【7歳から芸能界へ】手塚理美のモデル時代とユニチカ2代目マスコットガール

目次

手塚理美さんの芸能活動は、一般的な女優のキャリアとは少し異なります。女優になることを最初から目指していたのではなく、幼い頃に偶然引き受けた広告モデルの仕事が、その後の人生を大きく変えました。

7歳で松屋の七五三広告に出演

手塚理美若い頃

2024年のCHANTO WEBのインタビューで、手塚さん本人が子ども時代のエピソードを明かしています。

もともと弟がモデルをしており、松屋の七五三広告の撮影で、出演予定だった女の子が風邪で倒れたため、急きょ代役を務めることになったそうです。

当時は着物を着ることが好きではなかったものの、笑顔が得意だったことから、その後も広告やCMへの出演が続きました。

本人によれば、撮影を楽しんでいたというより、早く終わらせるために笑顔を作っていた子どもだったといいます。

12〜13歳でユニチカの2代目マスコットガールに

手塚理美若い頃

本格的に芸能界へ進むきっかけになったのが、繊維メーカー・ユニチカの2代目マスコットガールへの選出です。

中学1年生の頃に選ばれ、雑誌やCMなどのモデル活動が本格化しました。

選出年については、経歴資料に1974年と1975年の両方の表記があります。本人へのインタビューでは13歳での本格デビューと紹介されており、1961年生まれという生年月日を踏まえると、12〜13歳の時期に当たります。

当時の彼女は、単にかわいらしい子どもというだけではありません。強いまなざしと大人びた雰囲気が印象的で、中学生とは思えない存在感を持っていました。

モデル活動は華やかでも、本人には窮屈だった

手塚理美若い頃

一方で、芸能活動が順調だったからといって、本人が常に満足していたわけではありません。

CHANTO WEBのインタビューでは、高校受験で希望校に合格したものの、芸能活動を続けるなら入学できないと学校側から伝えられた経験も語っています。

ユニチカとの契約があったため芸能界を辞めることも難しく、別の高校を受験することになりました。

高校時代は午前中に授業を受け、午後から撮影現場へ向かう生活。髪型も自由に変えられず、友人と遊ぶ時間も限られていたそうです。

華やかな芸能界のイメージとは対照的に、少女時代の手塚さんは、自分の意思で人生を選びにくい環境にいました。

この経験は、後にモデル活動から距離を置き、女優として新しい道を選ぶ背景にもつながっています。

【19歳・20歳の写真】篠山紀信が撮影したシチズンの広告が話題に

手塚理美さんの若い頃を調べる人が特に関心を寄せているのが、19〜20歳頃の写真です。

2025年12月、手塚さんは自身のInstagramで、昔の広告写真を公開しました。その写真が、シチズンの腕時計「カスタリア」の広告で、撮影を担当したのは写真家の篠山紀信さんだったと説明しています。

19〜20歳頃の写真はどのようなもの?

公開された写真は、強い視線と清楚な雰囲気が印象に残るポートレートです。

当時の手塚さんには、少女時代のあどけなさを残しながらも、モデルとして成熟していく時期ならではの美しさがあります。

特に興味深いのは、撮影当時の年齢について本人が「多分、19歳〜20歳」と振り返っている点です。

また、広告の撮影時期については、本人が1981年頃だったかと回想しています。

したがって、写真を特定の撮影日や正確な年齢で断定するより、本人の記憶に基づく19〜20歳頃の作品として捉えるのが適切です。

2025年に公開された写真への反響

この写真は、芸能ニュースでも取り上げられました。

よろず〜ニュースなどは、当時の手塚さんの写真に対して、ネット上で美しさを称賛する反応が寄せられたと報道しています。

話題になったのは、単なる懐かしい写真というだけではありません。

手塚さん自身が、長年芸能界で活動してきた自分の過去を振り返り、若い頃の自分を肯定するような投稿をしたことにも注目が集まりました。

15歳頃の雑誌写真も公開

実は19〜20歳の広告写真だけではありません。

2025年6月には、15歳頃に撮影された雑誌写真もInstagramで公開しています。

本人は、ユニチカのマスコットガールを務めていた頃の写真で、雑誌『mc Sister』に掲載されたものと紹介しました。

写真のテーマについても「フラッパー」だったかもしれないと懐かしんでいます。

オリコンニュースによれば、この投稿には当時の姿を懐かしむ声や、年齢以上に大人びて見えるという反応が寄せられました。

つまり、手塚理美さんの若い頃の写真には、大きく分けて次の2つの見どころがあります。

- 15歳頃: ユニチカのマスコットガール時代。雑誌モデルとしての華やかさが見える写真。
- 19〜20歳頃: シチズン「カスタリア」の広告。篠山紀信さんが撮影した、女優への転換期を感じさせる写真。

写真が再び話題になった背景には、当時の美しさだけでなく、長い芸能生活を自分自身の言葉で振り返る現在の手塚さんの姿勢もあります。

【手塚さとみから手塚理美へ】芸名を改めて女優に転身した理由

手塚理美さんの経歴で重要な転換点が、芸名の変更です。

モデル時代は「手塚さとみ」という名前で活動していましたが、その後、本名である「手塚理美」に戻しています。

この変更は、単なる芸名の表記変更ではありません。モデル・アイドルとしての活動から、演技を中心とする女優へと進路を切り替えた時期と重なっています。

19歳で約1年間休養した後、本名に戻す

2025年12月の本人のSNS投稿を取り上げた報道によると、手塚さんは19歳で約1年間芸能活動を休み、20歳になってから「手塚さとみ」から本名の「手塚理美」へ戻したと振り返っています。

この時期の経緯を理解するには、本人が語った芸能界への複雑な思いが欠かせません。

子どもの頃から仕事を続けてきた一方、本人の意思とは関係なく活動が決まることもありました。高校時代には女優の仕事を勧められても、当初は強く抵抗していたそうです。

本人の回想では、自分ではない誰かになることが理解できず、演技の仕事に魅力を感じられなかったといいます。

女優への転機は1981年のドラマ出演

手塚さんが女優として初めて本格的に演技に取り組んだ作品の一つが、1981年のTBS系ドラマ『娘が家出した夏』です。

この作品で演じたのは、家出する少女の役でした。

CHANTO WEBのインタビューでは、父親に連れ戻されて頬を叩かれるシーンについて、演出家から本番では本気で叩くよう指示された経験を語っています。

実際に叩かれ、涙が出てしまった手塚さんに、演出側はその状態でせりふを言うことも演技になると説明したそうです。

この経験を通じて、演技とは自分の中にある感情を引き出し、新しい自分を表現する仕事なのだと感じたと振り返っています。

それまで避けていた女優業への見方が変わった、重要な出来事でした。

『ハイカラさん』で朝ドラヒロインに抜擢

1982年、手塚さんはNHK連続テレビ小説『ハイカラさん』でヒロインを務めます。

- 放送期間:1982年4月5日〜10月2日
- 放送局:NHK総合
- 作品:連続テレビ小説第29作
- ヒロイン:野沢文
- 共演:木村四郎、藤村志保など

演じた野沢文は、アメリカ留学の経験を持ち、伊豆に外国人向けのリゾートホテルを開こうと奮闘する女性です。

明治時代を舞台に、新しい価値観を持って時代を切り開こうとする女性を演じました。

モデルとして知られていた手塚さんが、全国放送の朝ドラでヒロインを務めたことは、女優としての知名度を高める大きな機会になりました。

【代表作とキャリア年表】『ふぞろいの林檎たち』『男女7人秋物語』で人気女優へ

手塚理美さんが1980年代を代表する女優として認知されるようになったのは、朝ドラ出演だけが理由ではありません。

特に大きかったのが、1983年の『ふぞろいの林檎たち』と、1987年の『男女7人秋物語』です。

『ふぞろいの林檎たち』で演じた水野陽子

1983年5月に放送が始まったTBSドラマ『ふぞろいの林檎たち』は、脚本家・山田太一さんが手がけた青春群像劇です。

手塚さんが演じたのは、看護学生の水野陽子。

学歴や社会的な評価に悩みながら、自分の人生や将来を模索する若者たちを描いた作品で、中井貴一さん、時任三郎さん、柳沢慎吾さん、石原真理子さんなどが出演しました。

作品の魅力は、登場人物が最初から完成された大人ではないことです。

それぞれが自分のコンプレックスや恋愛、就職などの問題に向き合いながら成長していきます。

手塚さんの演技も、そうした等身大の若者像を形づくる重要な要素になりました。

本人は後年のインタビューで、出演者たちが撮影現場で演出家から指導を受けながら成長していったことを振り返っています。

共演者たちとの当時の現場を「ふぞろい学校」と呼ぶほど、演技を学ぶ機会になったそうです。

『男女7人秋物語』では小悪魔的な女性を演じる

1987年のTBSドラマ『男女7人秋物語』も、手塚さんのキャリアを語るうえで欠かせません。

明石家さんまさんと大竹しのぶさんが出演した『男女7人夏物語』の続編で、1987年10月9日から12月18日まで全11話が放送されました。

手塚さんの役名は島村一枝です。

それまで優等生的な役柄を演じることが多かった手塚さんにとって、一枝は少しクセのある小悪魔的な女性でした。

本人もインタビューで、従来とは異なる役柄を演じられたことがうれしかったと話しています。

この役は、手塚さんの演技の幅を知るうえでも興味深い作品です。

手塚理美の主要経歴・関係人物一覧

代表作や人生の転換点を時系列で整理すると、次のようになります。

時期 出来事・作品 関係人物・内容 1961年 東京都で誕生 6月7日生まれ 7歳頃 ジュニアモデル活動 松屋の七五三広告がきっかけ 1974〜75年頃 ユニチカ2代目マスコットガール 手塚さとみ名義で活動 1981年 『娘が家出した夏』 女優としての演技に取り組む 1982年 『ハイカラさん』 NHK朝ドラのヒロイン・野沢文役 1983年 『ふぞろいの林檎たち』 山田太一脚本、水野陽子役。中井貴一、時任三郎らと共演 1987年 『男女7人秋物語』 明石家さんま、大竹しのぶらと共演。島村一枝役 1990年 真田広之さんと結婚 2人の息子をもうける 1997年 真田広之さんと離婚 離婚会見で人生観・俳優としての価値観の違いに言及 2025年 所属事務所を退所 7月7日からフリーランスとして活動 2026年 『友近・礼二の妄想トレイン』 BS日テレの旅番組にゲスト出演

この年表から分かるのは、手塚さんのキャリアが、モデルから女優への単純な移行ではなかったことです。

幼少期のモデル活動、芸能界から距離を置く時期、演技への気づき、朝ドラ主演、青春ドラマでの評価という複数の段階を経て、長く活躍する女優になりました。

【真田広之との結婚・離婚】若い頃の人気絶頂期から人生の転換へ

手塚理美さんの人生を振り返る際、俳優の真田広之さんとの結婚と離婚も関心を集めるテーマです。

2人は1990年に結婚し、2人の息子をもうけました。しかし、1997年3月に離婚しています。

1990年に結婚、2人の息子を育てる

手塚さんと真田さんは、どちらも映画・ドラマで活躍していた俳優です。

結婚後は2人の子どもに恵まれました。

その後の離婚に関しては、当時の報道で真田さんの女性問題も取り上げられています。

ただし、1997年3月27日に行われた離婚会見で、手塚さんが説明したのは、人生観の違いや俳優としての価値観の違いが大きくなったということでした。

1997年3月に離婚を発表

日刊ゲンダイの当時を振り返る記事によると、離婚会見の時点で2人は約1年半にわたって別居していました。

手塚さんは会見で、子どもたちへの影響についても言及しています。

離婚をめぐる報道は当時大きな注目を集めましたが、現在までの手塚さんのキャリアを考えるなら、私生活の出来事だけで女優としての評価を語るべきではありません。

離婚後も女優として活動を継続

手塚さんは離婚後もドラマや映画、舞台などで活動を続けてきました。

2024年のインタビューでは、30歳で長男、34歳で次男を出産し、40代は子育てを中心に生活していたことも語っています。

子どもたちの中学受験の時期には、仕事を休んで家庭を優先したこともあったそうです。

華やかな芸能活動だけではなく、人生の時期に応じて仕事との向き合い方を変えてきたことが分かります。

【2026年最新】手塚理美の現在は?65歳の活動とフリーランスへの転身

2026年10月30日現在、手塚理美さんは65歳です。1961年6月7日生まれで、現在も俳優として活動を続けています。

若い頃の写真が注目される一方、現在の手塚さんには、年齢を重ねた自分らしさを大切にする姿勢が見られます。

2025年7月7日からフリーランスに

2025年6月、手塚さんは自身のInstagramで、所属していた「えりオフィス」を7月7日付で退所する意向を明らかにしました。

その後、7月19日にTBS NEWS DIGが報じたところによると、本人は7月7日からフリーランスになったことを公表しています。

長年所属していた事務所を離れ、自分で仕事の方向性を考えていく新しいスタートでした。

本人は、今後について、無理をせず、その都度経験しながら進めていく考えを示しています。

また、今後につながる企画にも触れており、芸能活動を終えるという発表ではありませんでした。

2026年8月『友近・礼二の妄想トレイン』に出演

2026年の活動で確認できる注目の出演が、BS日テレの『友近・礼二の妄想トレイン』です。

2026年8月4日放送回にゲストとして出演し、「手塚理美が江ノ電で行く 路地裏絶景旅」と題した鎌倉・江の島の旅を楽しみました。

番組公式情報によると、手塚さんは踏切が大好きで、40年以上通っているお気に入りの踏切スポットも紹介しています。

また、江ノ電の新型車両700形に乗車し、沿線の景色や江の島の風景を満喫しました。

旅の終盤には息子さんも登場し、一緒に乾杯する場面もありました。

若い頃の写真からは想像しにくいかもしれませんが、現在は鉄道や踏切への愛情を隠さない、自然体の姿も魅力になっています。

グレイヘアを選んだ現在の自然体の魅力

もう一つ注目したいのが、手塚さんのグレイヘアです。

CHANTO WEBの2024年のインタビューによれば、手塚さんが白髪を生かした髪型を目指し始めたのは56歳頃でした。

周囲の反応を気にしすぎず、自然な自分でいることを大切にしてきたといいます。

若い頃のモデル時代には、髪型さえ自由にできなかったという手塚さん。

その経験を踏まえると、現在の自然体のスタイルは、単なる美容上の選択ではなく、自分らしい生き方を大切にする姿勢の表れとしても受け取れます。

2026年現在の活動状況まとめ

項目 現在の情報
年齢 65歳
生年月日 1961年6月7日
活動形態 フリーランス
事務所退所 2025年7月7日
2026年の出演 『友近・礼二の妄想トレイン』
趣味として知られるもの 鉄道、踏切、散歩
外見の特徴 グレイヘアを生かした自然体のスタイル

2026年は、長年の所属事務所を離れてから初めての本格的なフリーランス時代を過ごす時期でもあります。

今後も、女優としての仕事だけでなく、旅や趣味を通じた新しい活動にも期待が集まります。

【手塚理美の若い頃】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:手塚理美は何歳からモデルをしていた?

A1:7歳頃からです。松屋の七五三広告で、撮影予定だった女の子の代役を務めたことがきっかけでした。その後、広告やCMにも出演するようになりました。

Q2:手塚理美がユニチカのマスコットガールになったのは何歳?

A2:中学1年生、12〜13歳頃です。ユニチカの2代目マスコットガールに選ばれ、芸能界で本格的に活動するきっかけになりました。

Q3:手塚さとみから手塚理美に改名した理由は?

A3:19歳で約1年間の休養を経て、20歳頃に本名の手塚理美へ戻しています。この時期はモデル活動から女優業へと進路を切り替えた転換期でした。

Q4:手塚理美の19歳・20歳頃の写真は何の広告?

A4:シチズンの腕時計「カスタリア」の広告写真です。写真家の篠山紀信さんが撮影したもので、2025年12月に本人がSNSで紹介しました。

Q5:手塚理美の若い頃の代表作は?

A5:NHK連続テレビ小説『ハイカラさん』、TBSドラマ『ふぞろいの林檎たち』『男女7人秋物語』などです。特に『ふぞろいの林檎たち』は女優としての代表作として知られています。

Q6:手塚理美と真田広之はいつ結婚・離婚した?

A6:1990年に結婚し、2人の息子をもうけました。1997年3月に離婚しています。

Q7:手塚理美は2026年現在何歳で、何をしている?

A7:2026年10月現在65歳です。2025年7月に所属事務所を離れてフリーランスとなり、2026年8月にはBS日テレの『友近・礼二の妄想トレイン』に出演しました。

まとめ:手塚理美の若い頃の美しさと女優としての歩み

手塚理美さんの若い頃を振り返ると、7歳からのモデル活動、ユニチカの2代目マスコットガール、15歳頃の雑誌写真、そして19〜20歳頃のシチズン広告と、印象的な記録が数多く残っています。

しかし、彼女の魅力は若い頃の美しさだけではありません。

モデルとして活躍しながらも、自分の意思で生きられないことに悩み、19歳頃の休養を経て本名に戻り、女優として再出発しました。

その後、『ハイカラさん』で朝ドラヒロインを務め、『ふぞろいの林檎たち』『男女7人秋物語』で幅広い役柄に挑戦。真田広之さんとの結婚・離婚や子育てなど、人生のさまざまな経験を重ねてきました。

そして2026年現在は65歳。事務所から独立し、テレビ出演や趣味の鉄道を楽しむ姿も見せています。

手塚理美さんの若い頃の写真が今も人々を惹きつける理由は、整った美しさだけではなく、その写真の向こう側に、モデルから女優へと自分の人生を切り開いてきた一人の女性の歩みがあるからではないでしょうか。

これからも、年齢にとらわれない自然体の活動と、新たな作品との出会いに注目したいところです。