【2026年現在】松井康真は何をしている?フリーアナウンサーとしての活動

目次

2026年10月現在、松井康真さんはテレビ朝日を離れた後も、アナウンサーとして培った取材力や伝達力を生かして複数の分野で活動しています。

現在の主な肩書は次のとおりです。

- フリーアナウンサー
- ジャーナリスト
- 株式会社タミヤ模型史研究顧問
- 富山県南砺市アンバサダー
- 株式会社獺祭メディアアドバイザー

2025年から2026年にかけての活動を見ると、単にテレビ局を退職して講演や司会を続けているわけではありません。模型文化の継承、地域の魅力発信、企業や産業に関する取材・情報発信など、仕事の領域そのものを広げています。

2026年も続くジャーナリストとしての仕事

松井康真

特に注目したいのが、日立のエネルギー関連コンテンツ「松井康真がゆく原子力最前線」です。

この企画では、原子力発電に関係する企業や研究施設、現場で働く人々への取材を通じて、エネルギー産業の現状や課題を伝えています。

2025年6月のHitachi Innovation Forum 2025や大阪・関西万博を皮切りに、日立の工場・研究施設、島根原子力発電所、福島第一原子力発電所など、幅広い現場を取材しました。

日立の2025年公開のシリーズ総括では、2026年度に続編を制作する予定も示されています。

ここで重要なのは、松井さんが単なる番組進行役ではなく、技術的な内容を理解し、専門家の話を一般の読者に伝える役割を担っている点です。

東京工業大学で化学工学を学んだ理系の素養と、報道記者としての経験が組み合わさった仕事といえます。

2026年5月には南砺市で講演

松井康真

地域活動も継続しています。

南砺市の公式発表によると、2026年5月30日、松井さんは南砺市民大学講演会に登壇しました。

講演テーマは「まちの魅力が味方になる 一度離れてわかる明るい南砺市」。

自身が暮らした井波での学生時代やアナウンサーを志したきっかけ、テレビ朝日時代の思い出に加え、井波彫刻や若手起業家の活動など、外から見た故郷の魅力について語っています。

地元を離れて東京のテレビ局で長く働いた経験が、現在の地域貢献に結びついていることが分かる活動です。

2026年10月には著者としても活動

松井康真

2026年8月7日には、中央公論新社から著書『私とプラモデルの半世紀 大事なことはタミヤが教えてくれた』が発売されました。

208ページの新書で、小学生時代からの模型収集、テレビ朝日での仕事、報道記者への転身、タミヤとの関係、セカンドキャリアまでを扱っています。

さらに、ダイヤモンド・オンラインの著者ページでは、2026年10月にも松井さんの名前でプラモデルやタミヤに関する記事が掲載されています。

つまり、2026年現在の松井さんは、フリーアナウンサー、ジャーナリスト、模型研究者、著者という複数の顔を持って活動しているのです。

(出典:日立、南砺市公式サイト、中央公論新社、ダイヤモンド・オンライン)

【プロフィール】松井康真の生年月日・出身地・学歴・人物像

松井康真さんは、1963年3月生まれ、富山県出身です。

出身地は現在の富山県南砺市にあたる旧井波町。自然や伝統工芸に親しむ地域で育ちました。

基本プロフィール

項目 内容
名前 松井康真
読み方 まつい・やすまさ
生年月 1963年3月
出身地 富山県南砺市(旧井波町)
出身高校 富山県立高岡高校
出身大学 東京工業大学(現・東京科学大学)
学部・学科 工学部化学工学科
前職 テレビ朝日アナウンサー・報道記者
現在 フリーアナウンサー・ジャーナリスト
個人事務所 OFFICEユズキ

出身高校から東京工業大学へ進学し、化学工学を専攻した理系出身者です。

テレビの世界では文系的なコミュニケーション能力が注目されがちですが、松井さんの場合は科学技術を理解するための専門的な基礎知識も持っていました。

この特徴は、後年の原発事故報道やエネルギー関連の取材で生きることになります。

子どもの頃からアナウンサーを志していた

松井さんは小学生の頃、校内放送を担当した経験からアナウンサーという職業に関心を持ちました。

一方、もう一つの大きな関心事がプラモデルでした。

小学生時代から模型を集め、作り、製品の違いや発売時期を調べることに熱中。大人になってからもその趣味は途切れることなく、数十年にわたって蓄積されていきます。

この二つの関心が、後にアナウンサーとしてのキャリアとタミヤの模型史研究という、一見異なる仕事を結びつけることになりました。

(出典:テレビ朝日アナウンサー公式プロフィール、日立、日刊ゲンダイDIGITAL)

【テレビ朝日時代】Mステ・ニュースステーションでの経歴と転換点

松井康真さんの名前を知るきっかけとして、現在もよく挙げられるのが『ミュージックステーション』です。

1986年4月1日にテレビ朝日に入社した松井さんは、入社翌年から同番組のMCを担当しました。

ミュージックステーションではタモリと共演

テレビ朝日の公式アナウンサーページによると、松井さんの『ミュージックステーション』担当期間は1987年4月から1990年3月までです。

1986年10月の番組スタート時には、入社1年目の松井さんが15秒の事前生PRを担当していました。

そして1987年4月、関口宏さんに代わってタモリさんが司会者となったタイミングで、松井さんも隣に加わります。

当時は、人気アーティストやタレントが出演する生放送の音楽番組。タモリさんとのトークや出演者とのやり取りを通じて、松井さんは若手アナウンサーとして経験を積みました。

担当期間は約3年間。1990年3月に番組を卒業しています。

現在のMステの歴史を振り返るうえでも、初期の番組を支えた局アナの一人として記憶される存在です。

ニュースステーションではスポーツキャスターを担当

音楽番組だけでなく、報道分野でも重要な仕事を経験しています。

『ニュースステーション』ではスポーツコーナーを担当。その後、『ステーションEYE』『ワイド!スクランブル』『やじうまプラス』などでも報道・情報キャスターとして活動しました。

また、2008年にはテレビ朝日のアナウンサースクール「アスク」の学校長に就任。2年間の指導を通じて、全国に100人以上のアナウンサーが誕生したと日立のプロフィールで紹介されています。

松井康真の主な経歴年表

年代 出来事・担当 意味・実績
1963年 富山県生まれ 旧井波町で育つ
1986年 テレビ朝日入社 アナウンサーとしてのキャリア開始
1987年4月 MステのMCに就任 タモリと共演
1990年3月 Mステを卒業 約3年間担当
その後 ニュースステーションなどを担当 報道・スポーツ・情報分野で経験
2008年 アナウンススクール「アスク」学校長 後進の育成に携わる
2011年 原発事故担当の報道記者へ 東日本大震災を契機に転身
2023年 テレビ朝日を定年退職 OFFICEユズキを設立
2024年3月 タミヤ模型史研究顧問に就任 趣味を専門的な仕事へ発展
2024年以降 南砺市アンバサダーとして活動 故郷の魅力を発信
2026年 著書発売・講演・取材活動 セカンドキャリアを継続

この経歴から分かるのは、松井さんが一貫してアナウンサーだけを続けてきたわけではないということです。

音楽番組、スポーツ、ニュース、情報番組、人材育成、専門記者と、テレビ局の中でも異なる役割を経験しています。

その幅広さが、現在のフリーランスとしての活動を支える土台になっています。

(出典:テレビ朝日公式アナウンサーページ、日立、時事通信社の講師紹介)

【原発事故担当記者】東日本大震災が変えた松井康真の仕事

松井康真さんの経歴を語るうえで、2011年の東日本大震災は欠かせない転換点です。

それまでアナウンサーとして番組に出演していた松井さんは、震災をきっかけに報道局へ移り、原発事故担当記者として仕事をするようになりました。

震災直前から原子力施設を自主取材

日刊ゲンダイの2023年12月のインタビューでは、松井さん自身が震災当日の経験を振り返っています。

当時、松井さんは青森県六ヶ所村の再処理施設を自主取材していました。

施設の見学を終えた後、移動中に東日本大震災が発生。現地で地震を経験し、福島第一原発の事故に関する情報が次々と入る状況に直面しました。

東京に戻った後も報道現場のサポートに入り、原発事故に関する情報の整理や解説に携わりました。

その後、アナウンス部から正式に報道局へ異動し、原発事故担当記者として活動することになります。

理系出身の知識を報道に生かす

原発事故の報道では、原子炉の仕組み、放射性物質、冷却設備、燃料の状態など、専門的な知識が必要になります。

こうした情報を正確に理解し、視聴者に伝えることは簡単ではありません。

松井さんは東京工業大学の化学工学科で学んだ経験があり、科学技術に関する基礎知識を持っていました。

また、模型製作の技術を報道に応用したことも特徴的です。

2026年10月のダイヤモンド・オンライン掲載記事では、福島第一原発の事故を理解してもらうために、実際の図面を参考に原発模型を製作した経験が紹介されています。

テレビでは、言葉だけで伝えにくい複雑な構造を模型や図解で示すことで、視聴者の理解を助けることができます。

模型を長年研究してきた松井さんならではのアプローチです。

原発報道だけではなかった記者経験

報道局では原発事故関連の取材だけでなく、その後、宮内庁担当や気象災害担当も経験しています。

地震や噴火、豪雨など、社会生活に大きな影響を与える出来事を取材してきました。

ここで培ったのは、専門家の説明を聞くだけでなく、現場で何が起きているのかを自分の目で確かめ、情報を整理する能力です。

現在のジャーナリスト活動でも、こうした経験が生きています。

(出典:日刊ゲンダイDIGITAL、ダイヤモンド・オンライン、日立)

【テレビ朝日退社理由】2023年に独立した本当の背景

松井康真さんがテレビ朝日を退社したのは2023年です。

退社理由については、単にアナウンサーとしての仕事を辞めたかったという話ではありません。

本人が2025年8月の日刊ゲンダイのインタビューで説明した内容によると、60歳の定年を迎えた際、テレビ朝日から定年延長の話を受けたものの、自分のやりたいことがあったため断って退職したとのことです。

つまり、会社から仕事を失ったのではなく、自ら次の人生を選択した形です。

退社前から考えていた3つの目標

松井さんは退職後に取り組みたいこととして、大きく3つの目標を挙げています。

そのうち2つは故郷の富山県南砺市に関する活動でした。

一つは、全国的な知名度がまだ十分ではない南砺市の魅力を広く伝えること。

もう一つは、地元に関係する人々や地域の活動を応援することです。

そして、もう一つが子どもの頃から続けてきたプラモデルに関する活動でした。

この3つの方向性が、現在の仕事につながっています。

OFFICEユズキを設立

2023年の退職後、松井さんは個人事務所「OFFICEユズキ」を設立しました。

退職後の活動を自ら組み立てるための拠点であり、フリーアナウンサーやジャーナリストとしての仕事、地域活動などを展開する基盤になっています。

日刊ゲンダイのインタビューでは、事務所の登記を実家に置き、地元への貢献を重視した生活を始めたことも語られています。

ここから分かるのは、松井さんの独立が単なる転職ではなかったということです。

テレビ局という組織の中で担当する番組や部署が決まっている働き方から、自分の専門性や関心に応じて仕事を選ぶ働き方へと切り替えたのです。

退社理由についての誤解

退社について、テレビ朝日とのトラブルや番組降板が原因だったと考える必要はありません。

公表されている本人の説明では、60歳の定年と定年延長の打診、そして本人が以前から温めていた目標が独立の背景にあります。

また、タミヤとの関係も退職直前に突然始まったものではありません。

タミヤの田宮俊作前会長とは、アナウンサー時代から約30年の付き合いがあり、松井さんが53歳の頃には退職後の協力を打診されていたと、2025年の文藝春秋のインタビューで明かされています。

この長い準備期間があったからこそ、退職後の仕事を具体的に描けていたのでしょう。

(出典:日刊ゲンダイDIGITAL、文藝春秋PLUS、ダイヤモンド・オンライン)

【タミヤ・南砺市・獺祭】趣味と専門性を生かした第二の人生

2024年以降の松井康真さんを特徴づけるのが、アナウンサーという肩書だけでは説明できない多彩な活動です。

その中心にあるのが、模型史研究、地域振興、企業の情報発信です。

タミヤ模型史研究顧問に就任した理由

松井さんは2024年3月、株式会社タミヤの模型史研究顧問に就任しました。

タミヤは世界的に知られる模型メーカーです。

松井さんが同社と関係を深めたきっかけは、単なるプラモデル好きというだけではありません。

1998年には個人で「田宮模型歴史研究室」というウェブサイトを立ち上げ、収集した模型の発売時期や特徴、製品の変遷などを詳しく紹介していました。

その後、2000年に刊行された『田宮模型全仕事』の制作にも協力。長年蓄積してきた資料と知識が、タミヤの歴史をまとめる仕事につながりました。

田宮俊作前会長から退職後の協力を打診されたのも、こうした実績があったからです。

約3,000点のプラモデルコレクション

松井さんのコレクションは、2024年の静岡放送の報道で約3,000点と紹介されています。

さらに、1975年までのタミヤの模型広告についても、本人が約98%を原本で所有していると説明しています。

単純に模型を大量に集めているだけではありません。

発売時期、箱絵の変化、製品の仕様、メーカーの開発姿勢など、個々の模型が生まれた背景まで調べています。

この研究姿勢は、本人が「模型考古学」と表現するほどです。

タミヤ歴史館の充実に取り組む

模型史研究顧問としての具体的な仕事の一つが、静岡市にあるタミヤ本社の歴史館の充実です。

展示品を並べるだけでなく、製品がどのような時代背景で生まれ、どんな工夫が施されてきたのかを分かりやすく伝えることを目指しています。

2025年の日刊ゲンダイのインタビューでは、歴史館の展示を見直し、松井さんが監修した解説パネルを設置したことが紹介されました。

また、展示に不足していた模型の一部を自身のコレクションから提供したことも明かされています。

個人の趣味として蓄積してきた資料が、企業の歴史を次世代に伝えるための資産になっているのです。

南砺市アンバサダーとして故郷をPR

松井さんは富山県南砺市のアンバサダーも務めています。

出身地である井波地区は、木彫りの伝統文化で知られる地域です。

本人は南砺市の魅力をもっと広く発信したいという考えから、地域活動に力を入れてきました。

特に興味深いのは、従来の観光大使という肩書だけにこだわらず、実際に活動が継続する仕組みを重視した点です。

2025年の日刊ゲンダイのインタビューでは、自治体に制度の見直しを提案し、新しいアンバサダー制度の初代に就任した経緯を説明しています。

2026年5月の南砺市民大学講演会への登壇も、こうした地域活動の一環です。

獺祭メディアアドバイザーとしての肩書

もう一つ注目されるのが、株式会社獺祭のメディアアドバイザーという肩書です。

この役職は、日立の公式プロフィールでも松井さんの現在の肩書として紹介されています。

獺祭は日本酒ブランドとして知られる企業です。

松井さんはテレビ局で長年にわたり、ニュースや情報番組、スポーツ、音楽番組など幅広い分野の情報発信に携わってきました。

その経験を企業のメディア関連業務に生かす立場と考えられます。

ただし、具体的な担当業務や契約内容については詳細な公表情報が限られているため、役職名以上の仕事内容を断定することはできません。

それぞれの活動に共通するもの

一見すると、タミヤ、南砺市、獺祭はまったく違う分野です。

しかし、松井さんの仕事には共通点があります。

それは、対象の魅力や価値を理解し、それを必要とする人に伝えることです。

- タミヤでは、模型の歴史と技術を伝える。
- 南砺市では、地域の文化や人の魅力を伝える。
- 獺祭では、メディアに関する経験を生かす。
- ジャーナリストとしては、専門的な情報を一般の読者に伝える。

アナウンサー時代に身につけた伝達能力が、テレビ局の外でも幅広く使われていることが分かります。

(出典:静岡放送、日刊ゲンダイDIGITAL、セメダイン株式会社、日立)

【プロの結論】松井康真の第二の人生から見えるキャリアの可能性

松井康真さんの経歴を整理すると、2023年のテレビ朝日退社は、長年の仕事を終わらせた出来事というより、蓄積してきた経験を別の分野で生かし始めた転換点だったことが分かります。

特に注目したいのは、プラモデルという趣味が仕事に発展した過程です。

一般的に、趣味を仕事にする場合、好きという気持ちだけでは継続できません。

必要なのは、長期間にわたって知識を蓄積すること、他者に価値を提供できる専門性を持つこと、そして関係者との信頼を築くことです。

松井さんの場合、次の3つがそろっていました。

1. 小学生時代から数十年にわたって続けた模型収集と研究。
2. 1998年からの情報発信や2000年のタミヤ関連書籍への協力。
3. タミヤ関係者との長年にわたる信頼関係。

これらが積み重なった結果、2024年の模型史研究顧問就任につながりました。

また、報道記者としての経験も現在の活動に直結しています。

専門的な話を理解し、取材し、分かりやすく説明する能力は、エネルギー産業の取材にも地域振興にも応用できます。

松井康真のキャリアが示す3つの判断基準

今後のセカンドキャリアを考える人にとって、参考になるポイントは次のとおりです。

1. 趣味を長期的な専門性に変える

好きなものを集めるだけでなく、調べ、記録し、人に説明できるようにすることが大切です。

2. 退職前から次の仕事につながる関係を築く

松井さんとタミヤの関係は、独立後に急に始まったものではありません。長年の交流と実績が、新しい仕事につながりました。

3. 過去の職歴を捨てずに再利用する

アナウンサーとしての伝達力、理系出身者としての知識、報道記者としての取材経験。これらを組み合わせることで、テレビ局の外にも活躍の場が生まれています。

松井さんの第二の人生は、単に好きなことを仕事にした成功例ではありません。長い年月をかけて積み上げた経験と人間関係を、新しい価値に変えたキャリアの実例なのです。

【松井康真の現在】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:松井康真さんは現在何をしていますか?

A1:2026年現在、フリーアナウンサー・ジャーナリストとして活動しています。タミヤ模型史研究顧問、南砺市アンバサダー、獺祭メディアアドバイザーなどの肩書も持ち、取材、講演、執筆などに取り組んでいます。

Q2:松井康真さんがテレビ朝日を退社した理由は何ですか?

A2:2023年に60歳の定年を迎えた際、定年延長の打診を断り、自分が取り組みたかった地域活動やプラモデル研究などに挑戦するため退職しました。

Q3:松井康真さんはMステにいつ出演していましたか?

A3:1987年4月から1990年3月まで担当しました。タモリさんと共演し、番組初期のMCを務めています。

Q4:松井康真さんはニュースステーションにも出演していましたか?

A4:はい。ニュースステーションではスポーツキャスターを担当しました。その後、原発事故担当記者など報道分野でも活躍しました。

Q5:松井康真さんはなぜタミヤの顧問になったのですか?

A5:子どもの頃からプラモデルを収集・研究し、1998年には田宮模型の歴史を紹介するウェブサイトを開設。タミヤ関連書籍の制作にも協力するなど、長年の研究実績が評価され、2024年3月に模型史研究顧問に就任しました。

Q6:松井康真さんのプラモデルコレクションは何点ありますか?

A6:2024年の静岡放送の報道では、約3,000点を所有していると紹介されています。タミヤ製品を中心に、模型の発売時期や歴史的な特徴まで研究しています。

Q7:松井康真さんは結婚していますか?家族はいますか?

A7:結婚歴や家族構成については、今回確認できた主要なプロフィールや本人の仕事に関するインタビューでは詳しい情報が示されていません。公表されている職歴や現在の活動とは分けて考える必要があります。

Q8:松井康真さんの2026年最新の著書は何ですか?

A8:2026年8月7日発売の『私とプラモデルの半世紀 大事なことはタミヤが教えてくれた』です。中央公論新社から刊行され、模型少年時代からテレビ朝日での仕事、タミヤとの関係、第二の人生までが紹介されています。

まとめ:松井康真はテレビ局退社後も専門性を広げている

松井康真さんは、1986年にテレビ朝日に入社し、『ミュージックステーション』でタモリさんと共演。その後、『ニュースステーション』などの報道番組を経験し、2011年の東日本大震災を契機に原発事故担当記者へと転身しました。

そして2023年、60歳で定年退職。個人事務所OFFICEユズキを設立し、フリーアナウンサー・ジャーナリストとして新しい活動を始めました。

2026年現在は、タミヤ模型史研究顧問、南砺市アンバサダー、獺祭メディアアドバイザーなど、複数の分野で活動しています。2026年8月には自身の模型人生をまとめた著書も刊行しました。

松井さんの経歴を振り返ると、Mステ時代の知名度だけでは捉えきれない、報道記者としての専門性や、半世紀にわたる模型研究の積み重ねが見えてきます。

テレビ朝日を退社したことは、キャリアの終わりではありませんでした。 アナウンサーとして培った伝える力と、長年追い続けた趣味を結びつけ、自分らしい仕事を築いてきたことこそ、松井康真さんの第二の人生の大きな特徴です。