安倍晋三の下関事務所は現在どうなった?2022年閉鎖と吉田真次への継承を徹底解説
2026年現在、安倍晋三元首相が長年活動拠点としていた山口県下関市東大和町の事務所は、安倍氏本人の事務所としては閉鎖されています。しかし、その場所が政治活動の拠点として完全に使われなくなったわけではありません。現在は、安倍氏の後継として2023年の衆議院山口4区補欠選挙に当選した吉田真次衆院議員の下関事務所として利用されています。
大きな転換点となったのは、2022年12月28日です。この日、安倍昭恵さんが事務所の看板を取り外し、長年続いた安倍晋三事務所の歴史に一区切りがつきました。その後、吉田氏への政治的な地盤の継承、安倍晋三後援会の解散、2024年の三回忌に合わせた献花台の設置など、下関の政治拠点は新しい形へと変化しています。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 現在の状況:旧安倍晋三事務所は閉鎖され、下関市東大和町の同じ住所は吉田真次衆院議員の事務所として使われている。
- 閉鎖の理由:2022年11月に閉所が発表され、国葬儀と県民葬儀を終えたことを一区切りとして年末に閉じる方針が示された。
- 看板撤去:2022年12月28日、安倍昭恵さんが「あべ晋三事務所」の看板を取り外した。
- 後援会のその後:安倍晋三後援会は解散し、政治活動の支援体制も吉田氏を中心としたものへ移行した。
- 2024年の出来事:7月8日の三回忌には、旧事務所に安倍氏の遺影と献花台が設けられた。
【2026年現在】安倍晋三の下関事務所は吉田真次氏の事務所になっている

安倍晋三元首相の下関事務所について、最も重要なのは、安倍氏の事務所としての閉鎖と、その場所の政治活動拠点としての継続を区別することです。
2026年10月現在、吉田真次氏の公式ウェブサイトに掲載されている下関事務所の所在地は、次のとおりです。
〒750-0066
山口県下関市東大和町1丁目8-16
この住所は、安倍晋三氏が使用していた下関事務所の所在地と一致します。2024年7月の山口新聞の報道でも、安倍氏が生前使用していた東大和町の事務所を吉田真次衆院議員が現在使用していると伝えられています。
つまり、安倍氏の事務所が閉鎖された後、建物の所在地は吉田氏の地元事務所として政治活動に引き継がれたということです。
2026年の吉田真次氏の政治活動

吉田真次氏は1984年7月6日生まれ、山口県下関市出身の政治家です。関西大学法学部政治学科を卒業し、大阪府議会議員秘書を経て、2011年に下関市議会議員に初当選しました。その後、3期にわたって市議を務めています。
2023年4月23日の衆議院山口4区補欠選挙で初当選。2024年の衆議院選挙でも当選し、2026年2月の衆議院選挙では比例中国ブロックで当選しました。
2026年10月現在、吉田氏の公式プロフィールでは衆議院議員3期目とされ、安全保障委員会の理事などを務めています。また、第2次高市内閣では防衛大臣政務官と内閣府大臣政務官を兼務しています。
このように、安倍氏の後継として地元で政治活動を始めた吉田氏は、2026年には国政での役割を広げています。旧安倍事務所の所在地が現在も政治拠点として使われていることは、下関における政治的な継承を象徴する事実です。
【閉鎖の経緯】2022年12月28日に安倍昭恵さんが看板を撤去した理由

安倍晋三事務所の閉鎖は、2022年12月28日に突然決まったものではありません。安倍氏が亡くなった後、地元での追悼行事や政治活動の整理が進むなかで、事務所側が正式に閉所を発表していました。
2022年7月8日、安倍氏の死去で地元事務所が追悼の場所に
2022年7月8日、安倍晋三元首相は奈良市で参議院選挙の応援演説中に銃撃され、67歳で亡くなりました。
事件の翌日、下関市東大和町の安倍事務所には、花束を持った人々が次々に訪れました。事務所の玄関前に花を手向け、安倍氏の写真に向かって手を合わせる人の姿が地元メディアによって報道されています。
7月12日には東京での葬儀に合わせ、下関事務所にも献花台と記帳所が設けられました。地元の支援者だけでなく、安倍氏を悼む多くの人が訪れ、突然の死を惜しみました。
2022年11月22日、事務所が正式に閉所を発表
2022年11月22日、安倍晋三事務所は閉所に関する挨拶文を公表しました。
この文書では、事務所が安倍晋三氏の父である安倍晋太郎氏から引き継いだものであり、長年にわたり選挙を共に戦ってきた支援者にとって思い出深い場所だったことが説明されています。
そして、閉所の時期について、国葬儀と県民葬儀を終えたことを一区切りとし、2022年末をもって事務所を閉じると発表しました。
この発表から分かるのは、閉鎖が安倍氏の死去後の政治活動と追悼行事の整理に伴う決定だったということです。公式文書では、閉所の理由として国葬儀と県民葬儀を終えたことが明示されています。
2022年12月28日午後2時ごろ、安倍昭恵さんが看板を取り外す
閉所に向けた象徴的な出来事となったのが、2022年12月28日の看板撤去です。
テレビ山口の報道によると、午後2時ごろ、安倍昭恵さんと事務所関係者が「あべ晋三事務所」と書かれた看板を取り外しました。
看板が外されたのは、単に事務所の名称が変わったというだけではありません。安倍晋太郎氏から安倍晋三氏へと引き継がれてきた地元政治活動の拠点が、従来の形で役割を終えたことを示す場面でした。
なお、日付については少し注意が必要です。事務所側の11月22日の発表では閉所時期を「本年末」としており、12月28日は看板を取り外した日です。看板撤去の日と、発表された年末の閉所時期を区別すると経緯が理解しやすくなります。
【関係者・拠点の整理】安倍晋三、安倍昭恵、安倍晋太郎、吉田真次の関係
安倍晋三下関事務所のその後を理解するには、関係する人物や政治団体を分けて考える必要があります。特に、安倍家から吉田氏への政治的な継承と、後援会組織そのものの解散は、同じ出来事ではありません。
| 人物・組織・拠点 | 安倍事務所との関係 | 2026年時点の状況 |
|---|---|---|
| 安倍晋三 | 下関事務所を地元政治活動の拠点として使用 | 2022年7月8日に死去 |
| 安倍晋太郎 | 安倍晋三氏の父。地元事務所を先代として引き継がせた | 安倍家の地元政治基盤の前史 |
| 安倍昭恵 | 安倍晋三氏の妻。閉所時に看板を取り外した | 2022年12月28日の看板撤去に関与 |
| 吉田真次 | 安倍氏の選挙区の後継者として補選に出馬 | 衆議院議員。旧事務所所在地を下関事務所として使用 |
| 安倍晋三後援会 | 安倍氏の政治活動を支えた政治団体 | 2023年には解散が確認されている |
| 下関市東大和町1丁目8-16 | 安倍氏の地元事務所が置かれていた所在地 | 吉田氏の下関事務所として掲載 |
吉田真次氏は安倍家の親族ではなく、政治的な後継者
吉田真次氏について誤解しやすいのが、安倍家との関係です。
吉田氏は安倍晋三氏の親族ではありません。安倍氏の選挙区で後継候補として自民党から出馬し、選挙で当選した政治家です。
2023年4月の補欠選挙では、安倍氏の後継を掲げて選挙戦を展開しました。テレビ山口の報道では、吉田氏が安倍氏の志を引き継ぐ決意を示したことや、安倍昭恵さんが支援者に吉田氏を立派な国会議員に育ててほしいと呼びかけたことが伝えられています。
したがって、吉田氏への継承は血縁による世襲ではなく、選挙区と政治的な支援基盤を引き継ぐ形で実現したものです。
【地盤の歴史】安倍晋太郎から安倍晋三へ続いた下関事務所
下関市東大和町の事務所には、安倍晋三氏一人の活動拠点という以上の歴史があります。その背景には、父・安倍晋太郎氏から続く安倍家の政治基盤がありました。
父・安倍晋太郎氏から受け継がれた政治拠点
安倍晋太郎氏は、安倍晋三氏の父であり、外務大臣などを務めた政治家です。山口県を地盤として活動し、その政治基盤は息子の晋三氏へと受け継がれました。
2022年11月に公表された安倍晋三事務所の閉所挨拶でも、事務所について「先代・晋太郎先生より引き継いだもの」と説明されています。
つまり、2022年に閉じられた事務所は、安倍晋三氏が政治家として活動するためだけに新設した場所ではありません。安倍家が長年にわたって下関を中心に築いてきた政治活動の歴史を持つ拠点でした。
1993年の初当選から長期政権へ
安倍晋三氏は1993年の衆議院議員選挙で初当選しました。その後、2006年に初めて内閣総理大臣に就任し、2012年に再び首相となりました。
2012年から2020年まで続いた第2次安倍政権は、通算8年8か月に及ぶ長期政権となりました。その間も下関は安倍氏の地元として、選挙活動や支援者との交流における重要な拠点であり続けました。
テレビ山口が2022年12月に報じた過去のインタビューでは、安倍氏自身が地元に戻ることについて、気持ちがリラックスし、勇気づけられるという趣旨の発言をしています。
首相として東京を中心に活動していた安倍氏にとっても、下関は政治家としての出発点を確認できる場所だったといえます。
2023年の山口4区補選で吉田真次氏が当選
安倍氏の死去によって空席となった衆議院山口4区では、2023年4月23日に補欠選挙が実施されました。
自民党公認の吉田真次氏は、安倍氏の後継を掲げて選挙戦に臨み、51,961票を獲得して初当選しました。
この選挙は、安倍氏の政治的な地盤が誰に引き継がれるのかという点でも注目されました。吉田氏の当選によって、下関を中心とした安倍氏の支持者の一部は、新しい政治活動の支援先を得ることになりました。
ただし、選挙区の継承と、安倍氏の政治団体や後援会がそのまま存続することは別問題です。実際、安倍晋三後援会は解散しており、吉田氏は自らの政治活動を支える新しい体制を築いています。
2024年以降は選挙区も変化
さらに、2024年の衆議院選挙では、いわゆる10増10減に伴う選挙区の区割り変更が影響しました。旧山口4区を基盤として初当選した吉田氏は、2024年の衆院選では比例中国ブロックから当選しています。
2026年2月の衆議院選挙でも比例中国ブロックで当選しました。
そのため、2026年現在の吉田氏を単純に「山口4区選出議員」と表現するのは正確ではありません。安倍氏の後継という政治的な位置付けと、現在の選挙制度上の選出区分は分けて理解する必要があります。
【献花台と後援会のその後】2024年の三回忌に旧事務所で何があったのか
安倍晋三事務所が閉鎖された後も、旧事務所には安倍氏を偲ぶ人々の思いが残りました。その象徴的な出来事が、2024年7月8日に行われた三回忌の献花です。
2024年7月8日、旧事務所に遺影と献花台を設置
2024年7月8日は、安倍晋三元首相が亡くなってから2年となる三回忌の日でした。
山口新聞の2024年7月9日付報道によると、安倍氏が生前使用していた下関市東大和町の事務所には、安倍氏の遺影を飾った献花台が設けられました。
当時、その場所を使用していたのは吉田真次衆院議員です。つまり、政治活動の拠点としては吉田氏の事務所になっていた場所が、三回忌には安倍氏を追悼する場所にもなったのです。
県内外から長年の支援者や支持者が訪れ、遺影の前で静かに手を合わせました。報道では、安倍氏への感謝を伝えるために訪れた地元支援者の思いも紹介されています。
この出来事は、旧事務所が単なる政治事務所の住所変更や看板撤去だけでは語れない、地元の記憶と結びついた場所であることを示しています。
2026年も献花台が常設されているのか
ここで注意したいのは、2024年の献花台設置と、2026年現在の事務所の状態は別だという点です。
2024年の報道で確認できるのは、三回忌に合わせて献花台が設置されたという事実です。それをもって、現在も常設の献花台や追悼施設が設置されているとは判断できません。
また、旧安倍事務所が安倍氏の記念館や一般公開の追悼施設に変わったという情報も、今回確認できる報道からは読み取れません。
現在の主な用途は吉田真次氏の政治活動に関する事務所です。訪問を考える場合も、かつての安倍事務所がそのまま一般向けの記念施設として残っているわけではないことを理解しておく必要があります。
安倍晋三後援会は現在どうなっているのか
事務所の閉鎖と並んで気になるのが、安倍晋三氏を支えた後援会のその後です。
2023年7月の毎日新聞の報道では、安倍氏の後援会は、伊藤昭男会長が補欠選挙後に退任するなど、事実上の解散状態になったと伝えられています。
さらに、山口県が公表した安倍晋三後援会の政治資金監査関係資料には、後援会の解散によって主たる事務所が存在しなくなったため、監査を別の場所で実施した旨が記載されています。
この公的資料からも、安倍晋三後援会が従来の組織として活動を続けていないことが確認できます。
一方、吉田真次氏の公式ウェブサイトでは、吉田氏自身の後援会への入会案内が掲載されています。これは安倍晋三後援会がそのまま名称を変えて存続しているという意味ではなく、吉田氏の政治活動を支える新しい後援会組織です。
したがって、2026年現在の状況は、安倍晋三後援会の解散と、吉田真次氏を支援する組織の活動を区別して理解するのが正確です。
【プロの結論】安倍晋三下関事務所のその後から分かる3つの重要な事実
安倍晋三下関事務所をめぐる経緯を整理すると、単純に「閉鎖された」「吉田氏が引き継いだ」という説明だけでは、現在の状況を十分に理解できません。
1. 安倍晋三事務所は閉鎖されたが、所在地は政治拠点として残った
2022年12月末に閉鎖されたのは、安倍晋三氏の名前を掲げた政治事務所です。建物の所在地まで政治活動に使われなくなったわけではありません。
現在の吉田氏の公式住所と2024年の報道を照らし合わせることで、同じ場所が後継議員の地元事務所として使われていることが分かります。
2. 政治的な継承と後援会組織の継承は別だった
吉田氏は安倍氏の後継候補として選挙に勝利しましたが、安倍晋三後援会そのものは解散しました。
政治的な理念や支持者の一部が引き継がれることと、旧組織が法人格や政治団体としてそのまま存続することは違います。この区別は、安倍氏の地元政治の変化を理解するうえで重要です。
3. 旧事務所は政治の歴史と地域の記憶が交差する場所になった
2024年の三回忌に献花台が設けられたことからも分かるように、東大和町の事務所は、安倍氏を支えた人々にとって特別な意味を持つ場所でした。
一方で、政治活動の現場としては吉田氏の事務所へと役割が変わっています。過去を記憶する場所であると同時に、現在の政治活動が行われる場所でもあるという二つの側面を持っています。
安倍晋三下関事務所の歴史を正しく理解するには、看板の撤去、後援会の解散、事務所所在地の継続利用、選挙区の継承という4つの出来事を分けて見ることが大切です。
【安倍晋三下関事務所の現在】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:安倍晋三の下関事務所は現在も残っていますか?
A1:安倍晋三氏本人の事務所としては2022年末に閉鎖されています。ただし、所在地である山口県下関市東大和町1丁目8-16は、2026年現在、吉田真次衆院議員の下関事務所として公式サイトに掲載されています。
Q2:安倍晋三事務所が閉鎖された理由は何ですか?
A2:2022年11月22日に公表された閉所挨拶では、国葬儀と県民葬儀を終えたことを一区切りとして、年末に閉鎖する方針が説明されました。12月28日には安倍昭恵さんが事務所の看板を取り外しました。
Q3:安倍昭恵さんが看板を撤去したのはいつですか?
A3:2022年12月28日午後2時ごろです。テレビ山口の報道によると、昭恵さんと事務所関係者が「あべ晋三事務所」と書かれた看板を取り外しました。
Q4:旧安倍事務所を引き継いだ吉田真次氏とはどのような人物ですか?
A4:吉田真次氏は山口県下関市出身の政治家で、元下関市議会議員です。2023年4月の衆議院山口4区補欠選挙で安倍氏の後継候補として初当選しました。2026年現在も衆議院議員として活動しています。
Q5:安倍晋三後援会は現在も活動していますか?
A5:安倍晋三後援会は、2023年までに解散したことが政治資金監査関係資料などから確認できます。現在は吉田真次氏自身の後援会が別の組織として活動しています。
Q6:2024年に旧事務所に設置された献花台は現在もありますか?
A6:2024年7月8日の三回忌に合わせて献花台が設置されたことは山口新聞が報道しています。ただし、2026年現在も常設されていることを示す情報は確認できません。現在の事務所は吉田真次氏の政治活動の拠点です。
まとめ:安倍晋三下関事務所は閉鎖後も吉田真次氏の政治拠点として続いている
安倍晋三元首相が長年使用した下関事務所は、2022年12月28日の看板撤去を経て、年末をもって閉鎖されました。閉所の理由は、安倍氏の死去後、国葬儀と県民葬儀を終えたことを一区切りとするという事務所側の発表に示されています。
その後、2023年4月の山口4区補欠選挙で吉田真次氏が当選し、旧事務所の所在地は吉田氏の下関事務所として利用されるようになりました。2024年の三回忌には同じ場所に献花台が設けられ、安倍氏を偲ぶ支援者が訪れています。
2026年10月現在、確認できる状況を整理すると、安倍晋三事務所は再開されておらず、安倍晋三後援会も解散しています。一方、下関市東大和町の同じ住所では吉田真次氏が政治活動を続けています。
安倍晋太郎氏から安倍晋三氏へと受け継がれた政治拠点は、現在、吉田氏を中心とした新しい政治活動の場へと変わりました。看板は撤去されても、長年にわたって下関の政治と結びついてきた場所の歴史は、現在の地元政治の中にも引き継がれています。
主な根拠資料: テレビ山口(TBS NEWS DIG)、山口新聞、毎日新聞、山口県公表の政治資金監査資料、吉田真次公式ウェブサイト、衆議院公式プロフィール、首相官邸公表資料。