2026年版・カープの意味は鯉?球団名の由来と1950年創設からの歴史を徹底解説

目次

「カープ(Carp)」とは、英語で「鯉(こい)」を意味する言葉です。広島東洋カープの球団名には、単に魚の名前を付けたという以上の背景があります。広島城の別名である「鯉城(りじょう)」、太田川と鯉に結び付いた広島の地域性、そして原爆投下からの戦後復興を願う人々の思いが重なって誕生しました。

1950年に「広島カープ」としてスタートした球団は、1968年に現在の「広島東洋カープ」へと改称しています。2026年現在も受け継がれるこの名称には、広島という街と市民が歩んできた歴史が刻まれています。英語の意味から命名理由、球団創設の経緯、現在の名称に残る意味まで、時系列と関連する歴史的事実を整理します。

📌 【この記事の重要ポイントまとめ】

  • 要点1:カープ(Carp)は英語で「鯉」。広島城の別名「鯉城」にちなんで名付けられた。
  • 要点2:鯉には滝を登って龍になるという伝説があり、広島の戦後復興と将来の発展への願いが込められた。
  • 要点3:1950年に広島カープとして創設され、1968年から広島東洋カープの名称が使用されている。

【まず答え】カープの意味は英語で「鯉」!Carpの正しい意味と読み方

カープの意味

広島東洋カープの「カープ」は、英語の Carp(カープ) に由来します。日本語に訳すと「鯉」です。英語では淡水魚であるコイを表す一般的な名詞で、湖や川に生息する魚を指します。

Carpはどんな意味を持つ英単語?

カープの意味

英語のCarpは、基本的に次のような意味で使われます。

  • 英語表記:Carp
  • カタカナ表記:カープ
  • 日本語の意味:鯉(コイ)
  • 品詞:名詞
  • 複数形:一般的にはCarp

英語では、魚の種類によって単数形と複数形が同じになる場合があります。Cambridge Dictionaryでも、Carpの複数形はCarpと記載されています。そのため、球団名が「Carps」ではなく「Carp」なのは、英語として自然な表記です。

日本野球機構(NPB)の英語版でも、球団の正式な英語表記は「Hiroshima Toyo Carp」とされています。

カープとコイは同じ意味?

カープの意味

はい。球団名に使われているCarpは、日本語の「鯉」と同じ魚を意味します。

ただし、広島東洋カープの場合、重要なのは英単語の翻訳だけではありません。なぜ広島の球団が鯉を選んだのかという点に、名前の本当の意味があります。

広島には鯉城と呼ばれる広島城があり、太田川の流れる水辺の風景もあります。さらに、鯉は古くから立身出世や飛躍の象徴として親しまれてきました。これらの要素が、球団名の背景を形作っています。

【検証資料 1】カープの意味の当時の様子・関連報道写真(出典:Yahoo!ニュース)

【命名理由】広島城が鯉城と呼ばれる理由と太田川の鯉との関係

カープという名前の由来を理解するうえで欠かせないのが、広島城です。広島城には「鯉城(りじょう)」という別名があり、この呼び名が広島カープの命名につながりました。

広島城の別名はなぜ鯉城なのか

広島城は、戦国大名の毛利輝元によって築かれた城です。築城工事は1589年(天正17年)に始まり、広島の政治・経済の中心として発展してきました。

この広島城には、鯉城という別名があります。

由来については、広島城が築かれた周辺地域が、かつて「己斐浦(こいのうら)」と呼ばれていたことに関係するという説が知られています。「己斐」という地名と魚の「鯉」の読みが結び付いて、鯉城という呼び名になったという考え方です。

ただし、広島城の公式案内でも、鯉城の正確な由来は明らかになっていないと説明されています。江戸時代末期にはすでに鯉城という呼び名が使われていたとされますが、なぜその名称が生まれたのかについては諸説があります。

特に注意したいのは、広島城のお堀に鯉が泳いでいるから鯉城と名付けられた、という説明です。広島城の公式解説では、お堀の鯉と別名の成立は関係がないとされています。

太田川の鯉も広島らしさを象徴する存在

もう一つ、カープの名前と結び付けて語られるのが太田川です。

広島市は太田川が形成した三角州を中心に発展した水辺の都市です。太田川は広島の歴史や暮らしと深く結び付き、川と水辺の生き物は地域の自然を象徴する存在でもあります。

広島の地域メディアなどでは、広島城の鯉城という別名だけでなく、太田川を泳ぐ鯉もカープの名前に関係する要素として紹介されています。

つまり、カープという名前は、広島の歴史的な建造物と自然環境の両方を連想させる名称です。広島という土地に根差した球団をつくるという考え方にもよく合っています。

鯉の滝登りと出世魚に込められた願い

鯉には、古代中国の伝説に由来する「鯉の滝登り」という有名な物語があります。

中国の黄河上流にある龍門の急流を鯉が登り切ると、龍に姿を変えて天へ昇るという伝説です。この物語から、困難を乗り越えて大きく成長することや、立身出世を象徴するものとして鯉が親しまれるようになりました。

「登竜門」という言葉も、この伝説に由来します。

なお、出世魚という言葉には、成長するにつれて名前が変わる魚という一般的な意味があります。代表例はブリ、ボラ、スズキです。一方、鯉についても、龍門を登って龍になる故事から、出世を象徴する魚としての意味があります。

広島の観光公式情報でも、カープの命名理由として、鯉城に加えて、滝を登る鯉のように復興してほしいという願いが紹介されています。

この象徴性こそ、単に地域の魚を球団名にしただけではない、カープという名前の大切な意味です。

【戦後復興の象徴】1950年に広島カープが誕生した歴史的背景

広島カープの誕生は、広島の戦後復興と切り離して考えることができません。

1945年8月6日、広島は原子爆弾の投下によって壊滅的な被害を受けました。街の再建が続くなか、市民に希望や活力をもたらす存在として、地元にプロ野球球団をつくろうという構想が生まれます。

広島にプロ野球球団をつくろうという構想

広島県の復興に関する公的な報告書や、カープの球団史を扱った研究によると、地元に球団をつくる動きは1949年ごろから本格化しました。

当時の広島には、被爆による深刻な被害から立ち上がり、街に明るい話題を取り戻したいという思いがありました。

そのなかで生まれた球団構想は、特定の企業や個人が所有するのではなく、地域の人々が支えるチームにするというものでした。

球団の創設には広島県や県内の自治体、地元経済界、市民が関わりました。研究論文では、創設時の資本金は2,500万円と記録されています。

1949年に名称が決まり、1950年に正式にスタート

1949年9月28日付の中国新聞には、チーム名を「カープ(鯉)」に決定したという記事が掲載されました。

その後、1950年1月15日、西練兵場跡に設けられた市民球場で球団の結成披露式が開催されます。郷土出身の石本秀一監督が率いるチームの門出には、約2万人が集まったと広島県の復興史資料に記録されています。

こうして、広島カープは1950年にセントラル・リーグへ参加しました。

創設当初は経営難に苦しんだ市民球団

ただし、球団創設は順風満帆ではありませんでした。

親会社を持たないカープは、資金面で大きな苦労を抱えていました。1950年の公式戦は41勝96敗1分けで最下位。選手の給与遅配なども発生し、翌1951年の開幕前には球団の身売りや他球団との合併が取り沙汰されるほどでした。

こうした苦境を支えたのが、広島の市民や地元経済界です。

1955年には球団組織の再編が行われ、東洋工業を含む地元企業などからの出資を受けて新たな会社が設立されました。

さらに1957年には、地元財界の寄付によって広島市民球場が完成します。カープの歴史は、単なるプロ野球チームの成長記録ではなく、広島の街が市民とともに再建されていく過程とも重なっています。

【検証資料 2】カープの意味の活動歴およびメディア掲載記録(出典:Yahoo!ニュース)

【球団名の歴史】1950年の広島カープから1968年の広島東洋カープへ

現在の正式名称である「広島東洋カープ」は、創設時から使われていた名前ではありません。

最初は「広島カープ」という名称で活動し、その後、東洋工業の支援を背景に現在の名前へと変わりました。NPBの球団史では、1968年から広島東洋カープという名称が使用されています。

球団名の変遷と重要な出来事

創設から現在までの主な出来事を、球団名との関係が分かるように整理しました。

時期 出来事・関係する存在 球団史における意味
1949年9月 広島カープの名称決定 中国新聞で市民に球団名が伝えられる
1950年1月 広島カープ結成披露式 市民球団として正式にスタート
1955年 株式会社広島カープ設立 経営難を背景に球団組織を再編
1957年 広島市民球場完成 地元財界の支援で本拠地を整備
1967年11月 東洋工業による支援と「東洋」の追加 球団名に東洋工業の名称が加わる
1968年 広島東洋カープ NPBの球団名変遷で現在の名称が始まる
2026年 広島東洋カープ 現在も同じ球団名を継承

なぜ「東洋」という名前が加わったのか

「東洋」の由来は、当時の広島に本社を置いていた東洋工業株式会社です。現在のマツダ株式会社に当たります。

球団の経営や成績を立て直すため、東洋工業が支援を強化したことが名称変更の背景にありました。

球団史を扱った研究論文では、1967年に球団名を広島東洋カープへ変更し、同年から東洋工業が球団運営に携わるようになったと説明されています。

一方、NPBの公式な球団名の変遷では、広島カープが1950~1967年、広島東洋カープが1968年以降と整理されています。

また、球団史を紹介した書籍では、1967年11月に東洋の名称が加わった経緯が説明されています。したがって、1967年は改称に向けた転換期、1968年はNPBの球団名として現在の名称が始まる年として整理すると分かりやすいでしょう。

【現在の意味】広島東洋カープという球団名に残る市民球団の精神

2026年現在、広島東洋カープという名称は、英語のCarpをそのまま日本語に訳した「鯉」という意味だけでは説明できません。

球団の歩みを振り返ると、そこには広島の地域性、戦後復興、市民の支援、そして長い年月をかけて形成されたファンとの結び付きがあります。

「東洋」が入っていてもマツダの親会社という意味ではない

現在の名称に「東洋」が残っているため、マツダがそのまま球団の親会社なのではないかと考える人もいるかもしれません。

しかし、球団名の東洋は、改称時に東洋工業の支援を受けた歴史を反映したものです。

2020年にJ-STAGEで公開された地域活性化に関する研究論文では、マツダが球場の命名権を取得していることと、球団の経営に関与していることは別であると整理されています。

つまり、球団名に東洋という文字が残っているからといって、現在の球団経営をマツダの企業活動と同一視することはできません。

市民球団という歴史が現在のカープを形作っている

カープの特徴として知られているのが、市民球団として誕生した歴史です。

創設時には、広島県や自治体、地元企業、市民が資金を出し合いました。経営難に陥った時期にも、地域の人々が球団を支え続けています。

その象徴的な取り組みが「たる募金」です。球団を存続させるため、市民が酒樽などを利用して募金を集め、資金面から支援しました。

2005年のプロ野球再編問題でも、カープの存続を求める声が広島で高まりました。2009年に開場したマツダスタジアムの建設にも、広島市民からの募金が活用されています。

J-STAGE掲載の研究論文では、こうした歴史を踏まえ、広島のファンが単に試合を観戦する存在にとどまらず、球団を支える株主に似た役割を担ってきたと分析しています。

カープという名前は現在も広島の象徴

現在のカープには、赤いユニフォームや赤い応援グッズなど、視覚的にも強い特徴があります。

ただし、赤色が球団のイメージとして定着したのは、球団創設時からではありません。1975年の初優勝を迎えた時期に、帽子やヘルメットが紺色から赤色に変わり、「赤ヘル軍団」というイメージが広がりました。

この赤色の文化も、鯉という球団名と同じく、カープの歴史を通して形成されてきたものです。

2026年のNPB公式記録でも、球団名は「広島東洋カープ」として掲載されています。名称そのものは変わらなくても、地域との結び付きやファン文化を含む意味は、長い歴史のなかで広がり続けています。

【検証資料 3】カープの意味に関する近況・インタビュー報道記録(出典:Yahoo!ニュース)

【誤解を整理】カープの意味と球団名について知っておきたい5つの事実

カープの名前には、英語、広島の地名、歴史的な伝説、球団経営など複数の要素が関係しています。混同されやすいポイントを整理します。

1. カープは英語で鯉という意味

これは正しい理解です。Carpは英語で鯉を表す名詞であり、球団名の基本的な意味も鯉です。

2. 鯉城の由来は完全には解明されていない

己斐浦という地名に由来する説は広く知られていますが、広島城の公式案内でも正確な由来は不明とされています。確定した歴史的事実として一つの説だけを紹介するのは適切ではありません。

3. お堀の鯉が球団名の直接の由来というわけではない

広島城のお堀に鯉が泳いでいる風景は印象的ですが、それが鯉城という別名を生んだわけではないと、広島城の公式解説は説明しています。

4. 1950年の創設当初から広島東洋カープだったわけではない

創設時の名称は広島カープです。東洋工業の支援を背景に名称が変更され、NPBの球団名の歴史では1968年から広島東洋カープとなっています。

5. 鯉の意味は魚だけではなく、飛躍や発展の象徴でもある

鯉の滝登りの伝説は、困難を乗り越えて龍になるという物語です。広島の戦後復興への願いと重ねられたことで、球団名に象徴的な意味が加わりました。

【カープの意味】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:カープは英語でどういう意味ですか?
A1:Carpは英語で「鯉」を意味します。広島東洋カープの球団名も、この英単語に由来しています。

Q2:広島カープはなぜ鯉という名前になったのですか?
A2:広島城が鯉城と呼ばれていたことや、鯉が滝を登って龍になるという伝説に由来します。戦後の広島が困難を乗り越えて発展するようにという願いも込められています。

Q3:広島城はなぜ鯉城と呼ばれるのですか?
A3:広島城周辺の旧地名である己斐浦に関係するという説があります。ただし、正確な由来は現在も明らかになっていません。

Q4:広島カープはいつ誕生しましたか?
A4:1950年です。1949年に球団名が決まり、1950年1月15日に結成披露式が行われました。

Q5:広島東洋カープに名前が変わったのはいつですか?
A5:NPBの球団名の変遷では1968年からです。改称の背景には、当時の東洋工業による球団支援がありました。

Q6:鯉は出世魚なのですか?
A6:鯉は、龍門を登って龍になるという中国の伝説から、立身出世や飛躍の象徴として扱われています。成長に伴って名前が変わるブリやボラなどとは別の意味で、出世を象徴する魚とされています。

まとめ:カープの意味は鯉、そして広島の復興と未来への願い

カープの意味は、英語のCarpに由来する「鯉」です。しかし、広島東洋カープという球団名には、それ以上の歴史と願いが込められています。

広島城の別名である鯉城、太田川とともに発展してきた広島の地域性、鯉の滝登りが象徴する飛躍と立身出世。これらの要素が重なり、広島という街にふさわしい球団名が生まれました。

1950年の創設から、資金難や存続の危機、市民による支援を経て、1968年には現在の広島東洋カープへと名称が変わりました。その歩みは、広島の戦後復興の歴史とも深く結び付いています。

カープという名前が表しているのは、単なる鯉という魚ではなく、困難を乗り越えて成長しようとする広島の人々の思いです。

2026年現在も受け継がれる「広島東洋カープ」という名称。その意味を知れば、球団のロゴやユニフォーム、そして広島の街に根付くカープ文化も、これまでとは違った視点で見えてくるはずです。

主な根拠資料: NPB公式球団史、広島城公式解説、広島県・広島市の復興史資料、J-STAGE掲載研究論文、Cambridge Dictionary、広島の観光公式情報。