【40歳で出産】コシノジュンコの子育てエピソードがユニークだった
コシノジュンコさんが順之さんを出産したのは1980年。本人は当時40歳でした。
ファッションデザイナーとしてすでに国内外で活動しており、1978年にはパリコレクションにも初参加しています。仕事が軌道に乗っていた時期の出産だったため、周囲から驚かれたこともあったそうです。
出産をきっかけに生まれたデザインの発想
家庭画報のインタビューでは、妊娠中に自身のお腹を見て「お腹の中には宇宙がある」という発想を得たことが紹介されています。
この経験は、ジュンコさんのデザインコンセプトである「対極の美」にもつながりました。
さらに、妊娠・出産をきっかけに子ども服ブランド「Petit JUNKO」を立ち上げています。
出産を単なるライフイベントとして終わらせず、新しい創作の可能性に変えていったところに、デザイナーとしての個性が表れています。
出産後すぐに仕事へ復帰

致知出版社の対談では、ジュンコさんは子どもが生まれても仕事は仕事であり、出産後すぐに仕事へ復帰したと語っています。
母親が洋裁店で働く姿を見て育ったジュンコさんにとって、家庭と仕事を両立することは特別なことではなかったようです。
本人は、母親が出産直前まで仕事を続けていたことも、自身の働き方に影響したと振り返っています。
子育ての基本方針は「働く姿を見せる」

講談社のwith classが2022年に掲載したインタビューでは、古市憲寿さんから育児方針について質問されています。
ジュンコさんの回答は、一般的な子育て論とは少し違うものでした。
「何もないです。私も自分の母親からほったらかしで育てられましたし、仕事をしている姿を見せて、勝手に盗んでくれという感覚でしたね」
出典:with class 2022年1月22日掲載インタビュー。発言の一部を抜粋。
親が子どもに職業や生き方を押し付けるのではなく、自分が働く姿を見せ、子ども自身がそこから学ぶという考え方です。
実際、順之さんは母親と同じファッション・クリエイティブの世界に進みながら、空間デザインや広告、経営など独自の専門分野を築いています。
文化祭で息子を置いてきぼりにした?
順之さんが幼稚園時代に経験したエピソードも有名です。
2018年4月に放送されたテレビ朝日系『徹子の部屋』に親子で出演した際、順之さんは母親との思い出を披露しました。
母親が文化祭の飾り付けに夢中になり、肝心の息子を連れて行くのを忘れてしまったという話です。
文化祭のデザインをすべて担当するほど熱心だったため、本人を連れてくることを忘れ、開演後に息子がいないことに気づいたそうです。
また、高校の入学式では、コシノさんが独特のターバン姿で登場。順之さんは事前に母親へ髪型について注文をつけていたものの、当日は周囲の視線が気になり、母親と別行動になったと振り返っています。
こうした話から見えてくるのは、典型的な母親像に自分を合わせるのではなく、自分らしい方法で子どもと関わってきたジュンコさんの姿です。
【親子関係】息子から見たコシノジュンコの評判は?
世界的デザイナーであり、会社経営にも関わるコシノジュンコさん。息子の順之さんは、母親をどのように評価しているのでしょうか。
2022年の家庭画報の家族インタビューには、その答えが登場しています。
息子が母親につけた評価は「モンスター」
順之さんは母親について、印象的な言葉を使っています。
「モンスター」
もちろん、これは否定的な意味ではありません。
順之さんはその理由について、何かをやろうと決めたら迷わず、休まず一直線に進む姿勢や、圧倒的な生命力と活力を挙げています。
つまり、母親の仕事に対する情熱や行動力を、息子自身がよく理解しているということです。
母親を尊敬しながら、自分の専門分野を築く
順之さんは母親と同じクリエイティブ業界で活動していますが、仕事の方向性は完全に同じではありません。
| コシノジュンコ | 鈴木順之 |
|---|---|
| ファッションデザイン | 空間デザイン |
| 衣装・服飾 | 舞台・空間演出 |
| ブランドのクリエイション | グラフィック・広告 |
| デザインコンセプト | 企画・プロデュース |
| ファッション界での活動 | 会社経営・事業展開 |
2023年のDRUM TAOの舞台では、母が衣装、息子が舞台空間を担当しました。
これは、親子が同じ仕事を取り合うのではなく、それぞれの得意分野を生かして協力できる関係であることを示しています。
家族で仕事をするからこその距離感
2026年の婦人公論の対談で、ジュンコさんは夫と息子が一緒に仕事をしていると語りました。
家庭と職場が近く、家族7人で暮らす生活スタイルは、一般的な家庭とは少し違うかもしれません。
しかし、息子の仕事に母親がすべて口を出すという構図ではなく、順之さん自身が専門分野を持ち、経営上の役割も担っていることが分かります。
【ネットの疑問を検証】コシノジュンコの息子にまつわる誤解と真相
検索結果には、息子の読み方、仕事、結婚、孫の人数など、さまざまな情報があります。
ここでは、本人の発言や公的資料と照らし合わせて整理します。
息子は何人?娘もいる?
公表されている家族情報では、コシノジュンコさんの子どもは長男の順之さんです。
2026年の対談でも、息子夫婦と孫3人という家族構成が本人から語られています。娘がいるという情報は、今回確認した本人発言や公的プロフィールには見当たりません。
息子の読み方は「よしゆき」ではない?
正確な読み方は「よりゆき」です。
ネット上には「よしゆき」と記載する記事もありますが、福島県の公式資料に「すずき よりゆき」と明記されています。
息子は現在も母親の会社で働いている?
はい。2026年の福島県とFC大阪の公表資料では、JUNKO KOSHINO株式会社の代表取締役社長として紹介されています。
2018年の常務取締役、2025年の専務という過去の肩書と比較しても、会社内での責任が大きくなっていることが分かります。
孫3人は全員同居している?
2026年4月の婦人公論の対談で、本人は夫、息子夫婦、孫3人との7人暮らしを明言しています。
したがって、対談で語られた生活状況については、孫3人も同居家族に含まれています。
【プロの結論】コシノジュンコの息子は母のブランドを支える経営者・クリエイター
コシノジュンコさんの息子・鈴木順之さんについて調べると、単に「有名デザイナーの長男」という説明だけでは実像を捉えきれません。
順之さんは、ロンドンで空間デザインを学び、PUMA JAPANのクリエイティブディレクターを経験。その後、グラフィックや広告、舞台演出、ブランド事業などへ活動領域を広げてきました。
2026年にはJUNKO KOSHINO株式会社の代表取締役社長として公的なイベントにも登場しています。
注目したいのは、親子の仕事の分担です。
- 母・ジュンコさん: ブランドの世界観やファッションデザインを創造する。
- 息子・順之さん: 空間演出や企画、デザイン、経営などを担う。
- 夫・弘之さん: 家族と会社を長年支えてきた経営パートナー。
この構図は、単純な親から子への名前の継承ではなく、異なる専門性を組み合わせながらブランドを支える関係として理解できます。
また、40歳で出産した後も仕事を続け、子どもに働く姿を見せてきたジュンコさんの子育て観は、順之さんが自分の専門性を確立していく過程にも重なります。
【コシノジュンコの息子】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:コシノジュンコの息子の名前と読み方は?
長男は鈴木順之さんです。読み方は「すずき・よりゆき」。福島県の公式プロフィールでも確認できます。
Q2:コシノジュンコは何歳で息子を出産した?
1980年に40歳で長男を出産しました。妊娠・出産は「対極の美」というデザインコンセプトや、子ども服ブランドの展開にもつながりました。
Q3:コシノジュンコの息子は現在何の仕事をしている?
空間デザインや広告、グラフィック、舞台演出などに携わってきたクリエイターで、2026年にはJUNKO KOSHINO株式会社の代表取締役社長として紹介されています。
Q4:コシノジュンコの孫は何人?
孫は3人です。2026年4月の本人の対談では、夫、息子夫婦、孫3人を含む7人暮らしと語られています。
Q5:息子とコシノジュンコの親子関係は良好?
公表されている情報では、親子で一緒に仕事をし、同居生活も送っています。順之さんは母親の圧倒的な行動力を肯定的に評価しており、仕事上でも協力関係を築いています。
まとめ:コシノジュンコの息子・順之さんの現在と家族の姿
コシノジュンコさんの長男は、鈴木順之(よりゆき)さんです。
1980年に40歳の母親のもとに生まれ、ロンドンで空間デザインを学び、PUMA JAPANのクリエイティブディレクターを経て、母親のブランド事業に携わってきました。
2026年にはJUNKO KOSHINO株式会社の代表取締役社長として活動し、母親とともにファッションやクリエイティブの仕事を進めています。
家庭では夫の鈴木弘之さん、息子夫婦、孫3人との7人暮らし。仕事と家族のつながりを大切にする生活が、本人の発言からも伝わってきます。
特に興味深いのは、ジュンコさんが息子に仕事を押し付けるのではなく、自分が働く姿を見せて育ててきたことです。
母親は世界的デザイナー、息子は独自の専門性を持つクリエイター兼経営者。親子でありながら、それぞれの個性と役割を持っていることが、コシノ家の現在の姿を理解する重要なポイントです。