【東海大相模時代】150キロ右腕として甲子園準優勝を達成

目次

一二三慎太氏は、1992年9月29日生まれ。大阪府出身で、東海大相模高校では投手として活躍しました。高校時代から高い身体能力と打撃センスを備え、投打両面で注目を集めた選手です。

2010年夏、東海大相模のエースとして全国準優勝

一二三慎太

一二三氏の名前が全国に知られるきっかけとなったのが、2010年夏の第92回全国高校野球選手権大会です。

当時の東海大相模は神奈川県代表として出場。一二三氏はエースとしてチームをけん引し、決勝まで勝ち進みました。

決勝の相手は、沖縄県代表の興南高校です。結果は興南高校の勝利となり、東海大相模は準優勝に終わりました。

特筆すべきなのは、投手としてだけでなく打者としても優れた成績を残していた点です。

日刊スポーツの2022年の経歴紹介によると、夏の甲子園では全5試合に先発し、打撃成績も打率5割7分1厘を記録。投打にわたって準優勝に貢献しました。

ドラフト1位候補から阪神の2位指名へ

一二三慎太

高校時代の一二三氏は、最速150キロの直球を投げる本格派投手として評価されていました。

ただし、打者としての能力も高く、プロ球団からは投手・野手の両面で関心を集めていました。

2010年秋のドラフト会議では、阪神タイガースが2位で指名。投手としての将来性を評価され、プロ入りを果たします。

当時の期待値を考えると、阪神が将来の主力投手候補として獲得したことは自然な判断でした。

しかし、プロ野球選手としてのキャリアは、入団直後から故障との戦いになっていきます。

【阪神タイガース時代】右肩故障による野手転向と戦力外通告の理由

一二三慎太

阪神入団後の一二三氏にとって最大の問題となったのが、右肩の故障です。

高校時代に150キロを記録した投手であっても、プロの世界で同じように投げ続けられるとは限りません。一二三氏はルーキーイヤーから投球に制限がかかり、早い段階で大きな決断を迫られました。

2011年の右肩痛でプロ1年目は実戦登板なし

2011年2月、春季キャンプ中に右肩痛を発症します。

その後はリハビリを中心とした生活となり、プロ1年目はファームの実戦登板もないまま終了しました。

日刊スポーツの2012年1月12日付報道によると、右肩の回復が思わしくなく、手術も検討されたものの見送られています。

MRI検査などを経て球団関係者やトレーナーと話し合った結果、投手としての復帰を断念する方向に進みました。

2012年、外野手への転向を決断

2012年1月、一二三氏は野手転向を決断します。

阪神は外野手として再スタートさせる方針を取り、2年目から登録も外野手に変更されました。

もともと高校時代から打撃力には定評があり、転向そのものが全く不自然だったわけではありません。

ただし、プロ入り時に評価されていたのは投手としての能力です。

150キロ右腕として阪神に入団した選手が、わずか1年で投手を断念することになった影響は小さくありません。

2013年には左足首も故障

野手として再出発した後も、故障は続きます。

2013年7月には左足首の剥離骨折を経験し、長期離脱を余儀なくされました。

投手としての再起を断念した後、今度は野手としての成長を目指していた時期だけに、再び出場機会を失ったことは痛手でした。

2015年に育成契約、2016年に戦力外通告

2015年、一二三氏は育成契約に移行します。

背番号も本人の希望によって「123」となり、新たなスタートを切りました。

2016年にはBCリーグの石川ミリオンスターズに派遣され、実戦機会を求めて活動しています。しかし、阪神で支配下登録を勝ち取ることはできませんでした。

そして、2016年10月、阪神から戦力外通告を受けます。

プロ入りから6年間で、一軍公式戦への出場はありませんでした。

ここで注意したいのは、戦力外通告の理由を単純に打撃成績だけに結びつけないことです。右肩の故障、野手転向、左足首の骨折、育成契約への移行など、複数の事情が重なったキャリアでした。

球団が公表した単一の理由だけで説明できるものではなく、報道で確認できる経緯を総合して捉える必要があります。

【保存版・経歴年表】一二三慎太の高校時代から2026年まで

一二三氏の経歴を理解するうえで重要なのは、阪神退団後も野球との関係が完全に途切れたわけではないことです。

石川ミリオンスターズでの活動、2018年の不起訴処分、2022年の合同トライアウト、そしてトレーナーへの転身という流れがあります。

時期 出来事 主な内容
2010年夏 東海大相模 甲子園準優勝。投打で活躍
2010年秋 阪神入団 ドラフト2位で指名
2011年 右肩故障 実戦登板なしでプロ1年目を終える
2012年1月 野手転向 外野手として再出発
2013年7月 左足首故障 剥離骨折で長期離脱
2015年 育成契約 背番号123で再スタート
2016年3~6月 石川ミリオンスターズ 阪神からBCリーグに派遣
2016年10月 戦力外通告 阪神を退団
2017年 石川ミリオンスターズ 練習生として活動
2018年1月 自主退団 石川での活動を終了
2018年3月 不起訴処分 那覇地検が不起訴処分と報道
2022年11月 合同トライアウト 投手として参加し2奪三振
2025年1月 トレーナー活動 プロ選手らの自主トレを指導
2026年 現在 大阪のトレーニング施設で活動を確認

石川ミリオンスターズで再起を目指した時期

阪神から戦力外通告を受けた後、一二三氏は野球を続ける道を探します。

2017年には独立リーグの石川ミリオンスターズで練習生として活動しました。

ここで重要なのは、2016年と2017年の石川での活動は同じ立場ではないという点です。

- 2016年:阪神所属の選手としてBCリーグに派遣。
- 2017年:阪神退団後、石川の練習生として活動。
- 2018年1月:自主退団。

2017年には投手としてNPB復帰を目指す意向も示していました。

しかし、その後に報じられた事件によって、野球人生は再び大きな転換点を迎えます。

【イップスの真相】一二三慎太はなぜ投球フォームを失ったのか

一二三氏を調べると、「イップス」という言葉が関連検索に登場します。

この背景には、2017年に集英社のスポーツメディア「Sportiva」が掲載したインタビュー連載があります。

同連載では、高校時代に経験した投球フォームの喪失と、そこからサイドスローへ転向した経緯が本人の証言を交えて紹介されています。

頭部への死球が原因だったという説は本人が否定

ネット上では、センバツ後の練習試合で相手打者に頭部死球を与えたことがイップスの原因になった、という説が広まっていました。

しかし、Sportivaの2017年8月15日付の記事で、一二三氏はこの説を明確に否定しています。

本人の説明によると、問題の出発点は右肩の痛みでした。

肩に痛みがある状態で投球を続けようとした結果、従来のフォームで思うようにボールを投げられなくなり、リリースの感覚も失われていったという経緯です。

つまり、頭部死球による心理的ショックが原因だったという説明とは異なります。

右肩の痛みから投球フォームを見失うまで

Sportivaのインタビューでは、当時の状況について次のような経緯が紹介されています。

1. 右肩に強い痛みが発生する。
2. 痛みを避けながら投げられるフォームを探す。
3. 以前のようなリリースの感覚を失う。
4. 投球を考え過ぎることで、さらにフォームが分からなくなる。
5. サイドスローを試したところ、指先にボールがかかる感覚を取り戻す。

特に興味深いのは、サイドスローへの転向が偶然の思いつきだけではなかったことです。

沖縄遠征中のブルペンで、ブルペン捕手の鈴木脩平氏から投げ方を変えてみる提案を受け、さまざまなフォームを試した結果、サイドスローに手応えを得ました。

当時の東海大相模の門馬敬治監督も、本人の感覚を尊重して新しいフォームへの挑戦を後押ししたと記事は伝えています。

イップスと肩の故障は分けて考えるべき

一二三氏のケースで重要なのは、精神的な問題だけで投球ができなくなったと単純化できない点です。

本人の証言では、肩の痛みと投球フォームの再構築が大きなテーマになっています。

身体的な故障によって従来の動作ができなくなり、そこから自分の投げ方を探し続けた結果、投球動作への意識が過剰になっていったという構図です。

この経験は、野球選手にとってフォームと身体のコンディションがいかに密接に関係しているかを示す事例でもあります。

【2018年の逮捕報道と不起訴処分】理由は公表されたのか

一二三慎太氏の経歴を語るうえで、避けて通れないのが2017年11月の逮捕報道です。

当時は石川ミリオンスターズの練習生として活動していた時期で、報道各社が沖縄県内での事件について伝えました。

2017年11月に逮捕が報じられる

2017年11月22日、デイリースポーツなどが、一二三氏が女性への性的暴行の疑いで沖縄県警に逮捕されていたと報じました。

報道では、ほかの男性2人も逮捕されたと伝えられています。

その後、2018年1月6日には石川ミリオンスターズが一二三氏の自主退団を発表しました。

当時の経緯は次のとおりです。

- 2017年11月:沖縄県内での事件について逮捕報道。
- 2018年1月:石川ミリオンスターズを自主退団。
- 2018年3月:那覇地方検察庁による不起訴処分が報じられる。

2018年3月に不起訴処分となった

2018年3月23日、捜査関係者への取材を通じて、那覇地検が一二三氏を不起訴処分としていたことが明らかになりました。

翌24日付のデイリースポーツなども、この処分を報じています。

ここで最も重要なのは、不起訴処分の理由は公表されていないという点です。

当時の報道では、那覇地検は不起訴の理由を明らかにしていません。

不起訴処分の理由はなぜ分からないのか

不起訴処分には、法律上いくつかの種類があります。

法務省や検察庁の説明によると、代表的なものは次のとおりです。

不起訴の種類 意味
嫌疑なし 犯罪の疑いがないと判断された場合
嫌疑不十分 有罪を立証するための証拠が十分でない場合
起訴猶予 犯罪の嫌疑が認められても、諸事情を考慮して起訴しない場合

これらは一般的な制度上の区分です。一二三氏の事件がどの区分に該当したのかは、公表された報道からは判断できません。

また、不起訴処分は裁判所による無罪判決とは異なります。検察官が裁判にかけないと判断した処分であり、裁判による有罪・無罪の判断が行われたわけではありません。

そのため、示談が成立したから不起訴になった、あるいは証拠がなかったから不起訴になったといった説明を確定的にすることはできません。

逮捕報道と不起訴処分は、それぞれ別の段階の事実として理解する必要があります。

【2022年トライアウトと現在】パーソナルトレーナーとして歩む第二のキャリア

阪神退団後、野球界から距離を置いた一二三氏ですが、2022年には再び野球ファンの前に姿を現しました。

それが、12球団合同トライアウトへの挑戦です。

2022年11月、12年ぶりに投手としてマウンドへ

2022年7月17日、一二三氏は自身のSNSを通じて、同年11月に開催される合同トライアウトへの参加意向を明らかにしました。

阪神入団時は投手でしたが、右肩故障によって2012年から野手へ転向していたため、投手としての実戦登板には長いブランクがありました。

本人は当時、肩の手術を2回経験したことや、投手として長く実戦から離れていたことも説明しています。

そして2022年11月8日、楽天生命パーク宮城で開催された12球団合同トライアウトに参加しました。

結果は、打者3人に対して2奪三振、1四球。

右サイドスローから直球とスライダーを投げ、久しぶりのマウンドで存在感を見せました。

特に注目されたのは、阪神時代の背番号36のユニホームを着て登板したことです。

しかし、この挑戦には一般的なトライアウトとは少し異なる意味がありました。

トライアウトはNPB復帰が目的ではなかった

日刊スポーツの2022年11月8日付記事によると、一二三氏はトライアウト参加の理由について、トレーナーとして指導する人たちへの思いを語っています。

肩の痛みで思うように投げられない人たちに対し、自分が再び投げる姿を見せることで、挑戦する姿勢を伝えたいという考えがありました。

本人は当時、NPBへの現役復帰を考えていないことも説明しています。

つまり、トライアウトは単なる再就職活動ではありませんでした。

長年離れていたマウンドに再び立ち、自分を支えてくれた人たちに姿を見せるという意味合いが強かったのです。

この点は、トライアウトの結果だけを見て現役復帰を目指していたと解釈すると、見誤りやすい部分です。

2026年現在は大阪でパーソナルトレーナーとして活動

2026年10月時点で確認できる情報

現在の一二三氏については、本人が関わるトレーニング施設の公式サイトに具体的な情報が掲載されています。

その施設が、大阪市中央区にある3TIVE(スリーティブ)です。

公式サイトでは、一二三氏が店長として紹介されています。

主なサービスは次のとおりです。


3TIVE FITNESS(スリーティブ)

大阪市中央区のトレーニング施設。加圧トレーニングやパーソナルストレッチ、野球のピッチング指導などを提供しています。

公式サイトの店長プロフィールに一二三慎太氏を掲載

公式サイトに掲載されている主な活動内容は以下のとおりです。

- 加圧トレーニング: 身体づくりや筋力トレーニングの指導。
- パーソナルストレッチ: 個人の身体の状態に合わせたストレッチ。
- 野球教室: 元阪神の投手としての経験を生かしたピッチング指導。
- 出張指導: 野球施設などでの個別指導。

また、プロフィールには加圧ジャパン公認加圧インストラクターなどの資格も掲載されています。

2025年にはプロ野球選手の自主トレも指導

トレーナーとしての活動を裏付ける報道として、2025年1月10日付の宇部日報の記事があります。

同記事によると、一二三氏は山口県宇部市で行われたプロ選手らの自主トレーニングを指導していました。

参加者には、千葉ロッテマリーンズの国吉佑樹投手、東妻勇輔投手、八木彬投手、プロゴルファーの北川祐生選手らが含まれています。

一二三氏は元プロ野球選手としての経験を生かし、選手たちの筋力トレーニングなどを担当していました。

これは、単に元プロ野球選手がジムを経営しているというだけでなく、アスリートの身体づくりに携わっていることを示す具体的な活動例です。

2026年1月に再掲載された記事は新しい近況報道なのか

2026年に一二三氏の名前が再び検索されるきっかけの一つとなったのが、集英社のSportivaの記事です。

2026年1月19日、Sportivaは「150キロ右腕・一二三慎太が失った投球フォーム」という記事を再掲載しました。

ただし、これは2026年に新たに行われたインタビューではありません。

記事の冒頭には、過去の人気記事を紹介する企画であることが明記されています。

元になった記事は、2017年7月24日公開のイップスに関する連載です。

つまり、2026年1月の掲載日は記事が再び紹介された日であり、一二三氏の新しい活動や発言が発表された日ではありません。

この区別は、検索結果の日付だけを見て近況を判断しないために重要です。

2026年10月時点で確認できる近況は、公式施設の店長プロフィールや2025年の指導活動に表れています。

一二三氏は、阪神時代の投手としてのキャリアを経て、現在はトレーナーや野球指導者として活動する道を歩んでいます。

【一二三慎太の経歴と現在】よくある質問(FAQ)

Q1:一二三慎太は2026年現在、何をしている?

2026年10月時点で確認できる公式情報では、大阪市中央区の3TIVE FITNESSで店長として活動しています。加圧トレーニング、パーソナルストレッチ、野球教室などを手がけています。

Q2:一二三慎太は阪神タイガースで一軍出場した?

一軍公式戦への出場はありません。2010年ドラフト2位で入団しましたが、右肩故障による野手転向やその後の故障などもあり、2016年に戦力外通告を受けました。

Q3:一二三慎太のイップスの原因は何だった?

Sportivaの本人インタビューでは、右肩の痛みによって投球フォームを見失った経緯が紹介されています。頭部死球が原因だったという説については本人が否定しています。

Q4:一二三慎太は2018年に逮捕された後、どうなった?

2017年11月に女性への性的暴行の疑いによる逮捕が報じられ、2018年3月には那覇地検による不起訴処分が報道されました。不起訴の具体的な理由は公表されていません。

Q5:一二三慎太は2022年のトライアウトで何をした?

投手として参加し、打者3人から2三振を奪いました。本人は当時、NPBへの現役復帰を目的とした挑戦ではないと説明しています。

Q6:2026年に再掲載された記事は新しいインタビュー?

いいえ。2026年1月19日のSportivaの記事は、2017年に公開されたイップスに関する過去記事の再紹介です。2026年に新たな取材を行った記事とは区別する必要があります。

【プロの結論】一二三慎太のキャリアが示すものと今後の注目点

一二三慎太氏の野球人生は、東海大相模のエースとして甲子園準優勝を達成した華々しいスタートから、右肩故障、野手転向、阪神退団、独立リーグでの活動、そしてトレーナーへの転身へと大きく変化してきました。

特に重要なのは、プロ野球選手としてのキャリアが終わった後も、野球との関係を保ち続けていることです。

2022年のトライアウトでは、12年ぶりに投手としてマウンドに立ちました。そして2025年にはプロ選手らの自主トレ指導に携わり、2026年には自身のトレーニング施設での活動も公式サイトから確認できます。

一二三氏の経歴を理解する際には、次の3点が判断の軸になります。

1. 高校時代の実績とプロでの成績を混同しないこと。 甲子園準優勝と150キロの速球は事実ですが、阪神での一軍出場はありません。
2. 逮捕報道と不起訴処分を正確に区別すること。 不起訴の理由は公表されておらず、推測で補うことはできません。
3. 2022年のトライアウトを現役復帰と決めつけないこと。 本人が説明した参加目的は、支えてくれた人への恩返しと、挑戦する姿を見せることでした。

2026年現在、一二三慎太氏について最も具体的に確認できるのは、元プロ野球選手としての経験をトレーニングや野球指導に生かしている姿です。

甲子園準優勝投手という肩書だけでは語り尽くせない、故障とキャリア転換を経た歩み。その後の活動にも注目が集まります。