【すゑひろがりず三島のプロフィール】年齢・生年月日・出身地・身長は?

目次

三島達矢(みしま・たつや)さんは、1982年10月2日生まれ、大阪府大阪市出身のお笑い芸人です。吉本興業に所属し、お笑いコンビ「すゑひろがりず」ではボケと扇子を担当しています。

2026年10月31日現在、年齢は44歳。相方の南條庄助さんとはNSC大阪校28期の同期で、2011年からコンビとして活動しています。

吉本興業の公式プロフィールに掲載されている基本情報は次のとおりです。

項目 プロフィール
名前 三島達矢
読み方 みしま たつや
生年月日 1982年10月2日
年齢 44歳(2026年10月31日現在)
出身地 大阪府大阪市
身長 169cm
体重 85kg
血液型 O型
所属事務所 吉本興業
養成所 NSC大阪校28期
コンビ すゑひろがりず
担当 ボケ・扇子

趣味は浮世絵鑑賞とジグソーパズル。特に浮世絵師の歌川国芳の作品を好んでいます。特技には法螺貝やゲームを挙げています。

伝統文化への関心と、ゲームを楽しむ現代的な一面が同居しているところも三島さんの個性です。

なお、公式プロフィールに記載されている身長は169cmです。インターネット上では異なる体重などが紹介されることもありますが、基本スペックを確認する際は所属事務所の公表情報を基準にするのが確実です。

【出典:吉本興業公式プロフィール】

【結婚相手は誰?】三島達矢の妻と長女、家族構成

すゑひろがりず三島

三島達矢さんは2019年12月に結婚しています。

結婚については本人がSNSなどを通じて報告し、当時の報道でも取り上げられました。結婚相手は一般女性とされており、妻の名前や顔写真、詳しい職業などは広く公表されていません。

芸能人の配偶者であっても、一般の方であればプライバシーが尊重されるべきです。妻についての詳細なプロフィールが明らかになっていないことからも、本人が家族の私生活を大切にしていることがうかがえます。

2021年9月に第1子となる長女が誕生

すゑひろがりず三島

三島さんは2021年9月3日、自身のSNSを通じて第1子となる女の子の誕生を報告しました。

報道された投稿では、娘について「玉のように可愛い女の子です」と喜びを伝え、出産を頑張った妻や周囲の人々への感謝も述べています。

父親になった喜びを、すゑひろがりずらしい古風な言葉遣いで表現したことも印象的でした。

この報告はオリコンニュースや日刊スポーツなどでも紹介され、多くの祝福を集めました。

三島達矢の家族構成

すゑひろがりず三島

公表情報から整理できる家族構成は、妻と長女の3人です。

家族 公表されている情報
本人 三島達矢
妻 2019年12月に結婚。詳しいプロフィールは非公表
長女 2021年9月に誕生を公表
その他の家族 詳細な情報は広く公表されていない

2025年にはABCテレビの番組関連インタビューでも娘の成長について触れられています。幼稚園に通うようになった娘との家庭生活が紹介され、芸人としての顔とは違う父親としての一面が伝わりました。

また、同じすゑひろがりずの南條庄助さんにも2021年に双子の女児が誕生しています。コンビの2人がともに父親になったことも、ファンにとって印象的な出来事でした。

【出典:オリコンニュース、日刊スポーツ、ABCマガジン】

【学歴・芸歴】三島達矢は清風高校出身?芸人になるまでの道のり

三島さんの学歴については、清風高校出身とするプロフィール情報があります。

清風高校は大阪府大阪市にある仏教系の男子校です。2024年8月放送のテレビ朝日系『アメトーーク!』では、三島さん自身が高校時代の学校生活について語っています。

毎朝、生徒全員でお経を唱え、忘れ物をすると写経をするという独特の校風だったそうです。

大阪でも有数の進学校として紹介されたこともあり、芸人としての現在のイメージとは少し違った学生時代を過ごしていたことが分かります。

高校卒業後は大学に進学せず、お笑いの道へ

CHANTO WEBの2025年のインタビューでは、高校卒業後の経歴についても語られています。

三島さんは高校卒業後、大学には進学せず、フリーターとして生活していました。

その後、22歳ごろにお笑い芸人を目指すことを決意し、NSC大阪校へ入学します。

養成所時代には「バルチック艦隊」というコンビを組み、2005年のM-1グランプリで準決勝に進出しました。

当時から実力を評価されていた一方、コンビ解散などの挫折も経験しています。

すゑひろがりず結成までの経緯

三島さんと南條さんは、最初から現在のコンビとして活動していたわけではありません。

それぞれ別のコンビで活動した後、トリオを経て、2011年4月に2人組となりました。

当初は「みなみのしま」というコンビ名で活動し、アロハシャツを着たスタイルで漫才やコントを披露していました。

しかし、思うように結果が出ず、芸風の方向性を模索する時期が続きます。

その後、日本の伝統芸能を取り入れた和風のスタイルに挑戦。2016年にはコンビ名を現在の「すゑひろがりず」に変更しました。

この転換が、後のM-1グランプリ決勝進出につながる大きなきっかけとなります。

【経歴年表】三島達矢の芸歴とM-1グランプリ2019までの歩み

三島さんの芸人人生には、複数の転換点があります。

年 出来事 主なポイント
1982年 大阪府大阪市で誕生 10月2日生まれ
高校卒業後 フリーターとして生活 大学には進学せず
2005年 M-1準決勝進出 バルチック艦隊として出場
2011年 現在につながるコンビを結成 南條庄助さんと活動
2016年 すゑひろがりずに改名 和風の芸風に合わせた名称へ
2019年 M-1グランプリ決勝進出 最終順位8位
2019年12月 結婚 本人が公表
2021年9月 第1子女児誕生 父親になったことを報告
2025年6月 演歌歌手デビュー 「それでも俺は幸せさ」を配信
2026年 テレビ・劇場・音楽企画などで活動 演歌歌手としての企画も継続

2019年のM-1グランプリは、すゑひろがりずにとって全国的な知名度を高める重要な大会となりました。

公式記録によると、2019年大会には5,040組がエントリーし、すゑひろがりずは決勝に進出。最終的に637点で8位となりました。

優勝はミルクボーイ、2位はかまいたち、3位はぺこぱです。

決勝進出だけでなく、独自の漫才スタイルが大きな注目を集めたことも、この大会の重要な成果でした。

【出典:M-1グランプリ公式サイト、QJWeb、CHANTO WEB】

【狂言風漫才の魅力】すゑひろがりず三島と南條の芸風を解説

すゑひろがりずの最大の特徴は、狂言をモチーフにした和風の漫才です。

三島さんは扇子を持ち、南條さんは小鼓を担当。2人とも和装で登場し、現代的なテーマを古風な言葉遣いや伝統芸能風の動きで表現します。

例えば、日常的なカタカナ語や現代の流行を、昔ながらの日本語に置き換える手法が代表的です。

この芸風には、主に3つの魅力があります。

1. 現代と古典のギャップ

スマートフォンやゲームなど、現代の題材を古風な言い回しで表現することで、言葉のギャップそのものが笑いになります。

2. 視覚的にも分かりやすい

着物や扇子、小鼓といった小道具によって、ネタの世界観が一目で伝わります。言葉だけでなく、衣装や所作も笑いを生み出す要素です。

3. 誰でも楽しみやすい

難しい専門知識がなくても楽しめることが特徴です。伝統芸能を思わせる見た目でありながら、題材は身近な日常生活なので、幅広い世代に届きやすい構造になっています。

M-1グランプリ2019で披露した「合コン」

2019年のM-1決勝では、すゑひろがりずが合コンを題材にしたネタを披露しました。

袴姿で扇子と小鼓を使い、現代的な恋愛の場面を和風の世界観に変換する内容です。

M-1公式の決勝リポートでは、審査員からも独特のスタイルや完成度を評価するコメントが紹介されています。

また、文春オンラインのインタビューでは、決勝進出に至るまでの苦労や、和風の芸風にたどり着いた経緯が語られています。

単に伝統芸能の見た目を取り入れたのではなく、現代の漫才として成立する独自の表現を磨いてきたことが、2人の強みです。

【2025年に演歌歌手デビュー】三島達矢「それでも俺は幸せさ」とは?

三島さんの新たな挑戦として話題になったのが、2025年の演歌歌手デビューです。

2025年6月18日、オリジナル楽曲「それでも俺は幸せさ」が配信リリースされました。

この企画は、テレビ埼玉とBSよしもとで放送されている『それゆけ!大宮セブン』から誕生したものです。

番組内で大宮セブンのメンバーから「三島は演歌をやってみたら?」というアイデアが出たことをきっかけに、演歌歌手への道が始まりました。

楽曲の制作陣と内容

楽曲の制作には、歌手・作詞作曲家として活動する向井浩二さんが参加しています。

項目 内容
楽曲名 それでも俺は幸せさ
アーティスト 三島達矢
配信開始日 2025年6月18日
作詞 向井浩二・三島達矢
作曲 向井浩二
編曲 矢田部正
配信元 よしもとミュージック

楽曲のテーマは失恋です。

三島さん自身の過去の恋愛経験をもとに、恋愛に臆病になった気持ちや、失恋した際の深酒などのエピソードが作品に反映されています。

演歌初心者だった三島さんは、ボイストレーニングを受けながら歌い方を一から学びました。

本人もデビューに際して、ボイスレッスンを受けたことや、楽曲への思いをコメントで伝えています。

なぜ演歌歌手デビューが実現したのか

注目したいのは、漫才とは異なる表現方法に挑戦した点です。

すゑひろがりずの漫才では、言葉の選び方や間、所作によって笑いを生み出します。一方、演歌では歌声や感情表現によって聴き手に作品の世界を伝えます。

三島さんの失恋エピソードを楽曲のテーマに採用したことも、芸人としての経験を別のジャンルに生かす試みといえます。

2026年には『それゆけ!大宮セブン』で「三島達矢、紅白への道」という企画に関連する放送回も確認できます。

演歌デビューを単発の話題で終わらせず、番組企画を通じて新たな挑戦につなげている点は興味深いところです。

【出典:吉本興業公式プレスリリース、FANY Magazine、よしもとミュージック、WEBザテレビジョン】

【2026年最新】三島達矢の現在の活動は?テレビ・劇場・YouTube

2026年現在の三島さんは、すゑひろがりずとしての漫才活動を続けながら、個人としてもさまざまな分野に挑戦しています。

『それゆけ!大宮セブン』への出演

現在の活動を語るうえで欠かせないのが、テレビ埼玉とBSよしもとで放送されている『それゆけ!大宮セブン』です。

大宮ラクーンよしもと劇場を拠点とする芸人ユニット「大宮セブン」の冠番組で、すゑひろがりずも出演しています。

2026年9月には、三島さんの演歌歌手としての活動を扱う「紅白への道」という企画関連の放送回もありました。

2026年10月末にも番組出演情報が確認でき、演歌への挑戦が番組の継続的な企画として扱われていることが分かります。

テレビのバラエティー番組

コンビとしての出演に加え、三島さん個人のキャラクターが生きるバラエティー番組でも活躍しています。

『アメトーーク!』などでは、学生時代や日常生活のエピソードを披露することもあります。

また、『やすとものいたって真剣です』では、南條さんとともに東海道五十三次を巡る企画にも出演しています。

漫才で見せる古風なキャラクターとは異なる、自然体のトークも持ち味です。

YouTube「すゑひろがりず局番」

YouTubeでは「すゑひろがりず局番」を展開しています。

ゲーム実況を中心に、ゲームの世界や登場人物の言葉を狂言風に変換する企画が人気です。

テレビの漫才では時間や構成に制約がありますが、YouTubeではゲームを題材にした長尺の掛け合いや、2人の自然なやり取りを楽しめます。

このように、劇場・テレビ・インターネットという異なる媒体で芸風を展開できることが、すゑひろがりずの強みです。

【よくある質問】すゑひろがりず三島に関するFAQ

Q1:すゑひろがりずの三島達矢は2026年現在何歳ですか?

A1:1982年10月2日生まれで、2026年10月31日現在44歳です。

Q2:三島達矢の出身地はどこですか?

A2:大阪府大阪市です。吉本興業の公式プロフィールにも掲載されています。

Q3:三島達矢の結婚相手は誰ですか?

A3:2019年12月に結婚しています。妻は一般女性とされ、名前や詳しいプロフィールは公表されていません。

Q4:三島達矢には子供がいますか?

A4:2021年9月に第1子となる女の子の誕生を報告しています。

Q5:三島達矢の出身高校はどこですか?

A5:清風高校出身とするプロフィール情報があります。本人もテレビ番組で仏教系の男子校に通っていたことを語っています。

Q6:すゑひろがりずはM-1グランプリで優勝しましたか?

A6:優勝はしていません。2019年に初めて決勝へ進出し、637点で8位となりました。

Q7:三島達矢の演歌デビュー曲は何ですか?

A7:2025年6月18日に配信された「それでも俺は幸せさ」です。『それゆけ!大宮セブン』の企画から誕生した楽曲です。

Q8:三島達矢の身長は何cmですか?

A8:吉本興業の公式プロフィールによると169cmです。

まとめ:三島達矢の魅力は独自の芸風と挑戦を続ける姿勢

すゑひろがりずの三島達矢さんは、1982年生まれの44歳。大阪府大阪市出身で、吉本興業に所属するお笑い芸人です。

2011年に南條庄助さんとコンビを組み、試行錯誤を重ねた末に狂言風漫才という独自のスタイルを確立しました。

2019年のM-1グランプリ決勝進出は、長年の活動が全国的に認められる大きな転機となりました。

私生活では2019年に結婚し、2021年には長女が誕生。2025年には「それでも俺は幸せさ」で演歌歌手としてもデビューしています。

2026年も『それゆけ!大宮セブン』をはじめとする番組出演や劇場活動を続け、演歌への挑戦も番組企画として展開しています。

三島さんの魅力は、単に狂言風の言葉遣いを使うことだけではありません。長い下積みを経て自分たちに合った表現を見つけ、そのスタイルを守りながらも新しいジャンルへ挑戦している点にあります。

今後は漫才師としての活動に加え、演歌歌手としてどのような展開を見せるのかにも注目です。