコンテストとなっています。

UFC公式の追悼記事では、負傷による練習不足なども競技生活に影響したことが紹介されています。世界のトップ選手が集まる舞台で結果を残すことはできませんでしたが、海外の強豪と戦った経験も、彼のキャリアを構成する重要な一部です。

【検証資料 2】山本キッド徳郁の活動歴およびメディア掲載記録(出典:Yahoo!ニュース)

【戦績を整理】修斗7戦6勝1敗、MMA通算18勝6敗2無効試合

山本KID徳郁さんの戦績を調べる際には、修斗公式戦と総合格闘技全体の記録を区別する必要があります。

日本修斗協会の公式選手記録では、修斗のプロ公式戦は7戦6勝1敗です。一方、UFCの追悼記事に掲載された総合格闘技の通算成績は18勝6敗2無効試合となっています。

修斗のプロ公式戦は6勝1敗

修斗での初戦は2001年3月2日の塩澤正人戦です。その後、亀田雅史選手、門脇英基選手らを破りました。

2002年5月5日のステファン・パーリング戦では1ラウンド30秒でTKO負けを喫していますが、その後は勝利を重ねました。

最終的な修斗公式戦の内訳は次のとおりです。

  • 勝利:6試合
  • 敗北:1試合
  • 合計:7試合

2000年の全日本アマチュア修斗選手権優勝と合わせて見ると、アマチュア時代から修斗でのプロ活動まで、継続して高い競技力を発揮していたことが分かります。

UFCでの戦績は0勝3敗1ノーコンテスト

UFCでは4試合を経験しました。対戦結果は以下のとおりです。

  • デメトリアス・ジョンソン戦:判定負け
  • ダレン・ウエノヤマ戦:判定負け
  • ヴォーン・リー戦:一本負け
  • ローマン・サラザール戦:ノーコンテスト

UFC参戦は、HERO’Sなどで成功を収めた山本さんにとって、新たな挑戦でした。しかし、海外のトップ選手との対戦では勝ち星を挙げることができませんでした。

この結果だけで選手としての価値を判断することはできません。国内外の異なるルールや競技環境に挑戦し続けたことも、彼のキャリアの特徴です。

魔裟斗との試合が最後のリングとなった

2015年12月31日、山本さんは魔裟斗さんと再び対戦しました。舞台は『NIPPON FIGHT』。2004年の初対戦から約11年ぶりの再戦でした。

この試合はキックボクシングルールで行われ、3ラウンドの判定0対3で敗れています。

この試合以降、山本さんがリングに立つことはありませんでした。2018年に闘病が公表されるまでの期間を考えると、2015年末の魔裟斗戦が最後の試合として記憶されています。

【がん闘病の経緯と死因】公表は2018年8月、逝去は9月

山本KID徳郁さんの死因については、2018年9月19日以降の報道で胃がんと伝えられています。

本人ががん治療中であることを公表したのは、亡くなる約3週間前の2018年8月26日でした。

2016年ごろから胃がんと闘っていたと報道

日刊スポーツの2018年9月20日付の記事によると、RIZINの榊原信行実行委員長は、山本さんに2年以上前から胃がんが見つかっていたことを明らかにしました。

この説明は、父親の山本郁榮さんの了承を得たうえで行われたものです。

榊原氏によれば、山本さんは病気を周囲に広く知らせず、地方で治療を続けていました。がんであることを公表するよう勧められても、本人はリングへの復帰を目指す意向を持っていたと報じられています。

また、2018年2月ごろから病状が悪化し、グアムの病院で治療を受けるようになったことも伝えられました。

2018年8月26日、自身のSNSで闘病を公表

長く病気を公表していなかった山本さんは、2018年8月26日、自身のInstagramを通じてがん治療中であることを発表しました。

「私事で急なご報告となりますが、私山本KID徳郁はガン治療のために頑張っています。絶対元気になって、帰ってきたいと強く思っていますので温かいサポートをよろしくお願いします!」

この投稿では、治療に取り組んでいることと、再び元気になって戻りたいという希望が伝えられました。

ただし、本人の投稿ではがんの種類や病期、具体的な治療内容までは明らかにされていません。

2018年9月18日、41歳6か月で逝去

闘病を公表してから1か月も経たない2018年9月18日、山本さんは亡くなりました。

KRAZY BEEの公式発表では、享年41歳6か月と報告されています。日刊スポーツなどの報道では、胃がんのため療養していたグアムの病院で亡くなったと伝えられました。

訃報の発表時、KRAZY BEEは山本家や家族、友人への取材を控えるよう関係者や報道機関に配慮を求めました。

このため、闘病中の個々の出来事や家族との詳細なやり取りについては、本人や家族が公表した情報と、関係者の証言に基づく報道を区別して理解することが大切です。

山本さんが最後まで現役復帰を目指していたという関係者の証言は、格闘家としての強い意志を伝えるものです。

【検証資料 3】山本キッド徳郁に関する近況・インタビュー報道記録(出典:Yahoo!ニュース)

【家族とKRAZY BEE】美憂・聖子・郁榮・アーセンとの関係

山本KID徳郁さんの家族を語る際に欠かせないのが、レスリング界で活躍した山本家の人々です。

父親、姉、妹、甥に至るまで競技の第一線で活動した人物が多く、山本家は日本のレスリング・格闘技界を代表するスポーツ一家として知られています。

父親・山本郁榮

山本郁榮さんは、1972年ミュンヘンオリンピックのレスリング日本代表です。

徳郁さんにとってはレスリングの指導者であり、競技者としての基礎を築くうえで大きな影響を与えた存在でした。

日刊スポーツの追悼記事では、郁榮さんが子どもたちにレスリングの英才教育を施したことも紹介されています。

姉・山本美憂

山本美憂さんは徳郁さんの姉で、女子レスリングの世界選手権を制した実績を持つ元トップ選手です。

13歳で全日本女子選手権を制し、その後も国内外の大会で活躍しました。現役引退と復帰を経験した後、総合格闘技にも転向しています。

RIZINにも参戦しており、弟のKIDさんとは同じ格闘技の舞台に関わる関係でした。

2018年9月に弟が亡くなった際には、RIZINを通じて追悼の思いが伝えられています。

妹・山本聖子

山本聖子さんは徳郁さんの妹です。女子レスリングの世界選手権で優勝した実績を持ち、国内外で高い評価を受けた選手です。

姉の美憂さんと同じく、父親の指導のもとで幼少期からレスリングに取り組みました。

現在は元レスリング選手として知られ、プロ野球選手のダルビッシュ有さんの妻でもあります。

甥・山本アーセン

山本アーセン選手は、姉の美憂さんの息子で、徳郁さんにとって甥にあたります。

幼少期からレスリングに取り組み、ハンガリーへのレスリング留学なども経験しました。その後、総合格闘技に転向し、RIZINに参戦しています。

RIZINの公式プロフィールでも、叔父にあたる山本KID徳郁さんのもとで格闘技の指導を受けたことが紹介されています。

アーセン選手が格闘技の道に進むうえで、KIDさんは身近な指導者であり、目標となる存在でもありました。

KRAZY BEEを主宰し、次世代の選手を育成

山本KID徳郁さんは、選手としての活動と並行して、格闘技ジムKRAZY BEEを主宰していました。

同ジムは、総合格闘技の練習や選手育成を行う拠点です。日本修斗協会は、KIDさんが同ジムで後進の指導育成に力を注ぎ、多くのプロシューターを輩出したことを追悼文で評価しています。

これは、山本さんが自分自身の勝利だけを追い求めていたわけではないことを示す実績です。

自らの経験を若い選手に伝え、格闘技界全体に影響を与えたことも、彼の大きな功績として残っています。

【山本KID徳郁】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:山本KID徳郁は現在も生きていますか?
A1:いいえ。2018年9月18日に41歳6か月で亡くなっています。2026年現在は没後8年です。

Q2:山本KID徳郁の死因は何ですか?
A2:胃がんです。2018年8月26日に自身のSNSでがん治療中であることを公表し、同年9月18日に逝去しました。日刊スポーツは、療養していたグアムの病院で亡くなったと報じています。

Q3:山本KID徳郁の本名は何ですか?
A3:岡部徳郁(おかべ・のりふみ)です。旧姓は山本で、格闘家としては山本KID徳郁の名前で広く知られていました。

Q4:山本KID徳郁の総合格闘技の戦績は?
A4:UFC公式の追悼記事に掲載されたMMA通算戦績は18勝6敗2無効試合です。日本修斗協会の公式記録では、修斗公式戦は7戦6勝1敗となっています。

Q5:山本KID徳郁はHERO’Sのチャンピオンでしたか?
A5:はい。2005年12月31日、須藤元気選手を1ラウンド4分39秒でKOし、HERO’S初代ミドル級世界王者となりました。

Q6:山本美憂、山本聖子、山本アーセンとの関係は?
A6:山本美憂さんは姉、山本聖子さんは妹、山本アーセン選手は姉の美憂さんの息子で、KIDさんの甥です。父親は1972年ミュンヘン五輪レスリング代表の山本郁榮さんです。

まとめ:山本KID徳郁が格闘技界に残した功績

山本KID徳郁さんは、1977年に生まれ、レスリング一家で培った技術を武器に総合格闘技の世界へ進んだ選手です。

2001年の修斗デビューから、2004年のK-1参戦、2005年のHERO’S初代ミドル級世界王者獲得、2011年のUFC参戦まで、競技の枠を越えて挑戦を続けました。

2018年9月18日に41歳で亡くなりましたが、最後まで復帰を目指していたという関係者の証言は、格闘家としての生き方を象徴しています。

また、父・郁榮さんから受け継いだレスリングの経験を生かし、姉の美憂さん、妹の聖子さん、甥のアーセン選手らとともに、山本家の競技者としての歴史を築きました。KRAZY BEEで後進の育成に取り組んだことも忘れてはならない功績です。

山本KID徳郁さんの生涯を理解するうえで大切なのは、戦績の数字だけに注目しないことです。HERO’Sでの圧倒的な勝利、UFCでの苦戦、競技を越えた挑戦、そして指導者としての活動。それらすべてが、彼という格闘家を形作っています。

没後8年となる2026年も、その独創的なファイトスタイルと格闘技に懸けた姿勢は、日本の総合格闘技史に残る存在として語り継がれています。

主な確認資料

- 日本修斗協会の公式選手記録・追悼発表。
- K-1 CLASSICSの選手名鑑・試合記録。
- UFC公式の追悼記事。
- RIZIN公式の訃報・関係者情報。
- 日刊スポーツの2018年9月18日~20日の訃報・闘病報道。