【2026年最新】金本浩二は現在も現役?60歳でリングに立つ近況
2026年10月31日現在、金本浩二は引退していません。新日本プロレスを離れた後もフリーランスのプロレスラーとして活動しており、2026年にも複数の大会への出場が確認できます。
2026年5月19日付のベースボール・マガジン社「週刊プロレス」のインタビューでは、5月16日に神戸のプロレスバー「リングソウル」で開催された「HARU。3度目の成人式」大会への参戦が報じられました。試合後には、引退を発表した天山広吉と4代目タイガーマスクについても語っています。
2026年に確認できる主な試合参戦

2026年の金本浩二は、関西を中心に他団体や地域興行にも出場しています。確認できる主な動きは次のとおりです。
- 5月4日:柳ケ瀬プロレス旗揚げ9周年記念大会に参戦。高岩竜一とタッグを組み、ヤス久保田・ヒデ久保田組と対戦しました。
- 5月16日:神戸のリングソウルで開催された「HARU。3度目の成人式」大会に参戦しました。
- 8月11日:プロレスリングHEAT-UPのとどろきアリーナ大会に田中稔とのタッグで出場。ホワイト森山・三輪マーロン翔太組を破りました。
- 10月11日:兵庫県加古川市の第1回加古川河川敷プロレス大会に、道頓堀プロレスのラ・ピートとのタッグで参戦しました。
特に8月11日のHEAT-UP大会では、金本・田中組が30分23秒、垂直落下式ファルコンアローからの片エビ固めで勝利しています。60歳を迎える直前にも公式戦で勝利を挙げていることは、現在の活動を判断するうえで重要な事実です。
10月11日の加古川大会では、メインイベントに金本浩二・ラ・ピート組とバイオレンス・ドラゴン・菊池悠斗組のタッグマッチが組まれました。当日の観戦者による投稿にも金本の姿が確認できます。
これらの大会結果や参戦記録から、2026年も現役選手として活動していることが分かります。新日本プロレスの所属選手としてではなく、複数の団体や興行に参加するフリーランスという立場が現在の基本的な活動形態です。
出典:柳ケ瀬プロレス公式試合結果、プロレスリングHEAT-UP公式試合結果、週刊プロレス、加古川河川敷プロレス大会の開催情報。
60歳を迎えた本人が語った現役への思い
2026年5月の週刊プロレスのインタビューで、金本は自身の年齢や身体の状態について率直に話しています。
「だけど、まだ20代のヤツが相手でも負ける気はしないし、ガンガンいくだけの気持ちがありますから」
一方で、ヒザなど身体の悪い部分が増えていることも明かしました。若い頃と同じではないと認めながらも、試合になれば集中して闘うという姿勢です。
また、年齢だけを理由に引退時期を決める考えではありません。金本は、自分らしい試合ができなくなったときには静かにリングを降りるという考えを示しています。
この発言から読み取れるのは、長く現役を続けること自体を目標にしているのではなく、金本浩二というレスラーとして納得できる試合を続けることを重視している点です。
【プロフィール・経歴】新日本プロレス入門からジュニアの頂点へ

Koji Kanemoto
- 生年月日:1966年10月31日
- 出身地:兵庫県神戸市
- 身長・体重:180cm・80kg
- 血液型:AB型
- デビュー:1990年11月7日
- 主な活動拠点:神戸・関西
- 現在の所属形態:フリーランス
金本浩二は、兵庫県神戸市出身のプロレスラーです。大阪学芸大学を卒業後、栗栖正伸トレーニングジムで指導を受け、1990年に新日本プロレスへ入門しました。
同年11月7日、和歌山・岩出町立町民総合体育館で小原道由を相手にデビュー。若手時代から打撃と関節技を得意とし、後年の「喧嘩番長」という呼び名につながるファイトスタイルを確立していきます。
金本浩二の主な経歴年表
金本のキャリアは、タイガーマスク時代と素顔でのジュニアヘビー級戦線での活躍、そしてフリー転向後という3つの時期に分けると理解しやすくなります。
この年表で注目したいのは、1990年代から2000年代にかけて、金本が単なるジュニアの人気選手にとどまらず、ヘビー級の選手とも対等に渡り合う存在へと成長したことです。
2006年のG1 CLIMAXでは、ジュニアヘビー級の選手として初めて決勝トーナメントに進出。準決勝では小島聡に敗れましたが、重量級選手が中心の大会でベスト4に入った実績は特筆に値します。
同年9月にはIWGPジュニア王者として、ヘビー級王者の棚橋弘至との対戦も実現しました。階級の枠を越えて挑戦する姿勢は、当時の新日本ジュニア戦線における金本の存在感を象徴しています。
【3代目タイガーマスク】金本浩二が脱マスクした理由とは?
金本浩二の経歴で、現在も多くのプロレスファンが関心を寄せるのが3代目タイガーマスク時代です。
タイガーマスクといえば、1980年代に一大ブームを起こした初代の佐山聡、全日本プロレスで活躍した2代目の三沢光晴が知られています。その後、新日本プロレスの20周年企画で金本浩二が3代目に選ばれました。
1992年の企画から1993年の正式デビューへ
金本が3代目タイガーマスクとして最初に登場したのは1992年3月1日です。新日本プロレスの旗揚げ20周年記念企画として登場し、当初は一度限りの予定でした。
しかし、登場時の反響が大きかったことから継続が決まり、1993年5月3日の福岡ドーム大会で正式デビューを果たします。対戦相手は獣神サンダー・ライガーでした。
当時の金本はまだ若手選手でした。団体から期待されていたことが分かる抜てきでしたが、同時に大きな課題も背負うことになりました。
なぜタイガーマスクを脱いだのか?
大きな理由として挙げられるのが、タイガーマスクに求められるファイトスタイルと、金本自身が理想としていた戦い方の違いです。
タイガーマスクには、華麗な空中殺法やスピード感のある技、初代の佐山聡が築いた独特のアクロバティックなイメージがありました。
一方、金本が本来得意としていたのは、激しい蹴りや関節技、相手と正面からぶつかるストロングスタイルです。後に「喧嘩番長」と呼ばれるようになる攻撃的な戦い方は、タイガーマスクに求められるイメージとは必ずしも一致していませんでした。
Number Webの2017年の特集でも、金本が信条とするケンカストロングスタイルと、タイガーマスクに求められるスタイルとのギャップが取り上げられています。
そして1994年1月4日の東京ドーム大会では、獣神サンダー・ライガーとの試合後に自らマスクを脱ぎ捨てました。この場面は3代目タイガーマスクの象徴的な幕引きとして知られています。
2026年の本人発言が示す脱マスクの本質
興味深いのは、2026年5月の週刊プロレスのインタビューで、金本自身が当時の決断について改めて語っていることです。
「俺は我が強いんで、“金本浩二でやりたい”って思いが強かった」
この言葉は、単にマスク姿が嫌だったという話ではありません。プロレスラーとして、自分の名前とスタイルで評価されたいという強い自我があったことを示しています。
4代目タイガーマスクについては、デビューから引退まで一貫してマスクを貫いたことを評価していました。自身がマスクの重圧を知っているからこそ、その違いを理解していたのでしょう。
金本にとってマスクを脱ぐことは、タイガーマスクというブランドを否定することではなく、自分自身のレスラー人生を選び直す転換点だったと考えられます。
【新日本プロレス退団】2013年に契約を更新しなかった経緯
金本浩二は2013年1月、新日本プロレスとの契約を更新せず、フリーランスに転向しました。
1990年の入門から約23年間にわたって在籍した団体を離れることになり、その後は神戸・関西を拠点に活動を続けています。
解雇ではなく契約更新をしない選択
金本の退団については、解雇や団体とのトラブルといった説明と混同しないことが大切です。週刊プロレスの2026年5月のプロフィールでは、2013年1月に新日本との契約を更新せず、フリーに転向したと説明されています。
つまり、確認できる経緯の中心は契約更改を行わなかったことです。
その後、特定の団体に所属するのではなく、複数の団体や大会に参戦するスタイルを選びました。
本人が語った新日本プロレスへの思い
2026年のインタビューで、金本は新日本プロレスへの思いを次のように明かしています。
「もともと新日本に入って新日本で引退するって気持ちが一番強かった」
さらに、新日本で引退することができなくなったのであれば、残りのレスラー人生はフリーで活動するという考えを語っています。
この発言から分かるのは、新日本への愛着が失われたから離れたという単純な話ではないことです。金本は新日本で育ったという自負を現在も持っており、フリーになってからも、その看板を背負う意識があると話しています。
一方で、契約更新に至らなかった具体的な交渉内容や、会社との間で何があったのかについて、同インタビューでは詳細を説明していません。したがって、退団を特定の人物との確執や一方的な解雇に結び付けるのは正確ではありません。
2013年以降の活動を見ると、金本にとってフリー転向はレスラー人生の終了ではなく、活動場所を自分で選択する新しい段階の始まりだったことが分かります。
【必殺技・タイトル実績】IWGPジュニア王座5度とBOSJ3度の実力
金本浩二のレスラーとしての評価を語るうえで欠かせないのが、IWGPジュニアヘビー級王座5度の戴冠と、BEST OF THE SUPER Jr.(BOSJ)3度の優勝です。
これらの記録は、一時的な人気ではなく、長期間にわたってジュニアヘビー級のトップ戦線で戦い続けたことを裏付けています。
IWGPジュニアヘビー級王座は通算5回
金本は1995年2月19日に保永昇男を破り、初めてIWGPジュニアヘビー級王座を獲得しました。
その後も1995年、1999年、2002年、2006年と王座を獲得。通算5度の戴冠を記録しています。
特に2006年の5度目の戴冠は、金本のキャリア後半における重要な実績です。同年のG1 CLIMAXでベスト4に進出したことと合わせ、ジュニアの枠に収まらない実力を示しました。
BEST OF THE SUPER Jr.は3度優勝
新日本プロレスのジュニアヘビー級を代表するリーグ戦「BEST OF THE SUPER Jr.」でも、金本は優れた成績を残しました。
3回
優勝
1998・2002・2009年
5回
準優勝
1997・1999・2003・2004・2008年
8回
決勝進出
優勝と準優勝の合計
初優勝は1998年。2002年に2度目、2009年に3度目の優勝を達成しました。
優勝3回だけでなく、準優勝も5回という安定感が際立っています。決勝進出は合計8回であり、長期にわたって優勝候補に名を連ねた選手だったことが分かります。
2009年の3度目の優勝は、初優勝から11年後の達成でした。年齢やキャリアの段階が変わっても、ジュニアの頂点で結果を出した点に価値があります。
必殺技アンクルホールドの強さ
金本浩二を象徴する技として知られるのが、アンクルホールドです。相手の足首を捕らえ、関節を極める足関節技で、金本の代名詞ともいえるフィニッシュホールドです。
金本の試合は、激しい打撃戦から関節技へ移行する展開が特徴でした。相手の動きを止め、最後に足首を極める流れは、金本の戦闘的なスタイルとよく合っています。
2026年10月12日更新のプロレス試合データ集計では、アンクルホールドによるフィニッシュは155回で最多とされています。2位のタイガー・スープレックス・ホールドの21回を大きく上回る数字です。
その他の代表的な技には、次のようなものがあります。
- タイガー・スープレックス・ホールド:相手の背後から両腕を抱え込んで投げる大技。
- 垂直落下式ファルコンアロー:相手を持ち上げ、垂直方向に落とす高威力の投げ技。
- ムーンサルトプレス:コーナーポストから後方回転して相手に落下する飛び技。
- 顔面ウォッシュ:コーナーに座り込んだ相手の顔面を蹴り上げる攻撃。
- 変形アンクルホールド:足首を極める得意技を応用した関節技。
試合データの集計では、アンクルホールド155回、タイガー・スープレックス・ホールド21回、ムーンサルトプレス18回という記録になっています。
アクロバティックな技だけでなく、蹴りと関節技で勝負を決める。これが金本浩二のファイトスタイルを理解するポイントです。
【天山広吉との関係】新日本時代から続く盟友との絆
Hiroyoshi Tenzan
新日本プロレスのヘビー級を代表する選手。金本とは1990年代から2000年代の新日本を支えた同時代の仲間です。
金本浩二と天山広吉の関係は、2026年5月の週刊プロレスのインタビューによって、改めて注目されました。
2人は新日本プロレスへの入門時期が近く、デビュー前から交流がありました。金本によると、1990年11月6日に御坊市体育館で行われたバトルロイヤルに2人で出場したことがあります。
試合後には一緒にコインランドリーへ行き、翌日にデビューを控えた金本が不安と期待を語った思い出を振り返っています。入門後も互いに励まし合いながら練習に取り組んだそうです。
金本が評価した天山のプロレス技術
インタビューで金本が特に高く評価したのは、天山の受け身の技術でした。
プロレスにおける受け身は、相手の技を安全に受けるためだけのものではありません。相手の攻撃を大きく見せ、試合全体の迫力や説得力を高める重要な技術です。
金本は、自分たちの世代では天山の受け身が一番だったのではないかと振り返っています。どんな攻撃でも受け止めてくれるため、攻める側も自分の技を存分に見せられたという評価です。
この証言は、同じリングで長く戦ってきた選手だからこそ語れる内容です。単に仲が良かったという話ではなく、プロレスラーとして互いの技術を認め合っていたことが伝わってきます。
2026年、天山の引退に金本が送った言葉
天山広吉は2026年5月11日に現役引退を発表し、8月15日の新日本プロレス両国国技館大会を最後にリングを去りました。
また、4代目タイガーマスクも7月7日の後楽園ホール大会を最後に現役を引退しています。
週刊プロレスのインタビューで、金本は新日本でデビューし、新日本で引退できる天山について、うらやましいという気持ちを率直に語りました。
そして8月15日の天山の引退セレモニーでは、同期の金本からのビデオメッセージが流されました。新日本を離れて10年以上が経過しても、2人の関係が続いていることを示す場面です。
金本にとって天山の引退は、かつて同じ道場で汗を流した仲間の節目であると同時に、自分自身の引退について考える機会にもなったはずです。
ただし、金本は天山と同じ時期に引退することを選んだわけではありません。2026年10月には60歳でリングに立っており、それぞれ異なる形でプロレス人生を歩んでいます。
【金本浩二に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:金本浩二は2026年現在も現役プロレスラーですか?
A1:はい。2026年10月31日現在も引退しておらず、フリーランスとして活動しています。2026年8月のHEAT-UP大会や10月の加古川河川敷プロレス大会への参戦が確認できます。
Q2:金本浩二は現在何歳ですか?
A2:1966年10月31日生まれで、2026年10月31日に60歳になりました。
Q3:金本浩二が3代目タイガーマスクを脱いだ理由は何ですか?
A3:タイガーマスクに求められるファイトスタイルと、自分が理想とするストロングスタイルとの違いが大きな理由です。本人も2026年のインタビューで、金本浩二として戦いたい気持ちが強かったと語っています。
Q4:金本浩二のIWGPジュニアヘビー級王座の獲得回数は?
A4:通算5回です。1995年、1999年、2002年、2006年に獲得しました。1995年には2度戴冠しています。
Q5:金本浩二のBEST OF THE SUPER Jr.優勝回数は?
A5:3回です。1998年、2002年、2009年に優勝しています。準優勝も5回あり、合計8回の決勝進出を記録しています。
Q6:金本浩二が新日本プロレスを退団したのはいつですか?
A6:2013年1月です。新日本プロレスとの契約を更新せず、フリーに転向しました。その後は神戸・関西を中心に活動しています。
Q7:金本浩二の必殺技は何ですか?
A7:代表的な必殺技はアンクルホールドです。タイガー・スープレックス・ホールド、垂直落下式ファルコンアロー、ムーンサルトプレスなども得意としています。
Q8:金本浩二と天山広吉はどのような関係ですか?
A8:新日本プロレス時代から交流がある同世代の仲間です。1990年のデビュー前から励まし合っており、金本は天山の受け身の技術を高く評価しています。2026年8月の天山の引退セレモニーでも金本のビデオメッセージが流れました。
まとめ:金本浩二の現在とプロレス人生を評価するポイント
金本浩二は、2026年10月31日に60歳を迎えても現役を続けるプロレスラーです。1990年の新日本プロレス入門から始まったキャリアは、3代目タイガーマスクへの抜てき、素顔への回帰、ジュニアヘビー級戦線での活躍、そして2013年のフリー転向という大きな転換点を経て現在に至っています。
実績を振り返ると、IWGPジュニアヘビー級王座5度、BEST OF THE SUPER Jr.3度の優勝は際立っています。さらに2006年のG1 CLIMAXベスト4進出は、ジュニア選手としての可能性を大きく広げた出来事でした。
金本浩二の魅力は、単なるタイトル獲得数だけではありません。タイガーマスクという大きな看板を脱ぎ、自分の名前とスタイルで勝負する道を選んだことにあります。
2026年の本人の発言からも、長くリングに立つことだけを目的とせず、自分らしい試合ができる限り現役を続けたいという考えが伝わります。
今後の活動を追う際は、次の3点が判断基準になります。
- 現役かどうか:引退発表の有無だけでなく、実際の大会出場記録を確認する。
- 所属形態:新日本プロレスの所属選手ではなく、フリーランスとしての参戦状況を見る。
- 本人の意向:年齢や過去の実績だけで引退を判断せず、本人が語る身体の状態や試合への姿勢を重視する。
天山広吉や4代目タイガーマスクら同時代の仲間がリングを去るなか、金本浩二は自分のスタイルを貫いています。3代目タイガーマスクの正体として記憶される存在であると同時に、素顔の金本浩二としてジュニアプロレスの歴史に名を刻んだ選手です。
60歳を迎えた現在も続くその闘いは、タイトル獲得数だけでは測れない、金本浩二というレスラーの生き方そのものを映しています。