山瀬まみと大竹まことの喧嘩とは?号泣事件と日テレ出禁、和解後の関係を2026年最新情報で徹底解説
山瀬まみと大竹まことの間に何があったのか。芸能界で長く語り継がれているのが、1988年に日本テレビ系で放送された『タモリのいたずら大全集』で起きた口論とスタジオ騒動だ。大竹まことが山瀬まみの失恋をからかったことをきっかけに、2人は取っ組み合いになり、山瀬が号泣。さらに大竹が衣装に手をかけ、番組のスタジオセットまで破損させたと報じられている。
この騒動をきっかけに、大竹は約20年間、日本テレビへの出入りを制限されたとされ、山瀬との共演も長く避けられた。しかし、2011年には山瀬本人が当時の映像を見ながら騒動を振り返り、後年には大竹の隣で普通に仕事をしたことも明かしている。さらに2025年3月5日放送の『あちこちオードリー』では、大竹自身が日テレ出禁の経緯を再び語った。2026年10月現在の2人の活動も含め、騒動の発端からその後の関係まで整理する。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 1988年の騒動:『タモリのいたずら大全集』で大竹まことと山瀬まみが口論になり、山瀬が泣き、番組セットも破損した。
- 日テレ出入り禁止:大竹は騒動後、約20年間にわたって日本テレビへの出入りが制限されたと、2025年の番組で振り返った。
- 共演NGと和解:山瀬は2011年のテレビ番組で、会社がしばらく共演を避けていたことと、後年は大竹と普通に仕事をしたことを明かした。
- 2025年の再回顧:『あちこちオードリー』で大竹が事件と出禁になった際の体験を語り、当時の録画放送についても言及した。
- 2026年の現在:2人はそれぞれ芸能活動を続けており、過去の騒動だけで現在の関係を判断することはできない。
【1988年の衝撃】山瀬まみと大竹まことの喧嘩は何があった?
『タモリのいたずら大全集』で起きた口論
騒動の舞台となったのは、1988年3月3日放送とされる日本テレビ系の特別番組『タモリのいたずら大全集』だ。
当時の山瀬まみは18歳。1985年の第10回ホリプロタレントスカウトキャラバンで優勝し、1986年に歌手デビューしたばかりの若手タレントだった。アイドルとして活動する一方、バラエティー番組への出演も増え始めていた時期である。
一方の大竹まことは、シティボーイズのメンバーとしてコント界で人気を集め、テレビでは過激な言動を特徴とするキャラクターでも知られていた。
当日の口論の発端は、大竹が山瀬に失恋の話を持ち出したことだった。
大竹は山瀬に「山瀬、お前失恋したんだってな」という趣旨の言葉を繰り返し投げかけた。山瀬も黙って受け流すのではなく、強く反応。最初は番組上の掛け合いとして始まったやり取りが、次第に激しい応酬へと変わっていった。
取っ組み合いから衣装破損、号泣へ

当時の映像を取り上げた2011年のTechinsightの記事によると、山瀬は大竹の挑発に応戦したものの、大竹が山瀬を押し倒し、衣装を脱がせようとする場面に発展した。
山瀬はその場で泣き出してしまう。2025年の報道では、自前の衣装を破られたことが号泣につながったと説明されている。衣装の部位については、記事によって上着とジーパンなどの表現に違いがある。
さらに騒動はそこで終わらなかった。取っ組み合いの最中に大竹のマイクが壊れたことに山瀬が気づき、マイクの破損を指摘したところ、大竹は再び激昂したという。
そして、スタジオセットにまで手を出す事態となった。
「壊すとはこういうことを言うんだよ!」
これは当時の大竹の行動を伝える報道で紹介された言葉だ。山瀬との口論から始まった出来事は、衣装をめぐるトラブル、マイクの破損、セットの破壊へと拡大していった。
この一連の出来事が、現在まで語り継がれる「山瀬まみ号泣事件」「大竹まことのスタジオセット破壊騒動」の正体である。
【騒動の理由を検証】なぜ大竹まことは山瀬まみを泣かせたのか?
大竹まことが作り上げていた「常滑川まこと」というキャラクター
この騒動を理解するうえで欠かせないのが、大竹が当時テレビで演じていたキャラクターだ。
大竹は1980年代、シティボーイズとして舞台で活動する一方、テレビでは「常滑川まこと」という、普段の3人での活動とは異なる破天荒なキャラクターを作っていた。
1986年にはフジテレビ系『夕やけニャンニャン』の司会に抜擢され、テレビ画面では相手を挑発したり、突然怒り出したりする過激な芸風を展開していた。
2025年3月5日放送の『あちこちオードリー』で、大竹は当時の考え方について説明している。
舞台での人気があり、テレビで多少無茶をしても劇場に戻れば観客がいるという意識があったという。テレビではヒール役に徹し、ほかの出演者とは違う存在感を出そうとしていたのだ。
つまり、山瀬への挑発にも、当時の大竹が築いていたテレビ上のキャラクターが関係していた。
山瀬の涙が大竹の怒りをさらに強めた
2011年11月24日放送のTBS系『スパモク!! 今!この芸人が面白い 爆問パワフルフェイス 見逃し厳禁ネタ30連発』では、芸能界の激しい喧嘩を振り返る企画で、この騒動の映像が取り上げられた。
その際、大竹はVTR出演で当時を振り返り、山瀬が泣いたことについて次のように説明したとTechinsightが報じている。
「山瀬が泣いたのが許せなかった。」
この発言は、事件を理解するうえで重要な手掛かりとなる。
大竹は当時、相手を挑発し、怒らせることも含めてヒール役を演じていた。しかし、山瀬が泣き出したことで、番組上の掛け合いが想定していた範囲を超えたと考えられる。
ただし、相手が泣いたことを理由に、さらに激しい行動に出たことが正当化されるわけではない。大竹自身の回顧と、実際に起きた行動は分けて受け止める必要がある。
最初からすべて台本だったのか?
この騒動については、最初から最後まで番組の演出だったのではないかという見方もある。
Techinsightの2011年の記事では、大竹が山瀬に絡むこと自体は事前の打ち合わせに沿ったものだったと紹介されている。しかし、衣装をめぐる行動やセット破壊までが台本に書かれていたという裏付けは示されていない。
さらに2025年の『あちこちオードリー』で、大竹は当時の番組について、録画だったと改めて説明した。
この発言から分かるのは、生放送中に偶然起きた事故というより、収録された映像が番組として放送された出来事だったということだ。
番組側が編集段階でどこまで判断できたのかという問題も残る。大竹は2025年の回顧で放送した日本テレビ側の判断にも言及しているが、それは本人の見解であり、局側の公式な説明とは区別して考える必要がある。
【時系列で整理】山瀬まみと大竹まことの騒動、その後の関係
事件の発生から約40年近くが経過した現在、情報が混在しやすいのは、当時の出来事、2011年の当事者による回顧、2025年の大竹の再証言が、それぞれ別のタイミングで報じられているためだ。
主な出来事を時系列で整理すると、次のようになる。
| 時期 | 出来事 | 確認できる内容 |
|---|---|---|
| 1985年 | 山瀬まみが芸能界入り | 第10回ホリプロタレントスカウトキャラバンで優勝 |
| 1986年 | 山瀬が歌手デビュー、大竹がテレビで活躍 | 山瀬は「メロンのためいき」でデビュー。大竹は「常滑川まこと」として破天荒な芸風を展開 |
| 1988年3月3日 | 『タモリのいたずら大全集』の騒動 | 口論、衣装をめぐるトラブル、山瀬の号泣、セット破損が報じられる |
| 騒動後 | 共演が長期間見送られる | 山瀬本人によると、所属会社がしばらく大竹との共演を避けていた |
| 2011年11月 | TBS系番組で事件を再検証 | 山瀬が当時の映像を見てコメント。大竹もVTRで当時を回顧 |
| 2025年3月5日 | 『あちこちオードリー』出演 | 大竹が日テレ出禁の経緯と、当時のテレビでのキャラクターを説明 |
| 2025年10月7日 | 山瀬がラジオに復帰 | 休養を経てBAYFM『it!!』に約7カ月ぶりに復帰 |
| 2026年10月 | 両者の現在 | 山瀬はラジオなどで活動。大竹も療養後に文化放送の番組へ復帰 |
この年表から注目したいのは、騒動が発生した1988年から2011年までの間に、当事者の発言によって関係性の変化が明らかになっている点だ。
また、2025年の『あちこちオードリー』は、騒動から37年後の大竹による回顧である。事件を再び話題にしたことは確かだが、山瀬と大竹が2人そろって出演し、当時の出来事について新たな共同証言をしたわけではない。
【共演NGは本当?】山瀬まみと大竹まことは和解したのか
山瀬本人が明かした共演を避けていた時期
2人の関係について、特に重要なのが2011年のTBS系番組で山瀬本人が語った内容だ。
Techinsightの2011年11月26日付の記事によると、山瀬は事件後について、所属会社がしばらく大竹との共演をさせなかったと説明している。
つまり、共演NGと呼ばれる状態には実際の背景があった。少なくとも当時は、本人同士の関係だけでなく、所属事務所側の判断も共演機会に影響していたと考えられる。
ただし、これを大竹と山瀬の間に永久的な共演禁止が存在したと解釈するのは正確ではない。
山瀬は大竹の隣で普通に仕事をしていた
同じ2011年の記事では、山瀬がその後の仕事現場で大竹と隣の席になったエピソードも紹介されている。
担当マネージャーが交代し、会社側にも当時の騒動を知らない人が増えていた時期だったという。
その際、山瀬は次のように振り返った。
「仕方がないので、隣に座って普通に仕事しましたよ。」
この証言は、現在の2人の関係を考えるうえで非常に重要だ。
少なくとも山瀬は、過去の騒動があったからといって、その後の仕事まで拒絶し続けていたわけではない。実際に同じ現場で隣り合い、通常どおり仕事をした経験があった。
正式な和解発表はあったのか
ネット上では「大竹が謝罪して和解した」「現在は完全に仲直りしている」といった説明も見られる。
しかし、2011年の山瀬の証言から直接読み取れるのは、会社による共演調整があったことと、その後は通常の仕事ができるようになったことだ。
正式な和解会見や、2人が共同で発表した和解声明があったという話とは異なる。
そのため、現在の関係を表現するなら、長期間にわたった共演回避が解消され、仕事上は普通に接することができる関係に変化した、という説明が最も実態に近い。
「共演NGが一生続いている」という説は、2011年の山瀬本人の発言と整合しない。
【2025年3月に再注目】大竹まことの日テレ出入り禁止はなぜ起きた?
『あちこちオードリー』で37年前の騒動を回顧
2025年3月5日放送のテレビ東京系『あちこちオードリー』には、シティボーイズの大竹まこと、きたろう、斉木しげるが出演した。
テレビ東京の放送後記事によると、番組ではシティボーイズの結成秘話や、若い頃のテレビでの活動、そして大竹の日テレ出禁騒動が話題になった。
春日俊彰から、山瀬を泣かせたことやスタジオセットを壊したことを指摘されると、大竹は「思い出したくないこと言うなよ」という趣旨の反応を見せたという。
その後、大竹は当時の出来事について、録画番組だったことを強調。放送するかどうかは日本テレビ側にも判断できたという趣旨の発言をした。
一方で、自身が司会を務めた『夕やけニャンニャン』については生放送だったことを挙げ、当時の行動について自分にも非があったと振り返っている。
日本テレビの入口で止められた出禁エピソード
2025年の回顧で特に印象的だったのが、大竹が実際に出入り禁止を実感した瞬間の話だ。
大竹によると、あるとき、いとうせいこうとシティボーイズのメンバーで日本テレビの番組に出演することになった。
リハーサルが終わり、本番に入ろうとしたところ、入口でスタッフに呼び止められたという。
結果的に大竹だけがスタジオへ入れず、きたろうと斉木しげるはそのまま出演することになった。
大竹は、その出来事を通じて初めて、自分が日本テレビから出入り禁止になっていたことを実感したと語った。
この話は、出禁が単なる芸能界の都市伝説ではなく、少なくとも大竹本人の記憶に残る具体的な経験だったことを示している。
本当に20年間も出入り禁止だったのか
騒動後の出禁期間については、報道では約20年、あるいは20年以上と紹介されている。
ただし、日本テレビが公表した正式な処分期間や解除日が確認できるわけではない。大竹自身の体験談と芸能報道を通じて伝えられてきた期間であり、厳密に何年何月から何年何月までだったかを断定するのは難しい。
それでも、長期間にわたって局への出演が制限されていたという点は、2025年の大竹自身の回顧によって改めて注目された。
【2026年最新】山瀬まみと大竹まことの現在、そして騒動から学べること
山瀬まみはラジオとテレビで活動を継続
山瀬まみは1969年10月2日生まれ。1985年のホリプロタレントスカウトキャラバン優勝を経て、歌手・タレントとして幅広く活動してきた。
長年出演した代表的な番組の一つが、ABCテレビ系『新婚さんいらっしゃい!』だ。1997年からアシスタントを務め、2022年3月に卒業している。
2026年10月現在は、BAYFM『it!!』の火曜パートナーとして出演。所属事務所のプロフィールやBAYFMの番組情報にも出演者として掲載されている。
なお、山瀬は2025年3月から休養していたが、同年10月7日に約7カ月ぶりにラジオへ復帰した。復帰時には子宮体がんの手術と、その合併症による脳梗塞を経験したことも公表している。
2026年7月9日にはテレビ朝日系『徹子の部屋』に出演し、闘病やリハビリについて語った。デビュー40年を迎えた現在も、本人の言葉で仕事や日常について発信している。
大竹まことも2026年にラジオへ復帰
大竹まことはシティボーイズのメンバーとして舞台・テレビ・ラジオで長く活動してきた。文化放送『大竹まこと ゴールデンラジオ!』は2007年にスタートし、2026年には放送開始から20年目を迎えている。
2026年8月には前立腺がんを公表し、摘出手術を受けたことを明かした。その後、療養のため番組を再び休んでいたが、10月5日にラジオへ復帰した。
復帰時には、長時間座ることが難しかったことなど、手術後の体調についても説明している。
このように2026年の2人は、それぞれ療養を経験しながら仕事に復帰している。1988年の騒動が現在の仕事上の関係を左右していると判断できる新たな情報は見当たらない。
【プロの結論】騒動の本質は個人的な確執だけではない
山瀬まみと大竹まことの騒動を考える際、単純に「芸能人同士の大喧嘩」として片付けると、重要な背景を見落としてしまう。
当時のテレビバラエティーでは、出演者の怒りや挑発、過激な掛け合いが番組の見どころとして扱われることがあった。大竹のヒール役も、そうしたテレビ文化の中で成立していたキャラクターだった。
しかし、演者が作り上げたキャラクターと、共演者が実際に受ける身体的・精神的な負担は別問題である。山瀬が18歳だったこと、衣装をめぐるトラブルが発生したこと、本人が涙を流したことは、現在のテレビ制作やコンプライアンスの視点からも考えるべき事柄だ。
もう一つ重要なのは、収録番組の制作責任である。大竹は2025年に録画だったと説明し、放送するかどうかは局側にも判断できたと振り返った。これは出演者だけでなく、制作側の編集判断も問われる問題だったことを示している。
この騒動を正しく理解するための判断基準は、次の3点に整理できる。
- 当時の出来事:1988年の映像や当時を取り上げた報道から、実際に起きた行動を把握する。
- 当事者の後年の証言:2011年の山瀬の発言と2025年の大竹の回顧を分けて読む。
- 現在の関係:過去の共演NG報道だけでなく、後年の通常の仕事や現在の活動状況も踏まえる。
大竹の過激なキャラクターが騒動を大きくしたことは確かだが、現在まで2人が敵対し続けているという単純な構図ではない。むしろ、当時の事務所判断による共演回避があり、その後、時間の経過とともに通常の仕事ができる関係へ変わっていったことが、山瀬本人の証言から読み取れる。
【山瀬まみと大竹まことの騒動】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:山瀬まみと大竹まことの喧嘩は何年に起きた?
A1:1988年の日本テレビ系『タモリのいたずら大全集』で起きた。1988年3月3日放送と報じられている。大竹が山瀬の失恋をからかったことから口論になり、衣装をめぐるトラブルやセット破損に発展した。
Q2:大竹まことはなぜ山瀬まみを泣かせたの?
A2:大竹が山瀬に失恋の話を持ち出して挑発したことが発端とされる。山瀬が応戦する中で取っ組み合いとなり、衣装をめぐるトラブルが発生して号泣した。大竹は2011年の番組で、山瀬が泣いたことが許せなかったと振り返ったと報じられている。
Q3:山瀬まみと大竹まことは和解した?
A3:2011年の報道では、山瀬が後年、大竹の隣の席で普通に仕事をしたと語っている。長期間の共演回避が解消されたことはうかがえるが、正式な和解会見などが行われたという事実とは区別する必要がある。
まとめ:山瀬まみと大竹まことの騒動は過去の確執から関係の変化へ
山瀬まみと大竹まことの間で起きた1988年の騒動は、『タモリのいたずら大全集』での口論、山瀬の号泣、衣装をめぐるトラブル、そして大竹によるスタジオセット破損という、当時のテレビ史に残る出来事だった。
大竹はこの件をきっかけに約20年間、日本テレビへの出入りが制限されたとされる。山瀬との共演も所属会社の判断でしばらく避けられていた。しかし2011年には、山瀬本人が大竹と隣り合って普通に仕事をしたことを明かしている。
2025年3月の『あちこちオードリー』では、大竹が37年前の騒動と出禁の経緯を再び回顧。2026年には2人とも療養を経て仕事に復帰し、それぞれの活動を続けている。
この事件の本質は、単なる芸能人同士の喧嘩ではない。過激なキャラクターが求められた1980年代のテレビ文化、出演者同士の距離感、そして収録番組を放送する制作側の判断が重なって起きた騒動だった。
「共演NGが現在も続いている」「2人は今も犬猿の仲」という見方よりも、当事者の証言が示す関係の変化に注目することが、山瀬まみと大竹まことの過去と現在を理解するうえで大切だ。
主な取材・照合資料
- テレビ東京「テレ東プラス」2025年3月6日『あちこちオードリー』放送後記事
- 『女性自身』2025年3月6日、大竹まことの日テレ出禁回顧
- Techinsight 2011年11月26日、山瀬まみ本人の事件回顧
- 『アサ芸プラス』2024年4月21日、1988年の放送内容に関する報道
- BAYFM公式番組情報、文化放送公式番組情報
- 日刊スポーツ、テレビ朝日『徹子の部屋』関連報道(2025~2026年)