徳山昌守の現在は?世界王者の戦績・引退理由と東大阪ジムの2026年最新動向
元WBC世界スーパーフライ級王者として、日本ボクシング界に名を刻んだ徳山昌守。現役時代は卓越したディフェンス技術と距離感を武器に、世界タイトルを8連続防衛し、通算9度の防衛を達成した実力者だ。川嶋勝重との激闘やホセ・ナバーロとの防衛戦など、数々の名勝負を残して2007年に現役を引退した。
2026年10月現在、徳山昌守は大阪府東大阪市で「徳山ボクシングジム」の会長を務めている。2025年11月には同ジムのプロ加盟が正式に承認され、2026年10月には所属選手3人が同じ興行でそろってプロ初勝利を挙げた。かつて世界の頂点に立ったボクサーは、現在、指導者として新たな挑戦を続けている。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- プロフィール:1974年生まれ。プロ通算36戦32勝(8KO)3敗1分で、WBC世界スーパーフライ級王座を2度獲得。
- 引退の経緯:2004年に川嶋勝重に敗れて王座陥落するも、2005年に雪辱。2006年にホセ・ナバーロを破って防衛した後、王座を返上し、2007年3月に引退届を提出。
- 2026年の現在:東大阪市の徳山ボクシングジム会長。2025年11月にプロ加盟が承認され、2026年10月には所属選手3人が同日勝利を達成。
【現在】徳山昌守は東大阪でボクシングジム会長として活動中

徳山昌守の現在を知るうえで、最も注目したいのが、現役引退から約19年半を経て本格的にプロボクシング界へ戻ってきたことだ。
2024年12月2日、大阪府東大阪市に「徳山ボクシングジム」を開設。現役時代から抱いていたジム経営への思いを実現させ、選手の育成とボクシングの普及に取り組んでいる。
2025年11月、徳山ボクシングジムのプロ加盟が正式承認

ジム開設当初はアマチュア選手やキッズ、フィットネス目的の利用者を中心に活動していた。徳山自身も、将来的にはプロボクサーを育成できる環境を整える考えを示していた。
その目標が具体化したのが2025年11月だ。西日本ボクシング協会によって徳山ジムのプロ加盟が承認され、プロ選手を育成する正式な拠点として新たな段階に進んだ。
2025年11月13日付のボクシングモバイルの報道では、加盟承認が正式に発表されたことに加え、プロを目指す練習生が複数在籍し、ライセンスを持つ移籍選手も1人いることが紹介されている。
徳山会長は同報道で、次のような指導方針を明らかにした。
「打たせず打つボクシングを徹底したい。攻撃だけでなく、しっかりディフェンスもできる選手を育てたい」
現役時代に世界王者として磨き上げた技術を、今度は次世代の選手に伝えていく。単に強いパンチを打てる選手を育てるのではなく、相手の攻撃を受けずに有効打を重ねる技術を重視している点が特徴だ。
2026年10月、ジム開設以来初の同日3勝を達成
2026年10月4日には、徳山ジムにとって大きな節目となる出来事があった。
大阪・ゴウダホールで開催されたアポロジム興行に所属選手3人が出場し、全員が判定勝ちを収めたのだ。
- 加藤慶介:スーパーライト級4回戦でプロデビュー戦を勝利。
- 李勝輝:58.0キロ契約の4回戦で勝利。
- 道家孝明:55.0キロ契約の4回戦で勝利。
加藤は判定2対0、李は判定3対0、道家は判定2対0で、それぞれ白星を手にした。李と道家はデビュー戦でKO負けを経験しており、今回がプロ初勝利だった。
スポーツ報知の2026年10月4日付報道によれば、徳山会長はセコンドとして選手たちの戦いを見届け、「全員勝ててホッとした」と喜びを語った。
同報道では、徳山ジムのプロ選手は移籍してきた末吉直樹を含めて4人と紹介されている。世界王者を育てるという目標に向け、指導者としての実績が少しずつ積み上がっている。
つまり2026年現在の徳山昌守は、過去の栄光を振り返るだけの元チャンピオンではない。自ら選手を育て、試合会場でセコンドを務める現役のジム会長である。
【プロフィール】徳山昌守の年齢・生年月日・ボクシング戦績
徳山昌守は、スーパーフライ級を主戦場に活躍した元プロボクサーだ。特にディフェンス技術、左ジャブ、相手との距離をコントロールする能力に優れ、派手なKOだけに頼らない試合運びで評価された。
徳山昌守の基本プロフィール
- 名前:徳山昌守(とくやま・まさもり)
- 本名:洪昌守(ホン・チャンス)
- 生年月日:1974年9月17日
- 年齢:52歳(2026年10月31日時点)
- 出身地:東京都
- 主戦階級:スーパーフライ級
- プロデビュー:1994年9月
- 通算戦績:36戦32勝(8KO)3敗1分
- 主な獲得タイトル:OPBF東洋太平洋スーパーフライ級王座、WBC世界スーパーフライ級王座
- 現在の役職:徳山ボクシングジム会長
徳山は東京朝鮮中高級学校でボクシングを始め、1994年にプロデビューした。デビュー後は着実に実績を積み上げ、1998年12月には元世界2階級王者の井岡弘樹を破って注目を集めた。
1999年には東洋太平洋スーパーフライ級王座を獲得。翌2000年8月には世界タイトル初挑戦でWBC世界スーパーフライ級王者の曹仁柱(チョ・インジュ)を破り、念願の世界王者となった。
32勝3敗1分という戦績が示すもの
徳山のプロ戦績は36戦32勝、3敗、1分。勝利のうちKO勝ちは8回だ。
数字だけを見るとKO率の高い強打者という印象ではない。しかし、徳山の最大の強みは、相手の攻撃をかわしながら自分のパンチを当てる高度な技術にあった。
所属する徳山ボクシングジムの公式プロフィールでも、左ジャブと間合いの計り方に優れた技巧派ボクサーとして紹介されている。
特に世界タイトルを8連続防衛した実績は、その技術が一度きりの好調ではなく、長期間にわたって通用していたことを示している。
【対戦相手と関係者】川嶋勝重・ホセ・ナバーロとの名勝負
徳山昌守の現役時代を語るうえで欠かせない人物が、川嶋勝重とホセ・ナバーロだ。川嶋との対戦は王座陥落と奪還を左右し、ナバーロとの試合は徳山の最後のプロ公式戦となった。
川嶋勝重との対戦は3度にわたった
川嶋勝重との最初の世界戦は2003年6月23日。徳山が王者として迎えた防衛戦で、12回判定3対0の勝利を収めた。
しかし、2004年6月28日の再戦では状況が一変する。川嶋の攻撃を受け、徳山は1回TKO負け。長く守ってきたWBC世界スーパーフライ級王座を失った。
この敗戦は徳山のキャリアにおける大きな転換点だった。8連続防衛を続けてきた王者が、初回で敗れるという結果は、当時のボクシング界にも強い印象を残した。
それでも徳山は終わらなかった。2005年7月18日、川嶋との3度目の対戦で12回判定3対0の勝利を収め、世界王座を奪還した。
一度失った王座を、同じ相手から取り戻したことは、徳山のキャリアを象徴する重要な実績となっている。
ホセ・ナバーロ戦が最後の試合に
王座に返り咲いた徳山は、2006年2月27日に米国のホセ・ナバーロを迎えた。
この試合はWBC世界スーパーフライ級タイトルマッチ12回戦。徳山は12回を戦い抜き、3対0の判定勝ちで初防衛を果たした。
これが徳山にとって現役最後のプロ公式戦となった。最初の王座獲得後に8度、返り咲き後に1度防衛したことで、世界王座の防衛回数は通算9度に達した。
主要な対戦相手・関係者とキャリアの関係
| 人物・団体 | 時期・出来事 | 徳山昌守との関係 |
|---|---|---|
| 井岡弘樹 | 1998年12月 | 元世界2階級王者を破り、知名度を高めた。 |
| 曹仁柱 | 2000年8月 | 世界タイトル初挑戦で破り、WBC世界王座を獲得。 |
| 川嶋勝重 | 2003年・2004年・2005年 | 世界戦で1勝2敗ではなく、3戦の結果は徳山の2勝1敗。2004年に王座を失い、2005年に奪還した。 |
| ホセ・ナバーロ | 2006年2月27日 | 3対0の判定で破った。徳山にとって最後の公式戦であり、通算9度目の世界王座防衛。 |
| 長谷川穂積 | 2006年以降 | 階級を上げての対戦を望んだWBC世界バンタム級王者。対戦は実現しなかった。 |
| 西日本ボクシング協会 | 2025年11月 | 徳山ボクシングジムのプロ加盟を承認。 |
この対戦関係を整理すると、徳山のキャリアには、世界王者への道、川嶋との因縁、ナバーロとの最終防衛戦という3つの大きな局面があったことが分かる。
【引退理由】2007年3月、世界王者が現役を退いた経緯
徳山昌守の引退については、2007年に突然ボクシングを辞めたという印象を持つ人もいる。しかし、実際には最後の試合から引退届の提出まで約1年の時間があった。
2006年2月の防衛戦後、進退を保留
2006年2月27日のホセ・ナバーロ戦で勝利した徳山は、試合後に王座返上の意向を示した。スーパーフライ級での活動に一区切りをつける考えがあったためだ。
しかし、その後は現役続行を含めて進退を保留することになる。単純に年齢や体力だけを理由に競技生活を終えるという展開ではなかった。
長谷川穂積との対戦を希望するも実現せず
徳山が次の目標として強く意識したのが、1階級上のWBC世界バンタム級王者・長谷川穂積との対戦だった。
同じWBCの世界王者同士による対戦が実現すれば、階級を超えた大きな注目を集めるカードになったはずだ。しかし、長谷川側が難色を示したこともあり、両者の対戦は実現しなかった。
徳山は2006年12月にWBC世界スーパーフライ級王座を返上。王座を守りながら別の挑戦を目指す段階から、ボクシング人生そのものを見直す段階へ移っていった。
引退届を提出したのは2007年3月15日
集英社の時事用語事典「イミダス」によると、徳山は2007年3月15日に日本ボクシングコミッション(JBC)へ引退届を提出した。
つまり、引退の直接的な経緯は、川嶋に敗れて王座を失ったことだけでは説明できない。川嶋への雪辱を果たし、ナバーロにも勝利した後、さらに上の階級での挑戦を模索したものの、希望した試合が実現しなかったことが大きな背景にある。
現役時代の徳山は、勝敗だけでなく、自分が納得できる目標を重視していた。世界王者として十分な実績を残したうえで、次の挑戦を見いだせなかったことが、最終的な引退につながった。
引退後は大阪・鶴橋で焼肉店を営むなど、ボクシングとは異なる仕事にも取り組んだ。2009年から飲食店を経営していたことは、ボクシング専門誌の報道でも紹介されている。その後、ボクシング界への貢献を目指し、アマチュア選手の指導やジム開設の準備を進めた。
【徳山ボクシングジム】東大阪で進める次世代チャンピオン育成
現在の徳山昌守を理解するうえで重要なのが、東大阪市に開設した徳山ボクシングジムの存在だ。
ジムの所在地は大阪府東大阪市長栄寺2-12、ツナガルビル2階。近鉄・JR河内永和駅近くに位置する。
プロ選手だけでなく子どもや初心者も対象
徳山ボクシングジムは、最初からプロ選手だけを育てる施設としてスタートしたわけではない。
2024年12月の開設時には、フィットネス利用者やキッズボクシングの育成にも力を入れる方針を示していた。実際に、小学生を含む幅広い年代の練習生が集まり、健康づくりやボクシング技術の習得を目的とした活動が進められている。
ジムの公式サイトには、次のコンセプトが掲げられている。
「道険笑歩」
辛く険しいトレーニングも楽しく笑いながら乗り越えるという意味を持つ、徳山自身が現役時代に作り上げたコンセプトだ。
この言葉には、厳しい練習を続けることと、ボクシングを楽しむことを両立させたいという考えが表れている。
プロ加盟によって変わったジムの役割
2025年11月のプロ加盟承認は、ジムにとって大きな転換点となった。
アマチュアやフィットネスを中心とした活動に加えて、プロボクサーを育て、公式戦に送り出す体制が整ったからだ。
2026年には所属選手がプロの試合に出場し、4月30日には末吉直樹が西日本新人王予選で勝利。さらに10月4日には3選手が同じ興行で勝利を収めた。
これは、世界王者を経験した徳山の技術が、実際のプロ選手育成に生かされ始めていることを示す動きだ。
もっとも、プロ加盟はジムの全会員がプロ選手になったことを意味するものではない。一般会員や子どもたちの育成と、プロ志望選手の競技活動を両立することが、現在のジムの特徴となっている。
【現役時代と現在を比較】徳山昌守が変わらず大切にするもの
現役時代の徳山昌守と、2026年現在の徳山会長には、立場の違いこそあるものの、共通する考え方がある。それが、攻撃と防御のバランスを重視するボクシングだ。
| 比較項目 | 現役時代 | 2026年現在 |
|---|---|---|
| 主な役割 | プロボクサー・世界王者 | 徳山ボクシングジム会長・指導者 |
| 活動拠点 | 金沢ボクシングジムなど | 大阪府東大阪市 |
| 目標 | 世界タイトル獲得・防衛 | 次世代のプロ選手・チャンピオン育成 |
| 重視する技術 | 左ジャブ、距離感、ディフェンス | 打たせずに打つ技術と攻守のバランス |
| 主な実績 | WBC王座2度獲得、通算9度防衛 | プロ加盟、所属選手の公式戦勝利 |
| ボクシングとの関わり | 自らリングで戦う | 選手を育て、セコンドとして支える |
【プロの結論】徳山昌守の本当の功績は次世代への技術継承
徳山の現役時代を評価する際、32勝という数字や世界王座9度防衛という実績だけを見るのは十分ではない。
注目すべきなのは、世界王者として積み重ねた経験を、引退後もボクシング界に還元しようとしている点だ。
特に、徳山が得意としていたディフェンス技術は、単純なパンチ力だけでは身につかない。相手の動きを読む能力、距離を管理する感覚、攻撃を受ける前に位置を変える判断力など、長い経験によって培われる要素が多い。
これらを若い選手に伝えることは、世界王者として戦うこととは別の難しさがある。選手一人ひとりの体格や性格、経験値に応じて指導を変える必要があるためだ。
2026年10月の同日3勝は、徳山ジムがその育成段階で得た重要な成果といえる。ただし、3選手の勝利がそのまま将来の世界王者誕生を保証するわけではない。今後は継続的な試合経験と選手の成長が問われる。
徳山昌守の第二のボクシング人生は、かつて自分が獲得した世界タイトルを、次の世代に託すための挑戦でもある。
【徳山昌守の現在】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:徳山昌守は2026年現在、何をしていますか? A1:大阪府東大阪市で徳山ボクシングジムの会長を務め、プロ選手や子ども、一般会員への指導に取り組んでいる。2026年10月には所属選手3人が同じ興行でプロ初勝利を挙げた。
Q2:徳山昌守のボクシング戦績は32勝3敗1分で間違いありませんか? A2:その通り。プロ通算36戦32勝(8KO)3敗1分。WBC世界スーパーフライ級王座を2度獲得し、最初の王座で8連続防衛、返り咲き後に1度防衛している。
Q3:徳山昌守が引退した理由は何ですか? A3:2006年に王座を返上した後、1階級上のWBC世界バンタム級王者・長谷川穂積との対戦を希望したが実現しなかった。その後、2007年3月15日にJBCへ引退届を提出した。
Q4:徳山昌守と川嶋勝重の対戦結果は? A4:3度対戦し、徳山は2003年6月に判定勝ち、2004年6月に1回TKO負け、2005年7月に判定勝ちを収めた。最後の対戦では川嶋から世界王座を奪還している。
Q5:徳山ボクシングジムはプロ加盟していますか? A5:はい。2025年11月に西日本ボクシング協会によるプロ加盟が承認された。2026年には所属選手がプロ公式戦に出場し、勝利を重ねている。
まとめ:徳山昌守は世界王者から次世代を育てる指導者へ
徳山昌守は、WBC世界スーパーフライ級王者として32勝3敗1分の戦績を残し、世界王座を通算9度防衛した名ボクサーだ。川嶋勝重との3度の対戦、ホセ・ナバーロとの最後の防衛戦は、現在も現役時代を振り返るうえで重要な試合となっている。
2007年3月15日に引退届を提出した後は、飲食店経営などを経験。2024年12月には東大阪市に徳山ボクシングジムを開設し、2025年11月にプロ加盟を実現した。
そして2026年10月、所属選手3人が同じ興行でそろってプロ初勝利を達成。かつて世界の頂点で戦った男は、現在、選手を育てる立場で新たな実績を積み上げている。
現役時代の徳山昌守を知る人にとって、現在の活動は意外な転身ではなく、ボクシングへの情熱を別の形で継続している姿なのかもしれない。
これから注目したいのは、徳山ジムからどのような選手が育ち、どこまで大きな舞台に進んでいくかだ。世界王者として残した歴史に加え、指導者として次のチャンピオンを生み出せるか。その挑戦は、2026年も続いている。
主な参照資料:徳山ボクシングジム公式サイト、ボクシング・ビート、ボクシングモバイル、集英社「イミダス」、スポーツ報知の2026年10月4日付報道。