【初代監督は多田徳雄|1923年から始まった男子バレー日本代表の歴史】
- 歴代監督の初代は多田徳雄。1923年から男子日本代表の指揮官として記録されている。
- 最大の歴史的実績は松平康隆の1972年ミュンヘン五輪金メダル。1968年には銀メダルも獲得した。
- 2026年現在の監督はロラン・ティリ。2026年ネーションズリーグ4位、愛知・名古屋アジア競技大会銀メダルという実績を残した。
【初代監督は多田徳雄|1923年から始まった男子バレー日本代表の歴史】

男子バレー日本代表の歴代監督を振り返ると、現在のように年間を通じて代表チームを運営する体制が、最初から整っていたわけではありません。
初代監督として知られる多田徳雄が指揮を執ったのは、1923年です。その後、1925年、1927年、1930年にも日本代表チームを率いています。
多田徳雄が初代監督となった背景
日本バレーボール協会の沿革によると、日本が国際大会に初めて参加したのは1917年の第3回極東大会です。
当時のバレーボールは、現在のような専門的な競技環境が十分に整っておらず、他競技の選手を含めてチームを編成することもありました。
1923年にはバレーボール専門の全日本チームが編成され、多田徳雄がその指揮を担当しました。
ただし、当時の監督制度は現在と異なります。大会が開催される際に代表チームを編成する形式だったため、1923年から1930年まで連続して監督を務めたという意味ではありません。
戦前から戦後への大きな空白

多田徳雄の1930年の活動以降、男子代表の監督記録には長い空白があります。
次に確認できる監督は1954年の前田豊です。
その後、長崎重芳、和田助則、坂上光男らが大会ごとに指揮を執り、日本男子バレーは国際舞台への復帰と競技力の強化を進めていきました。
この時期の大きな課題は、国内で普及していた競技環境を国際基準に合わせることでした。
戦前から戦後にかけて、日本国内では9人制が広く普及していましたが、国際大会では6人制が主流になっていきます。
そのため、日本代表には競技方式への適応と、世界の強豪国に対抗できるチームづくりが求められました。
こうした時代の転換点に登場したのが、松平康隆です。
【男子バレー日本代表の歴代監督一覧|在任期間と主な実績】
男子バレー日本代表の歴代監督を、初代から2026年まで時系列で整理しました。
在任期間は公開されている歴代監督記録を基礎にしています。特に戦前から1960年代前半は大会ごとの選任を含み、近年のような連続した任期とは意味合いが異なります。
| 時期・在任期間 | 歴代監督 | 主な実績・備考 |
|---|---|---|
| 1923・1925・1927・1930年 | 多田徳雄 | 初代監督。初期の全日本チームを指揮 |
| 1954年 | 前田豊 | 戦後の代表再編期を担当 |
| 1955・1958・1960・1962年 | 長崎重芳 | 戦後の代表強化に携わる |
| 1955年 | 和田助則 | 大会ごとの代表指導を担当 |
| 1957・1958・1961~1964年 | 坂上光男 | 1964年東京五輪で男子代表を銅メダルに導く |
| 1965~1972年 | 松平康隆 | 1968年メキシコ五輪銀メダル、1972年ミュンヘン五輪金メダル |
| 1973~1976年・1986~1988年 | 小山勉 | 1976年モントリオール五輪4位、1988年ソウル五輪10位 |
| 1977~1980年 | 中村祐造 | 1970年代後半の代表を指揮 |
| 1980~1984年 | 中野尚弘 | 1984年ロサンゼルス五輪7位 |
| 1984~1986年 | 斎藤勝 | 1980年代中盤の代表を担当 |
| 1989~1990年 | 南将之 | 1980年代末の代表を指揮 |
| 1991~1995年 | 大古誠司 | 1992年バルセロナ五輪6位 |
| 1996年 | 辻合真一郎 | 1990年代の代表強化を担当 |
| 1997~2000年 | 寺廻太 | アトランタ・シドニー五輪出場を逃した時期 |
| 2001~2004年 | 田中幹保 | アテネ五輪出場を目指す代表を指揮 |
| 2005~2013年 | 植田辰哉 | 16年ぶりの北京五輪出場を実現。2008年五輪11位 |
| 2013~2014年 | ゲーリー・サトウ | アメリカ出身の指導者 |
| 2014~2016年 | 南部正司 | リオデジャネイロ五輪を目指すチームを指揮 |
| 2017~2021年 | 中垣内祐一 | 東京2020五輪7位。2017年にはブランが一時監督代行 |
| 2021~2024年 | フィリップ・ブラン | 2023年VNL銅メダル、2024年VNL銀メダル |
| 2025年~現在 | ロラン・ティリ | 2026年VNL4位、アジア競技大会銀メダル |
※坂上光男は1976年モントリオール五輪では監督ではなく総監督。小山勉が同大会の監督を務めた。
※植田辰哉の期間中、2012年には諸隈直樹が監督代行を担当。
※中垣内祐一の就任初年度には、フィリップ・ブランが一時的に監督代行を務めた。
この一覧から見えてくるのは、日本男子バレーの指導体制が、時代ごとに大きく変化してきたことです。
特に注目したいのは、松平康隆の黄金時代、植田辰哉による五輪復帰、フィリップ・ブランによる世界トップレベルへの再浮上、そしてロラン・ティリによる新体制への移行です。
【オリンピック成績で比較|松平康隆の金メダルから北京・パリまで】
男子日本代表の歴代監督を評価するうえで、オリンピックの成績は重要な判断材料です。
ただし、メダルの有無だけで監督の能力を判断することはできません。代表チームが置かれた時代背景や、選手層、国際競技環境も考慮する必要があります。
松平康隆|1968年銀メダルと1972年金メダル
男子日本代表の歴史において、最も象徴的な指導者の一人が松平康隆です。
1964年東京オリンピックではコーチを務め、その後、男子代表監督として1968年メキシコシティ大会と1972年ミュンヘン大会に臨みました。
成績は次のとおりです。
- 1964年東京オリンピック:銅メダル(監督・坂上光男、コーチ・松平康隆)
- 1968年メキシコオリンピック:銀メダル(監督・松平康隆)
- 1972年ミュンヘンオリンピック:金メダル(監督・松平康隆)
特に1972年のミュンヘン大会は、日本男子バレーの歴史を語るうえで欠かせない大会です。
準決勝ではブルガリアを相手にセットカウント0対2から逆転。決勝へ進出した日本は、最終的に金メダルを獲得しました。
日本オリンピック委員会の特集でも、松平康隆が選手たちを金メダルへ導いた指導者として紹介されています。
松平の功績は、単に優秀な選手を集めたことではありません。チーム全体の戦術、練習、組織づくりを一体化させ、世界の頂点を目指す競技集団を作り上げた点にあります。
1970年代後半から1990年代|世界との差が広がる時期
1976年モントリオールオリンピックでは、小山勉監督のもとで日本は4位となりました。
1984年ロサンゼルス大会では中野尚弘監督が7位、1988年ソウル大会では小山勉監督が10位という結果を残しています。
1992年バルセロナ大会では、大古誠司監督のもと6位に入りました。
しかし、その後は厳しい時代に入ります。
日本代表は1996年アトランタ、2000年シドニー、2004年アテネの各大会で出場権を獲得できませんでした。
さらに2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロ大会でも出場を逃しています。
1980年モスクワ大会については、出場資格の問題ではなく、日本がボイコットによって参加しなかったという事情があります。
植田辰哉|北京オリンピックで16年ぶりの復帰
2005年から男子日本代表を率いた植田辰哉は、低迷していたチームの立て直しを担いました。
植田は選手時代、1992年バルセロナオリンピックに主将として出場した経験を持つ指導者です。
2008年北京オリンピックでは、世界最終予選を突破し、日本男子バレーを16年ぶりのオリンピック出場へ導きました。
最終順位は11位でしたが、長く続いていた五輪不在の状況を変えた意味は大きいものがあります。
また、植田体制では次の実績も残しています。
- 2005年アジア選手権優勝
- 2006年世界選手権ベスト8
- 2009年アジア選手権優勝
- 2009年ワールドグランドチャンピオンズカップ3位
- 2010年アジア競技大会優勝
北京五輪のメダルには届かなかったものの、国際大会で結果を残す土台を整えた時代でした。
中垣内祐一とフィリップ・ブラン|東京からパリへ
中垣内祐一監督が率いた東京2020オリンピックでは、日本は7位に入りました。
続くブラン体制では、国際大会での競争力がさらに高まります。
2023年ネーションズリーグでは、男子日本代表が大会初の銅メダルを獲得しました。
さらに2024年大会では決勝へ進み、銀メダルを獲得。日本バレーボール協会によると、男子日本代表のネーションズリーグでのメダル獲得は2大会連続でした。
2024年パリオリンピックでは準々決勝でイタリアにフルセットで敗れ、最終順位は7位となりました。
東京大会に続いてベスト8入りを果たした一方、52年ぶりの五輪金メダルという目標には届かず、ブランは大会を最後に退任しました。
【植田辰哉・中垣内祐一・フィリップ・ブラン|近代代表の転換点】
2000年代以降の監督交代は、男子日本代表が世界と戦うための強化方針を変えてきた歴史でもあります。
植田辰哉|フィジカル強化と組織づくり
植田辰哉は1964年生まれ、香川県出身です。
大阪商業大学を卒業後、新日本製鐵で選手として活躍しました。現役時代はミドルブロッカーとしてプレーし、1992年バルセロナ五輪では主将を務めています。
監督就任後に重視したのは、選手の身体能力と精神面の強化でした。
北京五輪を目指す過程では、栄養管理やフィジカルトレーニングを強化。経験豊富な選手と若手選手を組み合わせ、国際大会で戦えるチームづくりを進めました。
結果として16年ぶりの五輪出場を実現しています。
中垣内祐一|日本人監督と外国人コーチの連携
中垣内祐一は1967年11月2日生まれ、福井県出身です。
筑波大学卒業後、新日本製鐵で選手として活躍。1992年バルセロナオリンピックでは日本代表選手として6位入賞を経験しました。
現役引退後は堺ブレイザーズの監督などを務め、2016年10月に男子日本代表の新監督への就任が内定しました。
中垣内体制で注目されたのが、外国人指導者の積極的な活用です。
フィリップ・ブランは2017年から日本代表のコーチに就任。中垣内監督のもとで、戦術や練習メニューの構築を担いました。
ただし、2017年の代表始動時には中垣内監督が対外活動を控える期間があり、JVAは5月11日にブランを監督代行に任命しました。
6月8日に中垣内監督がチームへ合流すると、ブランはコーチとして活動しています。
その後、中垣内は東京2020オリンピックまで指揮を執り、2021年9月に任期満了で退任しました。
フィリップ・ブラン|守備力と攻撃の組み立てを強化
ブランは1960年5月20日生まれ、フランス出身です。
現役時代はフランス代表でプレーし、引退後はフランス代表監督やポーランド代表コーチなどを歴任しました。
2017年に日本代表コーチへ就任し、2021年10月には男子日本代表の次期監督に内定。2022年シーズンから本格的にチームを率いました。
ブラン体制の特徴は、守備から攻撃へつなぐチーム戦術の構築です。
日本の持ち味であるスピードやレシーブ力を生かしながら、ブロックとディフェンス後の攻撃を強化しました。
主な実績は次のとおりです。
- 2021年東京オリンピック:コーチとして男子代表の7位入賞に貢献
- 2023年ネーションズリーグ:銅メダル
- 2024年ネーションズリーグ:銀メダル
- 2024年パリオリンピック:7位
特に2023年の銅メダルは、男子日本代表が世界の強豪国と互角に戦えることを示した成果でした。
2024年の銀メダルも、翌月のパリ五輪に向けて期待を高める結果となりました。
【龍神NIPPONの監督交代はなぜ起きた?歴代指揮官の交代経緯】
監督交代の背景には、オリンピックを中心とした4年周期の強化計画があります。
日本代表では、五輪大会を一つの区切りとして監督選考が行われるケースが多く、次の大会に向けたチームの再構築が進められてきました。
2013年から2016年|外国人指導者から南部正司へ
植田辰哉の退任後、2013年にはアメリカ出身のゲーリー・サトウが監督に就任しました。
その後、2014年2月5日付で南部正司への監督交代が決定しています。
南部はパナソニックパンサーズの監督などを務めた指導者で、2016年9月まで男子日本代表を率いました。
この時期はリオデジャネイロオリンピックへの出場を目指したものの、最終的に出場権を獲得できませんでした。
2017年から2021年|中垣内祐一からブランへ
2017年4月から中垣内祐一が代表監督を務めました。
先述のとおり、初年度にはブランが一時的に監督代行を務めています。
中垣内体制では東京2020オリンピックへの出場と、その先のパリ大会を見据えた強化が進められました。
東京大会終了後、中垣内は任期満了で退任し、2021年10月にブランの監督就任が内定しました。
2021年から2024年|ブラン体制からティリ体制へ
ブランは日本代表コーチとしての経験を生かし、監督として2024年パリオリンピックを目指しました。
2023年のVNL銅メダル、2024年のVNL銀メダルなど、国際大会で確かな実績を残しています。
しかし、パリ五輪終了後には代表監督を退任することが決定していました。
その後、日本バレーボール協会は2024年11月25日、ロラン・ティリの次期監督就任内定を発表しました。
選考において注目されたのは、ティリの国際大会での実績と、日本国内での指導経験です。
2020年からパナソニックパンサーズ(現・大阪ブルテオン)の監督を務めており、日本の選手や国内リーグへの理解も持っていました。
この点は、海外から初めて招聘する指導者とは異なる強みです。
【2026年現在の監督はロラン・ティリ|最新成績と今後の展望】
2026年11月現在、男子バレー日本代表の監督はロラン・ティリです。
日本バレーボール協会が公表する2026年度の男子日本代表公式メンバーにも、監督としてロラン・ティリの名前が掲載されています。
ロラン・ティリの経歴と世界的な実績
現役時代はフランス代表のウイングスパイカーとしてプレーし、1988年ソウル、1992年バルセロナの両オリンピックに出場しました。
引退後はクラブチームでの指導を経て、2005年にはチェコ男子代表監督に就任しています。
その後、2012年から2021年までフランス男子代表監督を務めました。
特にフランス代表時代の実績は際立っています。
- 2015年ワールドリーグ優勝
- 2015年ヨーロッパ選手権優勝
- 2017年ワールドリーグ優勝
- 2018年ネーションズリーグ準優勝
- 2021年東京オリンピック金メダル
2021年東京オリンピックでは、フランス男子代表を初の金メダルへ導きました。
この実績が、2028年ロサンゼルスオリンピックを目指す日本代表の新監督として期待される大きな理由です。
2025年から始まったティリ体制
2024年11月25日の日本バレーボール協会の発表を受け、ティリは2025年から男子日本代表を指揮しています。
2026年度はロサンゼルス五輪出場権獲得を見据え、初選出4人を含む37人が代表登録メンバーに選ばれました。
チームの強化は、経験豊富な主力選手と新しい戦力の融合がテーマになっています。
2026年ネーションズリーグの成績は4位
2026年のネーションズリーグでは、日本はファイナルラウンドまで進出しました。
最終順位は4位です。
準々決勝では中国に3対1で勝利し、準決勝ではアメリカに2対3で敗れました。
3位決定戦でもスロベニアに1対3で敗れ、メダル獲得には届きませんでした。
それでも、世界の強豪国と競い合う大会で4位に入ったことは、チームの現在地を示す重要な結果です。
2026年アジア競技大会では銀メダルを獲得
2026年9月から10月にかけて開催された第20回アジア競技大会(愛知・名古屋)でも、ティリ監督率いる男子日本代表が注目を集めました。
日本は予選ラウンドを突破し、準々決勝でカタール、準決勝で中国を撃破して決勝に進出しました。
決勝の相手はイランです。
10月3日の決勝では、セットカウント1対3で敗れ、最終順位は準優勝となりました。
日本バレーボール協会の公式発表によると、試合結果は次のとおりです。
- 第1セット:26対28
- 第2セット:25対19
- 第3セット:21対25
- 第4セット:24対26
金メダルには届かなかったものの、銀メダルを獲得したことは2026年の大きな成果です。
この大会では、経験の浅い選手や若手選手も起用され、次世代の代表を見据えたチームづくりも進められました。
ロサンゼルス2028オリンピックへ向けた課題
ティリ体制の最大の目標は、2028年ロサンゼルスオリンピックです。
2026年のVNL4位とアジア大会銀メダルは、チームの競争力を示す一方、世界の頂点を目指すにはさらなる成長が必要であることも示しています。
特に注目したいのは、次の3点です。
1. 国際大会での勝負強さ
VNLやアジア大会では、上位国との接戦を勝ち切る力が問われます。技術だけでなく、試合終盤の判断力やプレッシャーへの対応が重要です。
2. 若手選手の成長
2026年の代表編成では新戦力の選出も進みました。主力選手だけに依存しない選手層の構築が、長期的な強化の鍵になります。
3. 高さとスピードの融合
日本の伝統的な強みであるレシーブ力や速攻を生かしながら、世界の大型チームに対抗するブロックと攻撃力をどう高めるかが課題です。
松平康隆が築いた黄金時代から、植田辰哉、ブランを経て、ティリへ。
日本男子バレーは、過去の成功を継承しながら新しい戦術と選手育成の仕組みを取り入れようとしています。
【男子バレー歴代監督に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:男子バレー日本代表の初代監督は誰ですか?
A1:初代監督は多田徳雄です。1923年に代表チームを率い、その後1925年、1927年、1930年にも指揮を執りました。
Q2:男子バレー日本代表でオリンピック金メダルを獲得した監督は誰ですか?
A2:松平康隆です。1972年ミュンヘンオリンピックで男子日本代表を金メダルに導きました。1968年メキシコオリンピックでは銀メダルも獲得しています。
Q3:植田辰哉監督は北京オリンピックで何位でしたか?
A3:2008年北京オリンピックで11位でした。植田監督は、男子日本代表を16年ぶりのオリンピック出場に導いた指導者です。
Q4:フィリップ・ブラン監督の主な実績は何ですか?
A4:2023年ネーションズリーグ銅メダル、2024年ネーションズリーグ銀メダルです。また、2024年パリオリンピックでは日本代表を7位に導きました。
Q5:2026年現在の男子バレー日本代表監督は誰ですか?
A5:2026年現在はロラン・ティリです。2025年から日本代表を率いており、2026年ネーションズリーグ4位、愛知・名古屋アジア競技大会銀メダルという成績を残しています。
Q6:中垣内祐一監督とフィリップ・ブラン監督はどのような関係ですか?
A6:ブランは中垣内体制で2017年から日本代表コーチを務めました。2017年5月には一時的に監督代行を担当し、2021年10月に次期監督への就任が内定しました。
まとめ:男子バレー日本代表の歴代監督から見える強化の歴史
男子バレー日本代表の歴代監督を振り返ると、1923年の多田徳雄から2026年のロラン・ティリまで、指揮官の交代とともに日本の競技スタイルも変化してきたことが分かります。
特に押さえておきたい歴史的な節目は次のとおりです。
- 多田徳雄: 1923年に初代監督として代表を指揮
- 松平康隆: 1968年銀メダル、1972年金メダル
- 植田辰哉: 2008年北京五輪で16年ぶりの出場を実現
- 中垣内祐一: 東京2020五輪まで代表を指揮
- フィリップ・ブラン: 2023年VNL銅、2024年VNL銀
- ロラン・ティリ: 2025年から代表を率い、2026年アジア大会銀メダルを獲得
歴代監督の実績を比較すると、オリンピックのメダルだけでは測れない功績も見えてきます。低迷期からの再建、五輪出場権の獲得、国際大会での競争力向上など、それぞれの監督が異なる課題に取り組んできました。
2026年の日本代表は、ネーションズリーグ4位とアジア競技大会銀メダルという成績を残し、次の大舞台へ向かっています。
松平康隆が築いた世界一の歴史を再び実現できるのか。ロラン・ティリ監督が率いる龍神NIPPONの2028年ロサンゼルスオリンピックに向けた挑戦に注目です。