【競技歴】ヒカキンは小学生から高校まで約10年間スキーに打ち込んだ

目次

HIKAKINは1989年4月21日、新潟県妙高高原町(現在の新潟県妙高市)生まれ。雪深い地域で育ち、小学3年生ごろからスキージャンプを始めました。

当時の夢は、スキーでオリンピックに出場すること。単なる趣味や学校のレクリエーションではなく、全国大会を目指す競技生活を送っていました。

出身地・新井高校とスキー部時代

ヒカキンスキージャンプ

HIKAKINが通ったのは、地元の妙高高原南小学校、妙高高原中学校、そして新潟県立新井高校です。

特に中学・高校時代は競技に力を注いでいました。

新潟県の地元メディア「にいがた経済新聞」が2023年に掲載した同級生やスキー合宿の後輩への取材記事では、HIKAKINが高校卒業までスキーノルディック複合に取り組んでいたことが紹介されています。

ノルディック複合とは、次の2種目を組み合わせた競技です。

- スキージャンプ:ジャンプ台から飛び出し、飛距離や飛型などを競う。
- クロスカントリースキー:雪上のコースを長距離滑走し、持久力を競う。

HIKAKINはジャンプだけでなく、クロスカントリーの厳しい練習にも取り組んでいました。

過去のインタビューでは、妙高での練習について、ジャンプよりもクロスカントリーを必死に走っていた時期があったことも振り返っています。

学校の部活動を終えた後に長距離を走るなど、相当な運動量をこなしていたようです。2019年のテレビ番組を紹介したユーチュラの記事でも、部活動で20km走るトレーニングをしていたエピソードが取り上げられています。

競技とビートボックスを両立していた学生時代

意外なのは、HIKAKINがスキーだけに専念していたわけではないことです。

小学生のころにテレビ番組『力の限りゴーゴゴー!!』のハモネプリーグを見て、ヒューマンビートボックスに興味を持ちました。

中学・高校時代には、スキーの練習と並行してビートボックスの腕も磨いていました。

高校2年生だった2006年にはYouTubeチャンネル「HIKAKIN」を開設しています。

つまり、現在の活動につながる動画投稿の基礎は、競技生活の最中から始まっていたのです。

【全国大会の実績】ジュニアオリンピック8位の真相と兄セイキンとの比較

HIKAKINの競技歴で特に注目されるのが、全国大会での入賞経験です。

一般的なYouTuberの運動経験とは異なり、全国規模の競技大会に出場していたことが複数の番組やメディアで紹介されています。

ジュニアオリンピック8位は本当?

大会入賞歴あり

2026年2月10日付のSirabeeの記事では、2023年2月13日に公開されたSEIKINのYouTube動画をもとに、HIKAKINの競技成績として次の2つが紹介されています。

- ジュニアオリンピック:8位
- 全国中学校スキー大会:9位

一方、2026年の第39回UHB杯ジャンプ大会の番組紹介では、HIKAKINの実績が「ジュニアオリンピック中学の部4位」と記載されています。

また、2019年のテレビ出演を紹介した記事では、中学時代の全国大会8位という実績が紹介されました。

このように、順位の表記は資料によって一致していません。大会名や部門、記録の対象となった年度を区別して読む必要があります。8位という数字だけを、すべての大会に共通する最終順位として扱うのは適切ではありません。

HIKAKINとSEIKINのスキー実力比較

兄のSEIKINも、実は本格的なスキージャンプ経験者です。

2019年のママスタセレクトのインタビューでは、SEIKIN自身が中学時代の全国7位、高校のインターハイ4位という成績を明かしています。

2人ともオリンピックを夢見ていた競技経験者でした。

比較項目 HIKAKIN SEIKIN
競技経験 小3から高校卒業まで 学生時代から競技に取り組む
主な競技 スキージャンプ・ノルディック複合 スキージャンプ
中学時代 全国大会入賞 全国7位
高校時代 ジュニアオリンピックなどで入賞 インターハイ4位
引退後 YouTuber・ビートボクサー YouTuber・音楽活動

ここで注意したいのは、両者の順位を単純に比較できないことです。出場した大会や競技区分が異なるため、SEIKINのインターハイ4位とHIKAKINのジュニアオリンピックの順位を同じ条件で比べることはできません。

ただし、兄弟そろって全国大会で結果を残していたことは確かです。

2023年には兄弟で約20年ぶりのスキーに挑戦

2023年2月13日、SEIKINのYouTubeチャンネルで「全国大会入賞者兄弟が20年ぶりにスキーした結果」という動画が公開されました。

舞台は新潟県妙高市の池の平温泉アルペンブリックスキー場です。

久しぶりの雪上にもかかわらず、2人は上級者コースに挑戦。転倒する場面もありましたが、滑走するうちに感覚を取り戻していきました。

動画ではジャンプにも挑戦しており、学生時代の競技経験が身体に残っていることがうかがえます。

この映像は、単なる兄弟のスキー旅行ではありません。かつて全国大会を目指した2人が、約20年の時間を経て再び雪山に立った記録でもあります。

【高梨沙羅との関係】実は一緒に合宿したことがある

HIKAKINのスキージャンプ歴を語るうえで欠かせない人物が、女子スキージャンプの第一人者である高梨沙羅です。

2人には、学生時代の合同合宿を通じた接点がありました。

高梨沙羅が小学生だったころの練習パートナー

2019年4月17日放送の日本テレビ系『衝撃のアノ人に会ってみた!』で、HIKAKINの競技時代のエピソードが紹介されました。

当時、HIKAKINは中学生。高梨沙羅は小学1年生でした。

北海道の選手と新潟などの選手が参加する合同合宿で、HIKAKINは高梨のジャンプ練習をサポートする役割を担っていたといいます。

具体的には、地上でジャンプ姿勢をつくる練習の際、高梨の身体を下から支えるなどのサポートをしていました。

つまり、2人は単に同じ競技をしていたというだけではありません。実際に同じ合宿に参加し、練習を通して接点を持っていたのです。

高梨沙羅が振り返ったHIKAKINの印象

同番組では、高梨沙羅も当時の思い出を語っています。

HIKAKINに対する印象は「面白くて優しいお兄さん」というものでした。

一方、HIKAKINも高梨の活躍について、当時の小学生が大きな選手になったことへの驚きを語っています。

2020年12月24日放送のテレビ朝日系『徹子の部屋』でも、HIKAKINは高梨との関係について触れ、一緒に合宿したことや食事を共にしたことを振り返りました。

2人はライバルだったのか?

ネット上では「高梨沙羅のライバルだったヒカキン」という紹介を見かけることがあります。

しかし、実際の関係を正確に表現するなら、競技成績を争う同世代のライバルというより、合宿で一緒になった先輩と後輩です。

年齢も約7歳離れており、HIKAKINが中学生だった時期、高梨はまだ小学1年生でした。

この関係を知ると、現在のHIKAKINが高梨の活躍を喜ぶ理由も理解しやすくなります。

【引退理由】なぜオリンピックを目指した競技生活に終止符を打ったのか

HIKAKINは高校卒業を機に、約10年間続けてきたスキー競技を引退しました。

では、なぜオリンピックを目指していたにもかかわらず、競技を続けなかったのでしょうか。

本人の過去の発言からは、いくつかの事情が浮かび上がります。

理由1:高校でやり切ったという達成感

2015年のインタビューでHIKAKINは、小学3年生から続けてきたスキージャンプについて、高校3年生で引退したことを語っています。

本人にとっては、部活動に近い感覚もあり、長年取り組んできた競技を高校生活の終わりとともに一区切りつけたという側面がありました。

理由2:競技成績の伸び悩み

2020年にTOKYO FMの番組「野沢の雅子さん」で語った内容も重要です。

HIKAKINは、高校時代の競技生活を振り返り、次のような趣旨を説明しています。

- 周囲には大学でもスキーを続ける仲間が多かった。
- 自分は高校でやり切ったと感じていた。
- 競技成績も以前ほど振るわなくなってきた。
- 芸能への憧れがあり、引退を決断した。

つまり、競技を嫌いになって突然やめたわけではありません。自分の将来を考えたうえで、別の道に進む決断をしたのです。

理由3:ジャンプ競技に対する恐怖心

もう一つ見逃せないのが、スキージャンプ特有の恐怖心です。

2026年2月のSirabeeの記事では、HIKAKINが『徹子の部屋』で語った転倒への恐怖が紹介されています。

ジャンプ競技は、滑走路を高速で滑り降り、踏み切りから空中姿勢、着地までを短時間で行う競技です。

華やかに飛んでいるように見えますが、転倒すれば大きなけがにつながる危険もあります。

HIKAKINは2014年のX投稿でも、ジャンプ競技の恐怖について触れています。

本人が怖さを感じていたこと、兄のSEIKINが大きな転倒を経験していたことなどからも、競技に伴うリスクを身近に感じていたことが分かります。

引退後は東京で新しい挑戦を始めた

2008年に高校を卒業したHIKAKINは上京し、東京都内のスーパーマーケットで働き始めました。

昼間は仕事、夜はビートボックスの練習やライブ活動、動画制作という生活です。

2010年には「Super Mario Beatbox」が話題となり、海外メディアにも取り上げられるようになりました。

その後、動画投稿を中心とする活動へ移行し、現在のYouTuberとしてのキャリアを築いていきます。

興味深いのは、本人が競技時代の厳しい練習を、その後の人生にも生かしている点です。

スキーの練習で身につけた継続力や負けず嫌いな性格は、動画制作における粘り強さにもつながっていると考えられます。

【貴重な映像と名前の由来】ヒカキンという名前もスキー時代に誕生

HIKAKINのスキージャンプ経験を映像で確認したい人に、ぜひ知ってほしい動画があります。

それが本人のYouTubeチャンネルに残っている「HIKAKIN - SKI JUMPING! (2008 Spring)」です。

18歳当時のジャンプ映像が残っている

この映像は2008年春のスキージャンプの様子を収録したものです。

2026年2月のSirabeeの記事でも改めて紹介され、過去の競技映像として注目されました。

YouTube上の公開日は2011年7月3日ですが、映像のタイトルが示す撮影時期は2008年春です。

高校卒業前後のHIKAKINが、実際にジャンプ競技に取り組んでいたことを確認できる貴重な記録です。

また、2024年3月13日放送のテレビ東京系『何を隠そう…ソレが!』でも、18歳当時の秘蔵映像が紹介されました。

普段の動画で見せる表情とは異なる、真剣なアスリートとしての姿が視聴者の驚きを呼びました。

HIKAKINという名前の由来はスキーの先輩

実は、現在の活動名にもスキー競技が関係しています。

2026年4月29日放送のフジテレビ系『奇跡体験!アンビリバボー』で、HIKAKINは自身の名前の由来を改めて説明しました。

本名は光(ひかる)。

スキーをしていた学生時代、先輩から突然「ヒカキン」と呼ばれるようになり、そのニックネームが定着したというものです。

本人によれば、なぜその呼び方になったのか、特別な意味はよく分からないとのこと。

つまり、「非課金」やゲーム用語が由来という説は誤解です。

競技仲間から呼ばれた愛称が、そのまま世界的な活動名になったというわけです。

このエピソードは、HIKAKINのキャリアを考えるうえでも興味深いものです。

今では誰もが知る名前ですが、その始まりは華やかな芸能活動でも、YouTubeでもなく、地元のスキー競技の仲間との日常にありました。

【2026年最新】ヒカキンが第39回UHB杯ジャンプ大会に登場!

2026年10月17日開催

2026年の最新動向として大きな話題になったのが、北海道で開催された第39回UHB杯ジャンプ大会です。

HIKAKINは、この大会にスペシャルゲストとして登場しました。

2026年10月17日、札幌・大倉山に登場

北海道文化放送(UHB)の公式大会情報によると、第39回UHB杯ジャンプ大会は2026年10月17日に札幌市の大倉山ジャンプ競技場で開催されました。

大会では、ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピックのメダリストをはじめ、国内トップクラスの選手たちが競演しました。

主な注目選手は次のとおりです。

- 二階堂蓮
- 丸山希
- 伊藤有希
- 葛西紀明

そして、スペシャルゲストとしてHIKAKINが参加しました。

HIKAKINは現役選手として出場したのか?

ここは誤解しやすいポイントです。

HIKAKINはジャンプ大会の競技出場者ではなく、ゲストとして参加しています。

UHBの大会結果記事によると、男子は二階堂蓮が初優勝。女子は丸山希が優勝し、伊藤有希は2位となりました。

そして表彰式後には、二階堂蓮やHIKAKINらによるスペシャルトークショーが行われました。

したがって、今回の出演は現役復帰ではありません。

競技経験者として、現在のトップ選手たちと交流する立場での参加です。

UHB公式YouTubeでもトークショーを公開

2026年10月23日には、UHB北海道文化放送の公式YouTubeチャンネルで、当日のスペシャルトークショーの映像が公開されました。

動画タイトルは「〖HIKAKIN参戦〗葛西紀明・二階堂蓮・伊藤有希・丸山希ら豪華メンバー集結!UHB杯SPトークショーを一挙公開!」です。

HIKAKINが現役選手たちに質問する内容で、過去にスキージャンプを経験した人物ならではの視点が生かされています。

地元妙高とのつながりも継続

HIKAKINは、競技を引退した後も地元のスキージャンプ界とのつながりを保っています。

にいがた経済新聞の2024年8月の記事によると、HIKAKINは地元妙高市で開催される妙高サマージャンプ大会に、2023年の第23回大会から個人協賛を行っています。

選手として競技を続ける道は選ばなかったものの、地元のスキー競技を支える立場で関わっているのです。

2026年のUHB杯へのゲスト出演も、こうした競技経験とスキージャンプへのつながりを考えると、自然な展開といえます。

【ヒカキンのスキージャンプ】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:ヒカキンは本当にスキージャンプの選手だったのですか?

HIKAKIN本人がインタビューやテレビ番組で競技経験を語っています。小学3年生ごろから高校卒業まで約10年間取り組み、全国大会での入賞経験もあります。

Q2:ヒカキンのジュニアオリンピックの順位は8位ですか?

2023年のSEIKINの動画を紹介したSirabeeの記事では8位とされています。一方、2026年のUHB杯の番組紹介では中学の部4位と記載されています。資料によって順位表記が異なります。

Q3:ヒカキンと高梨沙羅は昔からの友人ですか?

学生時代に合同合宿で一緒になった接点があります。HIKAKINが中学生、高梨が小学1年生のころで、HIKAKINは高梨の練習をサポートしていました。

Q4:ヒカキンがスキージャンプを引退した理由は何ですか?

高校でやり切ったという達成感、競技成績の伸び悩み、芸能活動への憧れなどが背景にあります。また、ジャンプ競技に対する恐怖心も語られています。

Q5:ヒカキンのスキージャンプ動画は現在も見られますか?

本人のYouTubeチャンネルに「HIKAKIN - SKI JUMPING! (2008 Spring)」という映像が残っています。18歳当時のジャンプの様子を確認できます。

Q6:セイキンとヒカキンではどちらがスキーが上手だったのですか?

SEIKINは中学時代に全国7位、高校のインターハイで4位という実績を明かしています。HIKAKINにも全国大会の入賞歴がありますが、競技区分や大会が異なるため、順位だけで優劣を決めることはできません。

Q7:ヒカキンは2026年にスキージャンプへ復帰したのですか?

競技者としての復帰ではありません。2026年10月17日の第39回UHB杯ジャンプ大会にスペシャルゲストとして参加し、現役選手たちとのトークショーに出演しました。

Q8:ヒカキンという名前はスキーに由来しているのですか?

はい。学生時代にスキー競技の先輩から「ヒカキン」と呼ばれたことが由来です。本名の光(ひかる)から生まれた愛称が、そのまま活動名になりました。

まとめ:ヒカキンのスキージャンプ経験は現在の活動にもつながっている

HIKAKINのスキージャンプ経験は、単なる有名YouTuberの意外な過去というだけではありません。

小学生から高校卒業まで約10年間競技に取り組み、全国大会で入賞するほどの実力を身につけていました。

高梨沙羅との合同合宿、兄SEIKINとの競技経験、18歳当時のジャンプ映像など、現在の活動からは想像しにくいエピソードも数多く残されています。

高校卒業を機に競技を引退した背景には、やり切ったという達成感や成績の伸び悩み、芸能への憧れ、競技の恐怖心がありました。

そして2026年10月、HIKAKINは第39回UHB杯ジャンプ大会にゲストとして登場。現役選手との交流を通じて、再びスキージャンプとの縁を見せています。

【プロの結論】

HIKAKINの競技人生から読み取れる大切なポイントは、過去の経験が必ずしも同じ職業や分野で生かされるとは限らないということです。

スキー選手としてオリンピックに出場する夢は実現しませんでした。しかし、競技を通じて培った継続力、忍耐力、負けず嫌いな性格は、その後のビートボックスやYouTube活動を支える土台になりました。

また、引退後も地元の大会への協賛や2026年のUHB杯への出演など、競技とのつながりを大切にしています。

ヒカキンという名前の原点がスキー部時代にあったことも含め、彼の成功を理解するには、YouTubeで有名になる前の約10年間を知ることが欠かせません。

かつてオリンピックを夢見た少年は、現在、別の舞台で多くの人に夢を届けています。

主な参考資料:北海道文化放送(第39回UHB杯大会情報・大会結果)、テレビ朝日POST、TOKYO FM+、にいがた経済新聞、Sirabee、ユーチュラ、スポニチアネックス、本人およびSEIKINのYouTube公開映像。