海援隊メンバー3人の現在は?担当楽器・年齢と結成から2026年公演まで徹底解説
フォークグループ「海援隊」のメンバーは、武田鉄矢・中牟田俊男・千葉和臣の3人です。1971年の結成以来、「母に捧げるバラード」「贈る言葉」「人として」など、世代を超えて親しまれる楽曲を生み出してきました。1982年に一度解散したものの、1994年に再結成。2026年現在も3人で音楽活動を続けています。
それぞれの年齢や担当楽器、プロフィール、代表曲で果たした役割はどう違うのでしょうか。また、海援隊が解散した理由や再結成までの経緯、2026年のコンサート予定も気になるところです。メンバーの経歴を振り返りながら、現在の活動まで整理します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- メンバー:武田鉄矢・中牟田俊男・千葉和臣の3人が現在の中心メンバー。
- 歴史:1971年結成、1982年解散、1994年再結成という歩みをたどっている。
- 2026年:10月31日の八ヶ岳公演をはじめ、11月・12月にも各地でライブやイベントへの出演が予定されている。
【海援隊メンバーは3人】武田鉄矢・中牟田俊男・千葉和臣の担当と役割

海援隊は、福岡を拠点に活動を始めたフォークグループです。1971年に武田鉄矢、中牟田俊男、千葉和臣の3人で結成され、1972年にレコードデビューしました。
現在も公式プロフィールに掲載されているメンバーは、この3人です。役割を大きく分けると、武田がボーカルと作詞、中牟田と千葉がギター演奏と作曲を担う構成になっています。
武田鉄矢:ボーカル・リーダー、作詞を担う中心人物

武田鉄矢(たけだ・てつや)は、1949年4月11日生まれ。福岡県福岡市出身の歌手・俳優で、海援隊のボーカル兼リーダーです。
海援隊の楽曲では、心情を率直に表現する歌詞を数多く手掛けています。「母に捧げるバラード」「贈る言葉」「人として」など、代表曲の作詞にも関わってきました。
音楽活動だけでなく、俳優としての知名度も高く、1979年に始まったTBSドラマ『3年B組金八先生』の坂本金八役は、武田の代表的な仕事です。ドラマと海援隊の音楽が結び付いたことで、グループの知名度は一段と広がりました。
武田鉄矢の公式プロフィールでは、福岡教育大学卒業、2008年の名誉学士授与なども紹介されています。歌手と俳優という二つの活動を長く続けている点が、ほかのメンバーとの大きな違いです。
中牟田俊男:ギター・作曲を担当する結成の立役者
中牟田俊男(なかむた・としお)は、1949年7月21日生まれ。福岡県福岡市出身のシンガーソングライター、作曲家です。海援隊ではギタリストを務め、通称は「ムーさん」です。
中牟田は、西南学院大学在学中の1971年に武田鉄矢を誘い、海援隊の結成につながる活動を始めました。武田とは福岡県立筑紫中央高校の同級生でもあります。
作曲面では「あんたが大将」や「人として」などに関わっています。特に「人として」は、千葉和臣との共作による楽曲で、『3年B組金八先生』第2シリーズの主題歌として知られています。
武田がグループの顔として歌詞や歌声を届ける一方、中牟田は楽曲の骨格を作る作曲家・ギタリストとして重要な役割を担ってきました。
千葉和臣:ギター・作曲を担当し「贈る言葉」を生んだ音楽家
千葉和臣(ちば・かずおみ)は、1951年12月24日生まれ。東京都練馬区出身のシンガーソングライター、作曲家です。九州国際大学を卒業し、海援隊ではギターを担当しています。
千葉の名前を語るうえで欠かせないのが、代表曲「贈る言葉」です。武田鉄矢が作詞し、千葉和臣が作曲したこの楽曲は、『3年B組金八先生』第1シリーズの主題歌として大ヒットしました。
また、千葉は『金八先生』の第1・第2シリーズに中牟田とともにゲスト出演しています。作曲家としてだけでなく、ドラマとグループをつなぐ存在でもありました。
海援隊の公式プロフィールによると、シリーズを通じた主題歌の作曲にも継続的に関わり、第3・第6シリーズでは中牟田が作曲を担当しています。第2シリーズの「人として」は中牟田と千葉の共作です。
【メンバーのプロフィール比較】年齢・出身地・担当楽器を一覧で紹介
2026年10月30日時点の3人の年齢は、武田鉄矢77歳、中牟田俊男77歳、千葉和臣74歳です。生年月日は武田鉄矢の公式プロフィールとユニバーサルミュージックのアーティスト紹介に掲載されています。
| メンバー | 生年月日・年齢 | 出身地 | 担当・役割 | 主な音楽的実績 |
|---|---|---|---|---|
| 武田鉄矢 | 1949年4月11日・77歳 | 福岡県福岡市 | ボーカル・リーダー・作詞 | 「贈る言葉」「母に捧げるバラード」の作詞 |
| 中牟田俊男 | 1949年7月21日・77歳 | 福岡県福岡市 | ギター・作曲 | 「人として」「あんたが大将」など |
| 千葉和臣 | 1951年12月24日・74歳 | 東京都練馬区 | ギター・作曲 | 「贈る言葉」の作曲 |
※年齢は2026年10月30日時点。千葉和臣は同年12月24日に75歳を迎えます。担当については各人の公式プロフィールに記載された役割を整理しています。
3人の共通点は、単に同じグループに所属しているだけではありません。メンバーそれぞれが作詞・作曲に関わり、個性の違う音楽的な能力を持ち寄ってきたことです。
武田の言葉を中牟田や千葉が音楽として形にする。この役割分担が海援隊の楽曲に幅をもたらしました。ボーカルだけが目立つグループではなく、メンバーそれぞれが作曲家として存在感を持っている点に注目すると、代表曲の聴こえ方も変わってきます。
【結成1971年から再結成1994年まで】海援隊の歴史と解散の経緯
海援隊の歴史は、1971年の福岡での結成から始まります。地元・博多で活動を続けた後、1972年に上京し、エレックレコードからアルバム『海援隊がゆく』を発表しました。
翌1973年には「母に捧げるバラード」がヒット。1974年にはNHK紅白歌合戦に初出場し、フォークグループとして広く知られるようになります。
1971年:武田・中牟田・千葉の3人で結成
結成のきっかけを作ったのは中牟田俊男でした。大学在学中の中牟田が武田鉄矢を誘い、千葉和臣を含む3人で海援隊としての活動をスタートさせます。
グループ名は、坂本龍馬に心酔していた武田鉄矢の発想と結び付いています。武田が高校時代に司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』を読んでいたことも、グループの名前の背景として人物略歴に記されています。
1973年~1980年:代表曲の誕生と人気の拡大
1973年の「母に捧げるバラード」は、武田鉄矢の母への思いを込めた楽曲として大きな反響を呼びました。1974年の紅白歌合戦初出場につながり、海援隊の名前を全国に広げる代表作となります。
さらに1979年、武田が主演する『3年B組金八先生』の第1シリーズが放送され、主題歌「贈る言葉」が大ヒット。TBSの音楽番組『ザ・ベストテン』でも1位を獲得しました。
翌1980年には初の日本武道館コンサートを開催。テレビドラマとの相乗効果もあり、海援隊はフォーク全盛期を代表するグループの一つとして存在感を高めました。
1982年:海援隊が解散
人気を獲得した海援隊でしたが、1982年に解散を発表し、それぞれが個人の活動へ移ります。
解散後の活動は3人で異なりました。武田鉄矢は映画・テレビ・ラジオ・著書など幅広い分野で活躍。一方、中牟田俊男と千葉和臣はライブ活動、作家活動、楽曲プロデュースなど、音楽を中心とした仕事を続けました。
解散は、メンバーの芸能活動そのものが終わったことを意味しません。それぞれが別のフィールドで経験を重ねる期間になりました。
1994年:海援隊が再結成
それぞれのソロ活動を経て、1994年に海援隊は再結成を果たします。グループとしてのツアー活動も再開し、再び3人でステージに立つようになりました。
ユニバーサルミュージックのバイオグラフィーや所属アーティスト情報でも、1982年の解散と1994年の再結成が記録されています。解散後にそれぞれの道を歩んだからこそ、再結成後は個人の経験を持ち寄った活動へとつながっていきました。
【代表曲を徹底解説】母に捧げるバラード・贈る言葉・金八先生との関係
海援隊の代表曲には、時代を超えて歌い継がれている作品がいくつもあります。なかでも「母に捧げるバラード」と「贈る言葉」は、グループの歴史を語るうえで外せません。
「母に捧げるバラード」:武田鉄矢の言葉と海援隊の音楽
1973年に発表された「母に捧げるバラード」は、武田鉄矢が作詞を担当した作品です。作曲者のクレジットは海援隊名義となっています。
母親への感謝や、故郷を思う気持ちを語りかけるように表現した楽曲で、一般的なラブソングとは異なる独自の存在感を持っています。武田の語りと歌を生かした構成も大きな特徴です。
当時のヒットによって海援隊は全国的な知名度を獲得し、翌1974年の紅白歌合戦初出場にもつながりました。
「贈る言葉」:作詞・武田鉄矢、作曲・千葉和臣
「贈る言葉」は、1979年の『3年B組金八先生』第1シリーズの主題歌です。武田鉄矢が作詞し、千葉和臣が作曲しました。
卒業や別れの場面で歌われる印象が強い楽曲ですが、その魅力は単なる別れの歌にとどまりません。悲しみや人との関係、相手を思う気持ちを率直な言葉で表現していることが、多くの人の共感を呼びました。
ドラマの主人公を武田自身が演じていたことも、楽曲の浸透に大きく影響しています。作品の世界観と海援隊の歌が一体となり、ドラマを見ていた視聴者にとって忘れられない主題歌になりました。
「人として」:中牟田と千葉の共作による第2シリーズ主題歌
『3年B組金八先生』第2シリーズの主題歌として知られる「人として」も、海援隊の重要な代表曲です。
作詞は武田鉄矢、作曲は中牟田俊男と千葉和臣の共作です。第1シリーズの「贈る言葉」とは異なり、2人の作曲家が共同でメロディーを作り上げています。
この2曲を比較すると、海援隊の制作体制がよく分かります。武田が歌詞を担当し、中牟田と千葉がそれぞれの感性を生かして曲を作る。3人の役割は固定された単純な分業ではなく、楽曲によって柔軟に組み合わされてきたのです。
【海援隊メンバーの現在】2026年の活動とトーク&ライブ公演予定
2026年10月現在、海援隊は武田鉄矢・中牟田俊男・千葉和臣の3人体制で活動しています。グループの公式ブログには、2026年秋から2027年初頭にかけての公演予定が掲載されています。
特に注目したいのは、音楽だけでなくトークも組み合わせた公演スタイルです。自治体の公演案内でも、3人によるフォークソングのスタイルで全国各地を回っていることが紹介されています。
2026年10月31日:八ヶ岳高原音楽堂
2026年10月31日(土)には、長野県の八ヶ岳高原音楽堂で「海援隊 トーク&ライブ~今、手渡したい言葉~」が開催予定です。
公演は14時30分開場、15時開演。会場の公式スケジュールにも掲載されている公演で、武田鉄矢・中牟田俊男・千葉和臣の3人が出演します。
2026年11月・12月の公演予定
海援隊の公式ブログが2026年10月25日に更新した公演予定によると、秋から冬にかけても各地で出演が予定されています。
- 11月7日(土):新潟市秋葉区文化会館(新潟県)
- 11月8日(日):幕張メッセ国際展示場(千葉県)。氣志團万博2026のオープニングセレモニーアクトとして出演予定。
- 11月14日(土):J:COMホルトホール大分(大分県)。15時開演。
- 11月15日(日):延岡総合文化センター(宮崎県)。15時開演。
- 12月19日(土):レザンホール(長野県・塩尻市文化会館)。
大分・宮崎公演は、GAKUONユニティ・フェイスの公演案内でも確認できます。両公演とも14時30分開場、15時開演、全席指定6,800円(税込)です。
2027年1月にも公演を予定
公式ブログには、2027年1月16日の京都府・八幡市文化センター、1月17日の岐阜県・土岐市文化プラザでの公演も掲載されています。
このように、海援隊は2026年の単発イベントだけでなく、2027年にかけても全国各地でステージに立つ予定です。公演日程やチケットの販売状況は変更される場合があるため、参加を考えている人は海援隊の公式ブログや各会場・主催者の最新案内を確認するのが確実です。
現在の海援隊は音楽とトークを届けるスタイル
海援隊の現在の活動を理解するうえで大切なのは、単に過去のヒット曲を披露する懐メロ公演にとどまらない点です。
グループの歩みを知る武田の語り、ギタリストとして長年活動してきた中牟田と千葉の演奏、そして世代を超えて知られる楽曲が組み合わさっています。
テレビで海援隊を知った世代には懐かしい音楽との再会になり、後の世代にはフォークソングの魅力を直接感じる機会になります。3人がそろってステージに立ち続けていること自体が、再結成後の海援隊の大きな特徴です。
【海援隊の歴代メンバー】3人体制と初期の編成を混同しないために
「海援隊の歴代メンバー」を調べるときに注意したいのが、結成時の経緯と現在の正式なメンバー構成を分けて考えることです。
現在の公式プロフィールでメンバーとして紹介されているのは、武田鉄矢・中牟田俊男・千葉和臣の3人です。ユニバーサルミュージックのバイオグラフィーでも、この3人が1971年に海援隊を結成したと記録されています。
一方、武田鉄矢の人物略歴を掲載するKINENOTEでは、海援隊結成に至るまでの活動でメンバー交代を経たことにも触れています。つまり、結成前後の活動経緯と、正式な結成メンバーとして記録される3人は、区別して理解する必要があります。
現在のメンバーと過去の編成は別の情報
海援隊の歴史を整理すると、次のようになります。
- 1971年:武田鉄矢・中牟田俊男・千葉和臣の3人で結成。
- 1972年:上京し、アルバム『海援隊がゆく』でデビュー。
- 1982年:グループを解散し、それぞれソロ活動へ。
- 1994年:3人で再結成し、ツアー活動を再開。
- 2026年:3人体制で全国各地の公演に出演。
初期の編成に関する記述が存在することと、現在の正式メンバーが誰なのかという問題は別です。名前の似た別グループや、ライブのサポート演奏者を海援隊の正式メンバーと混同しないことも大切です。
【海援隊メンバーに関するよくある質問(FAQ)】
Q1:海援隊のメンバーは現在何人ですか? A1:現在のメンバーは武田鉄矢・中牟田俊男・千葉和臣の3人です。公式プロフィールでも、この3人が海援隊のメンバーとして紹介されています。
Q2:海援隊のメンバーの年齢は何歳ですか? A2:2026年10月30日時点で、武田鉄矢77歳、中牟田俊男77歳、千葉和臣74歳です。千葉は2026年12月24日に75歳になります。
Q3:海援隊はなぜ解散し、いつ再結成したのですか? A3:海援隊は1982年に解散し、3人はそれぞれの分野でソロ活動を行いました。その後、1994年に再結成してツアー活動を再開しています。
Q4:「贈る言葉」の作詞・作曲は誰ですか? A4:作詞は武田鉄矢、作曲は千葉和臣です。1979年の『3年B組金八先生』第1シリーズの主題歌として大ヒットしました。
Q5:海援隊の2026年の公演はありますか? A5:あります。10月31日の八ヶ岳高原音楽堂をはじめ、11月の新潟・幕張・大分・宮崎、12月の長野などで公演が予定されています。詳細は公式ブログや各公演の主催者発表で確認できます。
まとめ:海援隊を支えてきた3人の役割と2026年の現在
海援隊は、1971年に武田鉄矢・中牟田俊男・千葉和臣の3人で結成されたフォークグループです。1982年に解散したものの、1994年に再結成し、2026年現在も3人で活動を続けています。
武田鉄矢はボーカルと作詞、中牟田俊男はギターと作曲、千葉和臣はギターと作曲を担当。それぞれの個性が組み合わさることで、「母に捧げるバラード」「贈る言葉」「人として」といった代表曲が生まれました。
なかでも「贈る言葉」は、武田の歌詞と千葉のメロディーが『3年B組金八先生』の物語と結び付き、海援隊を象徴する楽曲になりました。また、中牟田も「人として」などの作曲を通じて、グループの音楽的な幅を支えています。
2026年は結成から55年目にあたり、10月末から12月、さらに2027年初頭まで公演予定が続いています。メンバーの年齢だけに注目するのではなく、3人がそれぞれの役割を持ちながら、長い年月を経ても同じグループとして活動していることに目を向けたいところです。
海援隊の魅力は、懐かしいヒット曲だけではありません。歌詞に込められた思い、メンバーそれぞれの作曲家としての個性、そしてステージで届けられる言葉。こうした3人の積み重ねこそが、半世紀以上にわたって海援隊の音楽が親しまれてきた理由です。