丸山城志郎の現在は?2026年スイス移住と引退理由、世界王者の新たな挑戦を徹底解説
柔道男子66キロ級で世界選手権2連覇を達成し、阿部一二三との歴史的なライバル関係でも知られる丸山城志郎氏。2025年2月17日に現役引退を発表した後、2026年には家族とともにスイスへ生活拠点を移し、柔道指導者として新しいキャリアを歩み始めた。
2026年10月現在、丸山氏はスイス西部のヴォー州にあるÉcole Mont-Olivet(エコール・モンオリヴェ)で柔道教師を務め、併設するMont-Olivet Judo Clubでも指導に携わっている。妻のクルミさんと2人の子どもとの海外生活も報じられ、競技者時代とは異なる日常を送っている。
引退を決断した本当の理由は何だったのか。なぜスイスを選び、世界王者として培った技術をどのように次世代へ伝えているのか。現役時代の実績、阿部一二三との24分間の死闘、家族の情報まで、2026年の最新報道をもとに整理する。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 現在:2026年、家族とスイスへ移住し、現地の学校で柔道教師・クラブコーチとして活動。
- 引退理由:2024年のグランドスラム・パリ大会で競技への情熱が薄れていることを自覚し、2025年2月に現役引退を決断。
- 家族:2018年に妻クルミさんと結婚。長男・次男の2人の子どもとともに海外生活を送っている。
【2026年最新】丸山城志郎の現在はスイス!世界王者から柔道教師へ

2026年の丸山城志郎氏は、日本を離れ、スイスで柔道の普及と教育に取り組んでいる。
大きな転機となったのは、2026年3月にスイスのÉcole Mont-Olivetが公表した採用発表だ。同校は丸山氏を柔道教師として迎え、学校に併設された柔道クラブでも指導を担当することを発表した。
École Mont-Olivetで担う新しい役割
丸山氏が活動するÉcole Mont-Olivetは、スイス西部のヴォー州Vich(ヴィッシュ)にある学校だ。柔道を単なる競技や課外活動として扱うのではなく、子どもたちの人格形成や教育に生かす取り組みを進めている。
同校が掲げる柔道教育の柱は、次のような価値観だ。
- 相手を尊重する姿勢
- 規律と自己管理
- 困難に立ち向かう忍耐力
- 自分自身をコントロールする力
- 努力を継続する姿勢
丸山氏の仕事は、世界選手権で勝つための技術を教えるだけではない。柔道を通じて、子どもたちが他者との関係や自分自身の成長を学ぶ機会をつくることにもある。
学校の公式案内では、併設するMont-Olivet Judo Clubはスイス柔道連盟などに関係する地域の柔道組織と連携しており、学校の生徒だけでなく外部の人も参加できるクラブとして紹介されている。
2026年8月にはIJFも新しい活動を紹介

国際柔道連盟(IJF)は2026年8月30日、丸山氏の引退後の歩みを紹介する記事を公開した。
記事では、丸山氏が家族とスイスを生活拠点にし、学校の教育プロジェクトにおいて重要な役割を担っていることを伝えている。
特に注目されたのが、2026年8月26日に学校の道場で行われたマスタークラスだ。丸山氏は生徒たちの前で技を実演し、動きを確認しながら一人ひとりに助言した。
世界選手権を2度制した選手から直接指導を受けられることは、子どもたちにとって貴重な経験だろう。
現役時代の丸山氏は、試合で勝つことを追求する競技者だった。現在は、自身の経験を次世代の成長に役立てる教育者へと役割を変えている。
【スイス移住の理由】なぜ日本を離れた?仕事と家族の新しい選択
丸山氏のスイス移住について、2026年9月5日付のデイリースポーツが詳しく報じている。
同報道によると、丸山氏は妻のクルミさんのYouTubeチャンネルに夫婦で出演し、家族でスイスへ移住することを明らかにした。
移住の直接的な理由として本人が説明したのは、仕事だった。
「僕の仕事の関係もあって、スイスに移住することを決断しました」
つまり、単なる海外生活への憧れや旅行目的ではなく、柔道指導という新しい仕事が移住の大きなきっかけになっている。
2026年4月から生活を開始、8月に正式移住を公表
今回の移住には、生活開始と正式な移住発表という2つの段階がある。
デイリースポーツによると、丸山一家は2026年4月からすでにスイスで生活を始めていた。その後、ビザを取得し、8月から家族での移住を正式に進めたことを公表した。
9月5日の報道では、スイスでの暮らしについても本人が語っている。
日本とは異なり、土日にショッピングモールやスーパーが営業しないなど、生活習慣には違いがあるという。一方で、街並みの美しさや山などの自然環境を気に入っている様子も伝えられた。
居住地はフランスに近いスイス西部のジュネーブ近郊。日常生活で必要になるフランス語の習得にも取り組んでいる。
柔道を教えながらフランス語も学ぶ生活
興味深いのは、丸山氏自身が子どもたちに柔道を教える一方で、現地の子どもたちからフランス語を教わっているという点だ。
競技者として海外遠征を重ねてきた経験と、実際に外国で暮らす経験は同じではない。生活者として言葉や文化を学びながら、柔道を通じて地域に溶け込んでいく段階にある。
世界選手権の優勝経験を持つ日本人指導者が、ヨーロッパの教育現場で子どもたちと向き合う。この転身は、柔道の国際的な広がりを考えるうえでも興味深い事例だ。
【現役時代の経歴】天理大学からミキハウス、世界選手権2連覇まで
丸山城志郎氏は1993年8月11日、宮崎県宮崎市生まれ。父の丸山顕志氏は1992年バルセロナ五輪の柔道日本代表選手であり、その影響もあって丸山氏は3歳から柔道を始めた。
幼少期から柔道に親しみ、沖学園高校、天理大学を経てミキハウスに所属。男子66キロ級の日本代表を争うトップ選手へと成長した。
丸山城志郎のプロフィールと主要経歴
| 時期・年 | 人物・組織・出来事 | 主な内容・実績 |
|---|---|---|
| 1993年 | 丸山城志郎 | 8月11日、宮崎市で生まれる。 |
| 3歳 | 父・丸山顕志氏 | 父の影響で柔道を始める。 |
| 2012年 | 沖学園高校 | 同校を卒業。 |
| 2016年 | 天理大学 | 卒業後、ミキハウスに入社・所属。 |
| 2018年 | 国際大会・家族 | アジア大会男子66キロ級で銀メダル。妻クルミさんと結婚。 |
| 2019年 | 世界選手権 | 東京大会の男子66キロ級で初優勝。 |
| 2020年12月13日 | 阿部一二三選手 | 東京五輪代表決定戦で24分間の激闘。惜敗。 |
| 2021年 | 世界選手権 | ブダペスト大会で優勝し、世界選手権2連覇。 |
| 2022年 | 世界選手権 | タシケント大会で準優勝。 |
| 2023年 | 世界選手権 | ドーハ大会で準優勝。 |
| 2024年 | グランドスラム・パリ | 決勝で敗れ準優勝。後に引退を真剣に考える契機となる。 |
| 2025年2月17日 | ミキハウス | 現役引退を発表。 |
| 2025年2月25日 | 引退記者会見 | 五輪への思いと競技生活への達成感を語る。 |
| 2026年3月 | École Mont-Olivet | 柔道教師としての就任を学校が発表。 |
| 2026年8月 | スイス | 家族での移住を公表。学校でマスタークラスを実施。 |
この経歴で注目したいのは、世界選手権での実績だけではない。2019年、2021年の2大会で頂点に立った後も、2022年と2023年の世界選手権で連続して準優勝している。
世界選手権のメダルは合計4個。男子66キロ級の世界トップクラスで長く活躍した実力者だったことが分かる。
丸山城志郎の得意技は左内股と袖釣り込み腰
丸山氏を象徴する技として知られているのが内股だ。特に左組みから繰り出す左内股は、相手の体勢を崩しながら一気に投げ切る切れ味が特徴だった。
柔道専門メディアのeJudoでも、丸山氏の得意技として左内股や袖釣り込み腰が紹介されている。
技の特徴は、単純な力任せではなく、組み手から相手の重心を動かし、タイミングを合わせて投げる技術にある。
また、IJFの2026年8月の記事でも、世界選手権を制した2019年と2021年の技術的な精度や内股が改めて紹介された。
現役時代の武器だった技術は、現在の指導者としての大きな財産になっている。
【阿部一二三との24分間の死闘】東京五輪代表決定戦の真実
丸山城志郎氏の競技人生を語るうえで欠かせない人物が、パリ五輪2連覇を達成した阿部一二三選手だ。
同じ男子66キロ級で戦った2人は、日本代表の座をめぐって激しい競争を続けた。世界選手権を制した丸山氏と、国際大会で実績を積み重ねていた阿部選手。どちらが東京五輪に出場するのか、柔道界の大きな注目を集めていた。
2020年12月13日、史上初の一騎打ちによる代表決定戦
東京五輪の男子66キロ級代表を決める一戦は、2020年12月13日に東京の講道館で行われた。
通常の大会とは異なり、代表を決めるために2人だけで直接対決する特別な試合だった。
本戦の4分間では決着がつかず、延長戦へ突入。両者が互いの技を警戒しながら攻防を続け、試合時間は合計24分間に及んだ。
最後は阿部選手の大内刈りによる技ありで決着。丸山氏は敗れ、東京五輪の代表権を逃した。
JOCの当時の報道でも、通常の6試合分に相当する24分間の熱戦として伝えられている。
五輪出場を逃しても、世界王者として再び頂点へ
代表決定戦の敗北は、丸山氏にとって大きな挫折だった。しかし、競技人生がそこで終わったわけではない。
2021年の世界選手権では男子66キロ級で優勝。東京五輪に出場できなかった悔しさを抱えながらも、世界の頂点に立つ力を改めて証明した。
2022年と2023年の世界選手権でも決勝に進出し、いずれも準優勝。世界トップレベルの実力を維持し続けた。
2026年8月、ライバルとの関係にも新しい変化
2026年9月のデイリースポーツの報道では、丸山氏と阿部選手が同年8月に初めて食事をともにしたことも紹介された。
丸山氏は自身のSNSで、長年競い合ってきた阿部選手と直接会い、競技時代の練習やプライベートについても話せたことを報告したという。
現役時代は、相手に勝つために互いを意識し続けた2人。競技を離れたことで、ようやくライバルとしての関係を別の形で振り返る機会が生まれた。
これは丸山氏の引退後を象徴する出来事でもある。勝敗を競う関係から、互いの努力を認め合う柔道家同士の関係へと変化したのだ。
【引退理由を徹底解説】五輪への未練よりも大きかった気持ちの変化
丸山城志郎氏が現役引退を決断した理由は、単に五輪代表になれなかったからではない。
2025年2月25日の引退会見で本人が明かしたのは、競技へのモチベーションを維持できなくなったことだった。
きっかけは2024年のグランドスラム・パリ大会
丸山氏は2024年2月のグランドスラム・パリ大会で決勝に進出したものの、武岡毅選手に敗れて準優勝となった。
当時、体の状態は良く、試合に向けた準備も整っていた。それにもかかわらず、本人は試合に向けて気持ちが燃え上がらない感覚を覚えていた。
引退会見では、これからさらに4年間、同じ気持ちで競技を続けられるのかと考えたことを明かしている。
「勝負師としてもう終わりだなと感じ始めました」
この発言が示すのは、身体能力の限界だけでは説明できない、競技者としての内面的な変化だ。
東京五輪代表決定戦の敗北から引退を意識していた
引退について考え始めたのは、2024年のパリ大会が初めてではなかった。
eJudoが掲載した2025年3月30日の引退会見要旨によると、最初に引退が頭をよぎったのは、2020年の東京五輪代表選考で阿部選手に敗れたときだった。
その後も競技を続け、世界選手権で優勝するなど結果を残したものの、2024年のパリ大会を経て、次の五輪まで競技を続けることへの迷いが大きくなった。
さらに、天理大学を拠点に稽古を続けていた時期にも、明確な目標を見つけられず、練習に気持ちが入らない状態が続いたという。
妻への相談と、引退試合を設けない決断
引退会見の要旨では、丸山氏が最初に引退について相談した相手は妻だったことも明かされている。
妻からは、本人が十分にやってきたと思うのであれば、引退してもいいのではないかという趣旨の言葉をかけられたという。
その後も練習は続けたものの、競技への気持ちは戻らず、特別な引退試合を行わないまま現役生活を終えた。
2025年2月17日、所属先のミキハウスを通じて引退を正式発表。25日には大阪府内で記者会見を開いた。
本人は五輪出場と優勝という目標を達成できなかったことを認めながらも、これまで取り組んできたことに後悔はないと語っている。
引退は敗北から逃げるための選択ではなかった。自分の競技人生を振り返り、次の目標へ進むための決断だったと受け止められる。
【妻クルミさんと家族】結婚は2018年、子ども2人とスイス生活へ
丸山城志郎氏の家族については、スポーツ報道を通じて基本的な情報が伝えられている。
デイリースポーツの2025年2月25日の報道によると、丸山氏は2018年に妻のクルミさんと結婚し、長男と次男の2人の子どもがいる。
妻クルミさんは引退を考える時期にも支えた存在
クルミさんは、競技生活の重要な局面で丸山氏を支えてきた人物だ。
2025年の引退会見要旨では、丸山氏が引退について最初に相談した相手が妻だったことが明かされている。
長年にわたり五輪を目指してきた競技者にとって、現役生活を終える決断は簡単ではない。そうした時期に、本人の気持ちを尊重する言葉をかけたことが報道されている。
また、2026年9月のスイス移住発表も、クルミさんのYouTubeチャンネルで夫婦そろって行われた。
子どもは2人、長男と次男
報道で確認できる家族構成は、妻のクルミさんと長男・次男の4人家族だ。
2026年9月の移住報道では、家族でスイスへ生活拠点を移したことが伝えられている。
一方、子どもたちの詳しい年齢や学校生活など、プライベートに関する情報は広く公表されていない。
海外移住後の家族の日常についても、報道で確認できる範囲を超えた情報は少ない。現地で柔道を教えながら子どもたちと生活し、フランス語を学ぶという新しい暮らしが始まっている。
家族で海外へ移ることが意味するもの
今回のスイス移住は、丸山氏個人の転職だけではなく、家族全体の生活環境を変える選択でもある。
日本で世界選手権を目指していた頃とは、生活の中心も仕事の内容も大きく変わった。
子どもたちにとっては、異なる言語や文化に触れながら成長する機会にもなる。丸山氏自身も柔道指導を通じて現地の人々と交流し、新しい環境に適応している。
競技生活を支えてきた家族とともに、引退後の人生を築いていることが今回の移住の大きな特徴だ。
【プロの結論】丸山城志郎の現在の評判と今後の活動をどう見るべきか
2026年の丸山城志郎氏を評価する際、現役時代の戦績だけに注目するのでは十分ではない。
世界選手権2連覇、世界選手権通算4個のメダル、阿部一二三選手との激闘。これらは競技者としての実績だが、現在はその経験を教育や指導に生かす段階に入っている。
評価される理由は技術と競技経験の両方
IJFが2026年8月に紹介した丸山氏の記事では、世界王者としての技術的な精度に加え、子どもたちに丁寧に技を伝える姿が描かれている。
学校側も、世界選手権2度の優勝経験を持つ指導者として丸山氏を迎え、柔道教育を充実させる姿勢を示している。
特に丸山氏の場合、実際に世界の頂点を経験しただけでなく、五輪代表争いでの敗北や長年のライバルとの競争も経験している。
勝つための技術だけでなく、勝てない時期にどう向き合うか、目標を失ったときにどう決断するかという経験も、指導者として伝えられる財産だ。
今後期待される3つの活動領域
2026年10月時点で確認できる主な活動は、スイスでの学校教育と柔道クラブでの指導だ。今後の発展としては、次の3つの領域が考えられる。
- 柔道の国際普及:世界選手権を経験した日本人指導者として、ヨーロッパの子どもや若い選手に技術を伝える。
- 技術指導・マスタークラス:内股や組み手など、自身の得意分野を生かした専門的な指導を広げる。
- 教育と柔道の融合:競技成績だけでなく、礼儀や規律、自己管理を伝える教育活動に取り組む。
ただし、日本代表コーチへの就任や新たな所属先の決定など、具体的な追加計画が公表されたわけではない。現段階では、スイスでの教育・指導活動が中心となっている。
丸山城志郎の情報を調べる際に押さえたい3つのポイント
丸山氏に関する情報を正確に理解するには、次の区別が重要になる。
1. 引退理由は五輪代表になれなかったことだけではない。
本人が語った直接的な理由は、競技への情熱や勝負に向かう気持ちを維持できなくなったことだ。
2. スイス移住は仕事が大きな理由。
学校での柔道指導という具体的な役割があり、2026年春から現地での生活が始まっている。
3. 現役引退と柔道からの引退は別。
丸山氏は競技者としての活動を終えたが、柔道教師・コーチとして柔道に携わり続けている。
この3点を押さえると、丸山氏の現在を単なる「引退後の海外移住」として捉えるのではなく、世界王者が経験を次世代に引き継ぐためのキャリア転換として理解できる。
【丸山城志郎の現在・家族・引退理由】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:丸山城志郎は2026年現在、何をしていますか?
A1:スイスのÉcole Mont-Olivetで柔道教師を務め、併設するMont-Olivet Judo Clubでも指導しています。2026年8月には学校で生徒向けのマスタークラスも実施しました。
Q2:丸山城志郎がスイスに移住した理由は何ですか?
A2:本人は仕事の関係で移住を決断したと説明しています。2026年3月に学校への柔道教師としての就任が発表され、4月から現地生活を開始。ビザ取得後、8月に家族での正式な移住を公表しました。
Q3:丸山城志郎の妻は誰ですか?子どもは何人いますか?
A3:妻はクルミさんです。2018年に結婚し、長男と次男の2人の子どもがいます。2026年には家族でスイスへ移住したことが報じられました。
Q4:丸山城志郎の引退理由は何ですか?
A4:2024年のグランドスラム・パリ大会で、体の状態が良くても競技に向かう気持ちが燃え上がらないことを自覚したためです。本人は、勝負師としての気持ちを維持できなくなったことを引退の決め手として説明しています。
Q5:丸山城志郎と阿部一二三の24分間の試合はいつですか?
A5:2020年12月13日、東京五輪の男子66キロ級代表決定戦です。延長戦を含む24分間の激闘の末、阿部一二三選手が大内刈りによる技ありで勝利しました。
Q6:丸山城志郎は世界選手権で何回優勝していますか?
A6:男子66キロ級で2019年と2021年に優勝し、2連覇を達成しています。2022年と2023年も準優勝しており、世界選手権のメダルは合計4個です。
Q7:丸山城志郎の得意技は何ですか?
A7:左内股が代表的な得意技です。袖釣り込み腰も得意としており、左組みから繰り出す切れ味のある投げ技が現役時代の大きな特徴でした。
まとめ:丸山城志郎は世界王者から国際的な柔道教育者へ
丸山城志郎氏は、2019年と2021年の世界選手権で優勝し、男子66キロ級の世界トップ選手として活躍した柔道家だ。阿部一二三選手との東京五輪代表決定戦での24分間の死闘は、競技人生を象徴する出来事として今も記憶されている。
2025年2月17日に現役引退を発表した背景には、五輪への夢を追い続けた末に、競技への情熱が変化したという事情があった。本人は引退会見で、それまでの柔道人生に後悔はないと語っている。
そして2026年、丸山氏は妻クルミさんと2人の子どもとともにスイスへ移住。École Mont-Olivetの柔道教師、Mont-Olivet Judo Clubのコーチとして、新たな役割を担っている。
注目すべきなのは、引退によって柔道との関係が途切れたわけではないことだ。世界王者として身につけた内股の技術、長年の競技経験、勝負の世界で得た学びを、今度は次世代へ伝えている。
競技者として五輪の金メダルには届かなかった。しかし、世界選手権2連覇という実績を残し、現在は海外の教育現場で柔道の価値を伝えている。2026年の丸山城志郎氏は、世界王者としてのキャリアを終えたのではなく、その経験を別の形で生かす新しいステージに立っている。
今後はスイスでの指導活動がどのように広がり、ヨーロッパの柔道界や次世代の選手たちにどのような影響を与えるのか。その歩みが注目される。
主な確認資料
- JOC:2025年2月の引退発表、東京五輪代表決定戦の記録。
- ミキハウス公式:2025年2月17日の引退発表。
- eJudo:2025年2月25日の引退会見要旨。
- デイリースポーツ:2026年9月5日のスイス移住・家族に関する報道。
- École Mont-Olivet公式:2026年3月の指導者就任発表。
- IJF:2026年8月30日の引退後の活動に関する特集。