【巨人の永久欠番一覧】2026年も6つ!背番号と制定年を総まとめ
巨人の永久欠番は、次の6つです。制定年順に並べると、球団が歩んできた歴史が見えてきます。
| 背番号 | 選手名 | 永久欠番制定年 | 主な功績 |
|---|---|---|---|
| 4 | 黒沢俊夫 | 1947年 | 戦後の巨人を支えた外野手 |
| 14 | 沢村栄治 | 1947年 | 球史に残る伝説の大投手 |
| 16 | 川上哲治 | 1965年 | 打撃の神様、V9監督 |
| 34 | 金田正一 | 1970年 | プロ野球通算400勝 |
| 3 | 長嶋茂雄 | 1974年 | ミスタープロ野球 |
| 1 | 王貞治 | 1989年 | 通算868本塁打の世界的強打者 |
出典:野球殿堂博物館、週刊ベースボールONLINE、ベースボール・マガジン社などの記録をもとに整理。
特に注目したいのは、最初の2つが1947年に同時に制定されている点です。その後、川上、金田、長嶋、王と、異なる時代を代表する選手たちの背番号が加わりました。
2026年現在も、この6つの番号は巨人の正式な永久欠番として扱われています。
制定年から見る巨人の歴史

- 1947年: 日本プロ野球初の永久欠番が誕生
- 1965年: 川上哲治の16番を制定
- 1970年: 金田正一の34番を制定
- 1974年: 長嶋茂雄の3番を制定
- 1989年: 王貞治の1番を制定
永久欠番の制定は、単純にホームラン数や勝利数だけで決まるものではありません。球団への貢献、時代を象徴する存在感、選手としての功績など、複数の要素が関係しています。
【1947年の制定経緯】巨人の永久欠番は悲しい出来事から始まった

巨人の永久欠番の歴史を理解するうえで欠かせないのが、1947年の出来事です。
日本プロ野球で初めて永久欠番が制定された背景には、黒沢俊夫と沢村栄治という2人の選手の死がありました。
背番号4・黒沢俊夫――戦後の巨人を支えた外野手

黒沢俊夫は、戦争によって球団の戦力が大きく失われた時期に巨人へ加入した外野手です。
1944年、戦争の影響で巨人は主力選手の多くを失い、チームに残った選手はわずか6人だったと週刊ベースボールONLINEは伝えています。
その危機的な状況で加入した黒沢は、打線の中心選手として活躍しました。
戦後の1946年から背番号4を着用し、チームを支え続けます。1947年には腸チフスを患い、同年6月23日に32歳で亡くなりました。
黒沢の死は、球団だけでなく当時のプロ野球界にも大きな衝撃を与えました。
その功績をたたえ、同年7月9日に背番号4が永久欠番に制定されました。これが日本プロ野球における永久欠番の始まりです。
背番号14・沢村栄治――沢村賞の由来となった伝説の投手
沢村栄治は、東京巨人軍の創設期を代表する投手です。
1934年の日米野球では、ベーブ・ルースやルー・ゲーリッグらを擁する全米選抜を相手に好投。その投球は日本野球の歴史に残るものとなりました。
主な記録は次のとおりです。
- 通算63勝22敗
- 通算防御率1.74
- 通算554奪三振
- ノーヒットノーラン3回
- 1937年春の最優秀選手
野球殿堂博物館の公式プロフィールでも、創生期の日本プロ野球を象徴する大投手として紹介されています。
しかし、沢村は1944年12月2日、戦争によって27歳で命を落としました。
戦死した沢村の功績をたたえるため、黒沢の背番号4とともに14番も1947年に永久欠番となりました。
また、沢村の名前は、プロ野球の優秀な先発完投型投手を表彰する「沢村栄治賞」にも残されています。
1947年に2つの番号が同時に制定された意味
黒沢と沢村のケースには、後年の永久欠番とは異なる特徴があります。
王や長嶋のように、現役時代の記録や人気を中心に顕彰されたケースとは異なり、2人の番号には戦争と戦後の混乱という時代背景が深く関係しています。
一方は病気による急逝、もう一方は戦争による戦死でした。
巨人の永久欠番は、単なる栄誉の象徴としてではなく、球団が失った大切な選手たちを記憶する取り組みから始まったのです。
【巨人永久欠番6選手】背番号1・3・16・34の功績を詳しく解説
1947年以降に制定された4つの永久欠番には、巨人の黄金時代を築いた選手たちが並びます。
背番号16・川上哲治――打撃の神様からV9監督へ
川上哲治は、巨人の歴史を語るうえで欠かせない名選手です。
現役時代は一塁手として活躍し、18年間の通算打率は.313。通算2,351安打、181本塁打、1,319打点を記録しました。
首位打者5回、最優秀選手3回という実績も残しています。
引退後は巨人の監督に就任。1965年から1973年までの9年連続日本シリーズ制覇、いわゆるV9を実現しました。
川上の永久欠番制定は1965年1月18日です。
興味深いのは、背番号16が選手時代だけでなく、監督時代にも川上を象徴する番号だったことです。
打者としての実績と、監督として築いた球団の黄金時代。その両方が16番の価値を形作っています。
背番号34・金田正一――日本プロ野球唯一の通算400勝投手
金田正一は、日本プロ野球史上でも突出した記録を持つ左腕投手です。
1950年に国鉄スワローズへ入団し、1965年に巨人へ移籍しました。
巨人では1965年から1969年までプレー。現役通算成績は次のとおりです。
- 登板944試合
- 400勝298敗
- 4,490奪三振
- 防御率2.34
特筆すべきは、通算400勝という記録です。
金田は14年連続でシーズン20勝以上を達成しており、長期にわたって第一線で活躍した投手でした。
1969年10月10日に通算400勝を達成し、同年限りで現役を引退。翌1970年4月2日、背番号34が永久欠番に制定されました。
野球殿堂博物館の資料でも、金田の400勝は日本プロ野球を代表する歴史的記録として取り上げられています。
背番号3・長嶋茂雄――ミスタープロ野球の象徴
長嶋茂雄は、巨人の人気とプロ野球の発展に大きく貢献した存在です。
1958年に巨人へ入団すると、新人年から本塁打王と打点王を獲得。新人王にも選ばれました。
現役時代の主な成績は次のとおりです。
- 2,186試合出場
- 2,471安打
- 444本塁打
- 1,522打点
- 通算打率.305
- 最優秀選手5回
王貞治とともに形成した「ONコンビ」は、巨人のV9時代を象徴する存在でした。
1974年に現役を引退し、同年11月21日に背番号3が永久欠番に制定されました。
長嶋はその後も監督としてチームを率い、1975~1980年、1993~2001年に巨人の監督を務めています。
2025年6月3日に亡くなった後も、その存在感は球団の歴史に深く刻まれています。同年8月16日の追悼試合では、巨人の監督・コーチ・選手全員が永久欠番である背番号3のユニホームを着用しました。
球団公式の追悼企画にも、長嶋が残した功績を次世代へ伝える姿勢が表れています。
背番号1・王貞治――通算868本塁打の世界的レジェンド
王貞治は、巨人の永久欠番6人の中でも、圧倒的な打撃記録で知られる人物です。
1959年に巨人へ入団し、一本足打法を確立。長嶋とともにチームの中心選手として活躍しました。
通算成績は以下のとおりです。
- 2,831試合出場
- 2,786安打
- 868本塁打
- 2,170打点
- 打率.301
- 本塁打王15回
- 最優秀選手9回
特に868本塁打は、日本プロ野球の通算本塁打記録として現在も歴史的な数字です。
1977年には、プロ野球選手として初めて国民栄誉賞を受賞しました。
1980年に現役を引退した後も巨人の助監督や監督として活動し、1988年に監督を退任。翌1989年3月16日に背番号1が永久欠番に制定されました。
王の1番は、単に本塁打数の多さを記念する番号ではありません。長期間にわたりチームを支え、プロ野球そのものの人気を押し上げた功績を象徴しています。
【永久欠番と準永久欠番の違い】松井秀喜の背番号55はどうなる?
巨人の背番号を調べていると、永久欠番とは別に「準永久欠番」という言葉を目にすることがあります。
両者は似ていますが、制度上の意味は異なります。
永久欠番は球団が正式に制定するもの
永久欠番とは、球団が特定の選手や関係者の功績をたたえ、その背番号を原則として後任の選手に使用させない制度です。
巨人の1・3・4・14・16・34は、いずれも正式に制定された永久欠番です。
一方、準永久欠番にはNPB全体で統一された公式の制度や制定基準がありません。
球団が特定の番号を長期間空けておいたり、後継者を慎重に選んだりする場合に使われる呼び方です。
松井秀喜の背番号55は永久欠番ではない
巨人の準永久欠番を考える際、代表例として取り上げられるのが松井秀喜の背番号55です。
松井は1993年から2002年まで巨人で55番を着用しました。
ヤンキースへ移籍した2003年から2008年までは、球団がこの番号を空き番として扱っていました。
しかし、2009年には大田泰示が継承。さらに2022年から2025年までは秋広優人が着用しました。
2026年10月23日の日刊スポーツの報道によると、秋広の移籍後、55番は再び空き番になっています。
つまり、松井の55番は球団にとって特別な意味を持つ番号ですが、6つの正式な永久欠番とは異なります。
永久欠番と準永久欠番の比較
| 比較項目 | 永久欠番 | 準永久欠番 |
|---|---|---|
| 制定 | 球団が正式に制定 | 慣習的な扱いもある |
| 使用 | 原則として再使用しない | 後継者への継承が可能 |
| 主な目的 | 功績を永久に顕彰 | 特別な番号として保護 |
| 代表例 | 巨人の1・3・4・14・16・34 | 松井秀喜の55など |
読者が覚えておきたいのは、番号が長期間使われていないからといって、必ずしも永久欠番とは限らないという点です。
正式な永久欠番かどうかを判断するときは、球団による制定の有無を確認する必要があります。
【プロ野球の歴代永久欠番比較】巨人が12球団最多を誇る理由
巨人の永久欠番6つは、NPB12球団の中でも最多です。
2026年の球団別一覧では、巨人に次いで阪神タイガースと広島東洋カープがそれぞれ3つ、中日ドラゴンズが2つとなっています。
球団別の永久欠番数
| 球団 | 永久欠番数 | 代表的な選手・番号 |
|---|---|---|
| 読売ジャイアンツ | 6 | 王1、長嶋3 |
| 阪神タイガース | 3 | 藤村10、村山11、吉田23 |
| 広島東洋カープ | 3 | 衣笠3、山本8、黒田15 |
| 中日ドラゴンズ | 2 | 服部10、西沢15 |
| 東北楽天ゴールデンイーグルス | 2 | ファン10、星野77 |
| 埼玉西武ライオンズ | 1 | 稲尾24 |
| 北海道日本ハムファイターズ | 1 | 大社100 |
球団別の公開一覧をもとに整理。選手以外の人物やファンの番号を含む球団もあります。
この比較から分かるのは、巨人の永久欠番が単なる選手個人の表彰にとどまらないということです。
巨人の永久欠番が多い3つの背景
1.球団の歴史が長く、複数の時代にスター選手が存在した
巨人は創設期から日本プロ野球の発展を支えてきました。
沢村栄治や黒沢俊夫の時代から、川上哲治、長嶋茂雄、王貞治の時代まで、各年代を代表する選手が存在します。
2.選手の個人成績と球団への貢献が両立している
王の868本塁打、金田の400勝、川上のV9など、歴史的な数字や実績が並んでいます。
こうした記録は個人の栄誉であると同時に、球団の歴史を象徴するものです。
3.永久欠番を安易に増やさない伝統がある
永久欠番は、優れた成績を残した選手全員に与えられるものではありません。
巨人には数多くの名選手が在籍しましたが、正式な永久欠番は6つにとどまっています。
坂本勇人や松井秀喜など、球団を代表する選手であっても、永久欠番に制定されていない背番号は存在します。
この厳格さが、6つの番号に特別な価値を与えています。
【プロの結論】巨人の永久欠番は6人の功績と球団の歴史を映す記録
巨人の永久欠番を理解するとき、押さえておきたいポイントは3つあります。
第一に、1947年の制定は日本プロ野球の歴史的な転換点だったこと。
黒沢俊夫と沢村栄治の死を悼み、2つの背番号を残したことが日本の永久欠番制度の出発点となりました。
第二に、永久欠番には異なる種類の功績が反映されていること。
王貞治と長嶋茂雄は打撃と人気、川上哲治は選手・監督双方の実績、金田正一は圧倒的な投手記録、沢村栄治はプロ野球創生期の象徴、黒沢俊夫は戦中・戦後の球団を支えた貢献が評価されています。
第三に、永久欠番と準永久欠番を混同しないこと。
松井秀喜の55番のように、特別な意味を持ちながら後継者が着用する番号もあります。球団の正式な制定と、慣習的な番号の保護は区別して考える必要があります。
巨人の永久欠番は、数字を6つ並べただけの記録ではありません。戦争、球団の危機、黄金時代、そしてプロ野球の発展という、80年以上にわたる歴史が刻まれています。
【巨人の永久欠番に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:巨人の永久欠番は全部で何個ありますか?
A1:2026年11月現在、全部で6個です。背番号1(王貞治)、3(長嶋茂雄)、4(黒沢俊夫)、14(沢村栄治)、16(川上哲治)、34(金田正一)です。
Q2:巨人で最初に永久欠番になった背番号は何番ですか?
A2:1947年に制定された背番号4と14です。黒沢俊夫の4番と沢村栄治の14番が、日本プロ野球初の永久欠番となりました。
Q3:巨人の背番号55も永久欠番ですか?
A3:いいえ。松井秀喜が着用した55番は特別な番号として扱われていますが、正式な永久欠番ではありません。大田泰示や秋広優人が後継者として着用した経緯があり、2026年11月現在は再び空き番となっています。
Q4:巨人の永久欠番で最も新しく制定されたのは何番ですか?
A4:背番号1です。王貞治の現役引退後、1989年に永久欠番となりました。
Q5:プロ野球で永久欠番が最も多い球団はどこですか?
A5:読売ジャイアンツです。6つの永久欠番を持ち、阪神と広島の各3つを上回っています。
まとめ:巨人の永久欠番6つは球団の歴史を未来へ伝える財産
巨人の永久欠番は、背番号1・3・4・14・16・34の6つです。1947年に黒沢俊夫と沢村栄治の番号が制定されたことから始まり、川上哲治、金田正一、長嶋茂雄、王貞治へと、その歴史が積み重ねられてきました。
2026年現在も6つの正式な永久欠番は変わっていません。松井秀喜の55番など、特別な意味を持つ番号との違いも理解しておくと、巨人の背番号の歴史をより深く楽しめます。
背番号は選手がユニホームを脱いだ後も残り続けます。巨人の6つの永久欠番は、偉大な選手たちが築いた記録と記憶を、次の世代へ伝える球団の財産です。