東声会とは何か?町井久之の結成から小澤達夫への継承、2026年の現在地まで徹底解説
東声会(とうせいかい)は、戦後の東京・銀座を拠点に勢力を拡大した暴力団組織である。創設者の町井久之が率いた時代から、東亜友愛事業組合、東亜会という名称の変遷を経て、2016年に再び東声会の名称を採用した。2026年には早野泰から小澤達夫への会長交代が報じられ、六代目山口組や四代目弘道会との関係にも注目が集まっている。
一方、東声会は警察庁が公表する指定暴力団一覧には掲載されていない。では、なぜ指定暴力団ではないのか。町井久之の結成経緯、歴代会長、東亜友愛事業組合から東亜会への組織再編、2026年の六代目継承報道を時系列で整理すると、その歴史と現在の位置づけが見えてくる。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 結成の背景:1957年、町井久之が東京で東声会を結成。戦後の愚連隊勢力を背景に拡大した。
- 名称の変遷:東声会から東亜友愛事業組合、東亜会へと変わり、2016年に早野泰が東声会の名称を復活させた。
- 2026年の最新動向:3月17日の会長継承が報じられ、小澤達夫が新会長に就任したとされる。
- 指定暴力団との違い:2026年5月末時点の警察資料に掲載された指定暴力団24団体に東声会は含まれていない。
- 山口組との関係:1963年以来の親戚関係があり、2025年の小澤達夫の移籍報道と2026年の継承が注目された。
【基礎知識】東声会とは何者なのか?2026年現在の組織の位置づけ

東声会の基本情報

東声会は、主に関東地方を活動基盤としてきた暴力団組織である。創設者は町井久之(本名・鄭建永)。戦後の混乱期に形成された愚連隊勢力を背景として、東京の繁華街を中心に勢力を伸ばした。
現在の名称に至るまでには、単純な改称だけでは説明できない組織再編があった。1966年の東声会解散、翌1967年の東亜友愛事業組合の発足、さらに東亜会への移行という経緯がある。
2016年には早野泰が会長に就任し、東亜会から東声会へ名称を戻した。2026年には小澤達夫への会長交代が報じられている。
2026年現在の基本的な位置づけ

- 組織名:東声会
- 創設者:町井久之
- 前身・関連する組織名:東亜友愛事業組合、東亜会
- 2016年から2026年までの会長:早野泰
- 2026年の新会長:小澤達夫(報道ベース)
- 指定暴力団:指定を受けていない
- 歴史的な関係:六代目山口組との親戚関係が報じられている
なお、東声会の結成時期については1947年と1957年の両方を記載する資料が存在する。2026年4月の一部報道は1947年を採用している一方、専門的な組織史記事や、それらが参照する歴史資料では1957年説が採用されている。本記事では、1957年を組織としての結成時期として整理する。
この違いは、町井久之が戦後に形成した人的勢力と、東声会という名称を掲げた組織の成立時期が混同されている可能性も考慮する必要がある。
(参考:城内康伸『猛牛と呼ばれた男』、ミックスジャーナルの組織史)
【歴史と結成経緯】町井久之が東声会を築いた戦後の背景
町井久之とは何者だったのか
東声会の歴史を理解するうえで欠かせない人物が、初代会長の町井久之である。
町井久之は1923年に東京で生まれた在日韓国人二世で、本名は鄭建永。戦後の混乱期に東京の繁華街で活動し、銀座を中心に人脈と事業基盤を形成した。
町井は中央商会や中央興行社などを通じて興行・商業分野にも関係を持ち、若者を中心とした不良グループを影響下に置いていった。こうした企業群や人的勢力は、町井一家と総称されていた。
町井の特徴は、単に一つの不良グループを率いていたことではない。繁華街における人的ネットワーク、興行関係者とのつながり、政治・経済関係者との交流を背景に、組織としての影響力を形成した点にある。
町井久之の生涯を詳しく扱った城内康伸の著書『猛牛と呼ばれた男――「東声会」町井久之の戦後史』は、本人の周辺人物への取材などを通じ、戦後史における町井の存在を描いている。
1957年の東声会結成と急速な勢力拡大
1957年、町井久之は東声会を結成した。旧町井一家の勢力が組織の中核を担ったとされる。
当時の東声会は、従来から縄張りを持っていた博徒系組織とは異なる性格を持っていた。固定した縄張りに依存するのではなく、東京の繁華街などに進出しながら勢力を広げていった。
その過程では既存組織との衝突も発生した。1961年には、新宿を拠点とする東声会系の三声会を率いた三木恢が、港会系組員に射殺される事件が起きている。
当時の新宿は複数の組織が活動する地域であり、飲食店や遊興施設をめぐる利害関係が対立の背景にあった。東声会の拡大は、既存勢力との関係を難しくする側面も持っていた。
1963年、山口組との親戚関係が成立
東声会にとって大きな転機となったのが、1963年の山口組との関係構築である。
町井久之と三代目山口組組長・田岡一雄は、児玉誉士夫の仲介によって兄舎弟の盃を交わしたとされる。これによって両組織は親戚関係となり、以後、長期にわたる関係を維持してきた。
この背景には、町井が既存の組織社会で孤立する状況を打開したいという事情や、山口組側の関東における人脈形成など、複数の要素があったと組織史研究では説明されている。
1966年の解散と1967年の再編
1964年以降、警察当局は第一次頂上作戦と呼ばれる暴力団取締りの強化を進めた。東声会もその影響を受け、1966年9月に組織を解散した。
しかし、翌1967年には旧東声会勢力を引き継ぐ東亜友愛事業組合が発足する。初代理事長には、旧東声会副会長だった平野富士松が就任した。
町井久之は表立った組織運営から距離を置き、実業界への転身を図ったとされる。一方、旧東声会勢力の一部は新しい名称のもとで活動を継続した。
つまり、1966年の解散は、関係する人々や組織の活動がすべて消滅したことを意味するものではなかった。翌年の再編が、その後の東亜会、そして現在の東声会につながっていく。
(参考:ミックスジャーナル「東声会」、城内康伸『猛牛と呼ばれた男』)
【歴代会長と組織変遷】東声会から東亜友愛事業組合・東亜会へ
歴代トップの変遷一覧
東声会の歴代会長を調べる際に注意したいのが、組織名の変更に伴ってトップの役職も変化している点だ。
東亜友愛事業組合時代には理事長という役職が用いられ、東亜会への移行後は会長制に移った。したがって、歴代会長だけでなく、各時代の理事長も含めて確認する必要がある。
| 時期 | 組織名・トップ | 主な出来事 |
|---|---|---|
| 1957年~1966年 | 東声会・町井久之 | 初代会長。組織を結成し、関東を中心に勢力を拡大。 |
| 1967年以降 | 東亜友愛事業組合・平野富士松 | 初代理事長。旧東声会勢力を引き継いで再編。 |
| その後 | 東亜友愛事業組合・沖田守弘 | 二代目理事長。山口組との関係を継続。 |
| その後~1999年 | 東亜友愛・東亜会・二村昭平 | 組織名を東亜友愛、さらに東亜会へと変更。会長制に移行。 |
| 1999年6月~2016年 | 東亜会・金海芳雄 | 二代目会長に就任。2016年に早野泰へ継承。 |
| 2016年~2026年 | 東声会・早野泰 | 会長就任とともに東亜会から東声会へ名称を変更。 |
| 2026年~ | 東声会・小澤達夫 | 3月17日の継承式が報道され、新会長への交代が伝えられた。 |
なお、平野富士松から沖田守弘、二村昭平への移行については、個々の就任年月日を一貫して確認できる公的な年表が存在しない。表では確認できる組織上の順序を中心に整理している。
東亜友愛事業組合から東亜会への変化
1967年に発足した東亜友愛事業組合は、名称に「事業組合」と付いているものの、組織史資料では旧東声会の勢力を引き継ぐ暴力団組織として説明されている。
その後、沖田守弘から二村昭平へとトップが移り、東亜友愛、東亜会という名称へ変化した。二村の時代には理事長から会長へと役職も変更されている。
1999年6月には金海芳雄が二村昭平の後を継いで東亜会二代目会長に就任した。
この段階で、組織の歴史は町井久之の時代から大きく離れた世代へと移っていたが、山口組との関係など、過去から続く人的なつながりは維持されていた。
2016年、早野泰が東声会の名称を復活
2016年、金海芳雄の後を継いだ早野泰が会長に就任した。同時に組織名を東亜会から東声会へ変更した。
これは、単なる看板の掛け替えではない。1950年代に町井久之が結成した東声会という名称を再び採用し、歴史的な組織の連続性を前面に出す動きだった。
早野体制は2026年3月の継承報道まで続いた。町井久之、平野富士松、沖田守弘、二村昭平、金海芳雄と続く歴史を経て、早野泰から小澤達夫へとトップが交代したことになる。
この変遷については、ミックスジャーナルが『実話時代』2016年12月号や関連する組織史資料を参照して整理している。
(参考:ミックスジャーナル「東亜友愛事業組合沖縄支部」)
【2026年最新】小澤達夫への六代目継承と六代目山口組との関係
2025年10月、小澤達夫と早野泰の関係に変化
小澤達夫への会長交代を理解するには、2025年10月に報じられた動きが重要になる。
週刊アサヒ芸能の2025年10月11日付記事によると、10月1日、東京都台東区にある六代目山口組直系組織・落合金町連合の本部で、東声会の早野泰会長と小澤達夫の兄舎弟盃が交わされた。
当時の小澤は、六代目山口組の中核組織である四代目弘道会に所属し、若頭補佐を務めていた小澤組組長として報じられている。
報道によれば、この儀式によって小澤は早野の舎弟として東声会に移籍した。これは通常の内部昇格とは異なり、別組織の幹部が他団体のトップとの関係を結び、その組織へ移るという点で注目された。
なお、当時の報道では、両者の関係についてさまざまな憶測も紹介されたが、実際に行われた儀式は兄舎弟盃だったと説明されている。
(参考:週刊アサヒ芸能2025年10月16日号)
2026年3月17日、小澤達夫への会長継承が報じられる
2026年の大きな動きは、3月17日に発生した。
講談社のFRIDAYデジタルは2026年4月3日、東京都台東区にある落合金町連合本部で東声会の代目継承盃儀式が行われたと報じた。
同記事によれば、式典には六代目山口組の竹内照明若頭が後見人として出席し、四代目弘道会の野内正博会長も参加した。早野泰から小澤達夫への会長交代が行われたという。
週刊アサヒ芸能の2026年4月5日付記事も同日の継承を報じており、複数の報道媒体が小澤達夫の新会長就任を伝えている。
これらの報道では、継承盃儀式に続いて、小澤と東声会の構成員との間で盃直しの儀式も行われたと説明されている。アサ芸の記事は、約20人の構成員が新会長と縁を結んだと伝えている。
ただし、この約20人という数字は儀式に参加した人数に関する報道であり、東声会全体の構成員数を示す統計ではない。
四代目弘道会と六代目山口組の関係はどう変わったのか
今回の継承が注目された理由の一つは、小澤達夫の経歴にある。
四代目弘道会は六代目山口組の中核を担う組織であり、小澤はその若頭補佐として活動していたと報じられてきた。
今回の継承では、六代目山口組の竹内照明若頭が後見人として参加し、野内正博も式典に列席したとされる。
これは、東声会と山口組の間に長年存在してきた親戚関係を背景にした動きと考えられる。
ただし、ここで重要なのは、親戚関係と正式な組織上の上下関係は同じではないという点だ。報道では東声会は六代目山口組の親戚団体として扱われており、今回の会長交代だけを根拠に、東声会全体が六代目山口組の正式な直系傘下組織になったと断定することはできない。
また、「六代目継承」という表現についても、組織内部の代数と法令上の指定区分は別の概念である。2026年の報道で確認できる中心的な事実は、3月17日の代目継承と小澤達夫への会長交代だ。
(参考:FRIDAYデジタル2026年4月3日、週刊アサヒ芸能2026年4月9日号)
【公的資料で検証】東声会が指定暴力団ではない理由とは?
2026年の指定暴力団一覧に東声会は掲載されていない
東声会を調べる読者が疑問に感じやすいのが、指定暴力団との違いである。
警察庁の「令和7年における組織犯罪の情勢」では、2026年3月12日までに官報公示された指定暴力団の情報をまとめている。その後、静岡県警察が2026年6月4日に更新した資料では、令和8年5月末時点の指定暴力団は全国24団体とされている。
この一覧には六代目山口組、稲川会、住吉会、五代目工藤會、旭琉會などが掲載されているが、東声会の名称は含まれていない。
したがって、2026年5月末時点で確認できる公的な位置づけは、東声会は指定暴力団として指定されていない組織、ということになる。
そもそも指定暴力団とは何か
指定暴力団とは、1991年に制定された「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」、通称・暴対法に基づき、都道府県公安委員会が指定する暴力団を指す。
重要なのは、単に暴力団と呼ばれる組織が存在すれば、自動的に指定暴力団になるわけではないという点である。
暴対法第3条では、指定に当たって次の3つの要件を定めている。
- 実質目的:構成員が組織の威力を利用して資金を獲得できるようにし、それを組織として容認することが実質的な目的であると認められること。
- 犯罪経歴保有者の比率:幹部または全構成員に占める犯罪経歴保有者の割合が、法律で定められた基準を超えること。
- 階層的構成:代表者や組織運営を支配する者の統制下で、階層的に構成されていること。
これらはすべて満たす必要がある。指定に際しては都道府県公安委員会による手続きに加え、国家公安委員会による要件該当性の確認なども必要になる。
つまり、指定暴力団という区分は、警察当局が法律上の要件に基づいて行う行政上の指定である。
(参考:暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律第3条、警察庁の法解説資料)
東声会が指定されていない具体的な理由は公表されているのか
ここは誤解が生じやすい部分だ。
東声会が指定暴力団一覧にないことは確認できる。しかし、警察庁や公安委員会の公表資料に、東声会について「3つの要件のうち、この要件を満たさないため指定していない」と個別に説明した資料は確認できない。
そのため、構成員数が少ないから、組織の形態が違うから、あるいは他団体との関係があるからといった理由を、指定されていない直接の原因として断定することはできない。
また、指定を受けていないことと、暴力団ではないことも同義ではない。暴対法第2条は暴力団そのものを定義し、第3条は指定暴力団の要件を定めている。両者は区別して理解する必要がある。
指定暴力団ではないから規制されない、という誤解
指定暴力団に該当しない組織であっても、構成員個人が犯罪を行えば、刑法や関連する法律に基づく捜査・処罰の対象となる。
暴力団排除条例や各種の契約上の暴力団排除条項なども、指定の有無だけで単純に判断できるものではない。
したがって、東声会が指定暴力団ではないという事実から、社会的に問題のない団体だと判断するのは誤りである。
【組織構造と実態】東声会の現在の勢力や山口組との関係を整理
組織構造はどのようになっているのか
東声会の組織構造を理解するには、創設期、東亜友愛事業組合時代、東亜会時代、現在の4つの段階に分けて考えると分かりやすい。
創設期には町井久之を中心に、町井一家と呼ばれる人的勢力が中核を担った。その後、東亜友愛事業組合では理事長を頂点とする運営体制が取られ、東亜会への移行後には会長制へと変化した。
2016年以降の東声会についても、会長を中心とした幹部体制が報道されている。2026年の継承報道では、会長交代のほか、構成員との盃直しが伝えられた。
ただし、現在の全幹部の役職や傘下組織の完全な一覧、各組織の人数を網羅した公的資料は確認できない。報道に出てくる一部の役職や人物だけで、組織全体の実態を把握できるわけではない。
町井時代と現在では組織の規模が違う
町井久之が率いた時代の東声会は、1958年時点で約500人、最盛期には約1,600人に達したとする組織史資料がある。
当時は銀座を中心に、新宿や神奈川、埼玉、群馬などへ活動範囲を広げていた。大阪や沖縄にも関係する組織が存在したとされる。
一方、2026年の東声会について、町井時代と同じ基準で比較できる最新の構成員数は公的に確認できない。
警察庁の2026年4月公表資料によれば、2025年末時点で全国の暴力団構成員及び準構成員等の総数は約17,600人となり、暴対法施行後で最少となった。構成員だけで見ると約9,400人である。
こうした全国的な縮小傾向のなかで、東声会についても、過去の最盛期の規模をそのまま現在に当てはめることはできない。
東亜友愛事業組合の沖縄支部から見える組織の広がり
東声会の歴史を考えるうえでは、沖縄における関連組織の動きも興味深い。
ミックスジャーナルの調査によれば、沖縄では1966年に宜保俊夫が設立した右翼団体・誠会が、町井久之との兄弟盃を経て東声会沖縄支部へと名称を変更した。
1967年に本体が東亜友愛事業組合へ再編されると、沖縄支部も東亜友愛事業組合沖縄支部へと名称を変更したという。
その後、沖縄では東亜会誼興会などの関連組織が確認されている。沖縄県警察本部の「沖縄県警察50年の歩み」には、2012年3月に東亜会二代目誼興業が解散した記録も掲載されている。
この経緯は、東声会から東亜友愛事業組合への再編が、東京だけにとどまらず、地方の関連組織にも影響していたことを示している。ただし、各団体がどこまで直接的な組織上の連続性を持っていたかは、個別に検討する必要がある。
【プロの結論】東声会を理解するための3つの判断基準
東声会の情報を読み解く際には、次の3点を押さえておきたい。
第一に、組織名と組織の連続性を区別すること。
東声会、東亜友愛事業組合、東亜会という名称は異なるが、歴史的には旧東声会勢力を引き継ぐ再編の流れとして説明されている。名称変更だけを見て、まったく別の組織が誕生したと理解するのは正確ではない。
第二に、指定暴力団という法的区分と組織の実態を混同しないこと。
指定暴力団一覧に掲載されていないことは、公的な指定状況を示す事実である。しかし、それだけで組織の性格や活動実態を判断することはできない。
第三に、2026年の継承報道と公式な行政情報を分けて読むこと。
小澤達夫への交代は複数の報道媒体が伝えている一方、指定暴力団の一覧は警察当局の公表資料で確認できる。それぞれが扱う情報の性質は異なる。
東声会の歴史は、戦後の組織形成、警察の取締り、組織再編、他団体との関係、そして世代交代という複数の要素が重なっている。単純な歴代会長の交代だけでは、その変化を十分に理解できない。
【東声会に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:東声会は指定暴力団なのか?
A1:指定暴力団ではない。静岡県警察が公表した2026年5月末時点の全国指定暴力団一覧に、東声会は掲載されていない。ただし、指定されていないことと暴力団ではないことは別の問題である。
Q2:東声会の現在の会長は誰?
A2:2026年4月のFRIDAYデジタルや週刊アサヒ芸能の報道によると、小澤達夫が2026年3月17日に早野泰から会長職を継承したとされる。
Q3:東声会と東亜友愛事業組合・東亜会は別の組織なのか?
A3:歴史的には連続した再編の流れとして説明されている。1966年の東声会解散後、1967年に東亜友愛事業組合が発足し、その後、東亜会へ名称が変更された。2016年に早野泰が東声会の名称を復活させた。
Q4:東声会は六代目山口組の傘下組織なのか?
A4:報道では六代目山口組の親戚団体として扱われている。1963年の町井久之と田岡一雄の兄舎弟盃以来、関係が続いているとされる。ただし、親戚関係と正式な傘下関係は区別する必要がある。
Q5:町井久之は東声会の何代目なのか?
A5:町井久之は東声会の創設者であり、初代会長として知られる。1957年に結成したとする組織史資料がある一方、一部報道では1947年という設立年も使われている。
まとめ:東声会の歴史と2026年以降の動向を見極める
東声会は、町井久之が戦後の東京で築いた人的勢力を基盤として形成された組織である。1957年の結成から1966年の解散、1967年の東亜友愛事業組合への再編、東亜会への名称変更を経て、2016年に早野泰が東声会の名称を復活させた。
そして2026年3月17日、早野泰から小澤達夫への会長継承が報じられた。小澤が四代目弘道会の若頭補佐を務めていた経歴や、六代目山口組の竹内照明若頭らが継承式に参加したとされる点は、今回の交代を特徴づける要素となっている。
一方、東声会は2026年5月末時点の公的な指定暴力団一覧には含まれていない。指定の有無、組織の歴史、山口組との関係、そして現在の会長に関する報道は、それぞれ別の情報として整理する必要がある。
今後注目されるのは、小澤体制のもとで東声会の組織運営や対外関係がどのように変化するかという点だ。町井久之の時代から続く歴史的なつながりを残しながら、2026年の世代交代がどのような影響を及ぼすのか。警察当局の公表資料と信頼できる報道を照らし合わせて追うことが、東声会の現在地を理解するための確かな方法となる。
編集・ファクトチェック上の主要参照資料
- 警察庁「令和7年における組織犯罪の情勢」(2026年4月)
- 静岡県警察「暴力団対策」(2026年6月4日更新)
- e-Gov法令検索「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」
- 講談社・FRIDAYデジタル(2026年4月3日)
- 週刊アサヒ芸能(2025年10月16日号、2026年4月9日号)
- 城内康伸『猛牛と呼ばれた男――「東声会」町井久之の戦後史』(新潮社)
- ミックスジャーナル「東声会」「東亜友愛事業組合沖縄支部」
※重要な留意点:小澤達夫の就任は報道に基づく情報であり、指定暴力団の指定状況は警察資料に基づく情報です。また、2026年10月30日時点の最新の個別構成員数や全幹部名簿は、公的資料からは確認できません。