【結婚と国籍】スカルノ元大統領との結婚で何が変わった?
デヴィ夫人の人生を大きく変えたのが、インドネシア初代大統領のスカルノ氏との出会いです。
この結婚が、現在の名前や国籍、国際的な知名度につながりました。
19歳でスカルノ大統領と出会う

1959年、19歳だった根本七保子さんは、訪日していたスカルノ大統領と出会います。
当時の彼女は、家庭を支えるために働きながら生活していました。赤坂の高級クラブで働いていた時期に、大統領との縁が生まれたことが、その後の人生を大きく変える転機となります。
出会いの後、2人は交流を深め、1962年に正式に結婚。デヴィ夫人はスカルノ大統領の第3夫人となりました。
当時22歳だった彼女は、日本で生まれ育った女性から、インドネシア大統領夫人という国際的な立場へと変わっていきます。
ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノという名前の由来

デヴィ夫人のインドネシア名は、ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(Ratna Sari Dewi Sukarno)です。
これは日本で生まれたときの名前ではありません。
デヴィ夫人は自身の公式ブログで、「デヴィ・スカルノ」という名前はスカルノ大統領から授かったもので、正式には「ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ」であると説明しています。
そのため、名前にインドネシアの要素があることは、外国の血筋を持つ証拠にはなりません。
根本七保子からラトナ・サリ・デヴィ・スカルノへ。この名前の変化こそ、結婚によって人生の舞台が日本からインドネシアへ移ったことを象徴しています。
インドネシア国籍を取得した理由

国籍が変わった背景については、本人が金融広報中央委員会のインタビューで詳しく語っています。
母親と弟をインドネシア移住後に相次いで亡くし、それまで家族のために保持していた日本国籍から、インドネシア国籍へ移ったことが人生の大きな転換点だったと振り返っています。
つまり、デヴィ夫人がインドネシア国籍であるのは、出生時から外国人だったからではなく、結婚とその後の人生に伴う選択によるものです。
デヴィ夫人の海外生活とキャリアの変化
| 時期 | 出来事 | 人生の転換点 |
|---|---|---|
| 1940年 | 東京都麻布区霞町に誕生 | 根本七保子として出生 |
| 1959年 | スカルノ大統領と出会う | 国際的な人生の始まり |
| 1962年 | スカルノ大統領と結婚 | 第3夫人となりインドネシア国籍へ |
| 1960年代後半 | インドネシアの政変 | 海外生活へ移行 |
| 1970年代 | フランス・パリで生活 | 社交界で国際的な活動 |
| 1991年前後 | アメリカ・ニューヨークへ移住 | 新たな活動の基盤を形成 |
| 2000年前後 | 日本のテレビ出演が本格化 | タレントとしての活動を拡大 |
| 2019年 | YouTube活動も展開 | デジタルメディアへ進出 |
| 2025年 | 日本国籍の再取得を申請中と公表 | 政治活動への意欲を示す |
| 2026年 | 86歳で活動を継続 | 国際文化人・タレントとして活動 |
出典:本人のインタビュー、所属会社のプロフィール、講談社『日本人名大辞典+Plus』、報道各社の記録。海外移住の時期には資料によって若干の違いがあります。
スカルノ大統領の失脚後、デヴィ夫人はインドネシアを離れ、パリの社交界で活動しました。その後、ニューヨークにも生活拠点を移しています。
日本でのテレビ出演が増えたのは2000年前後です。
かつての大統領夫人という肩書きだけにとどまらず、バラエティー番組やCM、講演、慈善活動などに活動領域を広げました。
華やかな海外生活を経て日本のテレビに登場したことも、彼女の国際的なイメージを強めた理由の一つです。
【2026年最新】デヴィ夫人の国籍・年齢・プロフィール
2026年10月31日現在、デヴィ夫人は86歳です。
スポニチの2026年5月更新プロフィールでは、1940年2月6日生まれ、東京都出身として紹介されています。
また、2026年2月には86歳の誕生日を迎え、国連UNHCR協会へのチャリティーパーティーを開催したことが日刊スポーツで報じられました。
デヴィ夫人の基本プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 通称 | デヴィ夫人 |
| 日本名・出生名 | 根本七保子 |
| インドネシア名 | ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ |
| 英語表記 | Dewi Sukarno |
| 生年月日 | 1940年2月6日 |
| 年齢 | 86歳(2026年10月現在) |
| 出身地 | 東京都港区西麻布(旧・麻布区霞町) |
| 国籍 | インドネシア国籍として掲載 |
| 元配偶者 | スカルノ元大統領 |
| 肩書き | タレント・国際文化人・慈善活動家 |
| 主な活動 | テレビ出演、講演、慈善活動、YouTubeなど |
現在の国籍はインドネシア?日本に戻る予定は?
特に注目されるのが、日本国籍の再取得をめぐる動きです。
2025年2月12日、デヴィ夫人は政治団体「12(ワンニャン)平和党」の結党を発表しました。
その会見で、自身はインドネシア国籍であり、日本国籍の取得に向けて帰化申請を行っていると説明。日本国籍を取得できれば、参議院選挙への立候補も考えていると明かしました。
その後、2025年6月には自身のXで、前年10月に申請し、申請から約8か月が経過しても許可が下りていない状況を報告したと日刊スポーツが伝えています。
2025年4月には同政治団体の解散も発表されました。
2026年10月現在、確認できる人物プロフィールでは、引き続きインドネシア国籍と掲載されています。日本国籍の取得が正式に許可されたと確認できる新たな公表情報は見当たりません。
したがって、現段階では日本国籍に戻ったと断定することはできません。
なお、法務省によると、帰化は法務大臣の許可によって成立し、許可された場合は官報に告示されます。申請したことと、国籍を取得したことは法律上も別の段階です。
日本生まれなのにインドネシア国籍というのはなぜ?
この疑問を解くには、出生地と国籍を分けて考える必要があります。
デヴィ夫人は日本で生まれ、日本で幼少期を過ごしました。その後、スカルノ大統領との結婚を経てインドネシア国籍となっています。
日本で生まれたことは出生地の情報であり、その後に国籍を変更することとは矛盾しません。
また、海外生活が長く、外国語や国際的な文化に精通していることも、外国出身という印象を与えることがあります。
しかし、出生地・国籍・民族的ルーツは、それぞれ異なる情報です。この3つを分けて理解すれば、デヴィ夫人のプロフィールに関する疑問は整理できます。
【デヴィ夫人のハーフ説】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:デヴィ夫人は本当にハーフなのですか?
公開されている生い立ちや家族の情報では、日本人の両親のもとに生まれた人物として紹介されています。ハーフであることを裏付ける信頼できる資料はありません。
Q2:デヴィ夫人の父親と母親はどんな人ですか?
父親は大工の棟梁だった兵七郎さん、母親は政子さんです。母親は福島県双葉郡浪江町の出身と紹介されています。
Q3:デヴィ夫人の現在の国籍は何ですか?
2026年の人物プロフィールではインドネシア国籍とされています。2025年には日本国籍の再取得を申請していると報じられましたが、取得許可が確認されたという公表情報は見当たりません。
まとめ:デヴィ夫人のハーフ説と国籍を正しく理解する
デヴィ夫人がハーフなのかという疑問を解く鍵は、出生名、両親の背景、結婚後の国籍変更という3つの事実にあります。
- 出生名は根本七保子で、1940年に東京都麻布区霞町で生まれた。
- 父親は大工の棟梁、母親は福島県浪江町に縁のある人物。
- 1959年にスカルノ大統領と出会い、1962年に結婚した。
- 結婚後はインドネシア国籍となり、海外で長く生活した。
- 2026年現在86歳。公開プロフィールではインドネシア国籍とされている。
【プロの結論】
デヴィ夫人の魅力を理解するうえで大切なのは、外国人のように見えるかどうかではなく、どのような人生を歩んできた人物なのかという視点です。
戦争と貧困を経験した東京での幼少期、家族を支えようと働いた青春時代、インドネシア大統領夫人としての生活、パリの社交界、そして日本でのタレント活動。
その歩みは、一つの国籍や血筋だけでは説明できないほど国際的です。
ハーフ説については、見た目の印象やインドネシア名だけで判断せず、本人の証言や公開プロフィールを基準に理解することが大切です。
デヴィ夫人は、日本で生まれ、インドネシア国籍を持ち、世界を舞台に活動してきた日本出身の国際文化人です。その経歴こそが、現在まで続く独特の存在感を生み出しています。