【引退理由を検証】栃煌山はなぜ2020年に現役を引退したのか

目次

栃煌山の引退理由として大きかったのは、十両への再陥落です。大関候補として長年期待されてきた力士が、なぜ33歳で土俵を去る決断をしたのでしょうか。

【検証資料 1】栃煌山の当時の様子・関連報道写真(出典:Yahoo!ニュース)

引退を決断するまでの経緯

栃煌山

栃煌山は2019年11月場所で、約12年ぶりに十両へ陥落しました。その後、幕内復帰を目指して土俵に立ち続けましたが、2020年3月場所では3勝12敗と大きく負け越します。

この結果、再び十両への陥落が決まりました。これが2度目の十両陥落となり、引退を考える大きなきっかけになりました。

2020年7月15日、栃煌山は師匠の春日野親方とともにリモート形式の引退会見に出席。年寄「清見潟」の襲名も発表しました。

引退会見では、大阪場所で十両への陥落が決まった段階で気持ちを固めたことを説明しています。次に十両へ落ちたときには一つの区切りをつけるという考えが、以前からあったことが報道されています。

怪我も引退に影響したのか

栃煌山

引退の背景には、長年の故障もありました。

日刊ゲンダイの引退当時の報道では、栃煌山は右足首の怪我に長く悩まされ、晩年は動きにも影響が出ていたと伝えられています。

さらに、2020年は新型コロナウイルスの影響で5月場所が中止になりました。再起を目指す力士にとって、通常の本場所日程が失われたことは、調整や稽古の面でも難しい状況でした。

同報道では、7月場所での再起を目指していたという関係者の話も紹介されています。怪我の治療と稽古を両立させる難しさも、引退を考える背景になったとされています。

引退は突然だったのか、それとも必然だったのか

栃煌山

引退発表だけを見ると突然の決断に映りますが、実際には長年の成績、怪我、番付の変化が重なった結果でした。

特に重要なのは、栃煌山が関脇まで上り詰めた実力者でありながら、再び十両から幕内へ戻ることの難しさを理解していた点です。

一方で、33歳という年齢だけを引退理由とするのは適切ではありません。引退当時の報道で中心的に語られているのは、2度目の十両陥落と故障、そして本人が考えていた現役生活の区切りです。

2020年7月場所の番付では西十両2枚目に位置していましたが、実際に土俵に上がることなく、7月15日に引退を発表しました。日本相撲協会の公式プロフィールでも引退場所は2020年7月場所と記録されています。

参考:日刊スポーツ、デイリースポーツ、日刊ゲンダイの2020年7月の引退報道。

【2022年1月30日】栃煌山の断髪式と引退後の新たな出発

現役引退を発表してから約1年半後の2022年1月30日、東京・両国国技館で栃煌山の引退披露大相撲と断髪式が開催されました。

当日は約300人の関係者が出席。元横綱・稀勢の里の二所ノ関親方、横綱照ノ富士、新大関御嶽海、同じ春日野部屋の栃ノ心らがはさみを入れました。

最後に師匠の春日野親方(元関脇・栃乃和歌)が止めばさみを入れ、大銀杏を切り落としました。

日刊スポーツなどの報道によると、断髪式は新型コロナウイルスの影響もあり、引退から約2年後の開催となりました。

断髪式で注目された稀勢の里との関係

断髪式には、現役時代に何度も対戦した稀勢の里も出席しました。

2019年1月の最後の取組から約3年。かつて土俵上で激しく競い合った同学年のライバルが、今度は栃煌山の大銀杏に別れを告げる場に立ち会いました。

これは栃煌山の力士人生を振り返るうえでも象徴的な場面です。勝負の相手だった力士たちとの関係が、引退後には相撲界を支える仲間として続いていることが伝わります。

断髪式後に掲げた親方としての目標

断髪式を終えた清見潟親方は、約15年間の現役生活を振り返り、感慨を示しました。

引退披露大相撲の報道では、今後の目標として、横綱や大関、優勝できる力士を育てたいという意欲も伝えられています。

自分自身は関脇まで昇進しながら大関や幕内優勝には届きませんでした。その経験を次世代の力士に伝え、現役時代に果たせなかった目標を後輩に託すという新しい挑戦が始まっています。

参考:日刊スポーツ2022年1月30日、デイリースポーツ2022年1月30日、日本相撲協会の断髪式関連記事。

【栃煌山に関するよくある質問(FAQ)】

Q1:栃煌山は2026年現在、何をしていますか?
A1:清見潟親方として春日野部屋に所属し、後進の指導に携わっています。日本相撲協会の職務分掌では審判部・指導普及部の担当として掲載されています。

Q2:栃煌山の最高位は何ですか?
A2:最高位は関脇です。関脇在位11場所、小結在位14場所で、三役には合計25場所在位しました。

Q3:栃煌山の通算成績と金星はいくつですか?
A3:通算661勝598敗19休です。金星は6個で、白鵬、日馬富士、鶴竜から各1個、稀勢の里から3個獲得しています。

Q4:栃煌山が引退した理由は何ですか?
A4:2020年3月場所で3勝12敗と負け越し、2度目の十両陥落が決まったことが大きな理由です。長年の右足首の故障も引退の背景として報じられました。同年7月15日に引退を発表しています。

Q5:栃煌山は大相撲で優勝したことがありますか?
A5:幕内最高優勝はありません。2012年夏場所には12勝3敗で優勝決定戦に進みましたが、旭天鵬に敗れました。三段目では2005年11月場所に優勝しています。

Q6:栃煌山の断髪式はいつ開催されましたか?
A6:2022年1月30日に両国国技館で開催されました。約300人が出席し、最後は師匠の春日野親方が止めばさみを入れました。

Q7:栃煌山と豪栄道はどのような関係ですか?
A7:小学生時代から対戦してきたライバルです。ともに花のロクイチ組と呼ばれる世代で、豪栄道は大関まで昇進しました。豪栄道は引退後、武隈親方として活動しています。

まとめ:栃煌山は関脇の実績を次世代に伝える清見潟親方へ

栃煌山は、最高位関脇、通算661勝598敗19休、金星6個、三賞6回という実績を残した元力士です。

2012年夏場所の優勝決定戦では旭天鵬に敗れ、幕内優勝には届きませんでした。しかし、横綱4人から金星を獲得し、三役25場所を務めた実力は、長年にわたって上位で戦い続けた証しです。

豪栄道との幼少期からのライバル関係、稀勢の里の最後の対戦相手となった2019年の一番も、栃煌山の相撲人生を象徴する出来事として記憶されています。

2020年7月、2度目の十両陥落を機に現役を引退。その後は清見潟親方として春日野部屋に残り、2022年の断髪式を経て、指導者としての道を歩んでいます。

【プロの結論】栃煌山の評価は大関昇進や優勝回数だけでは決まらない

栃煌山の相撲人生を評価するとき、注目すべきなのは大関になれなかったことや幕内優勝を逃したことだけではありません。

長年にわたって幕内で戦い、三役を25場所務め、横綱から6個の金星を獲得したこと。そして、怪我や番付の変化に直面するまで、自分の相撲を貫いたことに大きな価値があります。

また、2026年現在の清見潟親方を知る際には、現役時代の成績だけでなく、日本相撲協会での役職や春日野部屋での指導活動にも目を向ける必要があります。

栃煌山という力士の挑戦は2020年に終わりました。しかし、清見潟親方として、次の世代に相撲の技術や経験を伝える新しい挑戦は続いています。現役時代に果たせなかった大関昇進や優勝への夢を、これから育つ力士たちが実現する日が来るかどうかも、今後の楽しみの一つです。