A女E女とは何だったのか?全21回の番組内容・出演者・終了理由を2026年徹底解説

目次

1997年、フジテレビ系列の深夜に登場し、強烈なインパクトを残したバラエティ番組『A女E女』。催眠術を使った大胆な企画、独特の演出、そして当時の深夜番組ならではの自由な空気によって、放送終了から長い年月が経過した現在も、90年代テレビ史を振り返る際に名前が挙がる作品だ。

番組の読み方は「エーおんな・イーおんな」。放送期間は1997年10月18日から1998年3月28日までで、番組データベースなどの記録では全21回とされている。催眠術師として出演した松岡圭祐、司会を務めたフジテレビアナウンサーの牧原俊幸、若手芸人グループ「無名ズ」など、出演者の顔ぶれも興味深い。特に注目したいのは、番組が過激な内容から路線を変更した経緯と、終了が本当に打ち切りだったのかという点だ。

📌 【この記事の重要ポイントまとめ】

  • 番組の基本情報:1997年10月18日から1998年3月28日までフジテレビ系列で放送。番組記録上は全21回。
  • 最大の特徴:作家として知られる松岡圭祐が催眠術師として出演し、音に反応する暗示を利用した企画を展開した。
  • 終了の真相:牧原俊幸の2018年の証言では、開始から約3カ月後に内容が大きく変化。さらに当時の制作関係者の回答には、当初から半年限定の予定だったとの説明が残る。

【基本情報】A女E女とは?読み方・放送期間・フジテレビでの位置づけ

a女e女

『A女E女』は、フジテレビ系列で放送された深夜バラエティ番組だ。一般的なトーク番組や情報番組とは異なり、お色気企画と催眠術を組み合わせた独特の演出を特徴としていた。

同時代にはテレビ東京の『ギルガメッシュないと』など、深夜帯に大人向けの企画を展開する番組が存在した。『A女E女』も、こうした深夜バラエティの競争が活発だった時代に登場した番組として知られている。

番組の基本プロフィール

  • 番組名:A女E女
  • 読み方:エーおんな・イーおんな
  • 放送開始:1997年10月18日
  • 放送終了:1998年3月28日
  • 放送局:フジテレビ系列
  • 放送ジャンル:深夜バラエティ・お色気バラエティ
  • 放送回数:全21回とされる
  • 主な出演者:牧原俊幸、松岡圭祐、無名ズ、女性タレントなど

放送期間は約5カ月半。長期シリーズではなかったものの、催眠術という珍しい仕掛けを中心に据えたことから、当時の視聴者に強い印象を残した。

なお、放送開始日・終了日・全21回という情報は番組の二次資料やアーカイブ系記録に基づく。現在、全放送回を一覧できるフジテレビの公式番組資料は確認できないため、回数については一般に流通している番組記録として理解するのが適切だ。

【番組内容】A女E女の催眠術企画は何が話題になったのか

『A女E女』を語るうえで欠かせないのが、催眠術を使った企画だ。

中心人物となったのは、当時、テレビ出演で知られていた催眠術師の松岡圭祐。出演女性に事前に暗示を与え、特定の音を聞くと身体が反応するという設定を利用した演出を展開した。

太鼓や木魚の音を使った独特の企画

番組で印象的だったのは、太鼓や木魚などの音をきっかけに出演女性が反応するという仕掛けだった。

視聴者にとっては、普段なら何気なく聞き流すような音が、番組内では特別な意味を持つ。そのギャップを利用して、出演者の反応を見せるという構成だった。

また、音の種類は太鼓や木魚だけではなかったとされる。過去の番組記録には、道路工事の機械音、タップダンス、将棋の駒を指す音、ドラム演奏など、さまざまな音を使った企画が紹介されている。

催眠術は本当に効いていたのか

放送当時から、こうした企画については演出なのか、本当に催眠状態になっていたのかという疑問があった。

テレビで見せる催眠術には、暗示の与え方、出演者の期待や反応、番組上の演出など、複数の要素が関係する。画面に映った反応だけで、出演者が完全に意識を支配されていたと判断することはできない。

松岡自身も、当時のテレビ出演について、催眠術を真面目に受け取らせるというより、徹底して馬鹿馬鹿しい演出を楽しむ趣旨の発言をしていたと、番組関連の記録で紹介されている。

そのため、『A女E女』の催眠術企画は医療的な催眠療法や心理学実験ではなく、テレビバラエティとしてのパフォーマンスとして捉える必要がある。

番組には催眠術以外の企画もあった

番組内容は催眠術だけに限定されていなかった。過去の番組記録には、スポーツ企画、視聴者参加型の催し、コントや若手芸人の売り出し企画なども記されている。

つまり、当初の強烈な催眠術企画を中心にしながら、放送が進むにつれてバラエティとしての方向性を変えていった番組だった。

【出演者・関係者一覧】松岡圭祐や牧原俊幸、無名ズの役割

『A女E女』の特徴は、出演者の組み合わせにもあった。催眠術師、局アナウンサー、若手芸人、女性タレントが同じ番組内で役割を分担していた。

特に重要なのが、司会を務めた牧原俊幸と、催眠術の企画を担当した松岡圭祐の存在だ。

人物・グループ 番組での役割 確認できる情報・関係
松岡圭祐 催眠術師 女性出演者への催眠術企画を担当。後にベストセラー作家として知られる。
牧原俊幸 司会・実況 当時のフジテレビアナウンサー。2018年の本人インタビューで出演を回想。
ビビる 若手芸人グループ「無名ズ」 他の若手芸人とともに番組を盛り上げた。
アクシャン 無名ズ 番組の若手芸人枠に参加したとされる。
ジェット★キッズ 無名ズ 最終回のコント対決に参加したとされる。
360°モンキーズ 無名ズ 最終回のコント対決で優勝したと番組記録にある。
女性タレント・モデル 催眠術企画などへの出演 小野今日子、星真奈美、生城山ゆかり、ikuko、吉村彩などの名前が二次資料に記録されている。
ダチョウ倶楽部など ゲスト 関連する番組記録にゲスト出演者として名前が挙がる。

この一覧は、2018年の出演者本人へのインタビューと、番組のアーカイブ系二次資料を組み合わせたものだ。公式の完全な出演者名簿ではなく、出演回や出演頻度まで全員について確定できるものではない。

牧原俊幸はなぜこの番組で注目されたのか

司会を担当した牧原俊幸は、フジテレビのアナウンサーとして長く活動した人物だ。

2018年7月31日付のマイナビニュースのインタビューで、牧原は『A女E女』について振り返っている。

本人の説明によると、エルビス・プレスリー風の衣装を着て、胸元を開けた姿で司会や実況を担当していたという。隣には催眠術師の松岡圭祐がいた。

普段の報道や情報番組で見せる局アナウンサーの姿と、深夜番組での大胆な役回りの落差は、この番組の印象を強めた要素の一つだった。

松岡圭祐は現在のベストセラー作家

松岡圭祐は1968年生まれの作家で、新潮社の著者プロフィールによると、1997年に小説『催眠』でデビューした。

その後は『催眠』『千里眼』『万能鑑定士Q』などのシリーズを発表し、映像化作品も生み出している。

興味深いのは、『A女E女』の放送開始と、松岡の小説家デビューがともに1997年だったことだ。

テレビでは催眠術師として活動しながら、作家としてのキャリアもスタートさせていた時期にあたる。現在の松岡を知る読者にとって、番組出演時代は意外な経歴に映るかもしれない。

【放送の経緯】1997年から1998年までの全21回と番組路線の変化

『A女E女』の歴史を理解するには、開始当初の演出と、放送中盤以降の変化を分けて考える必要がある。

牧原俊幸の証言と当時の制作関係者の記録を照らし合わせると、最初から最後まで同じ内容を続けていたわけではなかったことが分かる。

時期 出来事 確認できる内容
1997年10月18日 放送開始 フジテレビ系列の深夜バラエティとしてスタート。
1997年10月以降 初期企画 松岡圭祐による催眠術企画や音を使った演出が中心。
放送開始から約3カ月後 番組内容の変化 牧原俊幸は、自粛したのか内容が大きく変わり、ロケ企画などが増えたと回想。
1998年3月 番組終了へ 当時の制作関係者の回答では、半年間の期間限定番組だったと説明されている。
1998年3月28日 最終回 無名ズの若手芸人4組によるコント対決が行われたとされる。

全21回という数字は番組記録に基づく。毎週の放送が完全に途切れず続いたことを示すものではなく、放送休止や編成上の事情まで含めた各回の詳細は、当時の全番組表と照合する必要がある。

【終了理由の真相】A女E女は本当に打ち切りだったのか

『A女E女』について検索すると、過激すぎる内容への批判によって打ち切られたという説明を見かける。

確かに、当時の番組内容はかなり大胆で、現在のテレビ番組と比較しても異質な演出が多かった。2026年3月のTRILLによる回顧記事も、過激な内容を番組の特徴として取り上げている。

ただし、番組終了の理由については、別の重要な記録が存在する。

牧原俊幸が明かした放送中の自主規制

2018年7月31日掲載のマイナビニュースのインタビューで、牧原は番組について次のように振り返った。

「さすがに自粛したんでしょうね、3カ月経ったらみんなでロケに行ったり、全く違う番組になりましたよ」

これは出演者本人による重要な証言だ。

開始当初はスタジオでの催眠術企画が中心だったものの、約3カ月後にはロケなどを取り入れた内容へ変わったという。つまり、放送期間中に番組の表現や企画の方向性が変化していたことになる。

制作関係者の記録には「半年限定」とある

さらに注目すべきなのが、当時のフジテレビ公式番組ページに掲載されたとされる制作関係者の回答を転載した掲示板記録だ。

2005年の掲示板投稿には、プロデューサーの水口昌彦名義で、番組について次の趣旨の説明が掲載されている。

「打ち切りにはならないのですが、3月いっぱいで終わります。もともと半年の期間限定ではじまっているので、予定調和的終了です」

同じ記録には、チーフディレクターの城間氏による、番組内容がお色気中心から「無名ズ」のキャラクターを伸ばす方向へ移行したという説明も転載されている。

ただし、現在確認できるのは当時のフジテレビ公式ページを参照先として示した掲示板の転載記録であり、元ページそのものの現存確認とは異なる。そのため、制作側の説明として重要な資料ではあるものの、完全な一次資料と同等に扱うことはできない。

終了理由についての整理

ここまでの情報から分かるのは、次の3点だ。

  • 放送開始から約3カ月後に、番組内容が大きく変更された。
  • 牧原俊幸は、その変化を自粛と関連づけて回想している。
  • 制作関係者の回答を転載した記録では、終了は当初から予定されていた半年限定の編成だったと説明されている。

したがって、「過激な内容が問題になって突然打ち切られた」と断定するのは正確ではない。内容の変更と番組終了の予定は、それぞれ分けて理解する必要がある。

【2026年最新情報】A女E女の現在・動画配信・再放送はある?

2026年10月現在、『A女E女』はすでに放送終了から約28年が経過している。現在のテレビ番組のように、TVerなどで気軽に過去回を視聴できる作品ではない。

現在の公式動画配信状況

フジテレビの動画配信サービスFODやTVerなどについて、今回確認した公開情報では、『A女E女』全21回の公式配信を確認できなかった。

少なくとも、2026年10月時点で、全話を視聴できる常設の公式配信サービスや、正式な再放送予定を裏付ける発表は確認できていない。

過去には個人ブログや動画共有サイトで番組映像を紹介する動きも見られた。しかし、投稿された映像が存在することと、権利者から許諾を得た公式配信であることは別問題だ。

現在、視聴できる動画を探す場合は、公式チャンネルや権利元の告知があるかどうかを確認したい。

DVD・Blu-ray化されているのか

『A女E女』本編について、全21回を収録した公式DVD・Blu-ray商品は、今回確認した資料からは特定できなかった。

中古市場やインターネット上で関連商品らしき情報を見つけても、番組本編の公式ソフトなのか、別の関連商品なのかを区別する必要がある。

2026年に再び注目される理由

2026年3月にはTRILLが『A女E女』を取り上げ、当時の過激な企画と出演者について振り返る記事を掲載した。

こうした回顧記事が登場する背景には、90年代の深夜番組をリアルタイムで見ていた世代が、当時のテレビ文化を改めて振り返っていることがある。

また、現在のテレビ番組と比較すると、当時の深夜バラエティがどれほど大胆な企画を展開していたかが分かりやすい。

『A女E女』は、単なる懐かしの番組というだけでなく、1990年代後半のテレビ制作と深夜娯楽の変化を考える材料にもなっている。

【プロの結論】A女E女を振り返るときに押さえたい3つのポイント

『A女E女』を調べる際には、次の3つの視点を持つと、ネット上の情報をより正確に理解できる。

1. 番組の過激さと終了理由を混同しない

番組の内容が過激だったことと、終了が予定外の打ち切りだったことは同じではない。牧原俊幸の証言と制作関係者の回答記録を考慮すると、放送中の路線変更と当初予定されていた終了時期を分けて考える必要がある。

2. 松岡圭祐の作家以前の活動を知る

現在の松岡圭祐は『催眠』『千里眼』『万能鑑定士Q』などで知られる作家だ。しかし、1990年代にはテレビで催眠術パフォーマンスを行う活動もしていた。

『A女E女』は、後にベストセラー作家として知られる人物のテレビ出演歴を知るうえでも興味深い作品だ。

3. 90年代の深夜テレビ文化の資料として見る

『ギルガメッシュないと』をはじめ、1990年代の深夜帯には、現在とは異なる表現や企画に挑戦する番組が存在した。

『A女E女』の価値は、単に過激な映像を放送したという点だけではない。局アナウンサーが大胆な役回りを担い、若手芸人を起用し、番組途中で企画の方向性を変えていったという制作上の特徴にもある。

当時のテレビを知る資料として振り返るなら、刺激的な内容だけでなく、制作体制や出演者のキャリアにも注目したい。

【A女E女】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:A女E女の正しい読み方は何ですか?
A1:一般的な読み方は「エーおんな・イーおんな」です。アルファベットのAとEに「女」を組み合わせた番組タイトルです。

Q2:A女E女はいつからいつまで放送されましたか?
A2:1997年10月18日から1998年3月28日まで、フジテレビ系列で放送されました。番組記録では全21回とされています。

Q3:A女E女に出演していた催眠術師は誰ですか?
A3:松岡圭祐です。後に『催眠』『千里眼』などの小説で知られるベストセラー作家になりました。

Q4:A女E女の司会者は誰でしたか?
A4:フジテレビのアナウンサーだった牧原俊幸です。本人が2018年のマイナビニュースのインタビューで、当時の司会や実況について語っています。

Q5:A女E女はギルガメッシュないとの対抗番組だったのですか?
A5:テレビ東京の『ギルガメッシュないと』に対抗する深夜番組として始まったと、複数の番組回顧資料で紹介されています。

Q6:A女E女はなぜ終了したのですか?
A6:牧原俊幸によると、放送開始から約3カ月後に番組内容が変化しました。一方、当時の制作関係者の回答を転載した記録では、当初から半年間の期間限定だったと説明されています。単純な打ち切りと断定できる状況ではありません。

Q7:A女E女は2026年現在、動画配信されていますか?
A7:今回確認した公開情報では、FODやTVerなどで全21回を視聴できる公式配信は確認できませんでした。個人投稿の動画と公式配信は区別する必要があります。

まとめ:A女E女は90年代深夜テレビを象徴する全21回の番組

『A女E女』は、1997年10月18日から1998年3月28日までフジテレビ系列で放送された深夜バラエティ番組だ。全21回とされ、松岡圭祐による催眠術企画、牧原俊幸の司会、若手芸人グループ「無名ズ」などが番組を特徴づけた。

放送中には企画内容が変化し、当初の過激な演出からロケを取り入れたバラエティへと方向転換した。終了についても、制作関係者の記録には半年限定の予定だったとの説明があり、単純な打ち切り説だけでは説明できない。

2026年現在、全話を視聴できる公式配信や再放送は確認できていない。それでも、牧原俊幸のインタビューや松岡圭祐の作家としての経歴、当時の制作関係者の記録を通じて、番組の実像をある程度たどることはできる。

『A女E女』を理解するうえで大切なのは、過激な企画だけに注目するのではなく、出演者の証言と制作側の説明を組み合わせて、その短い放送期間に何が起きたのかを読み解くことだ。わずか半年の番組ながら、90年代の深夜テレビ文化を考えるうえで、今なお興味深い存在である。

主な参考資料
- マイナビニュース「本日退職! 牧原俊幸アナが振り返る『本当に恵まれたフジテレビ人生』」(2018年7月31日)
- 新潮社「松岡圭祐 著者プロフィール」
- TRILL「“放送して良いのか?” 過激さのあまり半年足らずで放送終了…日本一お下劣な幻のバラエティ番組」(2026年3月5日)
- 当時のフジテレビ公式番組ページを参照先として示す掲示板保存記録
- 『A女E女』番組記録・出演者アーカイブ