【放駒親方の現在】岡部新親方のプロフィールと2026年の活動
現在の放駒親方は、日本相撲協会の年寄プロフィールで「放駒 新」と登録されている人物です。
放駒 新(はなれごま・あらた)
- 本名:岡部 新
- 生年月日:1977年9月15日
- 年齢:49歳(2026年11月1日時点)
- 出身地:福島県西白河郡泉崎村
- 元四股名:玉乃島
- 現役最高位:関脇
- 所属:放駒部屋
- 協会での役職:委員
本名は岡部新、現役時代は玉乃島

岡部新親方は、現役時代に玉乃島新(たまのしま・あらた)の四股名で活躍しました。
日本相撲協会のプロフィールによると、福島県西白河郡泉崎村の出身で、身長186センチ、体重161キロ。得意技は左四つ・寄りです。
引退後も相撲協会に残り、年寄として後進の指導に携わってきました。現在は自ら部屋を率いる師匠という立場にあります。
2026年現在も放駒部屋の師匠

日本相撲協会の公式部屋紹介では、放駒新親方が師匠として掲載されています。
部屋の所在地は東京都足立区六町1丁目。師匠のほか、年寄の松ヶ根栄来親方(元前頭・玉力道)も所属しています。
ここで押さえたいのは、放駒親方が単に元関脇として協会に残っているだけではないという点です。現在は部屋の運営を担い、力士の育成や日々の稽古を指導する立場にあります。
【現役時代の経歴】元関脇・玉乃島はどんな力士だった?
放駒親方の人物像を知るには、玉乃島として過ごした現役時代を振り返る必要があります。
玉乃島は1998年3月場所に初土俵を踏み、約13年8か月にわたって土俵に立ちました。
最高位は関脇。幕内でも長く活躍し、三賞や金星を獲得した実績を持っています。
玉乃島の昇進と現役成績
日本相撲協会の公式プロフィールに掲載されている記録は次のとおりです。
| 項目 | 成績・内容 |
|---|---|
| 初土俵 | 1998年3月場所 |
| 新十両 | 1999年9月場所 |
| 新入幕 | 2000年11月場所 |
| 新三役 | 2001年9月場所 |
| 最高位 | 関脇 |
| 引退 | 2011年11月場所 |
| 生涯戦歴 | 557勝583敗4休 |
| 幕内戦歴 | 395勝441敗4休 |
| 十両優勝 | 1回 |
| 幕内優勝 | 0回 |
| 敢闘賞 | 5回 |
| 技能賞 | 1回 |
| 殊勲賞 | 0回 |
| 金星 | 2個 |
玉乃島の強みは左四つと寄り
玉乃島の得意技として公式プロフィールに記されているのが、左四つと寄りです。
相手と組み合い、体勢を整えてから前に出る相撲を得意としていました。
186センチ、161キロという体格も特徴です。押し合いだけでなく、組んだ状態から相手を土俵際へ追い込む取り口が持ち味でした。
また、敢闘賞を5回、技能賞を1回受賞している点からも、単に長く幕内に在籍しただけではなく、相撲内容を評価されてきたことが分かります。
現役時代の成績をどう評価するべきか
玉乃島は幕内最高優勝こそありません。しかし、関脇まで昇進し、幕内通算395勝を記録しています。
特に注目したいのは、敢闘賞5回という実績です。
敢闘賞は、場所での活躍や健闘を評価する三賞の一つ。5回の受賞は、複数の場所で存在感を示したことを裏付けています。
一方、最高位は関脇であり、大関には昇進していません。
そのため、玉乃島を「元大関」と紹介するのは誤りです。正確には元関脇・玉乃島です。
【西岩から放駒へ】名跡変更の理由と二所ノ関部屋継承の経緯
放駒親方について検索すると、「西岩親方だった」「いつ放駒に変わったのか」という疑問も多く見られます。
実際、岡部新親方は引退後、最初から現在の放駒という名跡を名乗っていたわけではありません。
日本相撲協会の公式プロフィールには、年寄名履歴として「西岩 新→放駒 新」と記されています。
引退後に西岩を襲名、その後に放駒へ
玉乃島は2011年11月場所を最後に現役を引退しました。
引退後は年寄・西岩を襲名。その後、2013年5月に年寄・放駒へ名跡を変更しています。
この名跡変更によって、現在につながる放駒親方の名前になりました。
さらに2014年11月24日には、所属部屋が片男波部屋から松ヶ根部屋へ変更されています。日本相撲協会は当時の所属部屋変更を公式に告知しています。
2021年、二所ノ関部屋を継承して放駒部屋を創設
大きな転換点となったのが2021年12月です。
当時、岡部親方は二所ノ関部屋付きの親方でした。
日本相撲協会は2021年12月24日付の発表で、年寄・放駒こと岡部新が、年寄・二所ノ関こと日高六男から二所ノ関部屋を継承することを公表しました。
この承認によって、旧二所ノ関部屋は放駒部屋となり、岡部親方が師匠に就任しました。
つまり、放駒親方は既存の部屋に新たに入ったというより、所属していた部屋を引き継ぎ、名称を放駒部屋に変更した形です。
放駒親方の名跡・所属部屋の変遷
| 時期 | 名跡・所属 | 主な出来事 |
|---|---|---|
| 2011年11月 | 玉乃島 | 現役引退 |
| 引退後 | 西岩 | 年寄・西岩を襲名 |
| 2013年5月 | 放駒 | 西岩から名跡変更 |
| 2014年11月 | 松ヶ根部屋 | 片男波部屋から所属変更 |
| 2014年12月以降 | 二所ノ関部屋 | 部屋の改称に伴い所属 |
| 2021年12月24日 | 放駒部屋 | 二所ノ関部屋を継承し、師匠に就任 |
| 2026年 | 放駒部屋 | 引き続き師匠として活動 |
この変遷から分かるのは、放駒という名前と部屋の名称が同時に変わったわけではないということです。
岡部親方は2013年に放駒の名跡を取得していますが、放駒部屋の師匠になったのは2021年です。この2つを区別すると、経歴を正確に理解できます。
【放駒部屋の師匠と弟子】2026年の所属力士・部屋の活動
放駒親方が師匠を務める放駒部屋は、2021年12月の部屋継承によって再びその名称を掲げることになりました。
日本相撲協会の発表では、継承時に旧二所ノ関部屋に所属していた力士や親方、行司、呼出などの転属先も放駒部屋とされています。
この点は、部屋の歴史を理解するうえで重要です。
2026年の放駒部屋の主な所属力士
日本相撲協会の公式部屋紹介には、次の力士が掲載されています。
| 力士名 | 公式掲載の所属 |
|---|---|
| 一山本大生 | 幕内 |
| 島津海 | 幕下 |
| 結山 | 三段目 |
| 北乃庄 | 三段目 |
| 松蘭 | 三段目 |
| 流馬 | 三段目 |
| 道轟 | 三段目 |
| 跳乃山 | 序二段 |
| 島袋 | 序二段 |
| 北斗洋 | 序二段 |
| 若一輝 | 序二段 |
この顔ぶれの中でも、一山本は幕内力士として部屋を代表する存在です。
また、島津海をはじめとする力士も在籍しており、幕内から下位の番付まで幅広い層の力士を抱えています。
※番付は本場所ごとに変動するため、上記の段位は協会の部屋紹介に掲載された時点の情報です。
師匠としての役割は現役時代の経験を伝えること
相撲部屋の師匠には、単に稽古を見守るだけではなく、力士の技術、生活、精神面を指導する役割があります。
岡部親方の場合、自ら関脇まで昇進した経験があり、幕内での長い戦歴も持っています。
左四つ・寄りを得意としていた現役時代の経験は、相撲の技術指導という面でも重要な背景になります。
一方で、師匠として求められるのは、自分と同じ相撲を弟子に強制することではありません。それぞれの体格や得意技、成長段階に合わせた指導が必要です。
2022年1月の日刊スポーツの取材記事では、部屋を継承した当時の岡部親方が、師匠としてのプレッシャーについて語っています。
プレッシャーはやはり感じますよね。
これは新たに部屋を率いる立場となった当時の心境を伝える言葉です。
同記事では、まずは自分のペースで部屋を運営し、現状以上の部屋にしたいという抱負も紹介されていました。
【歴代の放駒親方】元大関・魁傑と元関脇・玉乃島の違い
「放駒親方」という名前で混同されやすい人物が、元大関・魁傑(かいけつ)です。
実は、現在の岡部新親方より前に、魁傑も放駒の名跡を襲名していました。
先代の放駒親方は元大関・魁傑
元大関・魁傑は、相撲界で長く活躍した人物です。
現役引退後に年寄・放駒を襲名し、放駒部屋を率いました。さらに日本相撲協会の理事長も務めた人物として知られています。
2014年に亡くなっており、現在の岡部親方とは別人です。
日刊スポーツの記事でも、放駒部屋という名前には魁傑の印象が強く残っていたことが紹介されています。
魁傑と玉乃島の比較
| 比較項目 | 元大関・魁傑 | 元関脇・玉乃島 |
|---|---|---|
| 放駒の襲名 | 先代 | 現在の親方 |
| 現役最高位 | 大関 | 関脇 |
| 現役時代の四股名 | 魁傑 | 玉乃島 |
| 親方としての役割 | 旧放駒部屋の師匠 | 現放駒部屋の師匠 |
| 協会での実績 | 理事長を歴任 | 現在は委員 |
| 関係 | 先代 | 後の襲名者 |
この2人を同一人物として扱わないことが大切です。
検索結果で「放駒親方・元大関」と書かれている場合、それは魁傑を指している可能性があります。一方、「放駒親方・元玉乃島」と書かれていれば、岡部新親方のことです。
放駒部屋は9年ぶりに復活した
もう一つ押さえたいのが、部屋そのものの歴史です。
魁傑が率いていた旧放駒部屋と、2021年に岡部親方が率いることになった放駒部屋は、名称は同じでも継承の経緯が異なります。
旧放駒部屋は2013年に閉鎖され、その後、2021年に元関脇・玉乃島が二所ノ関部屋を継承する形で放駒部屋が復活しました。
日刊スポーツは2022年1月の記事で、この復活を「9年ぶり」と伝えています。
つまり、現在の放駒部屋は、魁傑時代の部屋がそのまま同じ体制で続いているわけではありません。二所ノ関部屋の所属員を引き継いだ、新しい運営体制です。
【プロの結論】放駒親方を理解する3つの重要ポイント
放駒親方について調べる際、情報が混乱する理由は、年寄名跡と相撲部屋の名称が同じタイミングで継承されたわけではないことにあります。
正確に理解するためには、次の3点を押さえておくとよいでしょう。
1.現在の放駒親方は元関脇・玉乃島の岡部新親方
1977年9月15日生まれで、2026年11月時点で49歳です。現役時代は関脇まで昇進し、敢闘賞5回、技能賞1回、金星2個を獲得しています。
2.西岩から放駒への変更は2013年、部屋の継承は2021年
年寄名跡を放駒に変更したのは2013年。二所ノ関部屋を継承して放駒部屋の師匠になったのは2021年12月です。
3.元大関・魁傑とは別人
魁傑は先代の放駒親方です。現在の岡部親方は元関脇・玉乃島であり、最高位も経歴も異なります。
情報を調べる際には、個人の年寄プロフィールと相撲部屋の公式紹介を分けて確認することが大切です。特に現役時代の成績や生年月日については、日本相撲協会の力士プロフィールが基本資料になります。
【放駒親方に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:現在の放駒親方は誰ですか?
A1:元関脇・玉乃島の岡部新親方です。2021年12月に二所ノ関部屋を継承し、放駒部屋の師匠に就任しました。
Q2:放駒親方の本名と年齢は?
A2:本名は岡部新です。1977年9月15日生まれで、2026年11月1日時点では49歳です。
Q3:放駒親方は元大関ですか?
A3:いいえ。現在の放駒親方は元関脇・玉乃島です。元大関・魁傑は先代の放駒親方にあたります。
Q4:玉乃島の現役時代の成績は?
A4:生涯戦歴は557勝583敗4休、幕内戦歴は395勝441敗4休です。最高位は関脇で、十両優勝1回、敢闘賞5回、技能賞1回、金星2個を記録しています。
Q5:西岩親方から放駒親方に変わったのはいつですか?
A5:2011年11月場所の引退後に西岩を襲名し、2013年5月に放駒へ名跡を変更しました。日本相撲協会の現行プロフィールにも、西岩から放駒への履歴が掲載されています。
Q6:放駒部屋は元二所ノ関部屋なのですか?
A6:はい。2021年12月、岡部親方が二所ノ関部屋を継承し、放駒部屋として運営することになりました。
まとめ:放駒親方の現在と玉乃島から続く相撲人生
2026年現在の放駒親方は、元関脇・玉乃島として活躍した岡部新親方です。
現役時代は557勝583敗4休という戦歴を残し、関脇まで昇進。引退後は西岩、放駒と名跡を変えながら相撲協会で活動し、2021年には二所ノ関部屋を継承して放駒部屋の師匠となりました。
一方、元大関・魁傑も先代の放駒親方として知られており、同じ名前を持つ2人の存在が検索上の混同につながっています。
「放駒親方=元玉乃島の岡部新親方」「先代の放駒親方=元大関・魁傑」という区別が、最も重要なポイントです。
これからの放駒部屋を追う際には、師匠の活動だけでなく、一山本や島津海をはじめとする所属力士の成長にも注目すると、部屋の歩みをより深く理解できます。
主な参考資料:日本相撲協会「年寄プロフィール」「力士プロフィール」「放駒部屋」「協会からのお知らせ」、日刊スポーツ「大相撲裏話」(2022年1月13日)。
記事の基準日:2026年11月1日。番付・所属力士は本場所ごとに変更される場合があります。