瀬尾まなほの現在は?結婚・夫・子供と瀬戸内寂聴との10年、2026年の活動を徹底解説

目次

瀬尾まなほさんは、作家・僧侶の瀬戸内寂聴さんの秘書として約10年間を共に過ごし、寂聴さんの晩年を支えた人物です。2021年に寂聴さんが亡くなった後も、執筆や講演活動を続け、困難を抱える若い女性を支援する「若草プロジェクト」の理事として活動しています。

2026年10月現在、注目したいのは、2025年に刊行したエッセイ『寂聴先生が残してくれたもの』と、2026年4月に愛媛県松山市で開催された講演会です。さらに、同年10月18日の若草プロジェクト主催シンポジウムでも、理事として登壇者に名前が掲載されました。私生活では2019年に結婚し、2人の男の子を育てる母親でもあります。

📌 【この記事の重要ポイントまとめ】

  • 現在:瀬戸内寂聴さんの元秘書としての経験を生かし、執筆・講演・社会活動を継続している。
  • 結婚・家族:2019年5月15日に年下男性と入籍。2025年の取材では、2人の男の子を育てる母親として紹介された。
  • 2026年の活動:4月の講演会や10月の若草プロジェクト主催シンポジウムなど、寂聴さんの思いを伝える活動を続けている。

【2026年最新】瀬尾まなほの現在は?仕事・家庭・活動を総まとめ

瀬尾まなほ

2026年の瀬尾まなほさんは、瀬戸内寂聴さんの元秘書という肩書だけにとどまらず、エッセイスト、講演者、若草プロジェクトの理事として活動しています。

2025年10月20日に公開された「たまひよONLINE」のインタビューでは、5歳と3歳の2人の男の子を育てながら、講演や執筆を通じて寂聴さんの文学や人柄を伝えていることが紹介されました。これは2025年9月時点の取材内容であり、2026年の現在の子どもたちの年齢とは区別する必要があります。

2026年4月には愛媛県松山市で講演会を開催

瀬尾まなほ

2026年4月26日、瀬尾さんは愛媛県松山市のマリベールスパイアで講演会を開催しました。エリシオンクラブの開講プレイベントとして行われたもので、テーマは「瀬戸内寂聴先生との10年間」です。

開催レポートによると、講演では寂聴さんとの出会い、秘書として過ごした日々、子どもたちと寂聴さんとの交流、人生に迷ったときにかけてもらった言葉などが語られました。

単なる著書の紹介ではなく、実際に10年間を共にした本人だからこそ伝えられるエピソードが講演の中心になっています。

2026年10月の若草プロジェクト主催シンポジウムにも登壇者として掲載

瀬尾まなほ

若草プロジェクト公式サイトでは、2026年10月18日に開催された「若草プロジェクト2026シンポジウム」のプログラムに、瀬尾まなほさんが理事として登壇することが案内されていました。

テーマは「寂聴先生と若草プロジェクトとわたし」。2016年の発足から10年という節目に、プロジェクトを引き受けた当時と現在について話す予定者として紹介されています。

2026年の活動から見えてくるのは、瀬尾さんが寂聴さんの思い出を語るだけでなく、寂聴さんが大切にしていた社会的な問題意識も引き継いでいるということです。

現在の活動を整理すると

  • エッセイや書籍の執筆
  • 瀬戸内寂聴さんに関する講演活動
  • 寂聴さんの文学や生き方の紹介
  • 若草プロジェクトの理事としての社会活動
  • 2人の子どもの子育てと仕事の両立

寂聴さんが亡くなったことで秘書としての仕事は一区切りを迎えましたが、現在はその経験を新しい形で社会に還元している段階です。

【検証資料 1】瀬尾まなほの当時の様子・関連報道写真(出典:Yahoo!ニュース)

【経歴・プロフィール】瀬尾まなほと京都外国語大学、寂庵での歩み

瀬尾まなほさんは1988年2月22日生まれ、兵庫県神戸市出身です。京都外国語大学の英米語学科を卒業後、瀬戸内寂聴さんが暮らしていた京都の寂庵に就職しました。

もともと文学界で活動していた人物でも、芸能界出身でもありません。大学卒業後に寂庵で働き始めたことが、人生を大きく変える転機になりました。

大学卒業後、寂庵に就職した経緯

2025年の「たまひよONLINE」のインタビューで、瀬尾さんは学生時代の就職活動について振り返っています。

当時は就職氷河期で、希望する仕事がなかなか決まらず、面接でも不採用が続いていたそうです。そんなとき、祇園のお茶屋でアルバイトをしていた友人から紹介を受け、瀬戸内寂聴さんの面接を受けることになりました。

採用後は事務職として寂庵で働き始めます。最初から著名作家の専属秘書として採用されたわけではありません。

その後、2013年3月に長年勤務していたスタッフ4人が退職。いわゆる「寂庵春の革命」と呼ばれる変化をきっかけに、瀬尾さんは寂聴さんの秘書として本格的に奮闘することになります。

瀬尾まなほの経歴・活動年表

時期 人物・出来事との関係 主な内容・転換点
1988年2月22日 瀬尾まなほ 兵庫県神戸市に生まれる。
大学卒業後・2011年 京都外国語大学・寂庵 大学卒業後、寂庵に就職。事務職として働き始める。
2013年3月 瀬戸内寂聴 スタッフの退職を機に、66歳年上の寂聴さんの秘書として奮闘する日々が始まる。
2017年6月 共同通信社 連載「まなほの寂庵日記」を開始。
2017年11月 光文社 初著書『おちゃめに100歳!寂聴さん』を出版。
2019年5月15日 結婚 関西在住の年下男性と入籍。
2021年11月 瀬戸内寂聴 寂聴さんが99歳で逝去。約10年間の秘書としての時間が終わる。
2022年2月 家族 第2子となる次男を出産。
2025年4月21日 二見書房 エッセイ『寂聴先生が残してくれたもの』を発売。
2025年10月 たまひよONLINE 2人の男の子の母として、育児と仕事、寂聴さんとの思い出を語る。
2026年4月26日 エリシオンクラブ 愛媛県松山市で「瀬戸内寂聴先生との10年間」をテーマに講演。
2026年10月18日 若草プロジェクト 2026年シンポジウムの登壇者として公式プログラムに掲載。

この年表で押さえておきたいのは、2011年の就職と2013年の秘書就任は別の出来事だという点です。寂庵で働き始めた当初から秘書だったわけではなく、職場の大きな変化によって寂聴さんを直接支える立場になりました。

また、大学卒業後の仕事が執筆活動へとつながった点も特徴的です。寂聴さんに送った手紙を褒められたことが、文章を書く楽しさを知るきっかけになったと、講演者紹介などで説明されています。

【瀬戸内寂聴との関係】元秘書として過ごした10年間と66歳差の絆

瀬尾まなほさんの名前が広く知られるようになった最大の理由は、瀬戸内寂聴さんとの関係です。

寂聴さんは1922年生まれ、瀬尾さんは1988年生まれ。2人には66歳の年齢差がありました。世代も人生経験も大きく異なる2人ですが、秘書と作家という仕事上の関係を超えた深い信頼関係を築いていました。

最初は事務職、やがて寂聴さんを支える秘書に

瀬尾さんは大学卒業後、寂庵で働き始めました。2013年に先輩スタッフが退職した後、秘書としての役割を担うようになります。

秘書の仕事は一般的な事務作業だけではありませんでした。寂聴さんの身の回りのサポートや日常生活の手伝い、仕事の調整など、多岐にわたるものでした。

2025年に刊行された『寂聴さんと生きた10年』の文庫版あとがきでも、瀬尾さんは、寂庵での仕事が一般企業の会社員とは異なり、掃除や家事を含めて先生の生活を支えるものだったと振り返っています。

寂聴さんは瀬尾さんの人生にどんな影響を与えたのか

瀬尾さんがインタビューで繰り返し語っているのが、寂聴さんとの出会いによって自分に自信を持てるようになったということです。

就職活動で苦戦し、自分のやりたいことも明確ではなかった瀬尾さんにとって、寂聴さんのもとで働いた経験は大きな転機でした。

寂聴さんは社会問題に対しても、自ら現場に足を運び、必要だと感じたことを発言する行動力のある人物でした。瀬尾さんは2025年の取材で、そうした姿勢を間近で見たことが、自分の社会問題への向き合い方にも影響したと話しています。

単に有名人のそばで働いたというだけではなく、仕事の姿勢や他人への接し方、生き方そのものを学んだ10年間だったのです。

長男をかわいがった寂聴さんとの特別な交流

瀬尾さんの長男と寂聴さんの関係も、2人の絆を象徴するエピソードとして知られています。

2025年の「たまひよONLINE」のインタビューによると、瀬尾さんは長男が生後4カ月のときに仕事へ復帰し、その後も毎月のように子どもを連れて寂庵を訪れていました。

寂聴さんは長男の訪問を楽しみにしており、普段は歩くことをつらがっていた時期でも、長男が来ると元気になり、手を引かれて歩くこともあったそうです。

長男は寂聴さんを「あんちゃん」と呼んでいました。これは寂庵の庵主という立場に由来する呼び方です。寂聴さんも長男をかわいがり、特別な関係を築いていました。

寂聴さんが長男を「最後の恋人」と呼んでいたことも、瀬尾さんの著書や関連する紹介記事で取り上げられています。

【検証資料 2】瀬尾まなほの活動歴およびメディア掲載記録(出典:Yahoo!ニュース)

【結婚・夫】瀬尾まなほは2019年に結婚!相手との出会いと理由

瀬尾まなほさんは、2019年5月15日に結婚しています。結婚を報じた「女性自身」によると、お相手は関西在住の年下男性で、交際期間は約1年間でした。

同年6月8日には京都市内で披露宴を開催。入籍日を5月15日にしたのは、瀬戸内寂聴さんの97歳の誕生日だったためです。

夫はどんな人物?公表されているプロフィール

瀬尾さんの夫について、2019年の結婚報道や本人と寂聴さんの対談で明らかになっている情報は、次のとおりです。

  • 関西在住の男性
  • 瀬尾さんより年下
  • 交際期間は約1年間
  • 瀬尾さんが結婚相手に求めていた条件にほぼ合致していた

夫の氏名や詳しい職業、現在の勤務先など、個人を特定できる情報は広く公表されていません。夫は芸能活動を行う著名人として紹介されているわけではなく、一般の生活者としてプライバシーが守られています。

結婚した理由は?瀬尾さんが求めていた4つの条件

2019年6月に掲載された「女性自身」の対談では、瀬尾さんが結婚相手に求めていた条件が明らかになっています。

その条件は、次の4つです。

  • 優しい人
  • 仕事を楽しみ、仕事に情熱を持っている人
  • 食べることが好きな人
  • 子どもと犬が好きな人

瀬尾さんによれば、夫はこれらの条件にほぼ当てはまっていたそうです。

印象的なのは、瀬尾さんが寂聴さんを笑わせるために披露していたユニークなダンスを、交際相手にも見せたというエピソードです。彼も道端で一緒に踊り始めたそうで、寂聴さんも2人の相性を好意的に受け止めていました。

瀬尾さんは当時、自分にとって恋愛は結婚と結びついたものであり、交際に踏み出すことに慎重だったと説明しています。一方で、相手の男性が積極的だったこともあり、次第に結婚への気持ちが固まっていったそうです。

なぜ5月15日に入籍したのか

入籍日には、瀬尾さんと寂聴さんの関係がよく表れています。

5月15日は寂聴さんの誕生日です。瀬尾さんにとっても大切な日であり、この日に入籍すれば忘れることがないという思いもあったと、2025年のインタビューで明かしています。

また、寂聴さんは瀬尾さんが結婚することを大変喜んでいたといいます。

瀬尾さんは寂聴さんに披露宴へ出席してもらいたいと考えていました。寂聴さんが97歳だったこともあり、元気なうちに結婚式を挙げたいという思いがあったのです。

6月の式場予約では仏滅の日しか空いていませんでしたが、寂聴さんは仏滅を気にせず、むしろ前向きに受け止めたというエピソードも残っています。

この結婚は、単に交際相手と家庭を築くというだけでなく、瀬尾さんにとって大切な恩師に結婚を見届けてもらうという意味も持っていました。

【子供は2人】瀬尾まなほは二児の母!長男・次男と寂聴さんの思い出

瀬尾まなほさんには、2人の男の子がいます。2025年9月の取材時点では5歳と3歳で、長男と次男を育てながら仕事を続けていることが紹介されました。

長男の誕生と寂聴さんとの交流

長男が生まれた後、瀬尾さんは産後4カ月で仕事に復帰しました。

その後は長男を連れて寂庵を訪れることも多く、寂聴さんと長男が一緒に過ごす時間が生まれました。

寂聴さんは長男の成長を楽しみにしており、子どもの可能性を信じて褒めることを大切にしていたといいます。瀬尾さんにとって、長男を寂聴さんに会わせることができたのは、大切な思い出の一つになっています。

次男は2022年2月に誕生、名前は寂聴さんと相談

2021年11月、瀬戸内寂聴さんは99歳で亡くなりました。

瀬尾さんは当時、次男を妊娠していました。そして、寂聴さんが亡くなって約3カ月後の2022年2月に次男を出産しています。

2022年3月に報じられた出産のニュースでは、次男の名前について、寂聴さんが入院していた時期に候補を一緒に考えていたことが紹介されました。

2025年の「たまひよONLINE」のインタビューでも、瀬尾さんはこの名前について詳しく振り返っています。

寂聴さんの入院中に複数の候補を出し、どの名前がよいか話し合っていたそうです。最終的には、そのときに相談して丸をつけた名前を次男につけました。

瀬尾さんは、次男に希望の光になってほしいという願いを込めたと語っています。

寂聴さんの死後、1年間の育児休業を選択

長男の出産後は4カ月で仕事に復帰した瀬尾さんですが、次男の出産後は1年間の育児休業を取得しました。

理由の一つは、寂聴さんがいなくなった寂庵へ通うことが精神的につらかったからです。

訪れるたびに寂聴さんがいない現実を突きつけられ、悲しみを感じていたと振り返っています。子どもたちの世話に集中する時間が、自分の気持ちを落ち着かせる助けになったそうです。

2025年8月の「好書好日」のインタビューでも、寂聴さんの死を受け入れるまでに約3年かかったこと、子どもたちの存在が支えになったことが紹介されています。

この経験は、瀬尾さんが現在のエッセイで育児について書くようになった背景にもつながっています。

【検証資料 3】瀬尾まなほに関する近況・インタビュー報道記録(出典:文春オンライン)

【執筆活動・著書】おちゃめに100歳!寂聴さんから寂聴先生が残してくれたものまで

瀬尾まなほさんは、秘書として働く一方で、文章を書く仕事にも取り組んできました。

そのきっかけは、寂聴さんに送った手紙を褒めてもらったことです。自分の文章を認めてもらった経験が、エッセイストとして活動する出発点になりました。

2017年『おちゃめに100歳!寂聴さん』で作家デビュー

2017年11月、瀬尾さんは初著書『おちゃめに100歳!寂聴さん』(光文社)を刊行しました。

本書では、世間で知られる作家・僧侶としての寂聴さんだけでなく、秘書だからこそ知る日常の姿や、ユーモラスな人柄が描かれています。

寂聴さんの年齢や肩書だけでは伝わらない魅力を、身近で働いていた若い秘書の視点から紹介したことが特徴です。同書はベストセラーとなり、瀬尾さんの名前が広く知られるきっかけになりました。

代表的な著書一覧

  • 『おちゃめに100歳!寂聴さん』(光文社・2017年)
  • 『寂聴先生、ありがとう。』(朝日新聞出版・2019年)
  • 『寂聴さんに教わったこと』(講談社・2022年)
  • 『#寂聴さん 秘書がつぶやく2人のヒミツ』(東京新聞)
  • 『寂聴先生が残してくれたもの』(二見書房・2025年)
  • 『寂聴さんと生きた10年 食べた、笑った、泣いた』(光文社文庫・2025年)

このほか、瀬戸内寂聴さんとの共著や連載記事もあります。

2025年刊行『寂聴先生が残してくれたもの』に込めた思い

2025年4月21日に発売された『寂聴先生が残してくれたもの』は、寂聴さんの死後、瀬尾さんが初めて全文を書き下ろしたエッセイです。

全224ページで、寂聴さんとの思い出や教えだけでなく、育児、仕事、日常生活についてもつづられています。

特徴的なのは、寂聴さんとの思い出を過去の出来事として振り返るだけではないことです。

例えば、子どもを育てる中で寂聴さんから教わった言葉を思い出したり、子どもたちの成長を通じて寂聴さんの愛情を再認識したりする内容が含まれています。

二見書房の刊行案内でも、先生から受け取った愛情と言葉を未来へつなぐことが本書のテーマとして紹介されています。

『おちゃめに100歳!寂聴さん』と2025年の文庫版の違い

2025年5月13日には、光文社から『寂聴さんと生きた10年 食べた、笑った、泣いた』という文庫版も発売されました。

この作品は、2017年の『おちゃめに100歳!寂聴さん』を改題した文庫版です。まったく別の新作が同時に2冊刊行されたという意味ではありません。

2025年は、寂聴さんとの10年間をまとめた既刊の文庫化と、寂聴さんの死後に新たに書き下ろしたエッセイの刊行が重なった年でした。

瀬尾さんの執筆活動を追ううえでは、この2冊の違いを理解しておくと、出版歴を整理しやすくなります。

講演活動も継続、テーマは寂聴さんとの10年間

瀬尾さんは書籍だけでなく、講演活動にも取り組んでいます。

講演テーマとして紹介されているのは「寂聴先生との10年間」です。寂聴さんの生き方や仕事への姿勢、秘書として過ごした日常などを、自身の経験に基づいて伝えています。

2026年4月の松山での講演も、その活動が現在まで続いていることを示す具体的な事例です。

【若草プロジェクト】瀬尾まなほが取り組む若い女性への支援活動

瀬尾まなほさんの活動を理解するうえで、もう一つ重要なのが「若草プロジェクト」です。

若草プロジェクトは、貧困や虐待、DV、性暴力、性的搾取、いじめなど、さまざまな困難を抱える少女や若い女性を支援する団体です。瀬尾さんはその理事を務めています。

若草プロジェクトは2016年4月に発足

若草プロジェクトは、2016年4月に京都の寂庵でキックオフ集会を開催して発足しました。

発足の背景には、困難を抱えた若い女性たちへの支援が十分に届いていないという問題意識がありました。

若草プロジェクトの公式サイトによると、瀬戸内寂聴さんも立ち上げを後押しした人物の一人です。寂聴さんが若い女性たちの置かれた厳しい状況に関心を寄せ、支援の必要性を訴えたことが活動につながっています。

若草プロジェクトの主な支援内容

活動は大きく「つなぐ」「まなぶ」「ひろめる」の3つに整理されています。

具体的には、次のような取り組みがあります。

  • つなぐ:少女や若い女性と支援者、企業、専門機関などをつなぐ。LINE相談や若草ハウスの運営、まちなか保健室なども行う。
  • まなぶ:支援に携わる人たちに向けた研修や講座を開催し、若い女性たちの現状や適切な支援方法を学ぶ機会を設ける。
  • ひろめる:シンポジウムや広報活動を通じて、若い女性たちが抱える問題を社会に伝える。

特徴的なのは、支援を必要とする本人への直接的なサポートだけでなく、支援する側の団体や専門家をつなぐ活動にも力を入れていることです。

瀬尾まなほは創設者なのか?理事としての役割

ここで整理しておきたいのは、瀬尾さんが若草プロジェクトの創設者というわけではないことです。

プロジェクトの発足には瀬戸内寂聴さんや村木厚子さん、大谷恭子さんらが関わっています。瀬尾さんは理事として参加し、寂聴さんの思いやプロジェクトの活動に携わってきました。

寂聴さんの元秘書という経験は、若草プロジェクトとの関係を理解するうえで重要です。身近で寂聴さんの社会活動を見てきたことが、瀬尾さん自身の社会問題への関心にもつながっています。

2026年10月18日のシンポジウムでは、プロジェクトの発足から10年という節目に、理事として「寂聴先生と若草プロジェクトとわたし」というテーマが設定されていました。

寂聴さんの言葉を本や講演で伝える活動と、若い女性への支援活動。この2つは別々の仕事に見えますが、他人の困難に寄り添い、孤立を防ぐという点で共通しています。

【よくある誤解を検証】瀬尾まなほの現在・結婚・家族に関する疑問

瀬尾まなほさんについては、元秘書という肩書が広く知られているため、現在の仕事や家族について誤解が生じることもあります。ここでは、公開情報から整理できるポイントをまとめます。

寂聴さんが亡くなった後、瀬尾さんは何をしている?

寂聴さんが2021年に亡くなった後も、瀬尾さんは寂聴さんに関する執筆や講演活動を続けています。2025年には新しいエッセイを刊行し、2026年にも講演会を開催しています。

夫は有名人なの?

2019年の報道では、夫は関西在住の年下男性と紹介されています。夫の詳しい職業や氏名などは広く公表されておらず、著名人として活動しているという情報も確認できません。

子どもは何人?

子どもは男の子が2人です。2025年のインタビューでは、5歳と3歳の兄弟を育てていることが紹介されました。

【プロの結論】瀬尾まなほの現在から見える、寂聴さんの思いを伝える新しい役割

瀬尾まなほさんの歩みを振り返ると、単なる有名作家の元秘書という枠では説明できない変化が見えてきます。

2011年に寂庵へ就職し、2013年に秘書として本格的に寂聴さんを支えるようになりました。その経験を文章にすることでエッセイストとしての道を開き、2019年には結婚。2人の子どもを育てながら、2021年の寂聴さんとの別れを経て、新たな活動の形を築いてきました。

特に注目すべきなのは、2025年の『寂聴先生が残してくれたもの』と2026年の講演活動です。寂聴さんとの思い出を語るだけでなく、母親としての経験や社会活動を重ねながら、その教えを現在の生活に結びつけています。

瀬尾さんの活動を知りたい読者にとって、情報を見分けるポイントは3つあります。

  • 経歴を調べるなら:2011年の寂庵就職と2013年の秘書としての転機を区別する。
  • 家族を調べるなら:2019年の結婚、2人の男の子の母という公表情報を基本にする。
  • 現在の活動を調べるなら:2025年の著書とインタビュー、2026年の講演・若草プロジェクトの公式情報を確認する。

瀬戸内寂聴さんの言葉や生き方は、本人が亡くなったことで終わったわけではありません。瀬尾まなほさんは、秘書として過ごした10年間の経験を、執筆、講演、子育て、社会活動という異なる形で次の世代へ伝えています。

2026年現在の瀬尾さんを理解するうえでは、かつての「寂聴さんの秘書」という肩書だけでなく、1人のエッセイストであり、母親であり、社会活動に携わる人物として見ることが大切です。

これからも寂聴さんの文学や人柄をどのような形で伝えていくのか、そして若草プロジェクトでどのような役割を果たしていくのか。その活動は今後も注目されます。

主な参照資料: 瀬尾さん本人へのインタビュー、出版社の刊行資料、若草プロジェクト公式情報、2026年の講演開催レポート。