ダンプ松本の引退試合は1988年2月25日!無効試合と5分間マッチ、復帰後の現在を徹底解説
ダンプ松本の引退試合は、1988年2月25日に神奈川県の川崎市体育館で開催された全日本女子プロレスの大会です。同じく引退を表明していた大森ゆかりとタッグを組み、宿敵だったクラッシュ・ギャルズの長与千種、ライオネス飛鳥組と対戦しました。試合は13分50秒で無効試合となりましたが、その直後、予想外のパートナー交代によって5分間のエキシビションマッチが実現します。
しかし、1988年の引退はプロレスラー人生の終着点ではありませんでした。2003年5月に現役復帰し、2026年現在もリングに立っています。2026年8月23日には「極悪祭~極悪同盟40周年記念大会~」が開催され、さらに10月17日の工藤めぐみ40周年記念大会にも出場しました。引退を決意した本当の理由から、伝説の川崎大会、復帰の経緯、現在の活動までを時系列で解説します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 引退試合:1988年2月25日、川崎市体育館で大森ゆかりと組み、長与千種・ライオネス飛鳥組と対戦した。
- 試合結果:13分50秒で無効試合。その後の5分間エキシビションは長与・ダンプ組と飛鳥・大森組の時間切れ引き分けだった。
- 引退理由:全日本女子プロレスの会社側への不満や選手待遇への問題意識が大きかった。
- 現役復帰:2003年5月に復帰。コーチとしての参加を依頼されたことが復帰のきっかけだった。
- 2026年の現在:8月23日の極悪祭、10月17日の工藤めぐみ40周年記念大会に出場し、現役活動を続けている。
【1988年2月25日】ダンプ松本の引退試合は川崎大会!対戦カードと結果

ダンプ松本の引退試合が行われたのは、1988年2月25日の全日本女子プロレス川崎大会です。
当時のダンプ松本は、金髪や派手なメイク、竹刀などの凶器を使う攻撃的なファイトスタイルで知られる女子プロレス界屈指のヒールでした。長与千種とライオネス飛鳥によるクラッシュ・ギャルズとの抗争は、女子プロレスの人気を押し上げた大きな原動力でもありました。
大森ゆかりと組んでクラッシュ・ギャルズに挑戦

この日の引退試合でダンプが組んだのは、同じく引退を表明していた大森ゆかりです。対戦相手は長与千種とライオネス飛鳥。長年にわたって激しい抗争を繰り広げてきた4人が、引退という節目に同じリングへ集まりました。
試合は60分1本勝負として行われましたが、4人全員が流血する激しい展開となり、開始から13分50秒で無効試合という結末を迎えます。
週刊プロレス編集部によるBBMスポーツの試合リポートでも、この試合の激しさと、その後に起きた予想外の展開が詳しく紹介されています。
無効試合のあとに実現した5分間エキシビション

通常なら無効試合で終わってもおかしくない状況でした。しかし、この日のリングでは、ここからさらに印象的な出来事が起こります。
最初にマイクを握ったのはダンプ松本でした。
「今日で終わりだ。長与、来い!」
長年の宿敵である長与千種に向けた呼びかけでしたが、その意味は単なる挑発ではありませんでした。長与もマイクで応じ、今までとは違う試合を見せる意思を示します。
さらに大森ゆかりもライオネス飛鳥に呼びかけ、4人はそれぞれのパートナーを交代することになりました。
実現したのは、次の組み合わせです。
- ダンプ松本・長与千種組
- ライオネス飛鳥・大森ゆかり組
この異例の組み合わせによって、5分間1本勝負のエキシビションマッチが急きょ開催されました。
長与とダンプはダブルのラリアットなどの連係を披露。長年の抗争では敵同士だった2人が、同じチームとして技を繰り出す姿は、この日の大きな見どころになりました。
結果は5分間の時間切れ引き分け。勝敗を決めることなく試合を終えた4人は、観客の大歓声に応えました。ダンプと長与が握手し、ダンプが長与を抱きかかえる場面もありました。
この試合は単なる引退セレモニーではなく、1980年代の女子プロレスを象徴する4人が、長年のライバル関係を越えて同じリングに立った特別な時間だったのです。
【引退理由の真相】ダンプ松本はなぜ人気絶頂で引退したのか
ダンプ松本の引退理由を理解するには、1988年2月25日の試合だけでなく、引退を発表した1988年1月4日までさかのぼる必要があります。
引退発表は1988年1月4日だった
ダンプ松本は1988年1月4日、後楽園ホール大会後に突然の引退を発表しました。
この発表は会社側に事前に知らせる形ではなく、報道陣を集めて自ら公表するという異例のものでした。
テレビ朝日系のインタビュー記事「テレ朝POST」では、本人が引退を決意するまでの事情を振り返っています。
本人によると、引退を考え始めたのは前年の1987年夏ごろでした。会社に辞めたい意思を伝えていたものの、引き止められていたといいます。
「松永会長以外の会社の人間がイヤで、もう我慢できなくなっていたんだよね」
この発言から読み取れるのは、プロレスそのものへの情熱を失ったことが引退の主因ではなかったという点です。
選手待遇や会社運営への不満が背景にあった
ダンプ松本は、クラッシュ・ギャルズとの抗争を通じて女子プロレス界のトップヒールとして活躍していました。しかし、選手としての成功と、所属団体に対する満足度は必ずしも一致していませんでした。
本人の後年の証言では、会社側への不信感や選手の待遇に対する不満が引退の背景にあったことが語られています。
特に注目したいのは、前年の夏から引退を希望していたにもかかわらず、すぐには実現しなかったという経緯です。
当時のダンプは、女子プロレスの集客を支える重要な存在でした。会社側にとっても、その退団や引退は興行への影響が大きい問題だったと考えられます。
本人は後年のインタビューで、全盛期のうちに辞めることで会社に打撃を与えたいという反骨心もあったと振り返っています。
引退はプロレス嫌いになったからではない
ダンプ松本の引退を、体力的な限界やプロレスへの興味喪失だけで説明するのは正確ではありません。
むしろ、リング上での仕事と会社に対する不満を切り分けて考える必要があります。
実際、引退後は芸能活動を始めましたが、2003年には再びプロレスラーとしてリングに戻っています。プロレスへの思いが完全に消えていたわけではなかったことが、その後のキャリアからも分かります。
【関係者・時系列一覧】ダンプ松本とクラッシュ・ギャルズ、大森ゆかりの関係
1988年2月25日の川崎大会を理解するには、4人の関係性を整理すると分かりやすくなります。
ダンプ松本と大森ゆかりは引退を表明した選手同士。一方、長与千種とライオネス飛鳥はクラッシュ・ギャルズとして活動していた人気コンビです。4人はそれぞれ異なる立場を持ちながら、同じ時代の女子プロレスを支えていました。
川崎大会の4選手と役割
| 人物 | 1988年2月25日の役割 | 5分間マッチでの組み合わせ |
|---|---|---|
| ダンプ松本 | 大森ゆかりと組んで引退試合に出場 | 長与千種とタッグ |
| 大森ゆかり | ダンプ松本のパートナーとして出場 | ライオネス飛鳥とタッグ |
| 長与千種 | クラッシュ・ギャルズのメンバーとして対戦 | ダンプ松本とタッグ |
| ライオネス飛鳥 | クラッシュ・ギャルズのメンバーとして対戦 | 大森ゆかりとタッグ |
クラッシュ・ギャルズと極悪同盟の抗争が残したもの
クラッシュ・ギャルズは長与千種とライオネス飛鳥によるタッグチームです。華やかな人気と実力を兼ね備えた2人は、女子プロレスを広く知らしめた存在でした。
それに対するダンプ松本率いる極悪同盟は、徹底した悪役スタイルで観客の感情を揺さぶりました。
プロレスにおけるヒールは、単に反則をする選手ではありません。対戦相手を引き立て、観客の怒りや歓声を引き出し、試合全体の物語を成立させる役割を担います。
ダンプ松本の存在感が際立ったのは、クラッシュ・ギャルズという強力なライバルがいたことも大きな理由です。
だからこそ、引退試合で長与とダンプがタッグを組んだ場面には、通常の勝敗を超えた意味がありました。長年の抗争を見続けてきたファンにとって、敵同士だった2人の共闘は、ひとつの時代を締めくくる象徴的な出来事だったのです。
【もう一つの重要な日付】1988年2月28日が本当のラストマッチとされる理由
ダンプ松本の引退試合を調べると、1988年2月25日と2月28日の2つの日付が出てきます。この違いは、引退記念大会と実際の最終出場を区別すると理解できます。
2月25日は引退試合・引退記念大会
2月25日の川崎大会では、ダンプ松本と大森ゆかりの引退試合が組まれました。2人にとって重要な節目となる興行であり、クラッシュ・ギャルズとの対戦や5分間エキシビションが行われました。
そのため、ダンプ松本の引退試合として一般的に紹介される日付は2月25日です。
2月28日には熊谷大会で試合に出場
一方、2月28日には埼玉県の熊谷市民体育館で大会が行われ、ダンプ松本はブル中野、コンドル斉藤との1対2の変則マッチに出場しました。
試合結果データベースによると、ダンプはこの試合で9分35秒、体固めで勝利しています。
大森ゆかりも同大会でライオネス飛鳥との10分間エキシビションマッチを行い、時間切れ引き分けとなりました。
このため、2月25日を引退試合の日、2月28日を最後の試合が行われた日として整理すると、日付の混同を避けられます。
引退試合と最終出場日が異なることは、当時の女子プロレスの興行日程や引退興行の構成を考えるうえでも興味深い点です。
【2003年5月に現役復帰】ダンプ松本が再びリングに戻った理由
1988年に引退したダンプ松本は、その後、タレントとしてテレビや舞台などの芸能活動を展開しました。大森ゆかりとともに芸能活動を始めた時期もあり、プロレスラーとは異なる仕事に取り組んでいました。
しかし、引退から約15年後の2003年5月、再び現役プロレスラーとして活動することになります。
復帰のきっかけは松永会長からの依頼
テレビ朝日系「テレ朝POST」のインタビューによると、復帰のきっかけは、かつて全日本女子プロレスで関わりのあった松永高司会長からの依頼でした。
当初は極悪同盟を再結成し、コーチ役として北海道巡業に帯同してほしいという話だったといいます。
ところが、実際に巡業に参加すると、15大会の全試合のメインイベントにダンプ松本の名前が入っていたというのです。
本人はコーチとして参加するつもりだったものの、結果的に再び選手としてリングに立つことになりました。
引退から復帰までの経歴を時系列で整理
- 1980年:全日本女子プロレスでデビュー。
- 1984年:ダンプ松本として極悪同盟を率い、女子プロレス界で存在感を高める。
- 1988年1月4日:後楽園大会後に引退を発表。
- 1988年2月25日:川崎大会で引退試合を開催。
- 1988年2月28日:熊谷大会で最終出場となる試合を行う。
- 2003年5月:プロレスラーとして現役復帰。
- 2024年:Netflixドラマ『極悪女王』によって、ダンプ松本と1980年代の女子プロレスが再び広く注目される。
- 2026年8月23日:極悪同盟40周年記念大会「極悪祭」に出場。
- 2026年10月17日:工藤めぐみ40周年記念大会にも出場。
この経歴から分かるのは、1988年の引退は長いレスラー人生の一時的な区切りだったということです。芸能活動を経て再びリングに戻ったことで、ダンプ松本は現役選手としてのキャリアを新たな形で築いていきました。
【2026年最新】ダンプ松本の現在と極悪同盟40周年・極悪祭の活動
2026年10月31日現在、ダンプ松本は現役プロレスラーとして活動しています。
かつてのように1980年代の抗争を再現するだけではなく、後輩レスラーや他団体の選手と同じリングに立ち、極悪同盟の存在を現在の女子プロレス界につなげています。
2026年8月23日「極悪祭~極悪同盟40周年記念大会~」を開催
2026年8月23日には、東京・新木場1stRINGで「極悪祭~極悪同盟40周年記念大会~」が開催されました。
ダンプ松本の公式ブログでは、2026年5月20日に参戦選手が発表され、極悪同盟のダンプ松本とZAPをはじめ、尾崎魔弓、井上貴子、伊藤薫、水波綾、ウナギ・サヤカ、狐伯などの名前が掲載されました。
さらに、ジャンボ堀と長与千種によるトークショーも予定されていました。
大会当日の試合結果では、メインイベントの6人タッグマッチで、ダンプ松本・ZAP・尾崎魔弓組が、水波綾・ウナギ・サヤカ・狐伯組と対戦。結果は11分55秒、丸め込みによるダンプ組の敗北でした。
大会は観衆超満員札止めと発表されており、極悪同盟の記念興行として多くの関心を集めたことが分かります。
2026年10月17日にも工藤めぐみ40周年記念大会に出場
さらに、2026年10月17日に国立代々木競技場第二体育館で開催された「工藤めぐみ40周年記念大会~邪道姫伝説~」にも登場しました。
東スポWEBの報道によると、ダンプ松本は極悪同盟のZAPとタッグを組んで出場。シン・広田・葛飾さくら、藪下めぐみ組と対戦し、竹刀を使った攻撃などでヒールらしい存在感を見せました。
1988年に引退試合を行ってから38年以上が経過した2026年にも、記念大会のリングに立っていることは、ダンプ松本のキャリアを考えるうえで見逃せない事実です。
Netflix『極悪女王』による再評価
2024年に配信されたNetflixドラマ『極悪女王』も、ダンプ松本の現在を語るうえで重要な出来事です。
作品では、1980年代の女子プロレスと極悪同盟、クラッシュ・ギャルズの抗争が描かれました。これによって、当時のプロレスを知らない若い世代にもダンプ松本という人物が広く知られるようになりました。
ドラマを通じた再注目と、本人が実際にリングに立ち続けていること。この2つが重なり、ダンプ松本は過去の伝説としてだけではなく、現在進行形のプロレスラーとして存在感を示しています。
【プロの結論】ダンプ松本の現役引退の真相は「プロレスとの決別」ではなかった
ダンプ松本の引退試合を振り返ると、1988年2月25日の川崎大会には、単なる選手生活の終了以上の意味があったことが分かります。
引退を決断した背景には、所属団体の運営や待遇に対する不満がありました。一方、試合そのものでは、長年の宿敵だった長与千種とのタッグ結成という、当時の女子プロレスを知る人にとって忘れられない場面が生まれています。
ここで押さえておきたいポイントは3つです。
1. 引退の理由とプロレスへの情熱は別の問題
会社側への不満が引退の背景にあったことと、プロレスを嫌いになったことは同じではありません。2003年の復帰は、ダンプ松本がレスラーとしての情熱を持ち続けていたことを示す転機でした。
2. 2月25日の引退試合と2月28日の最終試合は区別する
1988年2月25日は川崎大会での引退試合、2月28日は熊谷大会での最後の試合です。検索情報や過去の試合記録を読む際には、この2つの日付を混同しないことが大切です。
3. 2026年の活動は過去の記念行事だけではない
極悪祭への出場や10月の工藤めぐみ40周年大会への参加は、ダンプ松本が現在もプロレスラーとして活動していることを示しています。引退後の復帰を経て、長年培ってきたヒールとしてのキャラクターを現在のリングでも発揮しているのです。
ダンプ松本の引退試合を調べる読者にとって、最も重要なのは「1988年に引退した」という一つの情報だけでキャリアを区切らないことです。引退表明、川崎大会、熊谷大会、2003年の復帰、そして2026年の現役活動までをつなげて見ることで、そのレスラー人生の全体像が見えてきます。
ダンプ松本の引退試合に関するよくある質問(FAQ)
Q1:ダンプ松本の引退試合はいつ行われましたか? A1:1988年2月25日、全日本女子プロレスの川崎市体育館大会で行われました。大森ゆかりと組み、長与千種・ライオネス飛鳥組と対戦しました。
Q2:ダンプ松本の引退試合の結果はどうなりましたか? A2:最初のタッグマッチは13分50秒で無効試合となりました。その後、ダンプ松本と長与千種が組み、ライオネス飛鳥と大森ゆかりの組と5分間のエキシビションマッチを実施。結果は時間切れ引き分けでした。
Q3:ダンプ松本が引退した理由は何ですか? A3:本人の後年のインタビューによると、全日本女子プロレスの会社側の人間関係や選手待遇への不満が大きな理由でした。1987年夏ごろから引退を希望し、1988年1月4日に発表しました。
Q4:ダンプ松本は2003年に現役復帰したのですか? A4:はい。2003年5月に現役復帰しました。当初は極悪同盟の再結成とコーチ役としての巡業参加を依頼されたことがきっかけでした。
Q5:ダンプ松本は2026年現在も現役ですか? A5:はい。2026年8月23日の極悪祭、10月17日の工藤めぐみ40周年記念大会に出場しており、現役プロレスラーとして活動しています。
Q6:1988年2月25日と2月28日の違いは何ですか? A6:2月25日は川崎大会での引退試合、2月28日は熊谷大会での最終出場試合です。2月25日の引退試合だけを見て、その後の試合出場がなかったと考えると、記録上の違いを見落とすことになります。
まとめ:ダンプ松本の引退試合は伝説の終わりではなく新たな始まりだった
ダンプ松本の引退試合は、1988年2月25日の全日本女子プロレス川崎大会で行われました。大森ゆかりと組んで長与千種・ライオネス飛鳥組と対戦し、13分50秒で無効試合。その後の5分間エキシビションでは、長与千種とのタッグという歴史的な組み合わせが実現しました。
引退の背景には会社側への不満がありましたが、プロレスへの情熱を失ったわけではありませんでした。2003年5月に現役復帰し、2026年には極悪祭や工藤めぐみ40周年記念大会にも出場しています。
1988年の引退試合、2003年の復帰、そして2026年の現役活動。これらを一つの流れとして見ると、ダンプ松本が単に過去の女子プロレス界を代表する悪役だっただけではないことが分かります。
長与千種やライオネス飛鳥との抗争で築いた伝説を背負いながら、今もリングに立ち続けるダンプ松本。その存在は、女子プロレスの歴史と現在をつなぐ貴重な存在となっています。