【終戦後に創氏改名はどうなった?】朝鮮姓名復旧令と現在に残る歴史的影響
1945年の日本の敗戦によって、朝鮮半島は日本の植民地支配から解放されました。しかし、創氏改名によって戸籍に記録された名前や、制度によって変化した家族関係が、すぐにすべて元に戻ったわけではありません。
1946年の朝鮮姓名復旧令で日本式の氏名変更を無効化

1946年10月23日、南部朝鮮を統治していた米軍政庁は、法令第122号「朝鮮姓名復旧令」を公布しました。
この法令では、創氏制度によって朝鮮人の姓名を日本式に変更した戸籍上の記載について、変更当初から無効とする措置が取られました。
つまり、植民地統治下で行われた姓名変更を、そのまま新しい身分関係として認めるのではなく、従来の朝鮮姓名に戻す方向で法的な整理が行われたのです。
ただし、創氏改名のもとで成立したすべての法律行為まで無効になるわけではありませんでした。法令では、当時成立した法律行為への影響を限定する規定も設けられていました。
坂元真一の研究は、この姓名復旧の過程と、その後の養子縁組などをめぐる法的問題についても詳しく検討しています。
創氏改名は戦争被害者の記録にも影響した

創氏改名の影響は、1945年の解放によって完全に終わったわけではありません。
戦時中の軍関係資料や労働動員関係の記録、死亡者名簿などには、創氏によって変更された日本式の氏名が使用されている場合があります。
そのため、後世に当時の人物を調査する際、朝鮮名と日本式の氏名を照合する必要が生じました。
京都大学名誉教授の水野直樹は、創氏名で残された戦時期の資料と、解放後に復旧された本来の姓名との連続性を確認する難しさを指摘しています。
これは、名前が単なる個人の呼び名ではなく、歴史資料を読み解くための重要な情報でもあることを示しています。
現在の在日コリアンの通名との関係

創氏改名を調べる際、現在の在日コリアンが使用する日本式の通名との関係を疑問に思う人もいるでしょう。
歴史的には、創氏の時期に届け出られた日本式の氏が、その後の通名の由来になったケースがあります。
ただし、現在の通名がすべて創氏改名によって生まれたわけではありません。
植民地時代以前から日本式の姓名を使用していた人もいれば、1945年の解放後に新たな通名を選んだ人もいます。
また、解放後の日本社会で朝鮮名を名乗ることに対する偏見や差別が存在し、日本式の通名を生活上使用する選択につながったケースもありました。
したがって、現在の通名の背景を理解するには、植民地期の制度だけでなく、戦後の在日コリアンを取り巻く社会環境も考慮する必要があります。
【よくある誤解を検証】創氏改名に関するよくある質問(FAQ)
Q1:創氏改名は朝鮮人全員に日本式の名前を強制した制度ですか?
A1:正確には、戸主に家族共通の氏を設定することが義務付けられた制度です。届出をしなかった場合も戸主の姓が自動的に氏となりました。一方、下の名前を日本式に変更する改名は制度上任意でした。
Q2:創氏と改名は何が違うのですか?
A2:創氏は家族全員が共有する氏を新たに設けること、改名は個人の下の名前を変更することです。創氏は戸主による届出が義務付けられましたが、改名には裁判所の許可が必要で、本人の申請による任意の手続きでした。
Q3:創氏改名によって朝鮮人の姓や本貫は完全になくなったのですか?
A3:いいえ。戸籍上の家族共通の氏が導入されましたが、父系血統を示す姓と本貫は別の標識として維持されていました。したがって、姓や本貫がすべて消滅したという説明は正確ではありません。
Q4:創氏改名はいつからいつまで実施されたのですか?
A4:1939年11月10日に法令が公布され、1940年2月11日に施行されました。創氏の届出期間は1940年8月10日までの6か月間でした。改名については別途、許可を受ける手続きが設けられていました。
Q5:創氏改名は日本の皇民化政策と関係していたのですか?
A5:深く関係しています。日本の植民地統治下で推進された「内鮮一体」の理念や皇民化政策の一環として、日本式の家族制度を朝鮮社会に導入する狙いがありました。姓名の変更だけでなく、家族制度や民族的な帰属意識にも関わる政策でした。
【プロの結論】創氏改名の歴史から理解すべき3つのポイント
創氏改名をめぐる歴史を理解するうえで、特に重要なのは次の3点です。
1.法律上の義務と社会的な強制は分けて考える。
創氏は法的に義務付けられ、改名は制度上任意でした。しかし、実際の植民地統治では行政や学校を通じた政策的圧力が存在しました。法律の条文だけを見て、当時の人々が自由に選択できたと判断することはできません。
2.名前の変更は家族制度の変更でもあった。
創氏改名の本質は、日本式の名前を名乗らせることだけではありません。朝鮮の父系血統を重視する伝統的な姓の制度に、日本式の家族共通の氏を導入した点にあります。氏と姓、本貫の違いを理解することで、制度が持っていた意味が明確になります。
3.歴史を評価する際には法令と実施状況の両方を見る。
1939年の制令第19号・第20号、1940年の施行、約79.3%という設定創氏の届出率、改名率9.7%という数字は、それぞれ異なる制度上の事実を示しています。これらを混同せず、行政記録や研究論文と照らし合わせることが大切です。
まとめ:創氏改名とは何だったのか?
創氏改名とは、1939年に公布され、1940年2月11日に施行された、植民地期の朝鮮における日本式の氏制度の導入と姓名変更の政策です。
その根拠となったのは、朝鮮民事令を改正した制令第19号と、朝鮮人の氏名に関する制令第20号でした。
創氏と改名の違いを整理すると、次のようになります。
- 創氏:戸主に義務付けられた家族共通の氏の設定。
- 改名:本人の申請と許可によって行われる任意の名前の変更。
- 実態:行政や学校などを通じた政策的圧力が存在した。
- 歴史的背景:日本の皇民化政策と「内鮮一体」の推進。
- 戦後の措置:1946年の朝鮮姓名復旧令による姓名変更の無効化。
2026年の現在、この歴史を振り返る際にも、単に「日本式の名前を強制された」という一文だけでは制度の全体像を説明できません。
家族制度、血統、本貫、植民地統治、法的義務、社会的圧力という複数の視点を組み合わせる必要があります。
創氏改名が残した歴史的な教訓は、名前が個人の呼称にとどまらず、家族のあり方や民族的なアイデンティティ、さらには国家と個人の関係にまで深く関わるものだということです。
当時の官報や歴史研究を丁寧に読み解くことは、日本と朝鮮半島の近代史を正しく理解し、植民地支配が人々の暮らしに与えた影響を考えるための重要な手掛かりになります。