安美錦竜児の現在は?2026年最新の安治川部屋と後進育成、関脇の軌跡を徹底解説
元関脇・安美錦竜児(あみにしき・りゅうじ)は、2019年7月場所で現役を引退した後、年寄「安治川」を襲名し、相撲界の指導者として新たな道を歩んでいる。2022年12月には伊勢ヶ濱部屋から独立して安治川部屋を創設。現在は東京都江東区を拠点に、師匠として若手力士の育成に取り組んでいる。
2026年10月現在、安治川部屋では安青錦が大関として活躍しており、安治川親方の指導者としての手腕にも注目が集まる。現役時代に残した通算907勝908敗55休、金星8個、三賞12回という実績は、度重なる大けがを乗り越えた22年半の土俵人生を物語る。ここでは日本相撲協会と安治川部屋の公式情報、報道各社の記録をもとに、プロフィールから引退の背景、部屋創設、2026年の最新動向までを整理する。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 現在:安治川親方として安治川部屋を率い、若手力士の指導と育成に取り組んでいる。
- 現役時代:最高位は関脇。通算907勝、金星8個、三賞12回を記録した実力派力士。
- 引退:2019年7月場所。アキレス腱断裂などの大けがを乗り越え、約22年半の現役生活に幕を下ろした。
- 部屋創設:2022年12月1日に安治川部屋の新設が承認され、2023年6月に部屋開きを実施。
- 2026年の注目:弟子の安青錦が大関として活躍。安治川親方は実戦経験を生かした指導を続けている。
【2026年最新】安美錦竜児は現在何をしている?安治川親方としての活動

2026年現在、安美錦竜児は日本相撲協会に所属する年寄・安治川竜児として活動している。現役時代の四股名は安美錦だが、引退後は年寄名である安治川を名乗り、自ら設立した安治川部屋の師匠を務めている。
日本相撲協会の年寄プロフィールでは、安治川竜児は委員として登録され、所属部屋は安治川となっている。2026年10月30日時点では48歳。出身は青森県西津軽郡深浦町で、本名は杉野森竜児だ。
安治川親方の現在のプロフィール
- 本名:杉野森竜児
- 現役時代の四股名:安美錦竜児
- 現在の年寄名:安治川竜児
- 生年月日:1978年10月3日
- 年齢:48歳(2026年10月30日時点)
- 出身地:青森県西津軽郡深浦町
- 所属部屋:安治川部屋
- 現役時代の最高位:関脇
- 現役引退:2019年7月場所
- 日本相撲協会での役職:委員
現在の活動の中心は、力士の稽古指導、部屋の運営、弟子の番付上昇に向けた育成だ。現役時代に自ら経験したけがとの向き合い方や、長期間にわたって関取の地位を維持した経験は、若い力士を指導するうえで大きな財産になっている。
2026年10月28日には安青錦の稽古を指導

2026年10月28日には、九州場所を控えた安青錦の調整を安治川親方がサポートしている様子が報じられた。
安青錦は2026年春場所で左足を痛め、その後も足の不調に悩まされていた。安治川親方は、久留米市の部屋で行われた稽古において、鉄アレイを両手に持って行うすり足を初めて指導。足の指に土からの刺激を与えることを狙った稽古だったという。
安青錦は同日の稽古で若い力士を相手に胸を出し、14番をこなした。安治川親方も回復状況を見極めながら、出稽古再開に向けた判断を行っていた。
この出来事から分かるのは、安治川親方が単に弟子の相撲を見守るだけでなく、身体の状態に合わせて稽古内容を工夫していることだ。自身も長年けがと戦ってきた経験が、指導の具体的な場面に生かされている。
なお、2026年11月場所の番付では、安治川部屋所属の安青錦が東大関に位置している。部屋の看板力士を育て上げた師匠として、安治川親方の存在感はさらに高まっている。
【プロフィール・経歴】安美錦は本名・杉野森竜児、最高位は関脇
安美錦竜児は1978年10月3日、青森県西津軽郡深浦町に生まれた。相撲を始めたのは小学校1年生のころ。高校は鰺ケ沢高校に進み、卒業前後に相撲界へ進む道を選んだ。
1996年12月に安治川部屋へ入門。1997年1月場所で本名の杉野森を四股名として初土俵を踏んだ。同年7月場所から安美錦に改名している。
当時の安治川部屋は、後に伊勢ヶ濱部屋となる相撲部屋だ。安美錦はここで力を磨き、徐々に番付を上げていった。
安美錦の主な経歴と転換点
| 時期 | 出来事 | 主な実績・内容 |
|---|---|---|
| 1978年10月 | 誕生 | 青森県西津軽郡深浦町出身。本名は杉野森竜児 |
| 1996年12月 | 安治川部屋に入門 | 相撲界で本格的な修業を開始 |
| 1997年1月 | 初土俵 | 杉野森の四股名で土俵に上がる |
| 1997年7月 | 安美錦に改名 | 現在まで知られる四股名となる |
| 2000年1月 | 新十両 | 関取としての地位を獲得 |
| 2000年7月 | 新入幕 | 幕内初挑戦で10勝を挙げ敢闘賞を受賞 |
| 2003年1月 | 初金星 | 横綱・貴乃花を破る |
| 2006年11月 | 新小結 | 初めて三役に昇進 |
| 2007年9月 | 新関脇 | 最高位の関脇に昇進 |
| 2016年5月 | 左足アキレス腱断裂 | 大けがによる長期的な苦境 |
| 2017年11月 | 幕内復帰 | 39歳で幕内に復帰し敢闘賞を受賞 |
| 2019年7月 | 現役引退 | 年寄・安治川を襲名 |
| 2022年12月 | 安治川部屋を新設 | 伊勢ヶ濱部屋から独立 |
| 2023年6月 | 安治川部屋開き | 東京都江東区石島に新しい部屋を構える |
安美錦が関脇に昇進したのは2007年9月場所。小結を経て三役の地位に上がり、上位陣にとって簡単には攻略できない存在として知られるようになった。
日本相撲協会の公式プロフィールでも、最高位は関脇と記録されている。大関には昇進していないものの、長年にわたって幕内上位で戦い続けた実績は高く評価されている。
また、安治川部屋の公式プロフィールによると、安治川親方は2022年3月に早稲田大学大学院スポーツ科学研究科を修了している。現役引退後にスポーツ科学を学んだことも、指導者としての歩みを考えるうえで注目したい経歴だ。
【通算907勝・金星8個・三賞12回】安美錦の実績がすごい理由
安美錦の現役時代を数字で振り返ると、その実績の大きさがよく分かる。
日本相撲協会の公式記録によると、生涯戦歴は907勝908敗55休、135場所。幕内だけでも678勝730敗47休を記録した。
通算成績は勝ち越しではない。しかし、135場所という長い現役生活を送り、関取在位117場所を記録した点に、安美錦の真価が表れている。
金星8個を獲得した上位キラー
安美錦の実績で特に目を引くのが、横綱から獲得した金星8個だ。
金星とは、平幕力士が横綱に勝った際に記録される殊勲の星である。安美錦は対戦した5人の横綱全員から金星を獲得した。
- 貴乃花:1個
- 武蔵丸:1個
- 朝青龍:4個
- 白鵬:1個
- 鶴竜:1個
なかでも2003年1月場所に横綱・貴乃花を破った一番は象徴的だ。この勝利が初金星となっただけでなく、貴乃花の現役最後の対戦相手としても記録されている。
朝青龍から4個もの金星を獲得したことも特筆すべき点だ。圧倒的な強さを誇った横綱に対して、安美錦は真正面から力比べをするだけではなく、相手の重心や動きを利用する技術で勝負した。
三賞12回は技能派力士としての証明
安美錦は三賞を合計12回受賞している。内訳は次のとおりだ。
- 殊勲賞:4回
- 敢闘賞:2回
- 技能賞:6回
- 合計:12回
特に技能賞6回という数字は、安美錦の相撲が単純な体格や力だけで評価されていたわけではないことを示している。
幕内優勝こそなかったものの、上位陣を倒す勝負強さ、相手に応じて変化する取り口、長期間にわたる安定した活躍によって評価を積み重ねた。
なお、安治川部屋公式プロフィールでは、関取在位117場所は元大関・魁皇と並ぶ歴代1位と紹介されている。関取として長く土俵に立ち続けたこと自体が、安美錦を象徴する記録の一つだ。
【得意技は右四つ・出し投げ】安美錦が上位陣に強かった秘密
安美錦の相撲を語るうえで欠かせないのが、右四つと出し投げを軸にした多彩な取り口だ。
日本相撲協会の力士プロフィールでは、得意技は「右四つ・寄り」とされている。安治川部屋の公式プロフィールでは、出し投げや叩き込みも得意技として紹介されている。
右四つから相手の体勢を崩す技術
右四つは、組み合った際に右手を相手の左腕の内側に差し、右側から組む形を指す。
安美錦は右四つの体勢を作った後、単純に前へ出るだけではなく、相手の重心を崩す動きや投げ技を組み合わせて攻めた。
その代表例が出し投げだ。相手を自分の前方へ引き出すように崩しながら、体勢を入れ替えて土俵際へ追い込む。相手が力で対抗しようとするほど、その力を利用するような攻めが持ち味だった。
技の引き出しが多い「業師」
安美錦は、相手の体格や立ち合いの特徴に応じて戦い方を変える力士だった。
出し投げだけでなく、叩き込み、足技、ひねり技なども織り交ぜる。相手がどのような形で攻めてくるかを見極め、瞬間的に対応する能力に優れていた。
そのため、相撲ファンや報道では「上位キラー」「くせ者」「業師」といった表現で紹介されることが多かった。
大柄な力士が増えるなかで、単純な体重や筋力だけでは勝負が決まらないことを示した存在でもある。安美錦の相撲には、相手を観察する力、判断する速さ、技術を使い分ける柔軟性が詰まっていた。
こうした特徴は、現在の指導にもつながる。力士の体格や得意な形が違えば、同じ稽古を繰り返すだけでは十分ではない。相手に合わせて自分の相撲を組み立てる考え方は、安美錦が現役時代に培った大きな財産だ。
【怪我と復帰】アキレス腱断裂を乗り越えた安美錦の不屈の土俵人生
安美錦のキャリアは、華やかな金星や三賞だけでは語れない。長い現役生活の裏には、何度も土俵人生を脅かす大けががあった。
2003年の右膝前十字靱帯・半月板損傷
2003年7月場所では、右膝の前十字靱帯と半月板を損傷する大けがを負った。
力士にとって膝は、立ち合いの衝撃を受け止め、相手を押し込み、投げを打つための重要な部位だ。特に安美錦のように細かな重心移動や技術を武器にする力士にとって、膝の故障は相撲の組み立てそのものに影響する。
安美錦はこの故障を抱えながらも、長期的な現役生活を続けていった。
2016年5月の左足アキレス腱断裂
さらに2016年5月場所では、左足のアキレス腱を断裂するという深刻なけがに見舞われた。
アキレス腱は、歩行や走行だけでなく、相撲の踏み込みや蹴り出しにも関わる重要な組織だ。力士にとっては、立ち合いでの踏ん張りや土俵際での粘りを支える部分でもある。
安美錦はこの大けがを乗り越え、2017年11月場所に幕内復帰を果たした。39歳での幕内復帰は、当時の最年長記録としても注目された。
同場所では敢闘賞も獲得している。年齢と故障歴を考えれば、単に番付を戻したというだけではなく、幕内で再び結果を残したことに大きな意味があった。
2019年7月場所で引退を決断
長年にわたってけがと付き合ってきた安美錦だったが、最後の決断につながったのは2019年7月場所での右膝の再負傷だった。
当時40歳。西十両11枚目で土俵に上がっていた安美錦は、名古屋場所2日目に古傷の右膝を痛めて休場した。次の場所では幕下への陥落が確実な状況となり、2019年7月17日に現役引退を表明した。
日刊スポーツの引退報道では、22年半の土俵人生を振り返り、度重なるけがを乗り越えてきた力士として紹介されている。
また、2019年12月に掲載された婦人公論のインタビューでは、本人がアキレス腱断裂後の復帰や、けがを抱えながら土俵に上がる苦労について語っている。長く現役を続けた背景には、本人の意志だけでなく、周囲の支えもあった。
安美錦にとって引退は、単に年齢を理由としたものではない。長年酷使してきた身体と向き合い、力士としての限界を受け入れたうえで、次の役割へ進むための決断だった。
【2022年に安治川部屋を創設】安青錦を育てる師匠としての新たな挑戦
現役を引退した安美錦は、年寄・安治川を襲名し、伊勢ヶ濱部屋付きの親方として後進の指導を始めた。
その後、2022年12月1日、日本相撲協会の理事会で安治川部屋の新設が承認された。安治川親方が伊勢ヶ濱部屋から独立し、自ら師匠を務める相撲部屋を持つことになったのだ。
安治川部屋の創設から部屋開きまで
独立が承認された当初は、東京都江東区千田の仮住まいを拠点としていた。その後、江東区石島に新しい部屋を建設。2023年6月16日に部屋開きと土俵開きが行われた。
部屋は4階建てで、稽古場や力士たちの生活空間を備えている。2023年9月に公表された建設会社の発表資料によると、建物は同年6月28日に竣工している。
安治川親方にとって、部屋の創設は現役時代とは異なる責任を背負う転換点だった。自分自身が勝つために稽古する立場から、弟子が成長するための環境を整え、長期的に育成する立場へ変わったのである。
安治川部屋の看板力士・安青錦
2026年の安治川部屋を語るうえで欠かせない存在が、大関・安青錦新大だ。
安青錦は2004年3月23日生まれ、ウクライナ出身の力士。本名はヤブグシシン・ダニーロ。7歳から相撲を始め、母国の情勢変化を背景に来日した。
安治川部屋の公式発表によると、2022年春から関西で稽古を積み、同年12月に安治川部屋の研修生となった。その後、2023年9月場所で初土俵を踏み、着実に番付を上げた。
2025年11月の九州場所で初優勝を果たし、2026年1月場所で大関に昇進。春場所では綱取りに挑戦した。その後は故障による苦しい時期もあったが、2026年9月場所から再び大関の地位に復帰している。
安青錦の育成については、2026年2月6日の日刊スポーツの記事でも、安治川親方が入門時の経緯を振り返っている。最初は入門を断ろうと考えていたものの、本人と会って話すうちに受け入れることを決めたというエピソードが紹介された。
当初は日本語も十分ではなく、体重も100キロに満たなかった安青錦。しかし、本人の真剣さを感じ取った安治川親方は、将来を見据えて育成する道を選んだ。
このエピソードは、現在の安治川部屋を理解するうえで興味深い。最初から完成された力士を集めるのではなく、本人の意欲や成長の可能性を見極め、時間をかけて育てる姿勢がうかがえる。
2026年の安治川部屋と師匠の指導方針
安治川部屋の公式発信では、2026年2月にニトリホールディングスの似鳥昭雄会長が後援会長に就任したことが発表されている。
同年4月には安青錦のけがによる巡業休場に伴い、予定していた激励会を自粛することも公表された。一方で、他の力士については稽古に励む姿勢が伝えられている。
安治川部屋が掲げる考え方として、公式サイトには次の3つが示されている。
「感謝する姿勢」
「学び続ける意欲」
「社会貢献する心」
これらは、勝敗や番付だけではなく、人間としての成長も重視する部屋の姿勢を示している。
2026年現在、安青錦という大関を育て上げたことは大きな成果だ。しかし、安治川親方の仕事は一人のスター力士を生み出して終わるものではない。所属する若い力士それぞれが自分の目標を持ち、関取を目指せる環境を整えることが、師匠としての継続的な課題となっている。
【プロの結論】安美錦の本当の評価は907勝だけでは測れない
安美錦竜児の現役時代と、現在の安治川親方としての活動をつなげて考えると、評価すべきポイントは大きく3つある。
1. 勝ち星よりも長く戦い続けた価値
907勝という数字は非常に大きい。しかし、注目すべきなのは、右膝の重傷やアキレス腱断裂を経験しながら、135場所にわたって現役生活を続けたことだ。
相撲は短期的な勝敗だけでなく、身体の状態を維持し、毎場所の番付変動に対応する必要がある競技だ。安美錦は故障によって何度も厳しい状況に追い込まれながら、そのたびに土俵へ戻ってきた。
2. 技術で勝つ相撲の価値を示したこと
金星8個、技能賞6回という実績は、安美錦の相撲が技術的に高く評価されていたことを裏付ける。
体格や力だけに頼らず、相手の動きや重心を利用する。こうした技術は、体格に恵まれない力士が上位を目指すうえでも参考になる考え方だ。
現役時代に身につけた技術を、現在は指導者として次の世代に伝えていることにも意味がある。
3. 自ら部屋を持ち、次世代を育てる段階へ進んだこと
2019年の引退で安美錦の土俵人生は終わった。しかし、2022年の安治川部屋創設によって、相撲界における新たな挑戦が始まった。
安青錦の大関昇進は、その育成が実を結んだ代表例だ。一方で、今後の評価は、安青錦に続く関取をどれだけ育てられるか、部屋全体の力士がどのように成長するかにも左右される。
元関脇という実績を持つ師匠が、どのように自身の経験を弟子の成長に結びつけるのか。これこそが、2026年以降の安治川親方を追ううえでの注目点だ。
安美錦竜児に関するよくある質問(FAQ)
Q1:安美錦の本名は何ですか?
A1:本名は杉野森竜児です。1978年10月3日生まれで、青森県西津軽郡深浦町の出身です。現在は年寄・安治川竜児として活動しています。
Q2:安美錦はいつ引退しましたか?
A2:2019年7月場所で現役を引退しました。右膝の古傷を再び痛めて休場したことが引退の直接的な契機となり、同月17日に引退を表明しています。
Q3:安美錦の最高位と通算成績は?
A3:最高位は関脇です。通算成績は907勝908敗55休、135場所。金星8個、三賞12回という実績も残しています。
Q4:安治川部屋はいつ創設されましたか?
A4:2022年12月1日に日本相撲協会の理事会で新設が承認されました。2023年6月16日に東京都江東区で部屋開きが行われ、現在も安治川親方が師匠を務めています。
Q5:安治川部屋にはどんな有名力士がいますか?
A5:代表的な力士は大関・安青錦新大です。ウクライナ出身で2023年9月場所に初土俵を踏み、2025年11月場所で初優勝。2026年には大関として活躍しています。
Q6:安美錦は横綱から何個の金星を獲得しましたか?
A6:合計8個です。貴乃花から1個、武蔵丸から1個、朝青龍から4個、白鵬から1個、鶴竜から1個を獲得し、対戦した5横綱全員から金星を挙げました。
まとめ:安美錦竜児は現在、安治川部屋を率いる指導者として活躍
安美錦竜児は、2019年7月場所で現役を引退した後、年寄・安治川を襲名し、相撲界の指導者として新たな道を歩んできた。
現役時代は最高位関脇、通算907勝908敗55休、金星8個、三賞12回という実績を残した。右膝の重傷やアキレス腱断裂を乗り越え、39歳で幕内復帰を果たした姿は、今も記憶に残る土俵人生の一つだ。
2022年12月には安治川部屋を創設。2023年の部屋開きを経て、現在は大関・安青錦をはじめとする若手力士の育成に力を注いでいる。
2026年10月現在、安治川親方は安青錦のけがからの回復を支えながら、九州場所に向けた指導を続けている。今後は安青錦に続く力士の成長や、部屋全体の発展にも注目が集まる。
安美錦の魅力は、金星や三賞といった現役時代の記録だけではない。何度倒れても土俵に戻り、引退後には自ら部屋を興して次の世代を育てる道を選んだことにある。現役時代に培った技術と経験が、これからどのような力士を生み出していくのか。安治川親方の第二の相撲人生は、まだ続いている。