【2026年現在】叶井俊太郎は死去している?亡くなった日時と死因

目次

叶井俊太郎さんは、2024年2月16日午後11時ごろ、東京都内の自宅で亡くなりました。享年56歳でした。

映画業界で長年活動してきた叶井さんの訃報は、2024年2月17日に報じられました。妻の倉田真由美さんも、同月27日に自身のSNSで夫の死を公表しています。

報道によると、叶井さんは膵臓がんを患い、約1年8カ月にわたって闘病生活を送っていました。

2026年現在の状況

叶井俊太郎

2026年10月現在、叶井さんはすでに亡くなっており、本人による新たな活動や近況報告はありません。

一方、映画プロデューサーとして手掛けた作品や、闘病中に刊行した著書『エンドロール!』は、彼の仕事と人生を知る手掛かりとして残されています。

妻の倉田さんは、夫が亡くなったことを報告した際、次のような言葉を記しました。

「いい思い出しかありません。最高の父ちゃんでした。」

この投稿では、叶井さんが亡くなる前日までシャワーを浴び、髪を洗い、ひげをそり、普段どおりに話していたことも明かされています。

最期まで自分らしい日常を大切にしていたことが伝わる報告でした。

【プロフィール・経歴】叶井俊太郎はどんな映画プロデューサーだった?

叶井俊太郎

基本プロフィール

項目 内容
名前 叶井俊太郎(かない・しゅんたろう)
生年月日 1967年9月18日
出身地 東京都
職業 映画プロデューサー・映画宣伝プロデューサー
妻 倉田真由美
結婚 2009年、4度目の結婚
子供 倉田真由美との間に娘
死去 2024年2月16日
享年 56歳
主な関連作品 『アメリ』『いかレスラー』『日本以外全部沈没』『ムカデ人間』シリーズ

叶井さんのキャリアを理解するうえで重要なのは、映画監督や俳優としてではなく、海外作品の買い付け、映画の配給、宣伝、企画・プロデュースを担った裏方の人物だったという点です。

ラジオ局勤務から映画業界へ

叶井俊太郎

叶井さんは、ラジオ局での勤務を経て映画業界に入りました。

1991年に映画配給会社に入社。海外映画の買い付けや宣伝を担当するようになります。

1992年には香港映画『八仙飯店之人肉饅頭』を買い付けました。

当時の大手配給会社が扱いにくいような過激な作品や、一般的な映画宣伝では取り上げにくいジャンルにも積極的に取り組んだことが、叶井さんの個性につながっていきます。

映画会社の設立と経営上の挫折

2001年の『アメリ』の成功後、叶井さんは映画会社の設立にも関わります。

2003年にはファントム・フィルムの設立に参加。その後、2005年に同社を離れ、トルネード・フィルムを設立して代表を務めました。

しかし、映画配給事業は必ずしも順調ではありませんでした。

自身が経営したトルネード・フィルムは2010年に破産。大きな経営上の挫折も経験しています。

その後、2019年にはサイゾーに移り、映画配給レーベル「エクストリーム」の宣伝プロデューサーとして活動しました。

叶井俊太郎と関係人物・代表作品の相関表

叶井さんの仕事と人生には、映画監督、配給会社、家族、対談相手など、多くの人物や作品が関係しています。

人物・作品 叶井さんとの関係 主な事実
倉田真由美 妻 2009年に4度目の結婚
娘 家族 2009年11月に誕生
『アメリ』 買い付け 2001年、日本で興収16億円
河崎実 映画監督 『いかレスラー』などで協働
『ムカデ人間』 配給・宣伝 日本での紹介と展開に関わる
サイゾー 勤務先 映画配給レーベルの宣伝を担当
文化人15人 対談相手 著書『エンドロール!』に登場

この関係を整理すると、叶井さんは単に作品を作るプロデューサーではなく、海外映画と日本の観客を結びつけるバイヤーであり、作品の魅力を伝える宣伝担当者でもあったことが分かります。

【代表作を解説】『アメリ』の興行収入16億円と異色映画の数々

叶井俊太郎さんの代表的な仕事として、まず挙げられるのがフランス映画『アメリ』です。

しかし、彼のキャリアは『アメリ』だけではありません。

一般的な恋愛映画から、過激なホラー映画、独特な設定の日本映画まで、ジャンルの幅広さが特徴でした。

『アメリ』はなぜ大ヒットした?


2001年日本公開・興行収入16億円
フランスのジャン=ピエール・ジュネ監督による作品。パリを舞台に、主人公アメリの日常と人との交流を描いた恋愛映画です。

2001年、叶井さんが買い付けた『アメリ』は、日本で興行収入16億円を記録しました。

ミニシアター規模から上映館を拡大するほどのヒットとなり、海外映画の買い付け担当者としての叶井さんの名前を広く知らしめるきっかけになりました。

興味深いのは、叶井さん自身が後年の映画.comのインタビューで、この作品のヒットを必ずしも予想していなかったと振り返っていることです。

ジャン=ピエール・ジュネ監督の過去作品『デリカテッセン』などの印象から、同じような方向性の作品だと考えて買い付けたといいます。

さらに、本人は日本語字幕版を見ていなかったことも明かしています。

映画の内容を細部まで分析してヒットを予測したというより、作品を見つけ、配給し、観客に届ける仕事の中で大きな成功をつかんだエピソードです。

『いかレスラー』『ヅラ刑事』『日本以外全部沈没』


2004年
河崎実監督による異色のコメディー映画。プロレスと巨大なイカという奇抜な組み合わせが特徴です。叶井さんはプロデュースに携わりました。


2006年
河崎実監督作品。タイトルからも分かるように、一般的な刑事映画とは異なるユーモアを前面に出した作品です。


2006年
小松左京の作品をモチーフにした河崎実監督の風刺コメディー。叶井さんが企画・プロデュースに関わりました。

これらの作品に共通するのは、既存の映画市場の定番から外れた発想です。

叶井さんは、万人受けする企画だけを追いかけるのではなく、強烈な個性を持つ作品にも商業的な可能性を見いだしていました。

『ムカデ人間』シリーズも日本で紹介


海外ホラー映画シリーズ
強烈な設定とショッキングな描写で知られるホラー作品。叶井さんは日本での配給・宣伝に関わりました。

叶井さんが扱った映画には、『キラー・コンドーム』『えびボクサー』『ネクロマンティック』などもあります。

一般的な映画会社が買い付けをためらうような作品を積極的に日本へ持ち込んだことは、映画ファンの間でも特徴的な仕事として知られています。

2023年12月には、叶井さんの名前を冠した「第1回東京国際叶井俊太郎映画祭」も開催されました。映画監督や俳優ではなく、映画を届けてきた宣伝プロデューサーの名前が映画祭になったことも、彼の存在感を物語っています。

【妻・倉田真由美との結婚】4度目の結婚と娘について


漫画家。『だめんず・うぉ〜か〜』などで知られています。叶井俊太郎さんの妻として、闘病中も夫を支えました。

叶井俊太郎さんの私生活で大きな関心を集めたのが、漫画家・倉田真由美さんとの結婚です。

2009年、3度の離婚を経て4度目の結婚

叶井さんは過去に3度の結婚と離婚を経験しており、倉田さんとの結婚は4度目でした。

2人は2009年に結婚しています。

当時、叶井さんは映画配給会社トルネード・フィルムの代表を務めていました。倉田さんは漫画家として活動しており、異なる分野で仕事をする2人の結婚は注目を集めました。

2010年には、2人の共著として『ダメになってもだいじょうぶ 600人とSEXして4回結婚して破産してわかること』も出版されています。

叶井さんの波乱に富んだ結婚歴や人生観を、自身の言葉と倉田さんの漫画によって紹介した一冊です。

子供は娘が1人?2009年に女児が誕生

叶井さんと倉田さんの間には、2009年11月16日に女の子が誕生しています。

出産については、叶井さん自身が当時のオリコンの取材に応じて報告しました。

2023年11月のインタビューでは、娘さんは中学2年生と紹介されています。

叶井さんは闘病中に娘さんにも自身の病状を伝えており、娘との日常についてもインタビューで語っていました。

また、娘さんの存在は、叶井さんが病気を公表した後の報道でも繰り返し取り上げられています。

倉田真由美が明かした夫婦の関係

倉田さんは、夫の死後に自身のSNSで夫婦として過ごした日々を振り返りました。

特に印象的なのは、2人の相性について語った部分です。

倉田さんによると、夫は癖の強い人物で、周囲には合わない人もいたかもしれないものの、2人はほとんど喧嘩をしなかったといいます。

十数年にわたる結婚生活について、倉田さんは良い思い出しかないと振り返りました。

叶井さんの豪快な仕事ぶりや奔放な人生だけでなく、家族の中で見せていた一面も、妻の言葉から伝わってきます。

【膵臓がんステージ4】余命半年の宣告から死去までの経緯

叶井俊太郎さんの晩年を語るうえで欠かせないのが、膵臓がんとの闘病です。

2023年10月に病状を公表した際、すでにステージ4へ進行していたことも明らかになりました。

2022年6月:膵臓がんステージ3と余命半年の宣告

叶井さんが膵臓がんと診断されたのは、2022年6月でした。

本人が日刊スポーツのインタビューで語ったところによると、最初のきっかけは黄疸でした。

病院で検査を受けた結果、医師から膵臓がんのステージ3と告げられます。

さらに、余命は半年、長くても1年程度と説明されたといいます。

当時は大きな体調不良を自覚しておらず、会社の健康診断でも発見されなかったと振り返っています。

2023年10月:ステージ4を公表

2023年10月11日、叶井さんは自身のXで病状を公表しました。

2022年6月にステージ3と診断され、余命半年と宣告されたこと、そして病状が進行して現在はステージ4になっていることを明かしました。

妻の倉田さんも同日に病状を公表しています。

倉田さんは、夫が診断後も普段どおり会社に通勤していたことなどを説明しました。

病気を公表するまでに時間がかかった理由についても、夫が日常生活を送っていたため、公表によって周囲との関係や生活が変化することへの不安があったと語っています。

抗がん剤治療を選ばず、仕事を続ける道へ

叶井さんは、医師から説明された治療方針について、抗がん剤でがんを小さくしてから手術する方法の成功率が10~20%と説明されたとインタビューで話しています。

その可能性に賭けるより、自分が元気に動ける時間を大切にしたいと考え、抗がん剤治療や腫瘍切除を目的とする手術を選ばず、仕事を続ける道を選びました。

ただし、手術を一切受けなかったわけではありません。

2023年8月には、がんが胃を圧迫して食事が取れなくなったため、胃の一部を切除し、食道と小腸をつなぐ手術を受けています。

これは腫瘍を取り除くための手術とは目的が異なり、食事を取れるようにするための処置でした。

闘病中の治療選択については、本人が映画.comや日刊スポーツのインタビューで詳しく語っています。

2023年12月:映画の仕事と映画祭への参加

2023年12月、叶井さんは「第1回東京国際叶井俊太郎映画祭」に参加しました。

当時は体重が約30キロ減少していたと報じられていますが、トークショーにも登壇し、映画に関する仕事を続けていました。

同年12月公開の『恐解釈 桃太郎』のエンドロールには、「叶井俊太郎に捧ぐ」というクレジットが入れられました。

これは本人が生前から希望していたことでもありました。

2024年2月16日:56歳で死去

2024年に入ると、病状は急速に変化しました。

報道によれば、2023年12月には腹水がたまり、年明けからは自宅の介護ベッドで過ごす時間が増えていたといいます。

倉田さんも2月14日に夫の状態が急激に変化していることをSNSで伝えていました。

そして、2月16日夜、叶井さんは東京都内の自宅で息を引き取りました。

妻の倉田さんが最期を看取ったことも、後日の報告で明かされています。

2022年6月の余命半年という宣告から、約1年8カ月。叶井さんは56歳でその生涯を終えました。

【著書『エンドロール!』】叶井俊太郎が最後まで貫いた仕事観


著者:叶井俊太郎/出版社:サイゾー
2023年11月刊行・312ページ
闘病中の叶井さんが15人の文化人と対談した一冊です。

叶井さんが亡くなる前に残した重要な仕事の一つが、著書『エンドロール!』です。

この本は、単なる闘病記ではありません。

余命半年と宣告された映画プロデューサーが、これまで関わってきた旧友や業界関係者、文化人と対談し、人生や仕事、死について語り合う構成になっています。

なぜ闘病日記ではなく対談本だったのか

2023年10月のリアルサウンドのインタビューで、叶井さんは本の企画について語っています。

当初は闘病日記を出版する案もあったものの、それでは内容が重くなると考え、対談形式を選びました。

対談相手の15人は、叶井さん自身が会いたい人や、長く交流してきた人物を中心に選んだといいます。

登場する人物には、映画プロデューサーの鈴木敏夫さん、奥山和由さん、映画評論家の江戸木純さん、映画監督の河崎実さんなどがいます。

つまり、この本は叶井さんの人生を振り返ると同時に、映画業界や文化の世界で築いてきた人間関係を記録したものでもあります。

叶井俊太郎の仕事観が分かる言葉

リアルサウンドのインタビューで、叶井さんは余命宣告後に何をしたいか尋ねられ、仕事について次のように語っています。

「のほほんとするよりも俺には仕事の方が面白いし、他にやりたいことがなかったんですよ。」

この言葉には、叶井さんの価値観がよく表れています。

余命を告げられたからといって、必ずしも旅行や趣味など、これまでと違う生活を望んだわけではありませんでした。

映画の公開予定は先まで決まっており、できる限り準備を進めることを優先したのです。

【プロの結論】叶井俊太郎の本当の功績は映画を観客に届けたこと

叶井俊太郎さんのキャリアを振り返ると、単純に『アメリ』をヒットさせた人物という説明だけでは足りません。

彼の仕事には、大きく3つの特徴がありました。

1. 大手が扱いにくい作品を発掘する目

『ムカデ人間』シリーズや『キラー・コンドーム』など、一般的な映画市場では扱いにくい作品にも積極的に関わりました。

2. 作品のジャンルにとらわれない買い付け

過激なホラーからフランスの恋愛映画まで、ジャンルの違いを超えて作品を日本に紹介しました。『アメリ』の成功は、その象徴です。

3. 宣伝と配給を通じて作品の市場を広げる力

映画は制作されただけでは観客に届きません。どの作品を買い付け、どのように宣伝し、どの観客に届けるかという判断が必要です。

叶井さんは、その部分を長年担ってきました。

また、映画会社の設立と破産という成功・失敗の両方を経験しながら、最後まで映画の仕事を続けました。

彼の功績を評価する際には、興行収入だけでなく、日本ではまだ知られていなかった海外作品や異色作を紹介した仕事にも目を向ける必要があります。

『アメリ』の16億円という数字は、その仕事を象徴する実績の一つなのです。

【叶井俊太郎に関するよくある質問(FAQ)】

Q1:叶井俊太郎は現在も生きていますか?

A1:いいえ。2024年2月16日に56歳で亡くなりました。2026年現在は故人です。

Q2:叶井俊太郎の死因は何ですか?

A2:膵臓がんです。2022年6月にステージ3と診断され、余命半年と宣告されました。2023年にはステージ4へ進行したことを公表しています。

Q3:叶井俊太郎の妻は誰ですか?

A3:漫画家の倉田真由美さんです。2009年に結婚し、叶井さんにとって4度目の結婚でした。

Q4:叶井俊太郎に子供はいましたか?

A4:倉田真由美さんとの間に、2009年11月生まれの娘がいます。

Q5:叶井俊太郎の代表作は何ですか?

A5:『アメリ』『いかレスラー』『ヅラ刑事』『日本以外全部沈没』『ムカデ人間』シリーズなどが代表的です。作品によって買い付け、配給、宣伝、プロデュースと関わり方が異なります。

Q6:叶井俊太郎の著書『エンドロール!』とはどんな本ですか?

A6:余命半年と宣告された叶井さんが、鈴木敏夫さんや河崎実さんなど15人の文化人と対談した書籍です。2023年11月に刊行されました。

Q7:叶井俊太郎は余命半年の宣告から何カ月生きましたか?

A7:2022年6月に宣告を受け、2024年2月16日に亡くなったため、約1年8カ月を過ごしました。

まとめ:叶井俊太郎が映画界に残した功績と生き方

叶井俊太郎さんは、2024年2月16日に56歳で亡くなりました。

しかし、彼が映画業界に残した仕事は、今も作品や書籍の中に残っています。

- 2001年、『アメリ』を買い付け、興行収入16億円の大ヒットを実現。
- 『いかレスラー』『日本以外全部沈没』など河崎実監督作品をプロデュース。
- 『ムカデ人間』シリーズなど、個性的な海外映画を日本に紹介。
- 2009年に漫画家・倉田真由美さんと4度目の結婚。娘にも恵まれた。
- 2022年に膵臓がんの余命半年宣告を受け、2023年にステージ4を公表。
- 闘病中も映画の仕事を続け、著書『エンドロール!』を刊行。

叶井さんの人生には、映画の大ヒットだけでなく、会社の破産や病気といった困難もありました。

それでも、最後まで映画を届ける仕事に向き合い、自分が会いたい人たちとの対談を本に残しました。

叶井俊太郎という人物を理解する鍵は、映画を作る側だけではなく、映画を見つけ、世の中に届ける側の仕事にあります。

『アメリ』の成功も、『ムカデ人間』のような異色作の紹介も、その独自の仕事観から生まれたものでした。

2026年現在、彼の姿を新たに見ることはできません。しかし、日本の映画ファンに多様な作品との出会いをもたらした映画プロデューサーとして、その足跡はこれからも残っていきます。