【江夏の21球・スクイズ阻止の真相】なぜ石渡茂の作戦を見破れたのか

目次

江夏の21球で最も有名なのは、やはり19球目のスクイズ阻止だ。しかし、ここには今も議論が残る疑問がある。

江夏は本当に石渡のスクイズを見抜いて、意図的にボールを外したのか。それとも、水沼の動きや藤瀬のスタートに反応した結果、偶然ボールが外れたのか。

江夏本人が語った「カーブの握りのまま外した」判断

江夏の21球

江夏の回想を紹介した山際淳司の作品では、投球動作に入った江夏が石渡のバットの動きを察知し、とっさにスクイズを見破った様子が描かれている。

江夏には、投球動作の途中で一塁側を見てから打者を見る癖があった。打者の動作を読み取るための習慣だったという。

スクイズの構えを確認した時点では、すでに投球動作に入っていた。握り直す時間はない。そこで江夏は、カーブの握りを変えずに外角へ投げる判断をした。

この投球は、通常のスクイズ外しとは異なる。一般的には速球を打者の届かない位置へ外す方法が考えられるが、江夏は変化球の握りのまま投げた。結果として、石渡のバットの下をボールが通過した。

捕手・水沼四郎が明かしたもう一つの真相

この場面を別の角度から解き明かしたのが、捕手の水沼四郎だ。

水沼と石渡は中央大学時代のチームメートで、互いをよく知る間柄だった。水沼は石渡が打席に入ったときの様子から、スクイズの可能性を感じ取っていたという。

水沼は石渡に話しかけたが、普段とは違い、石渡は反応を示さなかった。その態度から何か作戦があると察知した水沼は、スクイズを警戒した。

さらに決定的だったのが、三塁走者・藤瀬のスタートだ。水沼は藤瀬が走り出すのを確認すると、すぐに立ち上がってウエストの構えを取った。江夏の視界にもその動きが入り、投球の軌道を外すことにつながったという。

つまり、スクイズ阻止は江夏一人の直感だけでは説明できない。水沼の観察、藤瀬の走塁、江夏の反応が連動したプレーだった。

石渡茂本人はどう振り返っているのか

2019年12月の日刊スポーツの取材で、石渡は当時の心理を振り返っている。

石渡は、西本監督から事前にスクイズの可能性を伝えられていた。実際に2球目でスクイズのサインが出たため、作戦を実行した。

しかし、石渡の認識では、投じられたボールは通常のカーブに見えた。一般的な速球によるウエストとは違い、バットが届かないほど大きく外れているようには感じなかったという。

石渡の証言からは、江夏が投球動作の途中でどれほど巧みに軌道を変えたのかがうかがえる。石渡はその球について、カーブで外す練習をしていたという江夏の説明にも触れている。

また、藤瀬はボールがバットを通過した時点で、すでに本塁までの三分の二ほど進んでいた。水沼の送球とタッチによって、藤瀬は本塁直前でアウトになった。

野村克也が提示した「偶然のウエスト」という見方

元南海監督の野村克也は、さらに異なる仮説を提示している。

野村の分析では、スクイズを察知したのは水沼だった。藤瀬のスタートが早すぎたため、水沼が立ち上がり、その動きが江夏の目に入った。結果として、江夏が本能的に外そうとした際、カーブが高めに抜けた可能性があるという。

野村は江夏の投球技術を高く評価しながらも、意図的に完璧なウエストをしたのか、反射的な対応だったのかについては、別の解釈を示した。

一方、2026年6月に公開された江夏本人の回想では、投球動作中に石渡のバットの動きを見て、とっさに外したという説明が改めて紹介されている。

ここで重要なのは、スクイズを察知したことと、投球がどの程度意図的に外されたかは、別々に考える必要があるという点だ。水沼が作戦を読んでいたことは本人の証言で裏付けられているが、19球目の細かな投球動作については、関係者の説明に違いが残っている。

【古葉竹識の采配と衣笠祥雄の言葉】江夏を支えた二つの人間ドラマ

江夏の21球を語る際、投球技術と同じくらい見逃せないのが、古葉竹識監督の采配と衣笠祥雄の存在だ。

古葉監督はなぜ江夏の前で救援投手を準備させたのか

九回裏、無死満塁という絶体絶命の状況で、古葉監督はブルペンに池谷公二郎と北別府学を準備させた。

監督としては、江夏が打たれて延長戦に入った場合に備え、次の投手を用意する必要がある。これはチーム全体を考えれば合理的な判断だった。

しかし、江夏は違う受け止め方をした。自分が絶体絶命の場面を任されているのに、目の前で別の投手が準備を始めたことに、強い不満を感じたのである。

2026年に公開された江夏の回想では、このときの古葉監督との確執が詳しく語られている。江夏は、室内ブルペンがある大阪球場で、わざわざ自分から見える外のブルペンを使ったことにも疑問を抱いていた。

江夏は、古葉監督が延長戦への備えとして準備させたこと自体は理解していた。一方で、極限状態にいる投手への配慮が足りなかったと感じていた。

また、あえて江夏に見えるように準備させ、闘争心を引き出そうとしたのではないかという見方もあった。ただし、これは関係者の推測であり、監督の意図として確定したものではない。

衣笠祥雄が江夏の集中力を取り戻した

江夏が怒りを抱えていたとき、マウンドに歩み寄ったのが一塁手の衣笠祥雄だった。

江夏本人の回想として伝えられている言葉が、次の一言である。

「おまえが辞めるなら、オレも一緒に辞めるから」

衣笠は江夏の不満を理解し、監督への怒りにとらわれている状態から、目の前の打者との勝負へ意識を戻そうとした。

江夏はこの言葉で気持ちが落ち着き、集中力を取り戻したと語っている。実際、佐々木恭介との対決では最後にカーブで空振り三振を奪った。

ここで注目したいのは、衣笠が技術的な指示をしたわけではないことだ。投球内容を変える助言ではなく、仲間として江夏の感情を受け止めた。その精神的な支えが、次の一球に向かうための力になった。

2026年の江夏の回想でも、衣笠への感謝は大きな位置を占めている。江夏の21球は、投手の孤独な闘いであると同時に、チームメートとの信頼関係を描いた物語でもある。

江夏と古葉監督の確執はその後どうなったのか

興味深いのは、日本一を達成した後も、江夏と古葉監督の間にはわだかまりが残っていたことだ。

江夏は試合後から翌年の開幕まで、古葉監督とほとんど口をきかなかったと振り返っている。

そして翌年の開幕戦の日、江夏は監督室を訪れ、日本シリーズ最終戦で納得できなかったことがあると伝えた。古葉監督は謝罪し、江夏もその言葉を受け入れた。

試合中の采配だけを切り取れば、古葉監督の判断は合理的だった。しかし、選手がどう受け止めるかまで考えると、別の問題が見えてくる。勝利の裏側には、指揮官と選手の信頼関係という、記録には残りにくい課題も存在していた。

【山際淳司『江夏の21球』】一つのプレーがスポーツ文学の名作になった理由

江夏の21球が単なる野球の名場面を超えた背景には、ノンフィクション作家・山際淳司の存在がある。

山際が執筆した『江夏の21球』は、1980年4月に創刊されたスポーツ総合雑誌『Sports Graphic Number』の創刊号に掲載された。その後、1985年刊行の『スローカーブを、もう一球』にも収録された。

笹川スポーツ財団のスポーツ文学に関する解説でも、この作品は選手本人や打者、関係者への取材と、一球ごとの分析を組み合わせたノンフィクションとして紹介されている。

山際淳司が描いたのは投球だけではなかった

山際の作品が画期的だったのは、勝敗だけを追いかけなかったことだ。

通常の試合記事であれば、九回裏無死満塁から江夏が三振を二つ奪い、スクイズを阻止して日本一を決めた、とまとめることもできる。

しかし山際は、その一球一球に至るまでの心理を掘り下げた。

江夏がなぜその球を選んだのか。佐々木は何を狙っていたのか。石渡はなぜスクイズを選んだのか。水沼はどのように作戦を察知したのか。

同じ試合を見ていても、マウンド上の投手、打席の打者、捕手、走者では見えている景色が違う。山際はそれぞれの視点を重ねることで、試合の一瞬を立体的に描いた。

『Number』の当時の編集長だった岡崎満義も、江夏の経歴を紹介するより、21球という細部を徹底的に分析する方が投手の本質に迫れると考えた経緯を振り返っている。

この編集方針が、スポーツジャーナリズムにおける選手の内面を描く手法を広げた。

2026年最新解説で注目される江夏本人の新証言

2026年6月1日には、集英社のWeb Sportivaで、江夏豊の回想をまとめた特集記事が公開された。

記事は江夏と松永多佳倫の共著『江夏の遺言』から一部を抜粋・再編集したもの。野村克也との出会い、リリーフ投手としての考え方、衣笠との関係、古葉監督との確執など、従来の名場面解説では深く触れられてこなかった背景が紹介されている。

特に興味深いのは、江夏自身が「江夏の21球」を美化された物語としてだけでは捉えていないことだ。試合前の過ごし方や、ブルペンをめぐる不満など、本人にとって必ずしも格好のよい話ではない部分も振り返っている。

この新しい証言によって、21球の価値はさらに広がった。投球の技術的な完成度だけでなく、当時の江夏が抱えていた感情や、仲間との関係、監督との衝突まで含めて考えることができるからだ。

2026年現在、山際の作品を読む意味は、歴史的な試合を追体験するだけではない。新しい証言と照らし合わせることで、同じ21球に異なる解釈が生まれることにもある。

江夏の21球で誤解されやすい4つのポイント

長年にわたって語り継がれてきた名場面だからこそ、細部に誤解も生まれやすい。押さえておきたいポイントは次の4つだ。

- 21球は九回裏だけの球数。 江夏の登板全体では41球を投げている。
- 無死満塁を招いた原因は一つではない。 羽田の安打、盗塁、捕手の悪送球、四球、盗塁、敬遠が重なった。
- スクイズ阻止は江夏だけの功績ではない。 水沼の察知と藤瀬の走塁も結果を左右した。
- 19球目の意図には複数の解釈がある。 江夏本人、石渡、野村、水沼の証言を比較すると、投球の意図や動作の理解に違いが見える。

とりわけ、19球目だけを取り上げて江夏の21球全体を理解したつもりになるのは早計だ。佐々木への6球がなければ、江夏が落ち着きを取り戻す展開も違っていた可能性がある。

【江夏の21球に関するよくある質問(FAQ)】

Q1:江夏の21球は何年の何月何日に起きた?

A1:1979年11月4日。大阪球場で行われた広島東洋カープ対近鉄バファローズの日本シリーズ第7戦、九回裏の出来事である。広島が4対3で勝利し、球団初の日本一を達成した。

Q2:江夏の21球で最後に三振した打者は誰?

A2:近鉄の石渡茂である。佐々木恭介を三振に取った後、石渡のスクイズを阻止し、最後もカーブで空振り三振に仕留めた。

Q3:石渡茂のスクイズを阻止したのは何球目?

A3:九回裏の19球目。江夏はカーブの握りのまま外角へ投じ、石渡のバットをかわした。三塁走者の藤瀬史朗も本塁直前でタッチアウトとなった。

Q4:江夏の21球はすべてストライクだった?

A4:いいえ。安打や四球を招いた投球もあり、打者を追い込むためのボール球も含まれる。重要なのは21球すべてが同じ目的で投げられたわけではなく、走者の動きや打者の反応に応じて投球が組み立てられていたことだ。

Q5:山際淳司の『江夏の21球』はどこに収録されている?

A5:1980年4月の『Sports Graphic Number』創刊号に掲載され、1985年刊行の『スローカーブを、もう一球』にも収録されている。スポーツノンフィクションの代表作として知られる。

Q6:2026年になって新しい証言は出ている?

A6:2026年6月、Web Sportivaが江夏豊の回想を収録した『江夏の遺言』に基づく特集記事を公開した。古葉監督との確執、衣笠祥雄との関係、スクイズ阻止に至る心理など、本人の視点から当時を振り返る内容が紹介されている。

まとめ:江夏の21球が2026年も色あせない理由

江夏の21球は、1979年11月4日の日本シリーズ第7戦で、広島の江夏豊が近鉄の逆転サヨナラを阻止し、球団初の日本一を決めた歴史的な場面である。

その中心にあるのは、九回裏無死満塁からの佐々木恭介への三振、石渡茂のスクイズ阻止、そして最後の三振という流れだ。

しかし、伝説の核心は19球目だけではない。江夏の配球、水沼の洞察、衣笠の支え、古葉監督の判断、西本監督の攻撃策、そして近鉄側の執念が重なっている。

山際淳司は、その一連の出来事を一球ずつ掘り下げることで、スポーツの勝敗を超えた人間ドラマとして描いた。2026年の江夏本人の新たな回想も、当時の出来事を違う角度から理解する手がかりになっている。

この名場面を深く理解するための判断基準は、次の3点に集約できる。

1. 記録と物語を分けて読む。 公式記録で試合結果と投球数を確認し、当事者の証言で心理や判断を理解する。
2. 19球目だけに注目しない。 佐々木への6球や、それ以前の走者の動きまで追う。
3. 勝者と敗者の双方から見る。 江夏の成功だけでなく、石渡や近鉄が何を考えていたかも知る。

あと一球で日本一を逃すかもしれない。そんな極限状態で、投手は何を見て、打者は何を考え、捕手はどう動いたのか。

その問いに何度でも向き合わせる力こそ、江夏の21球が半世紀近くを経ても語り継がれる理由なのである。