【プロフィール】片岡我當の読み方・本名・生い立ち
- 人物像: 1935年生まれ。本名は片岡秀公。十三代目片岡仁左衛門の長男で、1971年に五代目我當を襲名。 - 家族関係: 弟は二代目片岡秀太郎と十五代目片岡仁左衛門。長男は歌舞伎俳優の初代片岡進之介。 - 芸の功績: 『新口村』の孫右衛門、『沼津』の平作などで評価され、上方歌舞伎の継承と後進育成に貢献。 - 受賞歴: 重要無形文化財保持者(総合認定)、京都府文化功労賞、真山青果賞大賞、旭日双光章など。 - 最終舞台: 2020年2月、歌舞伎座『八陣守護城』の佐藤正清役。 - 逝去: 2025年5月11日、90歳で死去。訃報は同年7月17日に公表。
【プロフィール】片岡我當の読み方・本名・生い立ち

五代目片岡我當は、上方歌舞伎の伝統を受け継いだ松嶋屋の歌舞伎俳優です。
基本プロフィールを整理すると、次のようになります。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 芸名 | 五代目片岡我當 |
| 読み方 | かたおか がとう |
| 本名 | 片岡秀公(ひできみ) |
| 生年月日 | 1935年1月7日 |
| 出身地 | 東京都 |
| 没年月日 | 2025年5月11日 |
| 享年 | 90歳 |
| 父 | 十三代目片岡仁左衛門 |
| 弟 | 二代目片岡秀太郎、十五代目片岡仁左衛門 |
| 長男 | 初代片岡進之介 |
| 屋号 | 松嶋屋 |
| 主な芸域 | 立役、上方歌舞伎、義太夫狂言 |
日本俳優協会の公式プロフィールにも、出生年月日、本名、父親との関係、芸歴が記録されています。
「我當」の読み方は「がとう」

片岡我當は「かたおか・がとう」と読みます。
「我當」は旧字体を用いた表記で、資料によっては「片岡我当」と表記されることもあります。
検索時に両方の表記が見つかるのは、この字体の違いによるものです。別々の俳優を意味するわけではありません。
また、芸名の我當と本名の秀公は区別する必要があります。
幼少期には片岡秀公の名前で舞台に立ち、その後、1971年に五代目片岡我當を襲名しました。
5歳で初舞台を踏んだ歌舞伎人生

我當が初舞台を踏んだのは、1940年10月です。
日本俳優協会の記録では、大阪歌舞伎座の『堀川』のおつる役で片岡秀公を名乗ったとされています。
歌舞伎美人の追悼記事では、『近頃河原の達引』のおつる役として紹介されています。
幼少期から舞台に立ち、名門の家に生まれた俳優として早くから歌舞伎の世界に身を置いていました。
ただし、我當の芸歴を血筋だけで説明することはできません。父から受け継いだ役柄を自分の身体と声で表現し、長年の舞台経験によって独自の芸風を築いたことが、その評価につながっています。
【家系図】十三代目片岡仁左衛門の長男と十五代目との兄弟関係
片岡我當の人物像を理解するうえで欠かせないのが、松嶋屋の家系です。
父は十三代目片岡仁左衛門。弟には二代目片岡秀太郎と十五代目片岡仁左衛門がいます。
つまり、現在の歌舞伎界を代表する十五代目片岡仁左衛門は、我當の弟に当たります。
片岡家の親子・兄弟関係
松嶋屋の直系関係を中心に整理
十三代目片岡仁左衛門
1903~1994年
三人の息子
五代目
片岡我當
1935~2025年
二代目
片岡秀太郎
1941~2021年
十五代目
片岡仁左衛門
1944年生まれ
五代目片岡我當の長男
初代片岡進之介
1967年生まれ・歌舞伎俳優
出典:共同通信配信の訃報、片岡進之介の人物紹介、十五代目仁左衛門の公式プロフィール。
十五代目片岡仁左衛門との関係は?
十五代目片岡仁左衛門は、我當の9歳年下の弟です。
本名は片岡孝夫。1944年3月14日生まれで、1998年に十五代目片岡仁左衛門を襲名しました。
兄の我當が上方歌舞伎の伝統を守る立役として活動した一方、弟の仁左衛門も幅広い役柄を演じ、松嶋屋を代表する俳優として活躍してきました。
二人は同じ父から芸の伝統を受け継ぎながら、それぞれの持ち味を発揮した兄弟です。
長男・片岡進之介との親子関係
我當の長男は、歌舞伎俳優の初代片岡進之介です。
1967年に京都で生まれ、1971年2月に『桜しぐれ』の禿役で初舞台を踏みました。
1987年には『元禄忠臣蔵』の井関紋左衛門役で第六回真山青果賞新人賞を受賞しています。
進之介も父と同じ立役の道を歩み、松嶋屋の芸を受け継ぐ俳優の一人です。
父と息子の関係は、単に家族というだけではありません。祖父の十三代目仁左衛門から父の我當、そして進之介へと、舞台で培われた技芸が世代を超えて伝わる関係でもあります。
【襲名の歴史と生涯】五代目片岡我當に至る名跡の系譜
歌舞伎では、芸名は単なる名前ではありません。
名跡には、先代が築いた芸や役柄、家の伝統を受け継ぐ意味があります。
片岡我當という名跡も、片岡仁左衛門の歴史と深く結びついています。
歴代の片岡我當と襲名の経緯
歴代の我當は、片岡仁左衛門の名跡とも関係してきました。
- 初代片岡我當: のちの八代目片岡仁左衛門につながる名跡。
- 二代目片岡我當: のちの九代目片岡仁左衛門に関係する名跡。
- 三代目片岡我當: のちの十一代目片岡仁左衛門。
- 四代目片岡我當: のちの十三代目片岡仁左衛門。我當の実父。
- 五代目片岡我當: 十三代目の長男である片岡秀公。
このように、我當の名跡は歴代の仁左衛門と密接に結びついています。
特に重要なのは、四代目我當が十三代目仁左衛門となり、その長男が五代目我當を襲名した点です。
父から子へ、芸だけでなく名跡の歴史も引き継がれた形になります。
五代目襲名は1971年2月
我當が五代目を襲名したのは、1971年2月の大阪新歌舞伎座です。
襲名時には『さくら時雨』の灰屋三郎兵衛、『二月堂』の良弁大僧正などを演じました。
この襲名によって、片岡秀公として歩んできた芸歴は、五代目片岡我當という名跡を背負う新たな段階に入りました。
その後、1979年にはアメリカ公演、1988年にはカナダ・アメリカ・メキシコ公演、1997年には台湾公演に参加しています。
海外公演への参加は、国内の舞台だけにとどまらず、日本の伝統芸能を海外に紹介する活動にも関わっていたことを示しています。
【代表作と芸風】『新口村』孫右衛門・『沼津』平作で見せた実力
片岡我當の芸を語るうえで、特に重要なのが義太夫狂言における人物表現です。
歌舞伎美人の追悼記事では、我當の芸について、朗々としたせりふ回し、スケールの大きな舞台姿、滋味のある演技が特徴として挙げられています。
単純に声が大きいということではありません。せりふの響きと人物の心情を結びつけ、観客に役の人生を感じさせる演技が持ち味でした。
『恋飛脚大和往来』新口村の孫右衛門
『新口村』は、近松門左衛門の世話物『冥途の飛脚』をもとにした作品に連なる演目です。
我當が演じたのは、孫右衛門です。
孫右衛門は、息子の忠兵衛と梅川をめぐる物語の中で、親としての情愛と苦悩を抱える人物です。
この役は、激しい感情を表に出すだけでは成立しません。親子の間にある愛情や、言葉にできない悲しみを表現することが求められます。
父・十三代目仁左衛門から受け継いだ役柄を演じた我當は、素朴さと情の深さを感じさせる演技で評価されました。
『伊賀越道中双六』沼津の平作
『沼津』の平作も、我當を代表する役柄の一つです。
平作は、物語の中で親子の情愛が重要な意味を持つ人物です。
一見すると庶民的で親しみやすい老人ですが、その内側には深い悲しみと覚悟があります。
我當の滋味を含んだ演技は、こうした人物の複雑な内面を表現するうえで生きました。
2004年には『伊賀越道中双六』の雲助平作役で国立劇場特別賞を受賞しています。
そのほかの代表的な役柄
| 演目 | 役名 | 芸の見どころ |
|---|---|---|
| 近頃河原の達引 | 猿廻し与次郎 | 人情味と親しみやすさ |
| 仮名手本忠臣蔵・九段目 | 加古川本蔵 | 複雑な人物の心情 |
| 熊谷陣屋 | 弥陀六 | 人物の奥行きと重厚感 |
| 輝虎配膳 | 長尾輝虎 | 時代物の風格 |
| 天満宮菜種御供 | 藤原時平 | 『時平の七笑』の存在感 |
| 修禅寺物語 | 夜叉王 | 朗々としたせりふ回し |
| 将軍江戸を去る | 山岡鉄太郎 | 新歌舞伎の人物表現 |
| 車引 | 梅王丸 | 江戸の荒事の力強さ |
特に注目したいのは、我當の芸域が上方歌舞伎だけに限定されなかったことです。
若い頃には二代目尾上松緑に師事し、江戸の荒事も学びました。
その経験は『車引』の梅王丸などにも生かされています。
義太夫狂言の人物表現を軸にしながら、異なる様式の演目にも対応できたことが、我當の俳優としての幅広さを物語っています。
【受賞歴と功績】重要無形文化財保持者として上方歌舞伎を継承
片岡我當の評価は、舞台上の実績だけではありません。
後進の指導や歌舞伎の普及活動にも長年取り組みました。
主な受賞歴・文化的評価
| 年 | 受賞・認定 |
|---|---|
| 1971年 | 大阪府民劇場奨励賞 |
| 1972年 | 重要無形文化財保持者(総合認定) |
| 1984年 | 歌舞伎座優秀賞 |
| 1997年 | 京都府文化功労賞 |
| 1997年 | 十三夜会賞 |
| 1998年 | 第17回真山青果賞大賞 |
| 2004年 | 国立劇場特別賞 |
| 2005年 | 旭日双光章 |
日本俳優協会の公式記録と歌舞伎俳優名鑑には、これらの受賞・認定歴が掲載されています。
重要無形文化財の総合認定とは?
ここは誤解されやすいポイントです。
我當は1972年5月に、重要無形文化財保持者の総合認定を受けています。
ただし、これは一般に「人間国宝」と呼ばれる各個認定とは異なります。
文化庁によると、重要無形文化財保持者の認定には、次の3種類があります。
- 各個認定: 高度な技芸を持つ個人を認定する方式。一般に人間国宝と呼ばれる。
- 総合認定: 複数の人が一体となって芸能を体現する場合、その構成員を認定する方式。
- 保持団体認定: 技芸を保持する人々が中心となっている団体を認定する方式。
歌舞伎は、俳優だけでなく、竹本、長唄、鳴物など多くの専門家が一体となって成立する総合芸術です。
我當の認定は、こうした伝統歌舞伎の保持者としての位置づけを示しています。
したがって、我當を紹介する際には「重要無形文化財保持者(総合認定)」と記すのが正確です。「人間国宝に個人認定された」とするのは制度上の区別を誤っています。
若手俳優の指導と歌舞伎鑑賞教室
我當の功績で見落とせないのが、後進の育成です。
「上方歌舞伎会」などの公演では、若手俳優の指導に携わりました。
また、関西で学生を対象とする歌舞伎鑑賞教室にも長年取り組んでいます。
歌舞伎は、舞台を観るだけでは技芸の全体像を理解しにくい芸能です。
せりふの調子、身体の使い方、役柄の性根、舞台上の約束事などは、実演と指導を通して受け継がれていきます。
我當が若手俳優を指導したことは、舞台に立つ一人の役者としての活動を超え、上方歌舞伎の将来を支える仕事でもありました。
日本俳優協会で幹事、評議員、理事、監事などを歴任し、2012年には参与となったことも、歌舞伎界の運営と保存に関わってきた歩みを示しています。
【最後の舞台と逝去】2020年から2025年5月11日まで
片岡我當の最後の舞台は、2020年2月の歌舞伎座公演でした。
出演したのは、十三世片岡仁左衛門二十七回忌追善狂言『八陣守護城』の佐藤正清役です。
父の追善公演が、我當にとって最後の舞台出演となりました。
最後の舞台となった『八陣守護城』
『八陣守護城』は、歌舞伎の時代物に属する演目です。
2020年2月の歌舞伎座では、父・十三代目片岡仁左衛門の二十七回忌追善狂言として上演されました。
我當が演じた佐藤正清は、物語の中で重厚な存在感が求められる役柄です。
父の芸を受け継いできた我當にとって、その父を追善する公演への出演は、芸の系譜という観点からも意味のある舞台でした。
歌舞伎美人とステージナタリーはいずれも、この公演を最後の舞台出演として記録しています。
2025年5月11日に90歳で逝去
2025年7月17日、五代目片岡我當が同年5月11日に死去していたことが公表されました。
共同通信の報道によると、死因は肺炎。東京都内の病院で午後4時37分に亡くなり、享年は90歳でした。
葬儀は親族による密葬として執り行われています。
ここで押さえておきたいのは、亡くなった日と訃報が発表された日が異なることです。
- 2025年5月11日:逝去
- 2025年7月17日:訃報公表
検索結果によっては7月17日が死亡日であるかのように見えることがありますが、実際の逝去日は5月11日です。
2026年現在、改めて評価される功績
2026年11月現在、我當はすでに逝去しています。
そのため、現在の活動状況を紹介する対象ではなく、残された舞台記録、芸歴、受賞歴、後進への指導実績から功績を振り返るべき俳優です。
特に評価したいのは、次の3点です。
1. 父・十三代目片岡仁左衛門から上方歌舞伎の芸を継承したこと。
2. 『新口村』『沼津』などの重要な役柄を通して、松嶋屋の芸を伝えたこと。
3. 若手俳優の指導や学生向けの鑑賞教室を通じ、歌舞伎の継承と普及に取り組んだこと。
舞台での実績と、舞台の外での育成活動。この両方が、五代目片岡我當の功績を理解するうえで重要です。
【よくある質問】片岡我當に関するFAQ
Q1:片岡我當の読み方は何ですか?
A1:五代目片岡我當は「かたおか・がとう」と読みます。「我當」は旧字体で、「我当」と表記される場合もあります。
Q2:片岡我當の本名は何ですか?
A2:本名は片岡秀公(かたおか・ひできみ)です。1935年1月7日に東京都で生まれました。
Q3:片岡我當は誰の息子ですか?
A3:十三代目片岡仁左衛門の長男です。弟には二代目片岡秀太郎と十五代目片岡仁左衛門がいます。
Q4:片岡進之介は片岡我當の息子ですか?
A4:はい。初代片岡進之介は我當の長男です。1967年生まれで、1971年に初舞台を踏んだ歌舞伎俳優です。
Q5:片岡我當の代表作は何ですか?
A5:『新口村』の孫右衛門、『沼津』の平作、『近頃河原の達引』の猿廻し与次郎などが代表的な役柄です。『時平の七笑』の藤原時平も高く評価されています。
Q6:片岡我當は人間国宝だったのですか?
A6:1972年に重要無形文化財保持者(総合認定)となっています。ただし、人間国宝と一般に呼ばれる各個認定とは異なる制度です。
Q7:片岡我當の最後の舞台はいつですか?
A7:2020年2月の歌舞伎座公演です。十三世片岡仁左衛門二十七回忌追善狂言『八陣守護城』で佐藤正清を演じました。
Q8:片岡我當の死因と亡くなった日は?
A8:2025年5月11日午後4時37分、肺炎のため東京都内の病院で亡くなりました。90歳でした。訃報は7月17日に公表されています。
【プロの結論】五代目片岡我當が後世に残したもの
五代目片岡我當の生涯を振り返ると、そこには名門の血筋を受け継いだ歌舞伎俳優というだけでは説明できない、長い芸の継承の歴史があります。
1935年に生まれ、1940年に初舞台。1971年には五代目我當を襲名し、その後も上方歌舞伎を中心に幅広い役柄を演じ続けました。
『新口村』の孫右衛門や『沼津』の平作に見られる情の深い演技は、父から受け継いだ芸を自身の表現へと昇華させたものでした。
さらに、重要無形文化財保持者としての活動、後進の指導、学生向けの歌舞伎鑑賞教室など、舞台を支える仕事にも力を注ぎました。
2020年の最後の舞台、2025年5月11日の逝去を経て、2026年現在、五代目片岡我當の功績を振り返る際に重要なのは、単に出演作品や受賞歴を数えることではありません。
父から受け継いだ芸を舞台で磨き、次の世代へ伝える役割を果たしたこと。
それこそが、片岡我當という歌舞伎俳優が松嶋屋と上方歌舞伎に残した、最も大きな財産です。
主な参考資料:公益社団法人日本俳優協会「片岡我當」、歌舞伎美人「片岡我當さんご逝去」、歌舞伎俳優名鑑「片岡我當」、文化庁「無形文化財」、日本芸術文化振興会「文化デジタルライブラリー」、伝統歌舞伎保存会、共同通信配信記事。