長嶋茂雄さん死去の真相と功績|肺炎による最期、V9、2026年の追悼を徹底解説

目次

2026年現在、長嶋茂雄さんの死去は事実です。読売巨人軍の終身名誉監督として知られた長嶋さんは、2025年6月3日午前6時39分、肺炎のため東京都内の病院で逝去しました。享年89歳でした。東京都の公式発表や日本プロ野球名球会の訃報でも、逝去した日付と年齢、死因が公表されています。

2004年の脳梗塞から続いたリハビリ生活、王貞治さんとの「ONコンビ」、巨人のV9、松井秀喜さんとの師弟関係、そして2013年の国民栄誉賞受賞。長嶋さんが残した功績は、現役時代の記録だけでは語り尽くせません。2025年11月のお別れの会に続き、2026年には新たな「長嶋茂雄賞」も創設され、野球界でその名が受け継がれています。

📌 【この記事の重要ポイントまとめ】

- 死去の事実: 2025年6月3日、肺炎のため89歳で逝去。死亡時刻は午前6時39分。
- 病気と晩年: 2004年3月4日に脳梗塞を発症。右半身にまひが残る中、長年リハビリを続けた。
- 野球界への功績: 巨人のV9を支え、通算2471安打、444本塁打を記録。2013年には松井秀喜さんと国民栄誉賞を受賞。
- 2026年の動き: 長嶋茂雄賞が初年度を迎え、走攻守でファンを魅了する野手を評価する新たな表彰制度が始まった。

【死去は事実】長嶋茂雄さんはいつ亡くなった?死因・享年89歳の詳細

長嶋茂雄死去

長嶋茂雄さんは、2025年6月3日(火曜日)に亡くなりました。

読売新聞グループ本社、読売巨人軍、オフィスエヌの連名による発表を受け、各報道機関が訃報を伝えました。東京都も同日、名誉都民である長嶋さんの逝去を公式に発表しています。

死亡日時・死因・年齢の基本情報

長嶋茂雄死去

公表された情報を整理すると、次のとおりです。

項目 内容
氏名 長嶋茂雄(ながしま・しげお)
生年月日 1936年2月20日
逝去日 2025年6月3日
死亡時刻 午前6時39分
死因 肺炎
享年 89歳
出身地 千葉県
主な肩書 読売巨人軍終身名誉監督
現役時代の背番号 3

日本プロ野球名球会の訃報では、東京都内の病院で肺炎のため逝去したことが明らかにされています。

東京都の発表でも、1936年2月20日生まれ、2025年6月3日逝去、89歳という情報が確認できます。

長嶋茂雄さんの死因は肺炎

長嶋茂雄死去

長嶋さんの死因として公表されているのは肺炎です。

ここで注意したいのが、2004年に発症した脳梗塞との関係です。

長嶋さんは脳梗塞の後遺症と長年向き合っていましたが、今回の訃報で公表された直接の死因は肺炎です。脳梗塞が直接の死因だったという発表ではありません。

また、肺炎を発症した具体的な経緯や詳細な病状については、一般に公表された情報の範囲を超えて断定できません。

葬儀は近親者で執り行われた

逝去直後の発表では、葬儀・告別式は近親者のみで執り行う方針が示されました。

その後、ファンや球界関係者が長嶋さんに別れを告げる機会として、東京ドームで大規模なお別れの会が開催されることになりました。

【2004年の脳梗塞から晩年まで】長嶋茂雄さんの闘病とリハビリの歩み

長嶋さんの人生を振り返るうえで、2004年3月4日は大きな転換点です。

当時68歳だった長嶋さんは、アテネオリンピック野球日本代表の監督として本大会を目指していました。しかし、大会を目前に控えた時期に脳梗塞を発症し、入院することになりました。

2004年3月4日、脳梗塞を発症

長嶋さんは脳梗塞によって右半身にまひが残り、言語機能にも影響を受けました。

当時は日本代表を率いてオリンピックに出場することが期待されていましたが、健康上の理由から本大会で指揮を執ることはできませんでした。

代わって指揮を執ったのはヘッドコーチの中畑清さんです。

この出来事は、野球界だけでなく、多くのファンに大きな衝撃を与えました。

リハビリを続け、再びファンの前へ

長嶋さんは発症後、懸命なリハビリに取り組みました。

2007年2月には巨人の宮崎キャンプを視察。発症から約3年を経て、再びチームの現場に姿を見せました。

その後も野球界との関わりを続け、2013年には松井秀喜さんとともに国民栄誉賞を受賞。2021年の東京オリンピック開会式では、王貞治さん、松井秀喜さんとともに聖火ランナーを務めました。

最後に公の場に姿を見せたのは2025年3月15日

長嶋さんが最後に公の場に姿を見せたのは、2025年3月15日に東京ドームで行われた巨人対ドジャースのプレシーズンゲームでした。

この日、長嶋さんは大谷翔平選手と対面しています。

車いすに座った長嶋さんと大谷選手が笑顔で並ぶ写真は大きな注目を集めました。

現役時代に日本プロ野球を代表するスターとして活躍した長嶋さんと、世界的な舞台で活躍する大谷選手の対面は、世代を超えた野球界の象徴的な場面となりました。

この約2か月半後、長嶋さんは89歳で生涯を閉じました。

2026年現在、長嶋茂雄さんはどうなっている?

2026年現在、長嶋さんはすでに逝去されています。

そのため、「現在の健康状態」「現在の生活」といった検索に対しては、2025年6月3日に亡くなったという事実が答えになります。

一方、長嶋さんの功績を振り返る活動は続いています。巨人による追悼企画、東京ドームでのお別れの会、2026年からの長嶋茂雄賞など、本人の功績を次の世代に伝える動きが進んでいます。

【背番号3とV9の伝説】長嶋茂雄さんが巨人に残した圧倒的な記録

長嶋茂雄さんは、単にホームランを打つ選手ではありませんでした。

打撃、走塁、守備、そして試合を盛り上げる存在感。そのすべてを備えた選手として、日本プロ野球の歴史に名を刻みました。

現役時代の通算成績

日本野球機構(NPB)と野球殿堂博物館の公開資料によると、長嶋さんの主な現役時代の記録は次のとおりです。

項目 記録
通算出場試合 2186試合
通算安打 2471本
通算本塁打 444本
通算打点 1522打点
通算打率 .305
首位打者 6回
最優秀選手(MVP) 5回
ベストナイン 17回
ゴールデングラブ賞 2回

特に注目したいのは、2471安打と444本塁打という数字です。

長嶋さんは1958年に巨人へ入団し、1974年に現役を引退するまで、三塁手として活躍しました。

首位打者6回、MVP5回という実績からも、長期間にわたってリーグを代表する打者だったことが分かります。

巨人のV9を支えたONコンビ

長嶋さんを語るうえで欠かせない存在が王貞治さんです。

2人は「ONコンビ」と呼ばれ、川上哲治監督が率いた巨人の黄金時代を支えました。

1965年から1973年まで、巨人は9年連続で日本シリーズを制覇しています。これが通称「V9」です。

王さんの圧倒的な本塁打力と、長嶋さんの勝負強い打撃や華麗な守備。異なる持ち味を持つ2人が同じチームで活躍したことは、当時のプロ野球人気を押し上げる大きな要因になりました。

背番号3は巨人の永久欠番

長嶋さんを象徴する背番号は「3」です。

巨人では長嶋さんの引退後、背番号3が永久欠番となりました。

この番号は、単なる選手の識別番号ではありません。長嶋さんのプレーや存在感を象徴するものとして、現在も特別な意味を持っています。

2025年8月16日に開催された追悼試合では、巨人の選手やコーチが背番号3のユニホームを着用しました。

永久欠番となっている番号をチーム全体で着用する演出は、球団にとっても特別な追悼の機会となりました。

【王貞治・松井秀喜との関係】国民栄誉賞につながった師弟の絆

長嶋さんの功績は、個人記録だけではありません。

同時代の選手との関係、後進の育成、そして野球界を超えた社会的な影響も評価されています。

人物・組織 長嶋さんとの関係 主な実績・出来事
王貞治さん ONコンビの盟友 V9をともに支え、2000年には監督同士として日本シリーズで対戦
松井秀喜さん 師弟関係 巨人入団後に指導を受け、2013年に国民栄誉賞を同時受賞
川上哲治さん 巨人監督時代の指揮官 V9時代の巨人を率いた監督
読売巨人軍 現役・監督時代の所属球団 通算15年間監督を務め、リーグ優勝5回、日本一2回
日本野球機構(NPB) 功績を継承する団体 2026年シーズンから長嶋茂雄賞を創設

王貞治さんとの深い関係

長嶋さんと王さんは、現役時代にONコンビとして巨人の黄金時代を築きました。

その後、王さんがダイエーの監督、長嶋さんが巨人の監督を務めた2000年には、日本シリーズで対戦しています。

かつて同じチームで戦った2人が、今度は監督として日本一を争う構図は、野球史に残る出来事となりました。

2025年11月21日のお別れの会では、王さんが長嶋さんへのお別れの言葉を述べました。

「長嶋茂雄さんは永久です」

この言葉は、長嶋さんが残した存在感と、2人の長い関係を象徴するものとして伝えられました。

松井秀喜さんとの師弟関係

長嶋さんと松井秀喜さんの関係も、野球ファンにとって忘れられないものです。

1992年のドラフト会議で、長嶋監督率いる巨人は星稜高校の松井秀喜選手を獲得しました。

その後、松井さんは巨人の主力選手として成長。長嶋さんから指導を受けながら、日本を代表する打者へと成長していきました。

2013年5月5日、2人は国民栄誉賞を同時に受賞しました。

長嶋さんは日本プロ野球への長年の貢献と国民に与えた感動、松井さんは日米での活躍と野球を通じた功績が評価されました。

この同時受賞は、長嶋さんと松井さんの師弟関係を象徴する出来事として記憶されています。

【2025年のお別れの会と2026年の追悼】背番号3は未来へ

長嶋さんの逝去後、読売巨人軍はファンや関係者が功績を振り返るための追悼企画を進めました。

その中心となったのが、2025年11月21日に東京ドームで開催された「ミスタージャイアンツ 長嶋茂雄 お別れの会」です。

2025年11月21日、東京ドームでお別れの会

お別れの会は、関係者の部と一般の部に分けて開催されました。

関係者の部では、球界関係者や長嶋さんと親交のあった人々が参列。一般の部では、ファンも会場を訪れて献花することができました。

報道によると、当日の来場者は約3万2400人に達しました。

会場には長嶋さんにゆかりのある品々や写真が展示され、現役時代の名場面を振り返る機会も設けられました。

王貞治さん、松井秀喜さんをはじめ、野球界や各界から多くの関係者が参列したことも大きな注目を集めました。

2026年には全国で長嶋茂雄追悼展を開催

2026年には、長嶋さんの足跡を写真や映像、ゆかりの品々で振り返る追悼展も各地で開催されました。

「長嶋茂雄 追悼展 ~ミスタージャイアンツ 不滅の背番号『3』~」は、東京、福岡、福山、長野、静岡、大阪、京都、新潟などを巡回しました。

東京会場は2026年3月18日から30日まで日本橋髙島屋S.C.で開催。最後に掲載された新潟会場は9月30日から10月12日まで開催されました。

こうした展示は、現役時代を知らない若い世代にも長嶋さんの存在を伝える機会になっています。

【2026年から始まる長嶋茂雄賞】選考基準・選考委員・賞金を解説

2026年のプロ野球界で、長嶋さんの名前を冠した新たな制度がスタートしました。

それが「長嶋茂雄賞」です。

日本野球機構は2025年11月10日の理事会で同賞の創設を決議。2026年シーズンから表彰対象となりました。

長嶋茂雄賞とは?

長嶋茂雄賞は、長嶋さんの功績を称え、そのプレースタイルや野球界への影響を後世に伝えることを目的とした賞です。

対象となるのは、NPBに所属する12球団の野手です。

選考では、次のような要素が重視されます。

- 走塁で顕著な活躍をしていること
- 打撃で顕著な活躍をしていること
- 守備で顕著な活躍をしていること
- グラウンド上のプレーでファンを魅了していること
- 日本プロ野球の文化的な価値向上に貢献していること

つまり、単純にホームラン数や打率だけで評価する賞ではありません。

走攻守を総合的に評価し、長嶋さんのようにプレーそのものでファンを魅了する野手を表彰する仕組みです。

2026年の選考委員は5人

2026年3月2日、NPBは選考委員5人を正式に発表しました。

選考委員 主な経歴
王貞治さん 巨人の元選手、ソフトバンク球団会長
山本浩二さん 元広島選手・監督
岡田彰布さん 元阪神・オリックス選手、元阪神監督
栗山英樹さん 元日本ハム監督、元侍ジャパン監督
松井稼頭央さん 元西武・メジャーリーグ選手、元西武監督

現役時代の経験だけでなく、指導者としての視点も取り入れた構成です。

長嶋さんとともにV9を築いた王さんが選考委員に名を連ねている点も注目されます。

長嶋茂雄賞の賞金と表彰時期

NPBが公表している制度の概要は次のとおりです。

項目 内容
制定 2025年11月10日
対象シーズン 2026年シーズン以降
対象 NPB12球団の野手
選考方法 プロ野球OB選手などによる選考委員会
選考時期 日本シリーズ終了後
表彰 NPB AWARDS
正賞 記念メダル
副賞 賞金300万円
制定者 NPB・読売新聞社・日本テレビ放送網

2026年のNPB AWARDSは、11月25日開催予定です。

10月31日時点では、初年度の受賞者を決める選考・表彰の動向が注目されています。

この賞の意義は、長嶋さんの通算成績を顕彰するだけではありません。

長嶋さんが大切にしていた、野球を通じて観客を魅了するという価値観を、現代の選手に引き継ぐことにあります。

【よくある質問】長嶋茂雄さんの死去に関するFAQ

Q1:長嶋茂雄さんはいつ亡くなりましたか?

2025年6月3日午前6時39分です。東京都内の病院で亡くなりました。享年89歳でした。

Q2:長嶋茂雄さんの死因は何ですか?

公表された死因は肺炎です。2004年には脳梗塞を発症していましたが、今回の訃報で発表された死因は肺炎です。

Q3:長嶋茂雄さんは脳梗塞をいつ発症しましたか?

2004年3月4日です。当時68歳で、アテネオリンピック野球日本代表監督を務める予定でした。右半身にまひが残りましたが、その後もリハビリを続けました。

Q4:長嶋茂雄さんのお別れの会はいつ開催されましたか?

2025年11月21日に東京ドームで開催されました。関係者の部と一般の部が設けられ、多くのファンや関係者が参列しました。

Q5:長嶋茂雄賞はいつから始まりましたか?

2026年シーズンから始まりました。走攻守で優れた活躍を見せ、ファンを魅了したNPB所属の野手を対象とする賞です。

まとめ:長嶋茂雄さんの功績は2026年以降も野球界に残り続ける

長嶋茂雄さんは、2025年6月3日に肺炎のため89歳で逝去しました。

2004年の脳梗塞発症後もリハビリに取り組み、野球界との関わりを続けた姿は、多くの人々の記憶に残っています。

現役時代には通算2471安打、444本塁打を記録。王貞治さんとのONコンビで巨人のV9を支え、監督としても15年間で5度のリーグ優勝、2度の日本一を達成しました。

松井秀喜さんとの師弟関係や、2013年の国民栄誉賞受賞も、長嶋さんの功績を語るうえで欠かせない出来事です。

2025年11月のお別れの会、2026年の追悼展、そして新設された長嶋茂雄賞。こうした取り組みは、長嶋さんが日本の野球文化に残した影響の大きさを示しています。

背番号3が象徴するのは、単なる記録やタイトルではなく、プレーで人々を魅了し、野球を愛する気持ちを次の世代につなぐ姿勢です。

長嶋茂雄さんの名前と功績は、これからも日本プロ野球の歴史の中で受け継がれていきます。

主な根拠資料・確認先

- 東京都「東京都名誉都民 長嶋茂雄様 訃報」
- 日本プロ野球名球会「長嶋茂雄氏 ご逝去のお知らせ」
- 日本野球機構(NPB)「個人年度別成績」「長嶋茂雄賞の創設について」
- 野球殿堂博物館「長嶋茂雄」
- 読売ジャイアンツ公式追悼ページ
- 日本野球機構「長嶋茂雄賞の選考委員決定について」
- 長嶋茂雄追悼展公式開催案内