wowakaと米津玄師はどんな関係?ハチ時代の出会いから追悼、2026年の現在まで徹底解説
ボカロPとして2009年前後のニコニコ動画を盛り上げたwowakaとハチこと米津玄師。二人は単なる同時代の人気クリエイターではなく、互いの才能を認め合い、音楽活動の転換期を支え合った親友だった。米津玄師は2019年、wowakaの訃報を受けて公式ブログに追悼文を公開し、彼を「ライバルであり、親友であり、どこか兄のようでもあった」と表現している。
二人の関係をたどると、2009年のニコニコ動画での出会い、2011年のレーベルBALLOOMでの作品発表、ボカロPからバンド・ソロアーティストへの転身という共通点が浮かび上がる。さらに2024年には『wowaka 歌詞集』に米津玄師が寄稿。2026年現在も、wowakaの音楽はヒトリエの活動や後世のアーティストに受け継がれている。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 二人の関係:2009年ごろニコニコ動画で出会い、互いの音楽を尊敬し合った親友であり音楽仲間。
- 共通の転換点:BALLOOMに参加し、wowakaは『アンハッピーリフレイン』、米津玄師は『diorama』を発表した。
- 追悼と現在:米津玄師は2019年に追悼文を公開。2024年には歌詞集に寄稿し、ヒトリエも2026年現在まで活動を続けている。
【結論】wowakaと米津玄師はどんな関係?ライバルであり親友だった二人
wowakaと米津玄師の関係を一言で表すなら、同じ時代のインターネット音楽シーンから登場し、互いを刺激しながら成長した音楽仲間であり、プライベートでも親交の深かった親友である。
wowakaはボカロPとして「現実逃避P」とも呼ばれ、初音ミクを使用した独創的な楽曲を発表していた。一方、米津玄師は「ハチ」という名義でニコニコ動画に楽曲を投稿し、独特の物語性と中毒性のあるサウンドで人気を集めていた。
二人の共通点は、単に同じVOCALOID文化に参加していたことだけではない。インターネット上で自分の音楽を発表し、従来の音楽業界の仕組みに頼らず、作品そのものによってリスナーを獲得していった点にある。
米津玄師が2019年4月10日に公式ブログで公開した追悼文には、wowakaとの関係を理解するうえで重要な言葉が残されている。
僕にとって彼はライバルであり、親友であり、どこか兄のようでもあった。
――米津玄師、公式DIARY「野暮」2019年4月10日
ただし、ここでいうライバルは、二人が公に競争関係を宣言していたという意味ではない。米津自身が、同じ時期に活動を始めたwowakaを「彼にだけは負けたくない」と勝手にライバル視していたと振り返っている。
その一方で、米津はwowakaを深く尊敬し、多大な音楽的影響を受けたとも明かした。競争心と尊敬が同居し、さらに日常的に酒を飲みながら語り合う関係だったことが、二人の友情を特徴づけている。
【2009年の出会い】wowakaとハチがニコニコ動画で交差した瞬間

二人の接点を理解するには、2009年のニコニコ動画を振り返る必要がある。
当時は初音ミクをはじめとするVOCALOIDを使い、個人クリエイターが自作曲を動画サイトに投稿する文化が急速に広がっていた。作曲、編曲、イラスト、映像制作まで個人で手がけるクリエイターも珍しくなく、無名の投稿者が一曲をきっかけに多くのリスナーを獲得する環境が形成されていた。
wowakaの初投稿は2009年5月11日
wowakaがニコニコ動画に投稿した最初のVOCALOID楽曲は、初音ミクを使用した「グレーゾーンにて。」である。
投稿日は2009年5月11日。同作は、後にwowakaの特徴となる独特のリズム感や、言葉を畳みかけるような表現の出発点として知られる。
その後、「裏表ラバーズ」「ローリンガール」「ワールズエンド・ダンスホール」などを発表。高速のビート、密度の高いメロディー、切迫感のある歌詞によって、VOCALOIDロックの代表的なクリエイターとなった。
ハチこと米津玄師の初投稿は2009年5月20日
一方、米津玄師がハチ名義で最初に投稿した楽曲は「お姫様は電子音で眠る」。投稿日は2009年5月20日で、wowakaの初投稿からわずか9日後だった。
ハチはその後、「結ンデ開イテ羅刹ト骸」「マトリョシカ」「パンダヒーロー」などを発表する。楽曲の制作だけでなく、イラストや映像も自ら手がける表現スタイルが特徴だった。
二人の投稿開始時期がこれほど近かったことは、後の関係を考えるうえで重要なポイントだ。
ネット上で知り、即売会イベントで初めて対面
米津玄師の2019年の追悼文によると、wowakaと出会ったのは約10年前のニコニコ動画だった。
その後、即売会のイベントで実際に顔を合わせたという。二人ともシャイだったため、最初から親密に話し続けたわけではなかったが、少しずつ音楽について語り合うようになった。
米津は特にwowakaの「ワールズエンド・ダンスホール」を初めて聴いた際の衝撃を振り返っている。食事ができなくなるほどの刺激を受けたというエピソードからも、同業者としてのwowakaへの強い敬意が伝わる。
二人の関係とキャリアを整理した年表
| 時期 | wowaka | 米津玄師(ハチ) | 二人の接点 |
|---|---|---|---|
| 2009年5月 | 「グレーゾーンにて。」を投稿 | 「お姫様は電子音で眠る」を投稿 | ニコニコ動画でほぼ同時期に活動開始 |
| 2010年 | 「ローリンガール」などで人気を拡大 | 「マトリョシカ」などを発表 | ボカロシーンを代表する存在へ |
| 2011年 | 『アンハッピーリフレイン』を発売 | BALLOOMの発足メンバーとして参加 | 共通のレーベルで活動 |
| 2012年 | ヒトリエとして本格始動 | ソロ名義の『diorama』を発売 | それぞれ異なる音楽活動へ移行 |
| 2017年 | 「アンノウン・マザーグース」を発表 | ソロアーティストとして活動 | wowakaがVOCALOID楽曲を再び発表 |
| 2019年 | 4月5日に31歳で逝去 | 4月10日に公式ブログで追悼 | 友情と尊敬を公に振り返る |
| 2024年 | 『wowaka 歌詞集』が発売 | 帯コメントと寄稿文を提供 | 作品を通じて交流の記憶が継承 |
| 2025〜2026年 | 楽曲がヒトリエの活動で演奏され続ける | ソロ活動を世界規模で展開 | それぞれの音楽的功績が現在まで続く |
【BALLOOMの共通点】アンハッピーリフレインとdioramaが結んだ二人
wowakaと米津玄師の関係を語るうえで外せないのが、インターネット発の音楽レーベルBALLOOM(バルーム)である。
2011年、ネット上で音楽を発表していたクリエイターたちが中心となってBALLOOMを設立した。発足メンバーには、ハチ、wowaka、古川本舗、とく、アゴアニキ、OSTER"BIGBAND"project、ナノウ、すこっぷらが名を連ねている。
当時の音楽シーンでは、動画サイトで人気を得たクリエイターが、その後どのようにCDや全国流通作品を発表していくかが大きなテーマになっていた。BALLOOMは、ネット発の才能が自分たちの作品を商業的な流通へ展開していくための新しい試みだった。
wowakaの『アンハッピーリフレイン』
BALLOOMの第1弾作品として2011年5月18日に発売されたのが、wowakaの2枚組アルバム『アンハッピーリフレイン』である。
同作には、ニコニコ動画で人気を集めた楽曲や新曲を含むVOCALOID作品が収録された。さらに、別のクリエイターによるリミックスを収めたディスクも付属している。
代表曲「ローリンガール」「裏表ラバーズ」「ワールズエンド・ダンスホール」などをまとめた重要な作品であり、ボカロPとしてのwowakaの創作活動を総括する意味合いも持っていた。
実際、後年のインタビューでwowakaは、このアルバムによって自分の活動をまとめきった感覚があったと語っている。
米津玄師の『diorama』も同じレーベルから発売
米津玄師は2012年5月16日、初のソロアルバム『diorama』をリリースした。
この作品もBALLOOMから発売されている。ハチ名義でVOCALOID楽曲を制作してきた米津が、自分自身の声で歌うソロアーティストとして新しい一歩を踏み出した作品だ。
公式プロフィールによると、『diorama』では作詞、作曲、アレンジ、プログラミング、歌唱、演奏、ミックスまで幅広い制作工程を米津自身が担当している。
つまり、wowakaの『アンハッピーリフレイン』と米津の『diorama』は、同じレーベルのもとで発表された、二人のキャリアの転換点を象徴する作品なのである。
ただし、二人が同じレーベルに所属していたことと、二人で共同制作のユニットを組んでいたことは別の話だ。BALLOOMという共通の場所に集まりながら、それぞれ独立した音楽表現を追求していた。
【音楽的影響を比較】ローリンガールとマトリョシカに見る二人の個性
wowakaと米津玄師は同じ時代に活動を始めたが、音楽の方向性はそれぞれ異なっていた。二人の作品を比較すると、当時のVOCALOIDシーンがどれほど多様な表現を生み出していたかが分かる。
wowakaの音楽性:高速ビートと感情を圧縮した言葉
wowakaの代表曲として挙げられるのが「ローリンガール」「裏表ラバーズ」「ワールズエンド・ダンスホール」「アンハッピーリフレイン」だ。
特徴は、目まぐるしく展開するリズム、音数の多いギターサウンド、早口で畳みかけるような歌詞にある。
一見すると機械的でスピード感のある音楽だが、その内側には強い焦燥感や葛藤が込められている。初音ミクという電子的な歌声を使いながら、人間の複雑な感情を表現していた点が革新的だった。
音楽メディアのReal Soundは、wowakaの楽曲について、NUMBER GIRLやTHE BACK HORNなどのロックから受けた影響をVOCALOIDの表現に持ち込んだことを重要な特徴として分析している。
ハチの音楽性:物語性と映像を融合させた世界観
ハチ名義の米津玄師は、wowakaとは違った方向からVOCALOID文化に新しい表現を持ち込んだ。
「結ンデ開イテ羅刹ト骸」「マトリョシカ」「パンダヒーロー」「ドーナツホール」などには、独特の物語性や奇妙な登場人物、印象的な言葉の組み合わせが見られる。
さらに、ハチは楽曲だけでなくイラストや映像も自ら制作していた。歌詞に直接書かれていない文章を映像に取り入れるなど、音楽と映像を一体化させた表現が特徴だった。
そのため、wowakaが高速なロックサウンドと感情の衝突によって聴き手を引き込むタイプだとすれば、ハチは物語や映像の仕掛けによって作品の世界へ誘うタイプだったと整理できる。
米津玄師が認めたwowakaからの音楽的影響
二人の音楽的関係を考えるうえで最も重要なのは、米津自身がwowakaから大きな影響を受けたと明言していることだ。
2019年の公式ブログでは、wowakaの音楽を聴いたときの衝撃や、同じ時期に活動を始めた相手だからこその対抗心について率直に書いている。
特に「ワールズエンド・ダンスホール」は、米津に強烈な印象を残した作品だった。
ここから読み取れるのは、音楽的影響とは必ずしも作風をそのまま模倣することではないという点だ。米津はwowakaと同じ方向へ進むのではなく、自分自身の音楽性を発展させていった。
二人の作品に共通しているのは、VOCALOIDを単なる歌唱ソフトとして扱わず、自分の表現を実現するための重要な手段として使っていたことだろう。
「アンノウン・マザーグース」が示したwowakaの原点
2017年、wowakaは初音ミク10周年を記念したコンピレーションアルバム『HATSUNE MIKU 10th Anniversary Album「Re:Start」』に「アンノウン・マザーグース」を提供した。
これは、VOCALOID楽曲として約6年ぶりの新作だった。
すでにヒトリエのボーカル・ギターとして活動していたwowakaが、再び初音ミクのために楽曲を制作したことは大きな意味を持つ。
同年10月にはヒトリエによるバンドバージョンも配信され、公式プロフィールによれば、iTunesロックチャートで即日1位を獲得した。
VOCALOIDと生身のバンド。その両方で成立する作品を作り上げたことは、wowakaの音楽的な幅広さを示す出来事だった。
【ヒトリエ結成の経緯】wowakaがボカロPからバンドマンへ転身した理由
wowakaと米津玄師は、ボカロPとして人気を獲得した後、ほぼ同じ時期に自分自身の声で音楽を届ける方向へ進んだ。ただし、その選択は対照的だった。
米津玄師がソロアーティストとして活動を展開した一方、wowakaはバンドという形態を選んだ。
2011年に「ひとりアトリエ」を結成
ヒトリエの前身となる「ひとりアトリエ」は、2011年にwowakaを中心として結成された。
メンバーはwowaka(ボーカル・ギター)、イガラシ(ベース)、ゆーまお(ドラム)。2012年にはシノダがギター・コーラスとして加入し、4人組バンドとして本格的に活動を開始した。
ヒトリエ結成の背景には、wowaka自身がバンドという形態で音楽を表現したいという思いがあった。
2015年のクランクインのインタビューでは、過去のバンド活動で自分の意見を十分に主張できず、自然消滅してしまった経験や、kzの「Last Night, Good Night」を聴いたことがVOCALOID制作のきっかけになったと振り返っている。
また、2014年のSkream!のインタビューでは、『アンハッピーリフレイン』で一度活動をまとめた感覚があり、その後の方向性を考えたことを説明している。
VOCALOIDでの活動では、自分の肉体が伴わない形で楽曲が広がっていく感覚もあったという。自分自身の声と演奏で音楽を表現することは、その距離を埋めるための選択でもあった。
米津玄師はソロ、wowakaはバンドという道へ
この転身について、米津玄師は追悼文の中で、二人がほぼ同じ時期にVOCALOIDから一度離れ、自分の声で歌うようになったと振り返っている。
同じような境遇の人間が周囲にほとんどいなかったこともあり、二人は飲みに行って音楽や日常の話をするようになった。
この点は、二人の友情を理解するうえで重要だ。
単に同じジャンルで成功したクリエイター同士ではなく、ネット発の音楽活動から次のステージへ進もうとする不安や迷いを共有できる存在だったのである。
2014年、ヒトリエがメジャーデビュー
ヒトリエは2012年12月に自主制作ミニアルバム『ルームシック・ガールズエスケープ』を発表。2013年には自主制作EP『non-fiction four e.p.』をリリースした。
そして2014年1月22日、メジャー1stシングル『センスレス・ワンダー』を発売。バンドとして本格的なメジャー活動をスタートさせた。
その後も『WONDER and WONDER』『DEEPER』『IKI』『HOWLS』などを発表。wowakaの作曲センスと、メンバーそれぞれの演奏力が組み合わさった独自のロックサウンドを確立していった。
【2019年の追悼コメント】米津玄師がwowakaの死去に寄せた言葉
2019年4月5日、ヒトリエのボーカル・ギターを務めていたwowakaが急性心不全のため亡くなった。享年31歳だった。
ヒトリエの公式発表は4月8日に公開され、突然の訃報に対するメンバーやスタッフの深い悲しみが伝えられた。
当時のヒトリエは、同年2月27日にアルバム『HOWLS』を発売し、全国ツアーを行っている最中だった。ツアーの中止やイベント出演のキャンセルも発表され、音楽シーンに大きな衝撃が広がった。
4月10日、米津玄師が公式ブログで追悼文を公開
米津玄師は2019年4月10日、公式DIARYに「野暮」というタイトルの文章を掲載した。
冒頭では、こうした文章を書くことをためらったものの、気持ちを整理するために書きたいと考えたことを明かしている。
その文章には、二人が初めて知り合ったニコニコ動画での記憶、即売会イベントでの対面、音楽について語り合った時間などが記されていた。
週2〜3回飲みに行くほど深まっていた友情
追悼文の中でも特に印象的なのが、二人の日常を振り返った部分だ。
米津によると、年を重ねるにつれて飲みに行く頻度が増え、亡くなる直前の時期には週2〜3回ほど一緒に酒を飲んでいたという。
財布が同じデザインだったことが分かって驚いたり、雑誌の対談で色違いの同じ靴を履いていることに気づいて笑い合ったりしたエピソードも紹介されている。
さらに、LAMP IN TERRENの大ちゃんを交えた3人で飲む時間を「チルモード」と呼んで楽しんでいたことも明かした。
こうした記述から分かるのは、二人の交流が仕事上の付き合いだけではなかったということだ。音楽の話だけでなく、何気ない日常を共有する関係だった。
「なんとかできなかったのかな」という後悔
米津の追悼文には、wowakaを失ったことへの深い喪失感も表れている。
もう一度本人が現れて、いつものように「ハチくん」と声をかけてくれるのではないか。そんな思いを抱いていることを率直に書いていた。
そして、最後には二人で行こうと話していた免許取得や海に行く計画が実現しなかったことにも触れている。
この追悼文が多くの人の心に残った理由は、著名なアーティストによる形式的な追悼コメントではなく、一人の友人を失った人間の言葉として書かれていたからだろう。
米津玄師にとってwowakaは、音楽的なライバルであると同時に、日常を共有し、互いの人生の変化を理解できるかけがえのない存在だった。
【2024〜2026年の現在】wowakaの功績と米津玄師とのつながりは続いている
wowakaは2019年に亡くなったが、その作品は現在も音楽シーンに残り続けている。特に2024年以降は、歌詞集の発売や未発表曲のリリースなど、作品を後世へ伝える動きが進んだ。
2024年5月11日『wowaka 歌詞集』発売
2024年5月11日、KADOKAWAから『wowaka 歌詞集』が発売された。
この日は、wowakaがVOCALOID楽曲を初投稿してから15周年にあたる日でもあった。
同書には、ボカロ楽曲からヒトリエの楽曲まで80曲以上の歌詞が掲載され、未発表楽曲「NOTOK」の歌詞や貴重な手稿、写真なども収録された。
さらに、wowakaと親交の深かった5人のアーティストが寄稿。その中に米津玄師(ハチ)の名前も含まれていた。
米津玄師が帯コメントと寄稿文を提供
2024年4月16日、米津玄師の公式サイトは『wowaka 歌詞集』への帯コメントと寄稿文の提供を発表した。
公開された帯コメントは、次の短い一文だった。
wowakaさんと出会えてよかったです。
――米津玄師 ハチ
この言葉は、2019年の追悼文から5年が経過しても、wowakaとの出会いを大切に思っていることを感じさせる。
また、寄稿者には、じん、田淵智也(UNISON SQUARE GARDEN)、ピノキオピー、堀江晶太(kemu)らも名を連ねた。
ボカロシーンを支えてきたクリエイターたちが一冊の本に集まり、wowakaの作品と人柄を伝える機会となった。
2024年11月、未発表曲「NOTOK」が音源化
ヒトリエは2024年11月6日、wowakaがボーカルと作詞・作曲を担当した未発表曲「NOTOK」を配信リリースした。
さらに11月27日には、同曲をリードトラックとするCD作品を発売。カップリングには、wowaka作曲の未発表曲「daybreak seeker」や、「ワールズエンド・ダンスホール」「テノヒラ」の新録音も収録された。
「daybreak seeker」は『HOWLS』のレコーディング時期に録音された音源で、後にシノダが作詞・歌唱を担当した作品である。
これは、wowakaの過去の音源を単に保存するだけでなく、残されたメンバーが新しい形で作品を完成させていく取り組みでもある。
2025年、ヒトリエはメジャーデビュー10周年を迎える
ヒトリエは2025年1月22日、メジャーデビュー10周年を記念したフルアルバム『Friend Chord』をリリースした。
同年には全国13公演とアジア6公演を巡るツアー「ヒトリエFreaky Friendship Tour 2025」を開催。中国や台湾の音楽フェスにも出演した。
さらに「初音ミクシンフォニー2025」の横浜・神戸公演では、フルオーケストラとの初共演を実現。「wowaka楽曲メドレー」と「アンノウン・マザーグース」を演奏している。
バンドとして新しい音楽を発表しながら、wowakaが残した作品も演奏し続けていることが分かる。
2026年、二人はそれぞれの場所で音楽を届けている
2026年10月31日時点で、ヒトリエはシノダ、イガラシ、ゆーまおの3人体制で活動を継続している。
公式スケジュールには、2026年11月の「HITORI-ESCAPE ASIA TOUR」台北公演や、12月のライブ出演などが掲載されている。wowakaの死去によってバンドが活動を終えることはなく、残されたメンバーがその音楽的な歩みを引き継いできた。
一方、米津玄師もソロアーティストとして精力的に活動している。2026年にはNHKサッカーテーマ「烏」を発表し、映画『キングダム 魂の決戦』主題歌「夜鷹」もリリースした。
さらに、2026年11月から12月にかけての「米津玄師 2026 TOUR / GHOST」と、2026年12月から2027年2月にかけてのワールドツアーも発表されている。
現在の二人を同じステージで見ることはできない。しかし、米津玄師の作品と発言、ヒトリエの活動、そしてwowakaの楽曲が受け継がれている事実を通して、二人が築いた音楽的なつながりを今も感じ取ることができる。
【よくある質問】wowakaと米津玄師の関係に関するFAQ
Q1:wowakaと米津玄師は本当に親友だった?
A1:はい。米津玄師は2019年の公式追悼文で、wowakaを「ライバルであり、親友であり、どこか兄のようでもあった」と表現している。週2〜3回飲みに行くこともあったと明かしており、仕事だけでなくプライベートでも親しい関係だった。
Q2:wowakaとハチこと米津玄師はいつ出会った?
A2:米津玄師の公式ブログによると、約10年前のニコニコ動画で出会った。wowakaの初投稿は2009年5月11日、ハチの初投稿は同年5月20日。その後、即売会イベントで実際に顔を合わせ、交流を深めた。
Q3:wowakaと米津玄師は同じレーベルに所属していた?
A3:はい。二人は2011年に発足したBALLOOMの参加クリエイターだった。wowakaは『アンハッピーリフレイン』、米津玄師は『diorama』を同レーベルから発売している。
Q4:米津玄師はwowakaの死去にどんなコメントを出した?
A4:2019年4月10日、公式ブログに「野暮」というタイトルの追悼文を公開した。二人の出会いや音楽への尊敬、飲みに行った思い出などを記し、wowakaをライバルであり親友だったと振り返った。
Q5:米津玄師は『wowaka 歌詞集』に寄稿した?
A5:はい。2024年5月11日発売の『wowaka 歌詞集』に寄稿文を提供した。また、帯には「wowakaさんと出会えてよかったです」というコメントが掲載された。
Q6:wowakaの代表曲には何がある?
A6:「ローリンガール」「裏表ラバーズ」「ワールズエンド・ダンスホール」「アンハッピーリフレイン」「アンノウン・マザーグース」などが代表的な作品として知られている。
Q7:2026年現在、ヒトリエは活動している?
A7:活動している。現在はシノダ、イガラシ、ゆーまおの3人体制で、ライブや作品発表を続けている。2025年には『Friend Chord』を発売し、2026年も国内外のライブ活動が予定されている。
まとめ:【プロの結論】wowakaと米津玄師が残したものは友情と音楽の継承
wowakaと米津玄師の関係は、単なる同時代のボカロPという枠には収まらない。
2009年、ニコニコ動画でほぼ同時に活動を始めた二人は、互いの才能に刺激を受けながら成長した。2011年にはBALLOOMで作品を発表し、その後はwowakaがヒトリエ、米津玄師がソロアーティストという異なる道を選んだ。
それでも二人の交流は続き、音楽の話だけでなく、酒を飲んだり、何気ない日常を共有したりする親友になっていった。
2019年のwowakaの逝去は、米津玄師だけでなく、ヒトリエのメンバーや多くの音楽ファンにとって大きな喪失だった。しかし、2024年の歌詞集への寄稿や未発表曲のリリース、2025年のヒトリエによる記念公演など、作品を未来へつなぐ活動は続いている。
この二人の関係を理解するために押さえておきたいのは、次の3点だ。
- 出会い:2009年のニコニコ動画で活動を始め、音楽的な刺激を与え合った。
- 友情:米津玄師自身がライバル、親友、兄のような存在だったと語っている。
- 功績:wowakaの楽曲はヒトリエやVOCALOID文化に受け継がれ、米津玄師も第一線で独自の音楽を発展させている。
二人の関係を最も端的に表しているのは、2019年の追悼文と2024年の「wowakaさんと出会えてよかったです」という言葉だ。
ライバルとして憧れ、友人として時間を共有し、最後までその才能を尊敬していた。wowakaと米津玄師の関係は、2009年のボカロ文化が生んだ、音楽史に残る友情の一つである。
主な根拠資料・確認先
- 米津玄師公式DIARY「野暮」(2019年4月10日)
- ヒトリエ公式プロフィール・活動年表
- Real Sound・ぴあ音楽によるwowakaとハチの音楽史分析
- BALLOOM設立に関するマイナビニュースの報道
- 米津玄師公式サイト「wowaka 歌詞集」寄稿発表
- KADOKAWA『wowaka 歌詞集』書誌情報
- 米津玄師・ヒトリエの2026年公式活動情報