竹島をめぐる韓国の主張とは?独島の歴史・条約・2026年最新動向を徹底解説

目次

竹島(韓国名・独島)をめぐる日韓の領有権問題は、古文献の解釈から大韓帝国の勅令、第二次世界大戦後の領土処理、1952年の李承晩ラインまで、複数の歴史的・国際法的論点が重なり合う外交問題です。韓国政府は、独島が歴史的にも地理的にも国際法上も自国固有の領土であると主張し、日本政府は竹島を日本固有の領土と位置づけ、韓国による占拠に抗議しています。

韓国側の主張の柱は、1454年の『世宗実録地理志』や1531年の『新増東国輿地勝覧』に登場する于山島、1900年の大韓帝国勅令第41号に記された石島、そして戦後のサンフランシスコ平和条約やSCAPIN第677号の解釈です。2026年も両国の外交的対立は続いており、軍事訓練や海洋調査をめぐる抗議も発生しています。

📌 【この記事の重要ポイントまとめ】

  • 韓国の領有権主張:古文献の于山島、1900年の勅令第41号、戦後の連合国による領土処理などを根拠としている。
  • 日本との主な相違点:古文献の島の特定、石島と独島の同一性、1905年の編入の法的評価、サンフランシスコ平和条約の解釈が争点。
  • 2026年の最新動向:防衛白書、韓国軍の軍事訓練、海洋調査活動をめぐり、日韓両政府が外交ルートで抗議を交わしている。

【基本知識】竹島と独島は同じ島?日韓で呼称が異なる理由

竹島韓国の主張

竹島と独島は、別々の島を指す名称ではありません。日本政府が「竹島」、韓国政府が「独島(독도・Dokdo)」と呼んでいる同じ島嶼群です。

島は日本海(韓国名・東海)に位置し、東島と西島という2つの主要な岩礁を中心に、多数の小岩礁から構成されています。日本では島根県隠岐の島町に属するものとして扱われ、韓国では慶尚北道鬱陵郡に属するものとして行政管理されています。

日本の「竹島」と韓国の「独島」の違い

竹島韓国の主張

日本側の名称である竹島は、1905年の日本政府による島根県編入に伴って正式に用いられるようになりました。一方、韓国側は「独島」という名称を使用し、鬱陵島に付属する島として位置づけています。

英語圏の資料では、歴史的な呼称である「リアンクール岩礁(Liancourt Rocks)」が使われる場合もあります。この名称は、日韓いずれかの領有権主張を直接表さず、地理的な対象を指す際に利用されます。

名称の違いは単なる翻訳の問題ではありません。日本側は日本の歴史的な利用と1905年の編入を重視し、韓国側は古くからの認識と大韓帝国時代の行政的な位置づけを重視しています。

韓国が竹島の領有権を主張する基本的な理由

竹島韓国の主張

韓国外交部が示す主張は、大きく3つに整理できます。

  • 歴史的根拠:朝鮮王朝時代の文献に鬱陵島と于山島が記録されており、于山島が現在の独島に該当するという説明。
  • 行政的根拠:1900年の大韓帝国勅令第41号により、鬱島郡の管轄区域に石島が含まれたという説明。
  • 戦後処理と実効的管理:連合国の戦後措置や、1952年以降の韓国による管理を自国の主権の根拠として位置づける説明。

韓国外交部の公式サイトでは、独島について「歴史的にも、地理的にも、国際法上も明白な大韓民国固有の領土」と説明しています。また、韓国政府は独島をめぐる領有権紛争そのものが存在しないという立場を取っています。

これに対し、日本外務省は、竹島は歴史的事実と国際法に照らして日本固有の領土であり、韓国による占拠には法的根拠がないと主張しています。両国の出発点からして、すでに大きな隔たりがあります。

【検証資料 1】竹島韓国の主張の当時の様子・関連報道写真(出典:Yahoo!ニュース)

【歴史的根拠】世宗実録地理志・于山島・新増東国輿地勝覧は何を示すのか

韓国の領有権主張を理解するうえで、朝鮮王朝時代の古文献は欠かせません。特に重要なのが、1454年の『世宗実録地理志』と1531年の『新増東国輿地勝覧』です。

1454年『世宗実録地理志』に登場する于山島

『世宗実録地理志』は、朝鮮王朝の世宗時代に関する実録の地理部分です。韓国外交部は、この文献に鬱陵島と于山島という2つの島が記されていることを、独島の歴史的認識を示す根拠として挙げています。

該当する漢文には、次の記述があります。

于山武陵二島在縣正東海中
二島相去不遠 風日淸明 則可望見

この記述は、于山と武陵の2島が海上にあり、両島は遠く離れておらず、天候がよければ互いに見ることができるという趣旨です。

韓国側は、武陵を鬱陵島、于山を現在の独島と解釈しています。つまり、朝鮮王朝時代から鬱陵島と独島を別々の島として認識していたという説明です。

一方、日本外務省は、古文献に登場する于山島が現在の竹島を指すという解釈に疑問を示しています。特に、同文献に記された于山国の説明と鬱陵島の記述との関係から、于山島を現在の竹島と断定することはできないという立場です。

重要なのは、古文献に于山という名称が登場することと、その名称が現在の竹島を意味することは、別々に検証する必要があるという点です。

1531年『新増東国輿地勝覧』と于山島の位置

次に注目されるのが、1531年に編纂された『新増東国輿地勝覧』です。朝鮮王朝の地理情報をまとめた官撰地理書で、鬱陵島と于山島の記述が確認できます。

韓国外交部は、同書に記された于山島を独島と解釈し、古くから朝鮮王朝が2つの島を認識していた証拠として紹介しています。

ただし、日本外務省は、同書に付属する「八道総図」の島の描写や位置関係を問題視しています。鬱陵島と于山島の位置や大きさが、実際の独島の地理的特徴と一致しないという指摘です。

また、韓国の歴史研究でも、于山島の位置づけには時代による解釈の変化があったことが論じられています。2016年に韓国の学術研究として発表された文献研究では、朝鮮後期の知識人による于山島と鬱陵島の理解や、文献と地図の間に生じた認識のずれが検討されています。

于山島は本当に現在の竹島なのか

この問題を検討する際には、次の3つを区別する必要があります。

  • 古文献に于山島という名称が存在すること。
  • 于山島が鬱陵島とは異なる島として記述されていること。
  • その于山島が現在の竹島と同一の島であること。

韓国政府は3つの関係を一連の歴史的証拠として説明しています。一方、日本政府は、最初の2点が確認できても、3点目の同一性が証明されたことにはならないと反論しています。

したがって、古文献の存在だけで領有権問題が決着するわけではありません。島の比定、当時の地理認識、国家による行政管理の実態まで含めた検討が必要です。

【1900年の重要史料】大韓帝国勅令第41号と石島は独島なのか

韓国側の主張のなかでも、特に重要視されているのが1900年の大韓帝国勅令第41号です。この勅令は、朝鮮王朝が大韓帝国へと移行した時代に、鬱陵島の行政制度を整備したものです。

1900年10月27日に公布された勅令第41号

大韓帝国政府は1900年10月、鬱陵島の行政機構を改め、島監を郡守に変更することなどを決定しました。

勅令の制定過程は次のとおりです。

  • 1900年10月24日:議政府会議で行政制度の変更を決定。
  • 1900年10月25日:高宗皇帝が裁可。
  • 1900年10月27日:勅令第41号として官報に掲載。

注目されるのは第2条です。鬱島郡の管轄区域について、鬱陵島全島と竹島・石島を含める旨が規定されています。

勅令第41号・第2条の該当部分

區域은 鬱陵全島와 竹島 · 石島를 管轄할 事

韓国政府は、この石島が現在の独島に該当すると説明しています。つまり、1905年の日本による島根県編入より前に、大韓帝国が独島を自国の行政区域に含めていたという主張です。

石島が独島とされる理由は「トルソム」という呼称

韓国側の説明では、石島と独島の関係を理解する鍵は、当時の鬱陵島住民が使用していたとされる呼称にあります。

韓国語では、石を意味する言葉として「돌(トル)」があり、石の島を意味する「돌섬(トルソム)」という呼び方が考えられます。韓国側は、こうした現地の呼称が漢字の「石島」として記録され、さらに「독섬(トクソム)」などの発音を経て「독도(独島)」という名称につながったと説明しています。

この説明に立てば、勅令に「独島」という現在の表記が使われていなくても、石島が同じ島を意味していた可能性があります。

韓国の歴史研究には、1906年に鬱島郡守の沈興沢が独島に言及した報告書と、1900年勅令の石島を結びつける議論もあります。

日本外務省は石島と独島の同一性をどう見ているのか

日本外務省は、勅令第41号に石島という名称が登場すること自体は認めています。しかし、それが現在の竹島を意味するという明確な証拠は示されていないと反論しています。

日本側の主な疑問は次のとおりです。

  • なぜ勅令では「独島」ではなく「石島」という名称が使われたのか。
  • 石島が現在の竹島を指すことを直接示す同時代の資料はあるのか。
  • 勅令の前後に大韓帝国が現在の竹島を実際に行政管理していた証拠はあるのか。

日本外務省は、勅令の公布前後に大韓帝国が竹島を実効的に支配していた事実は確認できないという立場を取っています。

この論点の本質は、石島という名称の語源だけではありません。1900年の行政文書が現在の竹島を対象としていたか、そして行政区域への記載が実際の国家による主権行使をどこまで裏づけるかという、2つの問題が重なっています。

【検証資料 2】竹島韓国の主張の活動歴およびメディア掲載記録(出典:Yahoo!ニュース)

【戦後処理の争点】サンフランシスコ平和条約とSCAPIN第677号

竹島問題をめぐる議論は、第二次世界大戦後の日本の領土処理にも及びます。特に重要なのが、1951年のサンフランシスコ平和条約と、1946年のSCAPIN第677号です。

サンフランシスコ平和条約に竹島の名前はあるのか

サンフランシスコ平和条約は、1951年9月8日に署名され、1952年4月28日に発効しました。

第2条(a)では、日本が韓国の独立を承認し、済州島、巨文島、鬱陵島を含む韓国に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄すると規定されています。

ここで重要なのは、条文に竹島または独島の名称が直接記載されていないことです。

韓国政府は、条文に記された3つの島は韓国の多数の島嶼のうちの例示であり、独島が明記されていないからといって韓国領から除外されたことにはならないと説明しています。

さらに、韓国側は1943年のカイロ宣言や1946年のSCAPIN第677号など、戦後の連合国による措置を組み合わせて、独島が日本から切り離される韓国領に含まれていたと主張しています。

一方、日本外務省は、条約の草案作成過程における外交文書を重視しています。

1951年7月、韓国の駐米大使・梁裕燦は、米国務長官ディーン・アチソンに対し、日本が放棄する領土の例に独島を加えるよう求めました。

これに対し、同年8月、米国務省のディーン・ラスク極東担当国務次官補は韓国側の要求を認めない回答を送りました。日本外務省が公開している回答文では、リアンクール岩礁について、韓国領として扱われたことはなく、1905年以降は島根県隠岐の管轄下にあるとの米国側の認識が示されています。

日本政府は、この外交文書と条約の記載内容を合わせ、竹島は日本が放棄する韓国領には含まれていなかったと説明しています。

ただし、ラスク書簡は米国政府の外交上の回答であり、サンフランシスコ平和条約そのものの条文ではありません。この点を区別することが、条約を正確に読むうえで重要です。

SCAPIN第677号は竹島を日本から除外したのか

SCAPIN第677号は、1946年1月に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が日本政府に対して発した指令です。

戦後の日本政府による行政権の行使を一部地域で停止する措置を定め、その対象には鬱陵島、済州島、リアンクール岩礁などが含まれていました。

韓国側は、この指令によって竹島が日本の行政区域から除外され、韓国側の主張を裏づける戦後処理上の根拠になったと説明しています。

しかし、日本政府は、同指令の第6項に注目しています。同項には、この指令が領土帰属に関する連合国の最終的な政策を示すものではないという趣旨の留保が記載されていました。

日本側は、GHQによる行政権の制限と、領土の最終的な帰属決定は別の問題だと説明しています。

SCAPIN第1033号とマッカーサーライン

もう一つ重要なのが、1946年6月のSCAPIN第1033号です。この指令は、日本の漁業や捕鯨活動を認める範囲を定め、いわゆるマッカーサーラインに関係するものでした。

同指令には、日本の船舶や乗組員が竹島に接近してはならないという規定が含まれています。

しかし、第5項には、同指令が国家管轄権や国際境界の最終決定を示すものではないという留保がありました。

日本外務省は、この留保を踏まえ、SCAPIN第677号と第1033号をもって竹島の最終的な領土帰属が決まったわけではないと説明しています。

マッカーサーラインは1952年4月25日に廃止され、同月28日にはサンフランシスコ平和条約が発効しました。この前後の措置をどう評価するかも、日韓の解釈が分かれる部分です。

【日韓の主張を比較】竹島問題の重要史料・出来事と双方の解釈

ここまでに登場した古文献、勅令、条約、戦後指令は、それぞれ異なる時代と法的性質を持っています。単純に同じ種類の証拠として並べるのではなく、何を示す資料なのかを整理する必要があります。

次の表では、主要な史料・出来事と、それぞれの韓国側・日本側の位置づけをまとめました。

年代・史料 内容・韓国側の解釈 日本側の見解・争点
1454年
世宗実録地理志
于山島と武陵島の2島を記載。于山島を独島と解釈。 于山島が現在の竹島を指すという同一性に疑問を提示。
1531年
新増東国輿地勝覧
于山島と鬱陵島の記載を古くからの認識の根拠とする。 付属地図の位置や形状から、現在の竹島との一致を疑問視。
1900年
大韓帝国勅令第41号
鬱島郡の管轄区域に含まれる石島を独島と解釈。 石島と現在の竹島の同一性、当時の実効的管理を問題視。
1905年
日本の島根県編入
日本による韓国領土の侵奪の一環と位置づける。 1月の閣議決定と2月の島根県告示によって領有意思を再確認したと説明。
1946年
SCAPIN第677号
竹島が日本の行政権の対象から除外されたことを重視。 行政権の暫定的な制限であり、最終的な領土帰属を決定したものではないと主張。
1951年
サンフランシスコ平和条約
条約の放棄対象に独島も含まれると解釈。 条文に竹島が明記されず、米国のラスク書簡も韓国側の追加要求を認めなかったと説明。
1952年
李承晩ライン
海洋主権の確保と漁業資源の保護を背景に設定。 一方的な海洋境界設定であり、国際法上の根拠がないと反論。
1954年・1962年・2012年
ICJ付託提案
領有権紛争は存在しないという立場から、司法的解決を受け入れない。 国際司法裁判所による平和的な解決を提案。

この比較から見えてくるのは、争点が単純な歴史認識の違いだけではないということです。

韓国側は、古文献による歴史的認識、1900年の行政文書、戦後処理、現在の行政管理を一連の主権の証拠として説明しています。

日本側は、それぞれの資料が示す内容を個別に検討し、島の同一性、実効的な支配、条約の文言、国際法上の権原を重視しています。

つまり、同じ史料を見ていても、何を証明する資料と考えるかによって結論が異なっているのです。

【検証資料 3】竹島韓国の主張に関する近況・インタビュー報道記録(出典:Yahoo!ニュース)

【1952年以降】李承晩ラインから韓国の実効支配、ICJ拒否まで

竹島問題が現在のような深刻な外交問題となる大きな転換点は、1952年の李承晩ラインの設定でした。

1952年1月18日、李承晩ラインが設定される

1952年1月18日、韓国の初代大統領・李承晩は、海洋主権に関する宣言を発表しました。これによって設定された海洋境界線は「李承晩ライン」と呼ばれています。

このラインは竹島を含む広い海域を囲み、韓国政府は周辺海域の漁業資源や海洋権益を確保する政策を進めました。

韓国側から見れば、独島は自国の領土であり、その周辺海域を管理することは主権行使の一環です。

一方、日本政府は、李承晩ラインが国際法上の根拠なく一方的に設定されたものだと反発しました。日本は、竹島を含む海域での漁業や船舶の活動に影響が及ぶことを問題視しました。

1953年の銃撃事件と1954年の韓国警備隊常駐

1953年には、竹島周辺で日韓間の緊張がさらに高まりました。

日本外務省の記録によると、同年7月、日本の海上保安庁巡視船が竹島周辺で韓国側の警備に関係する銃撃を受けました。

さらに1954年6月には、韓国政府が警備隊の常駐を発表しました。その後も韓国は、宿舎や監視施設、灯台、接岸施設などを設置し、島の管理を継続しています。

現在、竹島は韓国が実効的に管理しています。ただし、実効的な管理が続いているという事実と、その管理の法的な正当性が国際的に確定しているかどうかは別問題です。

韓国政府はこれを正当な主権行使と説明し、日本政府は国際法上の根拠を欠く不法占拠と位置づけています。

国際司法裁判所への付託を韓国が拒否する理由

日本政府は、竹島問題を平和的に解決する手段として、国際司法裁判所(ICJ)への付託を複数回提案してきました。

日本外務省が公表している経緯は次のとおりです。

  • 1954年9月:日本がICJへの付託を提案。同年10月に韓国が拒否。
  • 1962年3月:日韓外相会談で日本側が再び付託を提案。韓国側は受け入れず。
  • 2012年8月:李明博大統領の竹島上陸を受け、日本が改めて付託を提案。韓国は拒否。

韓国政府が提案を受け入れない最大の理由は、独島をめぐる領有権紛争そのものが存在しないという基本姿勢にあります。

韓国外交部の公式見解では、独島は韓国固有の領土であり、外交交渉や司法的解決の対象にはならないと説明されています。

ここで理解しておきたいのは、ICJは原則として、係争国双方の同意など、裁判所の管轄権を成立させる根拠がなければ、国家間の領土紛争を一方的に審理できないという点です。

そのため、日本が提訴を希望しても、韓国が管轄権の成立に同意しない場合、直ちに本案審理へ進めるわけではありません。

また、韓国が付託を拒否したこと自体によって、領有権が日本または韓国のどちらにあるかが司法的に確定したわけでもありません。

【2026年最新動向】韓国外交部の見解と日本外務省の抗議はどう変化したか

2026年11月1日時点でも、竹島をめぐる日韓の基本的な立場に変化はありません。両政府とも従来の主張を維持しており、外交文書や防衛関連の発表、海洋活動を通じた対立が続いています。

2026年4月10日:外交青書をめぐり韓国が抗議

2026年4月10日、日本政府は2026年版の外交青書を公表しました。

同青書は、竹島について日本固有の領土であるという従来の立場を示し、韓国による占拠や周辺での活動に対する日本政府の抗議について記載しています。

これに対して韓国外交部は、同日、日本政府が独島について不当な領有権主張を繰り返したとして強く抗議し、主張の撤回を要求しました。

このやり取りは、領土問題が両国の外交政策に継続的に組み込まれていることを示しています。

2026年8月4日:日本の防衛白書に韓国が抗議

2026年8月4日、日本政府は2026年版防衛白書を公表しました。

白書には、北方領土や竹島をめぐる領土問題が依然として未解決のまま存在するという趣旨の記述が盛り込まれました。

韓国政府はこれに反発し、同日、外交部報道官が日本の領有権主張を強く非難しました。また、在韓日本大使館の関係者を呼び出して抗議し、国防部も日本側に撤回を要求しました。

韓国政府が2026年の防衛白書に対して示した反応は、韓国政府系広報媒体Korea.netでも報じられています。

2026年8月6日:韓国軍の軍事訓練に日本が抗議

2026年8月6日、韓国軍は竹島に関する軍事訓練を実施しました。

これを受け、日本外務省の金井正彰アジア大洋州局長は、駐日韓国大使館の李相烈次席公使に対して抗議しました。また、在韓日本大使館の中條一夫次席公使からも、韓国外交部の李珉璟アジア太平洋局長に抗議が伝えられました。

日本外務省は、竹島に関する日本の一貫した立場に基づいて強く抗議したと公表しています。

2026年8月7日:韓国調査船の海洋調査活動をめぐる対立

翌8月7日には、竹島西側の日本の排他的経済水域(EEZ)で、韓国の海洋調査船「探海3」がワイヤーのようなものを海中に投入していることを日本政府が確認しました。

日本外務省は、事前の同意申請がなかったとして韓国側に強く抗議しました。

この件でも、東京の韓国大使館とソウルの日本大使館を通じて、それぞれ外交ルートで申し入れが行われています。

2026年の一連の動きを見ると、領土問題は単なる歴史認識の対立にとどまりません。軍事訓練、海洋調査、外交青書、防衛白書など、国家の安全保障や海洋権益に直接関係する問題として続いています。

【プロの結論】竹島問題を理解するために押さえるべき5つの判断基準

竹島問題を正確に理解するには、どちらかの政府の説明をそのまま結論として受け取るのではなく、資料の種類と法的な意味を分けて考えることが重要です。

1. 古文献の存在と領有権の確立は同じではない

『世宗実録地理志』や『新増東国輿地勝覧』に于山島が記載されていることは、歴史的な検討に値する事実です。しかし、その島が現在の竹島と同一であるか、当時の国家がどのように管理していたかは、さらに検証する必要があります。

2. 勅令第41号の石島は名称と行政権の両面から検討する

1900年の勅令第41号は、韓国側にとって重要な行政文書です。石島が独島を意味するという韓国側の説明には、現地の言語や地名の変化を踏まえた論拠があります。

一方、島の同一性を示す資料や当時の実際の行政管理については、日本側が異議を唱えています。名称の語源だけで結論を出さず、同時代の行政資料を合わせて見る必要があります。

3. サンフランシスコ平和条約の本文と外交文書を区別する

条約本文に竹島・独島の名称が直接記載されていないことは、重要な事実です。

韓国側は列挙された島々を例示と解釈し、日本側は米国のラスク書簡や条約交渉の経緯を重視しています。

条約本文、交渉過程の外交文書、各国政府の解釈は、それぞれ証拠としての性質が異なります。これらを混同しないことが大切です。

4. 実効支配と法的な領有権を分ける

現在、韓国が竹島を管理していることは事実です。しかし、実効的に管理していることだけで、その行為の国際法上の正当性まで自動的に確定するわけではありません。

反対に、日本が領有権を主張していることも、それだけで国際司法機関による判断が存在することを意味しません。

5. 政府の公式見解と国際的な司法判断を混同しない

日本外務省と韓国外交部は、それぞれ自国の立場を明確に示しています。しかし、両政府の公式見解は、領有権を確定する国際裁判の判決とは異なります。

竹島問題では、両国の主張を比較するだけでなく、国際条約の文言、歴史的な行政記録、国家による実際の行動、国際法上の評価を分けて理解することが欠かせません。

【竹島問題(韓国の主張)】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:韓国が竹島を自国の領土だと主張する最大の理由は何ですか?
A1:韓国政府は、1454年の『世宗実録地理志』や1531年の『新増東国輿地勝覧』に記された于山島、1900年の大韓帝国勅令第41号に登場する石島、戦後の連合国による措置などを根拠としています。これらを組み合わせ、独島は歴史的にも法的にも韓国固有の領土であると説明しています。

Q2:1900年の勅令第41号にある石島は独島のことですか?
A2:韓国政府は石島が現在の独島に該当すると説明しています。その根拠の一つが、鬱陵島周辺で使われたとされる「トルソム」「トクソム」という呼称と、石島という漢字表記の関係です。一方、日本政府は石島と竹島の同一性を示す明確な根拠が不足していると反論しており、両国の解釈は一致していません。

Q3:サンフランシスコ平和条約で竹島は韓国領になったのですか?
A3:条約第2条(a)には済州島、巨文島、鬱陵島が記載されていますが、竹島・独島の名称は直接記載されていません。韓国政府は独島も放棄対象となる韓国領に含まれると解釈し、日本政府は条約交渉時の米国のラスク書簡などを根拠に、日本の放棄対象には含まれなかったと説明しています。

Q4:SCAPIN第677号は竹島を日本から切り離したのですか?
A4:同指令では、日本政府が行政権を行使できる範囲から竹島などが除外されました。ただし、日本政府は、指令に領土の最終的な帰属を決定するものではないという留保があることを重視しています。韓国側は戦後の領土処理を示す根拠の一つとして位置づけており、解釈が対立しています。

Q5:なぜ韓国は国際司法裁判所への付託を拒否しているのですか?
A5:韓国政府は、独島を自国固有の領土と認識し、そもそも領有権紛争が存在しないという立場を取っているためです。日本は1954年、1962年、2012年に付託を提案しましたが、韓国はいずれも受け入れていません。

Q6:2026年現在、竹島はどちらの国が管理していますか?
A6:2026年11月時点では韓国が実効的に管理しています。韓国側は正当な主権行使と説明し、日本側は不法占拠と位置づけています。実効的な管理の状況と、法的な領有権の評価は分けて考える必要があります。

まとめ:竹島問題は歴史資料・国際条約・実効支配を分けて考える

竹島をめぐる韓国の主張は、古文献に登場する于山島、1900年の大韓帝国勅令第41号、サンフランシスコ平和条約、SCAPIN第677号、1952年の李承晩ラインなど、複数の歴史的・法的根拠によって構成されています。

一方、日本政府は、古文献の島の比定や石島の同一性に疑問を示し、1905年の島根県編入、サンフランシスコ平和条約の交渉経緯、ラスク書簡などを根拠として日本の領有権を主張しています。

両国の対立を理解するうえで、特に重要なのは、歴史的な名称の存在、行政文書への記載、国家による実効的な管理、国際条約の法的効果を同じものとして扱わないことです。

2026年も外交青書や防衛白書、軍事訓練、海洋調査をめぐる抗議が続いており、日韓両国の基本姿勢に大きな変化は見られません。今後も歴史資料の検証と国際法に基づく外交的な対応が焦点となります。

竹島問題をめぐる情報を判断するときは、日本外務省と韓国外交部の公式資料を比較し、原文書や条約本文まで確認することが、歴史的背景と現在の対立を正しく理解するための出発点です。

主要な参照資料

- 日本外務省「竹島」「竹島問題に関するQ&A」「竹島の島根県編入」「サンフランシスコ平和条約における竹島の取扱い」
- 韓国外交部「独島に対する大韓民国政府の基本的立場」「独島に関する一問一答」
- 日本外務省「国際司法裁判所への付託の提案」
- 2026年版外交青書・防衛白書関連発表、2026年8月の軍事訓練・海洋調査に関する外交発表