大谷翔平の背番号は17番と16番!2026年最新の歴代変遷と選択理由を徹底解説
2026年10月現在、大谷翔平の背番号は、ロサンゼルス・ドジャースでは17番、侍ジャパンでは16番です。日本ハム時代の11番から始まり、エンゼルスで17番に変わり、ドジャース移籍後も同じ番号を着け続けています。
なぜ日本ハム時代の11番をMLBでは着けなかったのか。エンゼルスで17番を選んだ本当の理由は何だったのか。そして、ドジャース移籍時に17番を譲ったジョー・ケリーとの間には、どんなエピソードがあったのでしょうか。2026年WBCでも着用した侍ジャパンの16番の由来と、2026年の特別な42番についても整理します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 現在の背番号:ドジャースでは17番、侍ジャパンでは16番。
- 歴代の変遷:日本ハム時代は11番、エンゼルス時代とドジャース時代は17番。
- 17番を選んだ背景:エンゼルスの11番は永久欠番。17番は高校1年時にも着用していた番号。
- 16番の由来:2014年の日米野球で初めて着用。尊敬する野茂英雄の番号でもある。
- ドジャース移籍時の秘話:ジョー・ケリーが17番を譲り、大谷はケリーの妻にポルシェを贈った。
- 2026年の特記事項:4月15日のジャッキー・ロビンソン・デーには、全MLB選手が特別に42番を着用した。
【2026年最新】大谷翔平の背番号はドジャース17番、侍ジャパン16番

大谷翔平の背番号を調べる際に、最初に押さえておきたいのが、所属チームと日本代表では番号が異なるという点です。
ドジャースの公式選手情報では、大谷は背番号17の二刀流選手として登録されています。一方、2026年3月開催のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では、侍ジャパンの背番号16を着用しました。
つまり、17番と16番のどちらも正解です。所属するチームや代表活動によって使い分けられています。
ドジャースでは17番が定着
大谷がドジャースに移籍したのは2023年12月。エンゼルス時代から使用していた17番を、そのまま新天地でも着用することになりました。
2024年から2026年まで、ドジャースのユニフォームでは17番が大谷の象徴となっています。MLB公式の2026年選手プロフィールでも17番が確認できます。
2026年WBCでも侍ジャパンの16番

日本代表では、MLBでの17番とは異なり、16番を着用しています。
2026年WBCの侍ジャパン公式選手プロフィールにも、大谷翔平の背番号は16と掲載されています。これは2023年WBCだけの特別な番号ではなく、2014年の日米野球から続く日本代表での背番号です。
【歴代一覧】日本ハム11番からエンゼルス・ドジャース17番への変遷
大谷翔平の背番号の歴史を整理すると、プロ入り後の11番から、アメリカでの17番へと移り変わってきたことが分かります。
ただし、侍ジャパンの16番は別の流れで並行して使用している番号です。所属球団と代表チームを分けて見ると、背番号の変遷が理解しやすくなります。
大谷翔平の背番号・歴代一覧表
| 時期 | 所属・大会 | 背番号 | 主な経緯 |
|---|---|---|---|
| 2013~2017年 | 北海道日本ハムファイターズ | 11 | ダルビッシュ有から受け継いだ番号 |
| 2014年~ | 侍ジャパン | 16 | 日米野球で初着用 |
| 2018~2023年 | ロサンゼルス・エンゼルス | 17 | MLB挑戦時に選択 |
| 2024~2026年 | ロサンゼルス・ドジャース | 17 | ジョー・ケリーから番号を引き継ぐ |
| 2026年3月 | 2026年WBC・侍ジャパン | 16 | 日本代表として着用 |
日本ハム時代の11番はダルビッシュからの継承
2012年、大谷翔平は北海道日本ハムファイターズへの入団を決断しました。その際に提示された背番号が11番です。
この番号は、当時まで日本ハムのエースとして活躍し、MLBのテキサス・レンジャーズへ移籍したダルビッシュ有が着用していた番号でした。
球団は大谷に11番を提示し、投手として高く評価していることを示しました。2012年12月の入団表明時、大谷自身も11番について「自分としては、うれしいですし、すごく特別な番号」と語っています。
2013年のプロデビューから2017年まで、大谷は日本ハムで11番を背負いました。ダルビッシュから大谷へとつながったこの番号は、日本ハムの二人のスター選手を象徴する存在になっています。
なお、日本ハムの11番はエンゼルスの11番とは異なり、球団の永久欠番ではありません。2021年には球団関係者が、今後も欠番にしない方針を説明しています。
2018年からエンゼルスで17番に変更
2017年12月、エンゼルスは大谷の背番号を17番にすると発表しました。
日本ハム時代の11番から17番への変更には、移籍先の事情が関係しています。エンゼルスでは11番が球団の永久欠番だったため、大谷が同じ番号を着用することはできませんでした。
2018年から2023年までの6シーズン、大谷はエンゼルスの17番としてプレー。MLBで二刀流選手として世界的な評価を高める中で、17番は大谷を象徴する数字として定着しました。
【17番の理由】エンゼルスの11番は永久欠番!高校時代にも着用していた
大谷翔平がエンゼルスで17番を選んだ理由には、球団の永久欠番という事情と、本人の過去の経験が関係しています。
エンゼルスの11番はジム・フレゴシの永久欠番
エンゼルスの背番号11は、球団OBのジム・フレゴシが着用していた番号です。
フレゴシはエンゼルスの選手として活躍し、引退後には監督も務めました。1979年には球団を初の地区優勝へ導いています。
その功績をたたえ、エンゼルスは1998年に11番を永久欠番にしました。
MLB公式が紹介するエンゼルスの永久欠番一覧にも、ジム・フレゴシの11番が掲載されています。
日本ハムで11番を着用していた大谷にとって、アメリカで同じ番号を使えなかったのは、移籍先の球団にとって歴史的な意味を持つ数字だったからです。
17番を選んだ理由は高校1年時の経験にもあった
2017年12月のエンゼルス入団会見では、背番号17に関する興味深いやり取りがありました。
当初、大谷は27番を希望していたと冗談交じりに話しました。しかし、27番はエンゼルスのスター選手、マイク・トラウトが着用していた番号です。
その後、大谷は27番について冗談だったと説明しています。実際には、高校1年時に17番を着用していたことがあり、エンゼルスへの移籍という新しいスタートに合わせて、再び17番を選んだという趣旨を語りました。
当時のロサンゼルス・タイムズの取材では、17番に特別に深い意味があるわけではないという本人の説明も報じられています。
したがって、17番を選んだ理由を単純に「11番が使えなかったから」とだけ説明するのは不十分です。11番が永久欠番だったことは前提条件であり、17番には本人の過去の着用経験と新たな出発という背景がありました。
【16番の理由】侍ジャパンでは野茂英雄への憧れが原点
ドジャースでは17番を背負う大谷ですが、日本代表では16番を選んでいます。この数字には、MLBに挑戦した日本人選手の先駆者、野茂英雄とのつながりがあります。
16番を初めて着用したのは2014年の日米野球
大谷が侍ジャパンで初めて16番を着用したのは、2014年11月に開催された日米野球です。当時20歳だった大谷は、日本ハムで11番を着用していました。
代表チームでは、先輩選手から背番号を選んでいく流れがあり、大谷は最後に残っていた16番を選びました。
このとき大谷が意識していたのが、ドジャースでも16番を着用した野茂英雄でした。
2014年当時の取材で、16番のイメージを尋ねられた大谷は、野茂の名前を挙げています。
「野茂さんしかいないです」
野茂は、日本人選手がMLBへ挑戦する道を切り開いた先駆者です。ドジャースで活躍した野茂の背番号16は、大谷にとっても印象深い数字でした。
本人も日本代表では16番という印象が強いと説明
2023年1月の侍ジャパン記者会見でも、大谷は16番について説明しています。
「それまではずっとジャパンでは16番を付けてきたので。自分にとって日本代表は16番という印象が強い」
この発言から分かるのは、大谷が背番号そのものに強く執着しているわけではない一方、日本代表の16番には継続的な愛着を持っているということです。
2014年の日米野球から、2015年のプレミア12、2016年の代表強化試合、そして2023年と2026年のWBCへ。16番は日本代表としての大谷を表す番号になりました。
2026年WBCの侍ジャパン公式プロフィールでも16番が確認できます。所属球団の17番とは異なる、代表活動におけるもう一つの象徴的な背番号です。
【ドジャース移籍秘話】ジョー・ケリーが17番を譲りポルシェを受け取った経緯
2023年12月、大谷のドジャース移籍が決まると、背番号17をめぐるエピソードが話題になりました。
当時、ドジャースで17番を着用していたのは、リリーフ投手のジョー・ケリーです。大谷がエンゼルス時代と同じ番号を希望したため、ケリーが17番を譲ることになりました。
ジョー・ケリーの妻も17番を歓迎
背番号の譲渡をめぐっては、ケリーの妻アシュリーも一役買いました。
アシュリーは大谷のドジャース加入を後押しするSNSキャンペーン「#Ohtake17」を展開。家族が所有する17番のグッズなどを紹介し、大谷に17番を譲ることを歓迎する姿勢を見せました。
ジョー・ケリーは2019年からドジャースで17番を着用していた選手です。大谷に番号を譲った後は99番を着用することになりました。
ケリーは報道陣に対して、大谷のような選手だからこそ番号を譲ったという趣旨のコメントを残しています。
大谷がケリーの妻にポルシェをプレゼント
2023年12月24日、MLB公式は大谷がジョー・ケリーの妻アシュリーに新車のポルシェを贈ったことを報じました。
背番号17を譲ってもらったことへの感謝を込めたプレゼントとして、大きな反響を呼びました。
この出来事は、単なる番号の交換ではなく、移籍をめぐる選手同士の良好な関係を示すエピソードとして知られています。
大谷にとって17番は、エンゼルス時代から続く自身の象徴です。ドジャースでもその番号を維持できたことで、ファンにとっても新天地で大谷を見分ける分かりやすい目印になりました。
【2026年の特別な背番号】大谷が一時的に42番を着用した理由
2026年のMLB公式選手ページを確認すると、大谷の背番号に関して、4月15日に42番、翌16日に17番へ変更されたという登録履歴があります。
これを見て、2026年に大谷が17番から42番へ正式に変更したのではないかと疑問に感じる人もいるかもしれません。
しかし、これは恒久的な背番号変更ではありません。
4月15日はジャッキー・ロビンソン・デー
MLBでは毎年4月15日をジャッキー・ロビンソン・デーとして記念しています。
1947年4月15日、ジャッキー・ロビンソンはブルックリン・ドジャースでデビューし、MLBの人種の壁を打ち破りました。その功績をたたえ、MLBは全選手・監督・審判などのグラウンド上の関係者が背番号42を着用する取り組みを行っています。
2026年はロビンソンのMLBデビューから79周年にあたりました。大谷もこの日に42番のユニフォームを着用しています。
MLB公式の2026年4月15日の記念企画でも、全員が42番を着用することが発表されていました。翌16日には通常の17番に戻っています。
したがって、2026年10月現在の大谷のドジャースでの背番号は、引き続き17番です。42番は特別な記念日に着用したものであり、通常の登録番号ではありません。
【プロの結論】大谷翔平の背番号は所属先ごとの歴史を映す
大谷翔平の背番号を振り返ると、単なる数字の変更ではなく、各チームでの立場や野球人生の転換点が見えてきます。
日本ハムの11番は、ダルビッシュ有の後を継ぐエース候補として期待された番号。侍ジャパンの16番は、野茂英雄への憧れと日本代表での継続性を感じさせる番号。そして、MLBでの17番は、新たな挑戦の始まりを象徴する番号です。
背番号に関する3つの誤解
誤解1:17番は日本ハムの11番を引き継ぐために選んだ。
11番がエンゼルスの永久欠番だったことは事実ですが、17番には高校時代の着用経験や新たなスタートという本人の説明があります。
誤解2:侍ジャパンの16番はWBCだけの番号。
実際には2014年の日米野球から使用している番号です。2026年WBCでも16番を着用しています。
誤解3:2026年からドジャースの背番号が42番に変わった。
42番はジャッキー・ロビンソン・デーの記念着用です。通常の背番号は17番のままです。
大谷翔平のユニフォームを購入するなら17番と16番を区別
大谷翔平のユニフォームを購入する場合は、どのチームや大会のモデルなのかを確認することが大切です。
- ドジャースのユニフォーム:背番号17。
- エンゼルス時代のユニフォーム:背番号17。
- 日本ハム時代のユニフォーム:背番号11。
- 侍ジャパンのユニフォーム:背番号16。
同じ大谷翔平のユニフォームでも、所属先によって背番号が違います。特に日本代表の16番とドジャースの17番は混同されやすいため、購入時にはチーム名と大会名を確認すると間違いを防げます。
大谷翔平の背番号に関するよくある質問(FAQ)
Q1:2026年現在、大谷翔平の背番号は何番ですか?
A1:2026年10月現在、ドジャースでは17番です。侍ジャパンでは16番を着用しています。
Q2:大谷翔平がエンゼルスで17番を選んだ理由は何ですか?
A2:日本ハム時代の11番がエンゼルスではジム・フレゴシの永久欠番だったためです。17番は高校1年時にも着用していた番号で、新しいスタートに合わせて選びました。
Q3:大谷翔平の侍ジャパンでの背番号が16番なのはなぜですか?
A3:2014年の日米野球で初めて16番を着用したことが始まりです。尊敬する野茂英雄がドジャースで着用していた番号でもあり、本人も日本代表では16番という印象が強いと説明しています。
Q4:日本ハム時代の大谷翔平の背番号は何番でしたか?
A4:11番です。ダルビッシュ有が着用していた番号を受け継ぎ、2013年のプロデビューから2017年まで着用しました。
Q5:ジョー・ケリーはなぜ大谷に17番を譲ったのですか?
A5:大谷のドジャース加入に伴い、ケリーが自ら着用していた17番を譲りました。ケリーの妻アシュリーもSNSで大谷の加入と番号の譲渡を歓迎し、大谷は感謝の気持ちとして彼女にポルシェを贈りました。
Q6:2026年に大谷翔平が42番を着けていたのはなぜですか?
A6:4月15日のジャッキー・ロビンソン・デーに、MLBの全選手が功績をたたえて42番を着用したためです。翌日には通常の17番に戻っています。
まとめ:大谷翔平の背番号は11番から17番、代表では16番へ
大谷翔平の背番号は、所属チームと日本代表で異なります。2026年10月現在のドジャースでは17番、2026年WBCの侍ジャパンでは16番です。
日本ハム時代の11番はダルビッシュ有から受け継いだ番号であり、エンゼルスでの17番は永久欠番の事情と高校時代の経験を背景に選ばれました。ドジャース移籍時にはジョー・ケリーが17番を譲り、大谷はポルシェを贈って感謝を示しています。
また、侍ジャパンの16番には野茂英雄への憧れがあり、2014年から続く日本代表での歴史が刻まれています。
11番、16番、17番。それぞれの数字には、大谷翔平が歩んできたキャリアと新しい挑戦の記憶があります。今後の所属チームや代表活動でも、背番号の変化は大谷の野球人生を読み解く一つの手掛かりになりそうです。
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