坂東八十助とは誰?五代目から十代目坂東三津五郎への襲名と歴代系譜を解説【2026年最新】

目次

「坂東八十助」は、歌舞伎の世界で代々受け継がれてきた名跡(みょうせき)で、読み方は「ばんどう・やそすけ」です。なかでも広く知られているのが、五代目坂東八十助を名乗り、2001年に十代目坂東三津五郎を襲名した歌舞伎俳優・守田寿(もりた・ひさし)です。1956年生まれの彼は、2015年2月21日に59歳で逝去しました。

ただし、坂東八十助という名前は五代目だけを指すものではありません。初代から五代目まで複数の役者が名乗っており、二代目は七代目坂東三津五郎、四代目は九代目坂東三津五郎へと、それぞれ名跡を変えています。2026年現在の坂東家との関係を理解するには、歴代の襲名と、息子である二代目坂東巳之助への継承を整理することが欠かせません。

📌 【この記事の重要ポイントまとめ】

  • 読み方:坂東八十助は「ばんどうやそすけ」。歌舞伎の名跡で、歴代5人が正式に名乗っています。
  • 最も知られる人物:五代目坂東八十助は守田寿。2001年に十代目坂東三津五郎を襲名しました。
  • 屋号:大和屋(やまとや)。坂東三津五郎家に受け継がれてきた歌舞伎の家系です。
  • 現在のつながり:十代目の長男・二代目坂東巳之助が歌舞伎俳優として活動し、日本舞踊坂東流の家元を務めています。

【まず結論】坂東八十助は誰?読み方と名跡の基本

坂東八十助

坂東八十助は、歌舞伎俳優が代々受け継いできた芸名です。一般的な読み方は「ばんどうやそすけ」で、歌舞伎の屋号は大和屋です。

人名として検索される場合、特に注意したいのが五代目坂東八十助と、それ以前の歴代役者を区別することです。

五代目坂東八十助は十代目坂東三津五郎と同一人物

五代目坂東八十助の本名は守田寿。1956年1月23日に東京で生まれ、九代目坂東三津五郎の長男として育ちました。

1957年3月、明治座の『傀儡師』で唐子を演じ、初お目見得を経験。1962年9月には歌舞伎座で五代目坂東八十助を襲名し、『鳥羽絵』の鼠、『黎明鞍馬山』の牛若丸で初舞台を踏みました。

その後、2001年1月・2月の歌舞伎座公演で十代目坂東三津五郎を襲名しています。つまり、五代目坂東八十助と十代目坂東三津五郎は別人ではなく、同じ一人の役者です。

この関係は、日本俳優協会や日本芸術文化振興会の文化デジタルライブラリーにも記録されています。

そもそも名跡とは何か

歌舞伎における名跡とは、先代の芸名を後継者が受け継ぐ制度です。単に名前を変更するだけではありません。先代が築いてきた芸風、役柄、家の歴史、観客からの信頼などを引き継ぐ意味があります。

そのため、同じ坂東八十助という名前でも、名乗った時代や人物によって経歴は異なります。検索時には必ず何代目なのかを確認する必要があります。

【歴代を整理】初代から五代目までの坂東八十助の系譜

坂東八十助の歴史を理解するには、初代から五代目までの変遷を時系列で見るのが分かりやすいでしょう。

日本芸術文化振興会の文化デジタルライブラリーには、初代の使用記録や、後世の役者が八十助から簔助、三津五郎へと名前を変えていった履歴が収録されています。

坂東八十助の歴代一覧

代数 人物・後の名跡 八十助の使用時期 主な経歴・特徴
初代 八代目森田勘弥 1801年11月〜1808年6月 江戸期の歌舞伎俳優・座元。後名として坂東八十助を名乗る
二代目 七代目坂東三津五郎 1889年10月〜1906年 守田寿作。後に七代目三津五郎を襲名
三代目 八代目坂東三津五郎 1913年〜1928年5月 守田俊郎。後に六代目坂東簔助、八代目三津五郎を襲名
四代目 九代目坂東三津五郎 1955年5月〜1962年8月 坂東光伸から改名。後に七代目簔助、九代目三津五郎を襲名
五代目 十代目坂東三津五郎 1962年9月〜2000年12月 守田寿。2001年に十代目三津五郎を襲名

出典:日本芸術文化振興会「文化デジタルライブラリー」、歌舞伎俳優名鑑、日本俳優協会の人物記録。

初代・二代目坂東八十助の歴史

初代坂東八十助として記録されているのは、八代目森田勘弥です。日本芸術文化振興会の人物履歴によると、1801年11月から1808年6月まで坂東八十助を名乗っています。

その後、明治時代に二代目坂東八十助が登場します。後の七代目坂東三津五郎で、本名は守田寿作です。

1889年10月に初舞台を踏み、1906年に七代目坂東三津五郎を襲名しました。六代目尾上菊五郎や初代中村吉右衛門らと活躍し、日本舞踊の名手としても高い評価を受けた人物です。

特に『棒しばり』『三社祭』などの舞踊で知られ、坂東流の発展にも大きく貢献しました。

三代目・四代目坂東八十助の変遷

三代目坂東八十助は、後の八代目坂東三津五郎です。本名は守田俊郎。1913年に三代目八十助として初舞台を踏み、1928年6月に六代目坂東簔助を襲名しました。さらに1962年9月には八代目坂東三津五郎となっています。

四代目坂東八十助は、後の九代目坂東三津五郎です。坂東光伸の名で初舞台を踏み、1955年5月に四代目八十助を襲名。1962年9月には七代目坂東簔助となり、1987年9月には九代目坂東三津五郎を襲名しました。

この四代目が、五代目八十助の父親に当たります。したがって、五代目八十助は九代目三津五郎の長男であり、名跡と親子関係の両面で坂東家の中心的な存在でした。

五代目坂東八十助が名乗った期間

五代目坂東八十助の名乗りは、1962年9月から2000年12月まで続きました。国立劇場の人物履歴では、2001年1月から十代目坂東三津五郎に切り替わったことが明記されています。

歴代を通じて見ると、坂東八十助は単独の人物を示す固有名ではなく、複数の役者が受け継いだ芸の系譜を示す名前です。

【襲名の経緯】五代目坂東八十助から十代目坂東三津五郎へ

五代目坂東八十助から十代目坂東三津五郎への襲名は、坂東家の歴史を語るうえで大きな節目です。

1956年誕生から1962年の初舞台まで

守田寿は1956年1月23日、東京で九代目坂東三津五郎の長男として生まれました。

翌1957年3月には明治座『傀儡師』の唐子で初お目見得を果たしています。このとき、曾祖父に当たる七代目坂東三津五郎に抱かれて舞台に登場したことも、坂東家の歴史を象徴するエピソードです。

1962年9月、歌舞伎座で五代目坂東八十助を襲名。『鳥羽絵』の鼠や『黎明鞍馬山』の牛若丸を演じ、正式に歌舞伎俳優として初舞台を踏みました。

若手時代から国内外で活躍

五代目八十助は、若い頃から舞踊と演技の両面で経験を重ねました。特に海外公演にも積極的に参加しています。

  • 1985年:アメリカ公演に参加
  • 1986年:南米公演に参加
  • 1989年:ヨーロッパ公演に参加
  • 1990年:シンガポール、フィリピン、香港、台湾のアジア4地域で公演に参加

舞台では『蘭平物狂』の奴蘭平、『勧進帳』の弁慶、『魚屋宗五郎』の宗五郎など、時代物から世話物、舞踊まで幅広い役柄を演じました。

歌舞伎以外でも、NHK大河ドラマ『功名が辻』で明智光秀を演じ、映画『武士の一分』では島田藤弥役を務めています。伝統芸能の枠にとどまらない活動も、十代目の特徴でした。

2001年、十代目坂東三津五郎を襲名

2001年1月・2月、歌舞伎座で十代目坂東三津五郎の襲名披露が行われました。

襲名披露狂言の中心となったのは、『六歌仙容彩』の喜撰法師や『寿曽我対面』の曽我五郎などです。長年名乗ってきた八十助から、坂東家を代表する大きな名跡である三津五郎へと移る節目でした。

襲名に際して、本人はインタビューで名跡を受け継ぐ意味を次のように語っています。

「この名を大きくしていかなくちゃなりませんので」

これは2001年の襲名をめぐるインタビューで紹介された言葉です。単に先代と同じ芸名を名乗るのではなく、自分自身の芸によって名跡の価値をさらに高めようとする姿勢が表れています。

父である九代目坂東三津五郎は1999年4月1日に逝去していました。その後、十代目は日本舞踊坂東流の家元を引き継ぎ、2001年に歌舞伎俳優としても十代目三津五郎を襲名しています。

受賞歴も豊富で、1987年度芸術選奨文部大臣新人賞、2006年日本芸術院賞、2009年紫綬褒章、2014年読売演劇大賞最優秀男優賞などを受賞しました。

これらの経歴は、日本俳優協会および歌舞伎俳優名鑑の記録にも掲載されています。

【人物関係を整理】守田寿・九代目三津五郎・坂東巳之助の親子関係

坂東八十助の歴史を調べる際、混同されやすいのが守田寿、九代目坂東三津五郎、二代目坂東巳之助の関係です。

この3人は同じ坂東家の系譜につながっていますが、それぞれ名乗った芸名も役割も異なります。

坂東家の親子関係

九代目坂東三津五郎は、五代目坂東八十助の父親です。そして五代目八十助、すなわち十代目坂東三津五郎の長男が二代目坂東巳之助です。

  • 九代目坂東三津五郎:五代目坂東八十助の父
  • 五代目坂東八十助・十代目坂東三津五郎:守田寿。二代目坂東巳之助の父
  • 二代目坂東巳之助:十代目坂東三津五郎の長男。現役の歌舞伎俳優

歌舞伎俳優名鑑や日本俳優協会の記録でも、十代目三津五郎の本名が守田寿であること、二代目巳之助がその長男であることが確認できます。

二代目坂東巳之助のプロフィール

二代目坂東巳之助は1989年9月16日生まれ。東京都出身の歌舞伎俳優です。

1991年9月、歌舞伎座で『傀儡師』の唐子を演じ、守田光寿の名前で初お目見得を果たしました。

1995年11月には歌舞伎座『蘭平物狂』の繁蔵、『寿靱猿』の小猿を演じ、二代目坂東巳之助を襲名して初舞台を踏んでいます。

その後は、スーパー歌舞伎II『ワンピース』、新作歌舞伎『NARUTO』などにも出演。2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』にも出演するなど、伝統芸能と映像作品の両方で活動しています。

十代目三津五郎の逝去と家族への継承

十代目坂東三津五郎は2015年2月21日、膵臓がんのため59歳で逝去しました。

日本俳優協会の発表によると、葬儀の喪主は長男の坂東巳之助が務めています。

父の逝去後、巳之助は歌舞伎俳優としての活動を続けるとともに、2015年から日本舞踊坂東流の家元を務めています。

ここで押さえたいのは、坂東三津五郎の名跡を襲名することと、坂東流の家元を継承することは別の事柄だという点です。巳之助は父の芸と流派を引き継いでいますが、父と同じ十代目三津五郎を名乗っているわけではありません。

【名跡と屋号の由来】八十助・三津五郎・大和屋はどう違う?

坂東八十助を理解するには、歌舞伎独特の名前の仕組みを知っておくと便利です。特に混同されやすいのが、名跡、屋号、流派の3つです。

坂東八十助の名前の由来と読み方

坂東八十助は「ばんどうやそすけ」と読みます。八十助は本名ではなく、歌舞伎の舞台で名乗る芸名です。

日本芸術文化振興会の記録では、初代から五代目までの使用時期や、後に襲名した名前が記されています。一方、「八十助」という文字をどういう意味で命名したのかについては、同資料に明確な語源説明はありません。

したがって、八十歳や特定の数字に直接結び付けて解釈するより、代々受け継がれてきた歌舞伎の名跡として理解するのが適切です。

坂東三津五郎という名跡の由来

坂東三津五郎も、長い歴史を持つ歌舞伎の名跡です。

2001年の襲名に関するインタビューでは、三津五郎という名前について、江戸・京都・大坂という三つの都市の「津」と、『曽我の五郎』の五郎を組み合わせた、大きな名跡であるという説明が紹介されています。

「津」は港を意味する言葉であり、当時の主要都市を象徴する表現です。名前そのものに、江戸歌舞伎の伝統と華やかさを感じさせる背景があります。

また、十代目は襲名を先代から受け取るだけでなく、初代から続く歴史を背負うものとして捉えていました。

屋号「大和屋」の由来

坂東八十助や坂東三津五郎の屋号は大和屋(やまとや)です。

屋号とは、歌舞伎役者の家や一門を表す呼び名です。舞台では観客が役者に声を掛ける際にも使われ、歌舞伎独特の文化として定着しています。

大和屋の由来については、初代坂東三津五郎が養子に入った初代坂東三八の家の屋号にさかのぼると、辞書資料や歌舞伎の基礎知識資料で説明されています。

代表的な名跡には坂東三津五郎、坂東八十助、坂東巳之助などがあります。大和屋は単なる呼び名ではなく、坂東家の歴史と一門のつながりを示すものです。

日本舞踊坂東流との関係

坂東流は、日本舞踊の流派の一つです。流祖は三代目坂東三津五郎とされ、七代目三津五郎の時代に流派としての組織が整えられました。

歌舞伎の舞踊と深い関係を持ち、芝居のような表現力や、振りの意味を大切にする点が特徴です。

十代目坂東三津五郎も家元として流派を率い、歌舞伎俳優としての活動と日本舞踊の継承を両立させていました。

そして2015年以降は、長男の二代目坂東巳之助が家元を務めています。

【2026年現在】坂東八十助の名跡と坂東家はどうなっている?

2026年現在、坂東八十助という名前を検索する場合、五代目坂東八十助である十代目坂東三津五郎の過去の活動と、現在の坂東家の活動を分けて考える必要があります。

五代目坂東八十助に当たる人物は2015年に逝去

五代目坂東八十助、すなわち十代目坂東三津五郎は、2015年2月21日に59歳で逝去しています。

そのため、2026年現在、五代目八十助本人が舞台に出演しているわけではありません。

ただし、歌舞伎俳優名鑑には十代目坂東三津五郎として経歴や代表的な舞台、受賞歴が掲載されており、歌舞伎の歴史を知るうえで欠かせない役者の一人となっています。

二代目坂東巳之助が現在の坂東家を支える

2026年現在、坂東家の芸を受け継ぐ現役の歌舞伎俳優として活動しているのが、二代目坂東巳之助です。

所属事務所ホリプロの公式プロフィールには、2026年の歌舞伎出演歴として歌舞伎座の初春大歌舞伎や四国こんぴら歌舞伎大芝居が掲載されています。

また、歌舞伎俳優名鑑では、日本舞踊坂東流の家元として紹介されています。

父が十代目坂東三津五郎として築いた芸の伝統を引き継ぎながら、現代の歌舞伎作品や新作にも取り組んでいる点が、現在の活動の特徴です。

十一代目坂東三津五郎と二代目坂東巳之助は別の話

インターネットでは、坂東巳之助が父の後継者であることから、十一代目坂東三津五郎をすでに襲名したのではないかと混同されることがあります。

しかし、二代目坂東巳之助という現在の芸名と、十代目坂東三津五郎という父の名跡は別のものです。

親子であること、同じ大和屋の系譜に属すること、坂東流の家元を継承したことは、それぞれ確認できる事実ですが、それだけで三津五郎の名跡を襲名したことにはなりません。

この区別は、今後の襲名に関する情報を理解する際にも重要です。

【プロの結論】坂東八十助の歴史から分かる歌舞伎の名跡の価値

坂東八十助の歴史を追うと、歌舞伎における名前の継承が、単なる世代交代ではないことが分かります。

五代目坂東八十助は、約38年間にわたって八十助の名を名乗り、その後十代目坂東三津五郎として新たな舞台人生を歩みました。さらに、父から受け継いだ坂東流の家元としても活動し、歌舞伎と日本舞踊の双方で坂東家の伝統を支えました。

その芸は、世話物の写実的な演技、時代物の大きな役柄、そして舞踊の確かな技術に表れています。特に『蘭平物狂』『勧進帳』『魚屋宗五郎』などの舞台は、十代目の芸を知るうえで重要な作品です。

また、坂東家の歴史を理解する際には、次の3つを区別することが大切です。

  • 名跡:坂東八十助や坂東三津五郎など、役者が受け継ぐ芸名
  • 屋号:大和屋という一門・家の呼び名
  • 流派:日本舞踊坂東流という芸の継承組織

これらは相互に関係していますが、同じ意味ではありません。

坂東八十助という名跡を調べる読者にとって、最も重要なのは、五代目八十助と十代目三津五郎が同一人物であること、そして現在は長男の二代目巳之助が歌舞伎と坂東流の伝統を受け継いでいることです。

坂東八十助に関するよくある質問(FAQ)

Q1:坂東八十助の読み方は何ですか?
A1:ばんどうやそすけです。歌舞伎の名跡で、初代から五代目までの歴代の役者が名乗っています。

Q2:五代目坂東八十助は誰ですか?
A2:本名は守田寿です。1956年生まれの歌舞伎俳優で、1962年に五代目坂東八十助を襲名し、2001年に十代目坂東三津五郎となりました。

Q3:二代目坂東八十助は誰ですか?
A3:後の七代目坂東三津五郎です。本名は守田寿作で、1889年に二代目八十助を名乗って初舞台を踏み、1906年に七代目三津五郎を襲名しました。

Q4:四代目坂東八十助は誰ですか?
A4:後の九代目坂東三津五郎です。坂東光伸として初舞台を踏み、1955年に四代目八十助を襲名しました。五代目八十助の父親に当たります。

Q5:十代目坂東三津五郎は現在も活動していますか?
A5:いいえ。十代目坂東三津五郎は2015年2月21日に59歳で逝去しています。現在、坂東家の芸を受け継ぐ歌舞伎俳優として活動しているのは長男の二代目坂東巳之助です。

Q6:坂東巳之助は十代目三津五郎の息子ですか?
A6:はい。二代目坂東巳之助は十代目坂東三津五郎の長男です。2015年から日本舞踊坂東流の家元を務めています。

Q7:坂東八十助の屋号は何ですか?
A7:大和屋です。坂東三津五郎や坂東巳之助なども大和屋を屋号としています。

Q8:十一代目坂東三津五郎は誕生していますか?
A8:二代目坂東巳之助が父の芸と坂東流を受け継いでいますが、巳之助の現在の芸名は二代目坂東巳之助です。家元の継承と三津五郎の名跡の襲名は区別して理解する必要があります。

まとめ:坂東八十助の歴代と現在の坂東家を正しく理解する

坂東八十助は「ばんどうやそすけ」と読み、歌舞伎の世界で受け継がれてきた名跡です。特に五代目坂東八十助は、2001年に十代目坂東三津五郎を襲名した守田寿を指します。

歴代では、二代目が七代目三津五郎、三代目が八代目三津五郎、四代目が九代目三津五郎へと名前を変えており、それぞれの時代に坂東家の芸を支えてきました。

十代目坂東三津五郎は2015年に逝去しましたが、その長男である二代目坂東巳之助が現在も歌舞伎俳優として活動し、日本舞踊坂東流の家元を務めています。

2026年現在の坂東家を知るためには、歴代の名跡、親子関係、屋号の大和屋、そして坂東流の継承を分けて見ることが大切です。五代目八十助から十代目三津五郎へ、さらに二代目巳之助へと続く系譜には、歌舞伎という伝統芸能が世代を超えて受け継がれていく姿が表れています。