小泉純一郎の父・小泉純也とは?経歴や公職追放、家系図を2026年版で徹底解説
小泉純一郎の父親は、政治家として衆議院議員を務め、第3次池田内閣と第1次佐藤内閣で防衛庁長官に就任した小泉純也(こいずみ・じゅんや)です。1904年1月24日に鹿児島県で生まれ、戦前から政界で活動しましたが、第二次世界大戦後には公職追放を経験しています。その後、1952年に政界へ復帰し、国政の第一線に戻りました。
小泉純也を理解するうえで欠かせないのが、旧姓の鮫島、小泉又次郎との養子・姻戚関係、そして妻の小泉芳江との家族関係です。小泉純一郎の父であり、小泉進次郎の祖父でもある人物の生涯を、人物事典、国立国会図書館、首相官邸の歴代閣僚記録などに基づいて整理します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 父親の正体:小泉純一郎の父は、元衆議院議員で元防衛庁長官の小泉純也。
- 政治家としての経歴:鹿児島県出身で、戦後の公職追放を経て1952年に政界復帰。1964年に防衛庁長官へ就任。
- 小泉家の家系:小泉又次郎の養子・女婿となり、小泉芳江と結婚。純一郎を通じて進次郎へとつながる政治家一族の系譜を形成した。
【まず結論】小泉純一郎の父親は元防衛庁長官の小泉純也

小泉純一郎の父親は、小泉純也(1904年1月24日~1969年8月10日)です。昭和期の政治家で、衆議院議員を務めたほか、1964年から1965年にかけて防衛庁長官を担当しました。
日外アソシエーツの『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』や『20世紀日本人名事典』には、鹿児島県出身、日本大学政治科卒業、衆議院議員、防衛庁長官という経歴が記録されています。
また、講談社の『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』では、小泉又次郎の養子であり、小泉純一郎の父であることも紹介されています。
純也の政治人生には、戦前の議会活動、戦後の公職追放、政界復帰、そして防衛行政の責任者への就任という大きな転換点がありました。単に有名政治家の父というだけではなく、戦前・戦後の日本政治を経験した人物です。
小泉純也の基本プロフィール

- 氏名:小泉純也(こいずみ・じゅんや)
- 旧姓:鮫島
- 生年月日:1904年1月24日
- 没年月日:1969年8月10日
- 出生地:鹿児島県
- 学歴:日本大学政治科卒業(1930年)
- 職業:政治家、衆議院議員
- 主な役職:防衛庁長官、法務政務次官
- 家族:妻・小泉芳江、長男・小泉純一郎
- 義父:小泉又次郎
小泉純也は65歳で亡くなりました。生没年や経歴は、複数の人物事典で一致しています。
【鹿児島県出身】小泉純也の生い立ちと政界入りまでの経歴

1904年に鹿児島県で誕生
小泉純也は、明治37年にあたる1904年1月24日、鹿児島県で生まれました。小泉家の政治的な地盤として知られる神奈川県横須賀市ではなく、九州の鹿児島県が出生地です。
この点は、小泉純一郎の父親について調べる際に押さえておきたい事実です。純也は鹿児島県出身であり、後に神奈川県を政治活動の拠点として衆議院議員に当選しました。
日本大学で政治を学び、政治家への道へ
純也は日本大学政治科で学び、1930年に卒業しました。その後、逓信大臣秘書や内務参与官などを経験し、政治の実務に関わるようになります。
政治家としての活動は、単に選挙に出馬するところから始まったわけではありません。大臣秘書として行政や政界の仕組みに接し、議会政治の現場に入っていった経歴が特徴です。
1937年に衆議院議員へ初当選
日外アソシエーツの人物事典によると、純也は1937年、神奈川県から衆議院議員に初当選しました。
鹿児島県で生まれた人物が、神奈川県を政治活動の基盤として国政に進出したことになります。後年、小泉又次郎の政治的な地盤との関係が深まることを考えると、この時期は小泉家と純也の政治的な結び付きが形成されていく重要な段階でした。
なお、純也は戦前の議会活動だけでなく、戦後も衆議院議員として復帰し、長く政治活動を続けています。
【経歴・年表】小泉純也の公職追放から政界復帰、防衛庁長官就任まで
小泉純也の政治人生を理解するうえで、最も重要なのが戦後の公職追放です。戦前に国政で活動した政治家が、敗戦後の政治体制の転換によって公職を離れ、その後に再び国政へ戻るという経歴をたどりました。
1942年の翼賛選挙と公職追放
1942年の第21回衆議院議員総選挙は、東条英機内閣のもとで実施された翼賛選挙です。翼賛政治体制協議会が政府の戦争遂行政策を支持する候補者を推薦する仕組みが設けられました。
徳富蘇峰記念館の人物データベースは、小泉純也について、翼賛選挙で翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選したため、戦後に公職追放となったと記録しています。
公職追放は、連合国軍総司令部(GHQ)の占領政策の一環として実施された措置です。戦争犯罪人や軍国主義・極端な国家主義に関係した人物などを公職から排除するもので、1946年以降、対象範囲が広がりました。
純也もこの政治的な転換の影響を受け、戦後の一時期、政治活動から離れることになります。
1952年に改進党から政界復帰
小泉純也は、公職追放の解除後、1952年に改進党から衆議院議員選挙へ出馬し、再び当選しました。
戦前の議員経験を持つ政治家が、戦後の新しい政治環境のなかで再び国政に戻ったのです。その後は改進党の遊説部長などを務め、自由民主党の結党後には総務や副幹事長などの役職を経験しました。
小泉純也の政治経歴を時系列で整理
| 年代 | 出来事・役職 | 政治的な意味 |
|---|---|---|
| 1904年 | 鹿児島県で誕生 | 明治時代に生まれる |
| 1930年 | 日本大学政治科卒業 | 政治分野の教育を受ける |
| 1937年 | 衆議院議員に初当選 | 神奈川県から国政進出 |
| 1942年 | 翼賛選挙で当選 | 戦時下の政治体制に参加 |
| 戦後 | 公職追放 | 占領期の政治的措置を受ける |
| 1952年 | 改進党から衆議院議員に再当選 | 政界復帰 |
| 1955年 | 第2次鳩山一郎内閣の法務政務次官 | 政府の役職を担当 |
| 1964年7月 | 第3次池田内閣の改造で防衛庁長官に就任 | 初入閣 |
| 1964年11月 | 第1次佐藤内閣で防衛庁長官に留任 | 引き続き防衛行政を担当 |
| 1965年6月3日 | 防衛庁長官を退任 | 約11か月の在任を終える |
| 1969年8月10日 | 65歳で死去 | 政治家としての生涯を終える |
この年表から分かるのは、純也の政治経歴が一度の当選や閣僚就任だけで説明できないことです。戦前の議会活動、戦後の政治的な制約、1950年代の復帰、1960年代の閣僚経験という複数の段階を経ています。
【防衛庁長官時代】小泉純也はいつ、どの内閣で就任した?
1964年7月18日に初入閣
小泉純也が防衛庁長官に就任したのは、1964年7月18日です。第3次池田勇人内閣の第1次改造内閣で、初めて閣僚に起用されました。
首相官邸の歴代内閣資料では、第3次池田内閣の第1次改造内閣の防衛庁長官として小泉純也の名前が記録されています。
当時の防衛庁は、現在の防衛省の前身にあたる行政機関です。自衛隊の管理や日本の防衛政策を担当する政府機関であり、そのトップである防衛庁長官は国の安全保障を担う重要な閣僚ポストでした。
第1次佐藤内閣でも防衛庁長官を続投
1964年11月9日に佐藤栄作内閣が発足すると、純也は引き続き防衛庁長官に留任しました。
首相官邸の第1次佐藤内閣の閣僚名簿にも、小泉純也の名前が掲載されています。在任は1965年6月3日の内閣改造まで続きました。
したがって、防衛庁長官としての在任期間は、1964年7月18日から1965年6月3日までです。第3次池田内閣と第1次佐藤内閣の2つの内閣で同じ役職を務めたことになります。
防衛庁長官という肩書きが持つ意味
小泉純也の経歴を調べる際、防衛庁長官という役職は特に注目されます。戦後の政治的な混乱を経験した人物が、戦後日本の防衛行政を担う閣僚にまで復帰したからです。
ただし、役職に就いたことと、特定の防衛政策を本人が単独で実現したことは別の問題です。防衛庁長官としての実績を評価するには、当時の内閣方針、国会答弁、防衛庁の政策資料を合わせて検討する必要があります。
人物事典に記録された経歴と首相官邸の閣僚名簿を照らし合わせると、純也が防衛庁長官を務めた事実とその在任期間は明確です。
【小泉又次郎との関係】純也は養子・女婿として小泉家に入った
小泉純也の家系を調べる際に、特に混同されやすいのが小泉又次郎との関係です。
小泉又次郎は、小泉純一郎の祖父にあたる政治家です。衆議院議員や衆議院副議長を務め、浜口雄幸内閣と第2次若槻内閣では逓信大臣を担当しました。
国立国会図書館の「近代日本人の肖像」によると、又次郎は1865年8月1日生まれで、1951年9月24日に亡くなっています。横須賀市議会議員などを経て1908年に衆議院議員に当選し、政界で長く活動した人物です。
小泉純也は又次郎の養子であり女婿
純也は、もともと鮫島姓でした。その後、小泉又次郎の養子となり、又次郎の娘である小泉芳江と結婚して小泉姓を名乗るようになりました。
講談社の人物事典は純也を又次郎の養子と記し、徳富蘇峰記念館の人物情報は小泉又次郎の女婿と紹介しています。
つまり、2人の関係は単なる政治上の師弟関係ではありません。養子縁組と婚姻を通じて家族になった関係です。
この点を理解すると、小泉又次郎と小泉純也の関係、さらに小泉純一郎の家系上の位置付けが分かりやすくなります。
小泉又次郎は小泉純一郎の母方の祖父
小泉又次郎は、純也の養父・義父であると同時に、小泉純一郎の母親である小泉芳江の父です。そのため、純一郎にとっては母方の祖父にあたります。
ここで重要なのは、又次郎が純也の実父だったという意味ではないことです。純也は鮫島姓から小泉家に入り、養子・女婿という立場で家系につながっています。
小泉家の政治的な系譜は、血縁だけでなく、養子縁組や婚姻によって形成された部分もあります。
【家族構成と家系図】小泉芳江から小泉純一郎、進次郎へ
妻は小泉芳江、純一郎は長男
小泉純也の妻は小泉芳江です。芳江は小泉又次郎の娘であり、小泉純一郎の母親にあたります。
2001年10月31日付のジャパンタイムズの訃報記事によると、芳江は1907年生まれで、2001年10月30日に93歳で亡くなりました。純也との間には2人の息子と4人の娘がおり、小泉純一郎は長男でした。
この家族関係は、小泉純一郎の父親と母親を調べるうえで重要な情報です。純也が政治家として活動する一方、芳江は又次郎の娘として小泉家と深いつながりを持っていました。
小泉純也から小泉進次郎までの三代の系譜
小泉家の主要な政治家を世代順に整理すると、次のようになります。
- 小泉又次郎:純一郎の母方の祖父。逓信大臣、衆議院副議長などを歴任。
- 小泉純也:純一郎の父。又次郎の養子・女婿で、防衛庁長官を歴任。
- 小泉純一郎:純也と芳江の長男。第87・88・89代内閣総理大臣。
- 小泉進次郎:純一郎の次男。純也にとっては孫にあたる。
家系のつながりを簡潔に示すと、次のようになります。
小泉又次郎 ─ 娘・小泉芳江 ─ 小泉純一郎 ─ 小泉進次郎
小泉純也は芳江の夫であり、又次郎の養子・女婿としてこの系譜に加わります。純一郎の父親であるため、進次郎から見ると小泉純也は父方の祖父です。
小泉進次郎の祖父も小泉純也
小泉進次郎は、小泉純一郎の次男です。したがって、純也は進次郎の祖父にあたります。
この関係は、次のように整理できます。
- 小泉純也から見た小泉純一郎:長男
- 小泉純也から見た小泉進次郎:孫
- 小泉又次郎から見た小泉純一郎:母方の孫
- 小泉又次郎から見た小泉進次郎:ひ孫
検索時に「小泉進次郎の祖父は小泉又次郎なのか、小泉純也なのか」と混乱する場合がありますが、両者とも進次郎の祖先にあたります。純也は父方の祖父、又次郎は母方の曽祖父です。
小泉家の政治的な系譜を理解するには、この世代と親族関係の違いを押さえることが大切です。
【プロの結論】小泉純也の人物像と政治経歴から分かる小泉家の特徴
小泉純也の政治家としての特徴は、戦前と戦後という大きく異なる政治環境を経験し、政界への復帰を果たした点にあります。
1. 戦前の政治経験と戦後の再出発
1937年に衆議院議員となった純也は、戦時中の翼賛選挙でも当選しました。しかし、敗戦後は公職追放となり、政治活動を続けられなくなります。
1952年に再当選してからは、改進党や自由民主党で役職を務め、法務政務次官を経て防衛庁長官に就任しました。
この経歴は、戦後日本の政治が旧体制から新しい議会政治へと移行するなかで、政治家の立場や活動環境が大きく変わったことを示しています。
2. 小泉又次郎との関係は政治的な家系形成にも影響した
純也が小泉家に入ったことは、家族関係だけでなく、政治的な基盤という面でも重要です。義父の又次郎は横須賀を地盤とした有力政治家であり、純也も神奈川県から衆議院議員に当選しました。
ただし、純也の政治経歴をすべて又次郎の後継者という立場だけで説明することはできません。純也自身も戦前から議員を経験し、戦後には公職追放を経て独自に政界復帰を果たしています。
3. 小泉家の政治的な継承は世代ごとに形が異なる
又次郎、純也、純一郎、進次郎という名前を並べると、小泉家には複数世代にわたって政治家が存在していることが分かります。
しかし、それぞれが活動した時代や役職は異なります。又次郎は戦前の政党政治と逓信行政、純也は戦前・戦後の議会政治と防衛行政、純一郎は2000年代の内閣総理大臣、進次郎は現代の国政を担う政治家として活動してきました。
小泉家の系譜を調べる際は、単純に「政治家一家」という言葉でまとめず、各世代がどのような時代背景で政治活動を行ったかを比較することが重要です。
小泉純也の人物像を理解する最も確かな手掛かりは、鹿児島県出身という生い立ち、鮫島姓から小泉家に入った経緯、戦後の公職追放と政界復帰、そして防衛庁長官という公的な経歴です。これらをつなげることで、小泉純一郎の父親という立場だけでは見えてこない昭和政治家としての姿が浮かび上がります。
小泉純一郎の父親・小泉純也に関するよくある質問(FAQ)
Q1:小泉純一郎の父親は誰ですか?
A1:小泉純一郎の父親は小泉純也です。1904年に鹿児島県で生まれ、衆議院議員や防衛庁長官を務めた政治家です。
Q2:小泉純也の出身地はどこですか?
A2:鹿児島県です。1904年1月24日に生まれました。日本大学政治科を1930年に卒業しています。
Q3:小泉純也の旧姓は何ですか?
A3:旧姓は鮫島です。小泉又次郎の養子・女婿となり、小泉姓を名乗りました。
Q4:小泉純也は公職追放になったのですか?
A4:はい。1942年の翼賛選挙で翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選した経歴があり、戦後に公職追放となりました。1952年には改進党から衆議院議員に再当選しています。
Q5:小泉純也は防衛庁長官を務めたのですか?
A5:はい。1964年7月18日に第3次池田内閣の改造内閣で就任し、同年11月に発足した第1次佐藤内閣でも留任しました。1965年6月3日まで務めています。
Q6:小泉又次郎と小泉純也はどのような関係ですか?
A6:小泉純也は小泉又次郎の養子であり、女婿です。又次郎の娘である小泉芳江と結婚し、小泉家に入りました。
Q7:小泉純也は小泉進次郎の祖父ですか?
A7:はい。小泉純也は小泉純一郎の父親であり、純一郎の次男である小泉進次郎の父方の祖父にあたります。
Q8:小泉純也はいつ亡くなりましたか?
A8:1969年8月10日です。65歳で亡くなりました。
まとめ:小泉純也は小泉家の政治的系譜をつないだ人物
小泉純一郎の父親である小泉純也は、1904年に鹿児島県で生まれ、戦前から衆議院議員として活動した政治家です。戦後には公職追放を経験しましたが、1952年に政界へ復帰し、法務政務次官などを経て1964年に防衛庁長官へ就任しました。
家族関係では、旧姓が鮫島で、小泉又次郎の養子・女婿となったことが重要です。妻の小泉芳江は又次郎の娘であり、純一郎は2人の長男でした。そして純也は、純一郎の次男である小泉進次郎の祖父にあたります。
小泉家の歴史を正確に理解するには、次の3点を押さえておくと分かりやすくなります。
- 小泉純也は鹿児島県出身の政治家で、元防衛庁長官。
- 小泉又次郎とは養子・女婿の関係で、小泉芳江との婚姻を通じて小泉家に入った。
- 小泉純一郎の父であり、小泉進次郎の父方の祖父にあたる。
小泉純也の生涯は、戦前・戦後の政治体制の変化と、小泉家が複数世代にわたって政治に関わってきた歴史を理解するうえで欠かせません。人物事典や国立国会図書館、首相官邸の閣僚記録を照らし合わせることで、その経歴と家族関係をより正確に把握できます。
主な参照資料
- 日外アソシエーツ『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』『20世紀日本人名事典』
- 講談社『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』
- 徳富蘇峰記念館「人物検索・小泉純也」
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像・小泉又次郎」
- 首相官邸「歴代内閣・第60代池田勇人、第61代佐藤栄作」
- The Japan Times(2001年10月31日、小泉芳江の訃報)
- 山川出版社『日本史小辞典』公職追放の項