【尊属殺人事件の経緯】14歳から続いた父親による虐待と事件の背景
この事件の被告人は、判決文で仮名「甲野乙子」と記された女性です。事件当時29歳で、父親と同居していました。
裁判で明らかになったのは、長期間にわたる父親の性的虐待と、そこから逃れようとしても逃れられなかった女性の境遇でした。
中学2年生のころから始まった父親の性的虐待

宇都宮地方裁判所の第一審判決によると、被告人は1939年生まれで、1953年3月、満14歳になったばかりの中学2年生のころ、実父から性的暴行を受けました。
その後も父親による行為は繰り返されました。約1年後、女性は母親に被害を打ち明けています。
母親は父親を問い詰め、行為をやめさせようとしました。しかし、父親は応じず、母親に対して暴力や脅迫を加えるようになりました。
母親は娘を連れて逃げようとしたものの、父親は娘を探し出して連れ戻しました。最終的に母親はほかの子どもたちを連れて家を離れ、娘は父親のもとに残されることになります。
父親との間に5人の子どもが生まれる

女性はその後、父親との生活から逃れることを断念する状況に追い込まれました。
裁判記録によれば、女性は父親との間に5人の子どもを出産しています。そのうち2人は幼くして亡くなりました。
父親は女性を妻のように扱い、周囲からは一見すると通常の夫婦のように見える生活を送っていました。
しかし、その実態は、父親による性的虐待を起点とした支配的な関係でした。
職場で出会った男性との結婚が転機になる

女性は1964年8月ごろから印刷所で働き始めます。
家庭内に閉じ込められていた生活から離れ、職場で人間関係を築くなかで、自分の置かれた境遇を改めて認識するようになりました。
1967年ごろには、同じ職場で働く22歳の男性と知り合います。二人は交際するようになり、1968年9月ごろには結婚を約束する関係になっていました。
女性にとって、それは長年続いた父親との関係を断ち切り、自分自身の人生を取り戻す機会でした。
しかし、父親は結婚に反対します。
1968年9月25日、女性が結婚について父親に相談すると、父親は態度を変え、相手の男性を脅すような言動を見せました。
翌日以降、女性は外出や職場への出勤を制限され、父親から脅迫や性的虐待を受け続けました。
1968年10月5日、事件が発生
長期間の虐待に加え、結婚を妨害され、外部との連絡まで制限された女性は、精神的にも肉体的にも追い詰められていました。
そして、1968年10月5日夜、栃木県矢板市の市営住宅で父親を殺害しました。
事件当時、父親は53歳、女性は29歳でした。
女性は事件後に自首しています。
この事件を理解するうえで重要なのは、殺害行為だけを切り取るのではなく、その前に何が起きていたのかを確認することです。
父親による性的虐待、長期間の支配、結婚の妨害、脅迫という事情が、後の刑事裁判で詳細に検討されました。
【裁判の経緯】地裁・高裁・最高裁で判断が分かれた理由
尊属殺人事件が歴史的な憲法判例になった理由は、刑事裁判の過程で刑法200条の合憲性が正面から争われたことにあります。
特に注目すべきなのは、第一審と控訴審で判断が分かれた点です。
三つの裁判所による判断
第一審・1969年5月29日
宇都宮地方裁判所刑の免除
過剰防衛を認め、さらに旧刑法200条は憲法14条に違反して無効と判断。
控訴審・1970年5月12日
東京高等裁判所懲役3年6月
第一審を破棄。過剰防衛を否定し、刑法200条を適用。心神耗弱は認めた。
上告審・1973年4月4日
最高裁判所大法廷懲役2年6月
旧刑法200条を違憲無効と判断。刑法199条を適用し、3年間の執行猶予を付した。
判決の変遷を時系列で整理
第一審では、父親による継続的な侵害に対する防衛行為だったものの、殺害という手段は相当性を超えていたとして、過剰防衛が認定されました。
一方、東京高裁は、事件当時の状況について急迫不正の侵害があったとは認めず、過剰防衛も否定しました。ただし、女性が心神耗弱の状態にあったことは認めています。
最高裁は、控訴審の判決を破棄し、刑法200条の適用を否定しました。
ここで重要なのは、最高裁が無罪を言い渡したわけではないという点です。殺人行為自体は犯罪として認定され、普通殺人罪に当たる刑法199条によって処罰されました。
【1973年4月4日の最高裁判決】憲法14条違反と判断した理由
1973年4月4日、最高裁判所大法廷は、昭和45年(あ)第1310号の尊属殺人被告事件について判決を言い渡しました。
この判決は、一般に「尊属殺重罰規定違憲判決」と呼ばれています。
争点は、親を殺害した場合に普通殺人よりも著しく重い刑を科す旧刑法200条が、憲法14条1項の法の下の平等に反するかどうかでした。
旧刑法200条と199条の刑罰の違い
当時の法律では、普通殺人と尊属殺人で法定刑が大きく異なっていました。
| 比較項目 | 普通殺人・旧199条 | 尊属殺人・旧200条 |
|---|---|---|
| 法定刑 | 死刑・無期・3年以上の有期懲役 | 死刑・無期懲役のみ |
| 有期刑の選択 | 可能 | 不可能 |
| 執行猶予 | 条件を満たせば可能 | 原則として不可能 |
| 適用対象 | 人を殺害した者 | 自己または配偶者の直系尊属を殺害した者 |
特に大きな問題となったのは、尊属殺人では有期懲役刑を選べなかったことです。
最高裁の判決文によると、法律上可能な2回の減軽を行ったとしても、処断刑の下限は懲役3年6月でした。
当時、執行猶予を付けられるのは原則として3年以下の懲役などに限られていたため、どれほど酌量すべき事情があっても、尊属殺人罪では執行猶予を付けることができませんでした。
つまり、事件の背景や加害者が置かれていた状況を十分に考慮した刑罰を科すことが、法律上極めて困難だったのです。
最高裁が示した三つの判断
最高裁の多数意見は、次のような論理で判断しました。
1.尊属を尊重するという立法目的には一定の合理性がある
最高裁は、親や祖父母などの直系尊属を尊重する倫理観を刑法によって保護すること自体は、直ちに不合理とはいえないとしました。
したがって、尊属殺人を普通殺人と区別して扱うこと自体が、当然に違憲になるわけではないという立場です。
2.しかし、刑罰の加重には限度がある
問題は、刑罰の重さでした。
尊属殺人の法定刑を死刑または無期懲役だけに限定することは、立法目的を実現するために必要な範囲を大幅に超えていました。
特に、個別の事情に応じた量刑ができないという点が重大な問題とされました。
3.刑法200条は憲法14条1項に違反する
最高裁は、親族関係を理由とする差別的な取り扱いについて、合理的な根拠がなければ許されないと判断しました。
そして、旧刑法200条の極端な重罰規定は、普通殺人罪との比較で著しく不合理な差別に当たり、憲法14条1項に違反すると結論づけました。
判決の核心 「刑法200条は、憲法14条1項に違反して無効である」 最高裁判所大法廷・昭和48年4月4日判決の趣旨
憲法14条の「法の下の平等」とは何か
憲法14条1項は、すべての国民が法の下に平等であることを定めています。
この規定は、人種、信条、性別、社会的身分、門地などを理由とする不合理な差別を禁止するものです。
ただし、法の下の平等は、あらゆる人を常に同じように扱わなければならないという意味ではありません。
事柄の性質に応じた合理的な理由があれば、異なる取り扱いが認められる場合もあります。
尊属殺重罰規定違憲判決の重要性は、単に親族間の刑罰の違いを問題にしただけではありません。
立法目的に一定の合理性があっても、その目的を達成するための手段が極端であれば、憲法違反になり得るという考え方を明確に示した点にあります。
【尊属殺重罰規定の反対意見】裁判官の間でも見解は分かれていた
1973年の判決では、刑法200条を違憲とする結論に至るまで、裁判官の間で複数の法的見解が示されました。
判決文には、岡原昌男裁判官の補足意見、田中二郎裁判官らの意見、下田武三裁判官の反対意見が記録されています。
ここは、判決の意味を正確に理解するうえで見落とせない部分です。
田中二郎裁判官らの意見は多数意見より踏み込んでいた
田中二郎裁判官は、刑法200条が違憲であるという結論には賛成しながら、多数意見の理由とは異なる立場を示しました。
多数意見は、尊属殺人を特別に扱う立法目的そのものには合理性があり得るとしました。
これに対して田中裁判官は、親であることを理由に普通殺人と区別して特別な犯罪類型を設けること自体が、憲法14条1項に反すると考えました。
つまり、問題は刑罰の重さだけではなく、親子という身分関係を根拠に刑法上の差別を設けることそのものにあるという考え方です。
この考え方は、尊属殺人だけでなく、尊属傷害致死や尊属遺棄などの加重規定にも及ぶものでした。
下田武三裁判官の反対意見
一方、下田武三裁判官は、多数意見に反対しました。
その主な理由は二つあります。
- 尊属・卑属という親族関係は、憲法14条が問題とする社会的身分には該当しないという考え方。
- 法定刑の設定は基本的に国会の立法裁量に属するため、裁判所が刑罰の重さを理由に違憲とすることには慎重であるべきという考え方。
下田裁判官は、親を殺害する行為を通常の殺人より重く処罰することには合理性があり、刑法200条を違憲とする必要はないとしました。
意見の違いを比較
| 裁判官・立場 | 主な考え方 |
|---|---|
| 多数意見 | 尊属殺の特別扱いは直ちに違憲ではないが、刑罰の加重が極端で違憲 |
| 田中二郎裁判官らの意見 | 尊属殺という特別な犯罪類型を設けること自体が不合理な差別 |
| 下田武三裁判官の反対意見 | 親族関係による区別は憲法14条違反ではなく、立法府の判断を尊重すべき |
この対立から分かるのは、尊属殺人事件が単なる刑罰の重さをめぐる裁判ではなかったということです。
家族関係における道徳、個人の尊厳、平等原則、そして司法と立法の役割という、日本の憲法秩序の根本に関わる問題が議論されていました。
【1995年の刑法改正】違憲判決から22年後に尊属殺人罪が廃止
1973年の最高裁判決によって、刑法200条は違憲無効とされました。
しかし、ここで注意したいのは、最高裁の違憲判決と法律の条文そのものの削除は、別の出来事だということです。
判決によって刑法200条は適用できなくなりましたが、条文が刑法から正式に削除されたのは1995年でした。
違憲判決後も条文が残っていた理由
最高裁の判断後、尊属殺人罪を適用することはできなくなりました。
一方、刑法の条文を正式に削除するかどうかは、国会による法改正の問題です。
法務省は、最高裁の違憲判決後、尊属殺人事件の実態や社会一般の評価、裁判例などを検討していました。
1995年の参議院本会議における政府答弁では、尊属殺規定について、実態や量刑の状況を調査し、法制審議会の答申も踏まえて削除する方針が説明されています。
1995年5月、刑法改正が成立
正式な改正は次のように進みました。
- 1995年3月14日:内閣が刑法改正案を国会に提出。
- 1995年4月28日:改正法が成立。
- 1995年5月12日:平成7年法律第91号として公布。
- 1995年6月1日:改正法が施行。
この改正によって、刑法200条の尊属殺人規定だけでなく、尊属傷害致死、尊属遺棄、尊属逮捕監禁などに関する尊属加重規定も削除されました。
違憲判決と正式廃止の違い
| 項目 | 1973年 | 1995年 |
|---|---|---|
| 主体 | 最高裁判所 | 国会 |
| 内容 | 刑法200条を違憲無効と判断 | 刑法200条を正式に削除 |
| 意味 | 裁判で適用できなくなる | 法律の条文自体がなくなる |
この22年間の隔たりは、司法による違憲判断と立法による法改正が、それぞれ異なる役割を持っていることを示しています。
【2026年現在の法律】親を殺害した場合は刑法199条が適用される
2026年現在、日本の刑法には独立した尊属殺人罪は存在しません。
父親や母親、祖父母などの直系尊属を殺害した場合も、基本的には刑法199条の殺人罪が適用されます。
現行の刑法199条の内容
2026年10月時点の刑法199条は、次のように定めています。
人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の拘禁刑に処する。
つまり、被害者が親であるという理由だけで、法律上、自動的に刑罰が加重される制度はありません。
殺人罪の法定刑は、被害者が親であっても、他人であっても、刑法199条を基本として判断されます。
2025年から導入された拘禁刑にも注目
2026年現在の法律を理解するうえでは、2025年6月1日に施行された拘禁刑制度にも触れておく必要があります。
それまでの懲役刑と禁錮刑は廃止され、新たに拘禁刑が創設されました。
拘禁刑は、刑事施設に収容する刑罰であり、受刑者の特性に応じて改善更生に必要な作業や指導を行うことができる制度です。
そのため、1973年の判決に登場する「懲役2年6月」という刑罰表記と、2026年現在の法律に記載される「拘禁刑」は区別して理解する必要があります。
現在の法律と1973年当時の法律の違い
| 比較項目 | 1973年当時 | 2026年現在 |
|---|---|---|
| 尊属殺人の独立規定 | 旧200条が存在 | 削除済み |
| 親を殺害した場合 | 旧200条が問題となった | 199条を適用 |
| 普通殺人の法定刑 | 死刑・無期・3年以上の懲役 | 死刑・無期・5年以上の拘禁刑 |
| 親族関係による自動的な加重 | 旧200条で規定 | 特別な加重規定なし |
| 量刑 | 旧200条の厳しい制約 | 個別事情を踏まえて判断 |
ただし、親族関係が量刑上まったく考慮されないという意味ではありません。
殺人事件では、動機、犯行に至る経緯、被害者との関係、被告人の状況など、さまざまな事情が個別に検討されます。
例えば、親による虐待を背景に発生した事件と、特段の事情なく親を殺害した事件とでは、具体的な情状が異なります。
現在の法律では、親を殺害したという身分関係だけで特別な刑罰を科すのではなく、事件ごとの事情に応じて判断する仕組みになっています。
【尊属殺人事件で誤解されやすい7つのポイント】
この事件は、憲法判例や刑法改正の解説で取り上げられる一方、事件そのものと法律上の判断が混同されることがあります。
特に重要なのは次の点です。
1.最高裁は女性を無罪にしたのか?
いいえ。最高裁は殺害行為について刑法199条を適用し、懲役2年6月、執行猶予3年としました。
2.尊属殺人そのものが違憲とされたのか?
多数意見が違憲としたのは、旧刑法200条の極端な重罰規定です。尊属殺という行為を犯罪として処罰すること自体を否定したわけではありません。
3.親への敬意を法律で守ることがすべて否定されたのか?
いいえ。多数意見は、尊属を尊重する倫理を保護する立法目的には一定の合理性があり得るとしました。問題は刑罰の加重が著しく不均衡だったことです。
4.1973年に刑法200条は削除されたのか?
いいえ。最高裁が違憲無効と判断したのは1973年で、条文の正式な削除は1995年です。
5.1995年以降、親を殺害しても普通の殺人と同じように必ず同じ刑になるのか?
いいえ。適用される基本的な犯罪類型は刑法199条ですが、具体的な刑罰は事件の動機や経緯などを踏まえて判断されます。
6.事件の背景は父親による虐待だったのか?
判決文には、14歳のころから続いた父親による性的虐待、結婚の妨害、脅迫、外出や就労の制限などが認定されています。これらは判決の量刑判断にも関係する重要な事情でした。
7.1973年の判決は現在も意味があるのか?
あります。刑罰の加重に合理性があるか、法律が個人の尊厳や平等を侵害していないかという問題を考えるうえで、現在も重要な憲法判例です。
【尊属殺人事件に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:尊属殺人事件はいつ起きた事件ですか?
1968年10月5日、栃木県矢板市で発生しました。14歳のころから父親による性的虐待を受けていた29歳の女性が、実父を殺害した事件です。
Q2:尊属殺重罰規定違憲判決はいつ出ましたか?
1973年4月4日です。最高裁判所大法廷が旧刑法200条について、憲法14条1項に違反し無効であると判断しました。
Q3:最高裁はなぜ刑法200条を違憲としたのですか?
尊属殺人の法定刑が死刑または無期懲役に限定され、普通殺人と比較して極端に重かったためです。事情に応じた適切な量刑や執行猶予が認められないことなどから、著しく不合理な差別と判断しました。
Q4:事件の被告人にはどのような判決が出ましたか?
最高裁は刑法199条を適用し、懲役2年6月、刑の執行猶予3年を言い渡しました。
Q5:尊属殺人罪が正式に廃止されたのはいつですか?
1995年6月1日です。平成7年法律第91号による刑法改正で、刑法200条を含む尊属加重規定が削除されました。
Q6:2026年現在、親を殺害すると何罪になりますか?
原則として刑法199条の殺人罪です。現行法の法定刑は死刑、無期拘禁刑、または5年以上の拘禁刑です。
Q7:尊属殺人事件は現在の司法試験や法律学習でも重要ですか?
重要な憲法判例です。憲法14条の平等原則、違憲立法審査権、刑罰の均衡、合理的な区別と不合理な差別の判断などを学ぶ際の代表的な事例として扱われています。
まとめ:尊属殺人事件が日本の刑法と憲法に残したもの
尊属殺人事件は、父親による長年の性的虐待を背景として発生した殺人事件であり、旧刑法200条の重罰規定のあり方を根本から問い直す裁判となりました。
1973年4月4日、最高裁判所大法廷は、尊属殺人の法定刑を死刑または無期懲役に限定することは、憲法14条1項が保障する法の下の平等に反すると判断しました。
その後、1995年の刑法改正によって尊属加重規定は正式に削除され、2026年現在、親を殺害した場合も刑法199条の殺人罪が適用されます。
この事件から学べる重要なポイントは、次の3つです。
- 家族関係だけで個人の法的な価値を上下させてはならないこと。
- 刑罰は立法目的に照らして合理的な範囲にとどめなければならないこと。
- 司法による違憲判断と国会による法律の改正は、それぞれ異なる役割を担っていること。
特に、この事件を単純な「親殺しの裁判」として理解するのは不十分です。被害者と加害者という立場だけでは捉えきれない家庭内の権力関係や、長期間の虐待によって追い詰められた人の状況を、刑事司法がどのように考慮すべきかという問題も浮かび上がります。
尊属殺人事件は、家族に対する道徳的な価値観よりも、個人の尊厳と法の下の平等を憲法上どのように保障するかを問いかけた、日本の司法史における重要な転換点です。