ダンプ松本と長与千種の関係は?宿敵から親友へ変わった因縁と2026年の現在を徹底解剖

目次

ダンプ松本と長与千種は、1980年代の女子プロレス黄金時代を象徴するライバルであり、2026年現在は互いを認め合う特別な関係にある。かつてリング上で激しく憎しみ合い、1985年8月28日の大阪城ホールでは伝説の敗者髪切りデスマッチを繰り広げた2人。しかし、その関係の始まりは、全日本女子プロレスに同期入門した仲間同士だった。

関係が変化した背景には、クラッシュ・ギャルズと極悪同盟の抗争、団体側による対立の演出、そしてリング上で本物の感情にまで発展した競争があった。2025年にはダンプ松本が長与千種を「大好きな親友」と表現する出来事もあり、2026年8月には長与自身がデビュー46周年の節目に、ダンプとの関係を振り返っている。

📌 【この記事の重要ポイントまとめ】

  • 現在の関係:かつての宿敵から、互いを理解し合う親友・戦友のような関係へ変化している。
  • 不仲の理由:同期時代の友情に加え、全女の対立演出や人気格差、本人たちの感情が重なった。
  • 1985年の伝説:8月28日の大阪城ホールでダンプが勝利し、長与がリング上で丸刈りにされた。
  • 2025年の友情:長与が入院中のダンプを見舞い、ダンプが感謝と友情を公に表現した。
  • 2026年の発言:長与は「敵がダンプ松本じゃなきゃダメだった」と過去の抗争を肯定的に振り返った。

【現在の関係】ダンプ松本と長与千種は不仲ではない!2026年の発言が示す本当の絆

ダンプ松本長与千種

まず、最も気になる現在の関係から見ていこう。

2026年10月現在、ダンプ松本と長与千種は、かつてのように敵対しているわけではない。過去の激しい抗争を共有する仲間として交流し、互いの存在を認め合っている。

2026年8月8日、長与千種がデビュー46周年で語った言葉

ダンプ松本長与千種

大きな注目を集めたのが、2026年8月8日に後楽園ホールで行われた女子プロレス団体Marvelousの大会だ。

この日、長与千種は1980年8月8日のデビューから46周年を迎えた。大会後にリングへ上がった長与は、自身のプロレス人生を振り返り、ライオネス飛鳥とダンプ松本について次のように語った。

「ライオネス飛鳥じゃなきゃダメだった、敵がダンプ松本じゃなきゃダメだったって本気で思ってます」

これは2026年8月8日付のデイリースポーツが報じた発言だ。

長与は全盛期について、飛鳥やダンプとは「めちゃくちゃ仲悪かった」と振り返っている。しかし、その激しい対立があったからこそ、自分たちのプロレスが成立したという認識を示した。

さらに長与は、10周年を迎えたMarvelousの選手たちに対し、ただ仲の良い団体であるだけではなく、選手同士が切磋琢磨する環境が必要だと訴えた。敵味方が存在することで、レスラーとして成長できるという考え方だ。

この発言からは、ダンプとの関係を単なる昔のライバルとしてではなく、自分の人生を形づくった重要な存在として捉えていることが伝わってくる。

2025年6月、長与がダンプを見舞った出来事

ダンプ松本長与千種

2人の現在の関係を示す、もう一つの象徴的な出来事が2025年6月にあった。

東スポWEBの報道によると、ダンプ松本が入院していた際、長与千種がお見舞いに訪れた。ダンプは自身のブログを更新し、長与への感謝をつづった。

記事の見出しでも、ダンプが長与を「あんなに憎んで竹刀で殴り……今は大好きな親友」と表現したことが紹介されている。

かつて試合で竹刀を振り回し、互いを追い詰めていた2人が、今では体調を気遣い、見舞いに訪れる関係になっている。この変化こそ、長い年月を経た2人の絆を象徴している。

2024年には同期3人で笑顔の交流も

2024年9月には、ダンプが自身のSNSで長与千種、ライオネス飛鳥との写真を公開した。

ダンプは、リング外では顔を合わせることも会話することもなかったほど、当時は互いに憎しみ合っていたと振り返ったうえで、「今、思うこと……同期で良かった」と投稿した。

これに長与は「うんうん」、飛鳥は「だな~!!」と反応。昭和55年入団組として歩んだ3人の関係を象徴する交流となった。

つまり、現在の2人は、過去の憎しみをなかったことにするのではなく、それも含めて自分たちの歴史として受け止めているのである。

【検証資料 1】ダンプ松本長与千種の当時の様子・関連報道写真(出典:Yahoo!ニュース)

【因縁の理由】ダンプ松本と長与千種はなぜ宿敵になったのか?同期時代からの関係

現在の親しい関係を理解するには、2人がどのように出会い、なぜ敵対するようになったのかを知る必要がある。

1980年、全日本女子プロレスに同期入門

ダンプ松本の本名は松本香。長与千種とともに1980年に全日本女子プロレスへ入門した同期である。

長与は1980年8月8日、田園コロシアムで大森ゆかりを相手にデビュー。同じ日に松本香もプロレスラーとしてデビューしている。

2人は決して最初から華やかなスター選手だったわけではない。テレビ朝日POSTのダンプ松本インタビューでは、松本自身が長与とともに落ちこぼれと見られていた時期を振り返っている。

ダンプは当時の長与について、自分と同じような立場にいた仲間だったと語っている。巡業や道場で苦労を重ねる中で、互いを理解する関係ができていった。

この時代の2人を知るうえで大切なのは、後年のリング上の敵対関係が、もともとの人間関係とは正反対だったという点だ。

クラッシュ・ギャルズの誕生が関係を変えた

転機となったのは、長与千種とライオネス飛鳥によるクラッシュ・ギャルズの結成だった。

1983年8月27日、2人はクラッシュ・ギャルズとして活動を開始。ビクターエンタテインメントの公式プロフィールでも、1983年結成と紹介されている。

長与と飛鳥は、それまでの女子プロレスとは異なる激しい試合スタイルを打ち出し、若い女性ファンを中心に爆発的な人気を獲得した。

1984年には「炎の聖書(バイブル)」でレコードデビュー。テレビ出演やドラマ出演も増え、プロレスラーでありながらアイドル的な人気を持つ存在になっていく。

一方、松本香はクラッシュ・ギャルズに対抗するヒールとして指名され、1984年にダンプ松本へ改名。クレーン・ユウらとともに極悪同盟を形成した。

ここで、2人の立場は大きく変わった。

  • 長与千種:クラッシュ・ギャルズの中心選手としてファンの支持を集める。
  • ダンプ松本:極悪同盟の中心として徹底的に嫌われる悪役を演じる。

この対照的な役割が、女子プロレス黄金時代を象徴する構図を生み出した。

不仲の真相には団体側の対立演出もあった

ダンプ松本はテレビ朝日POSTのインタビューで、長与や飛鳥との関係が悪化した背景について、全日本女子プロレスの松永高司会長の存在を挙げている。

ダンプによれば、会長は試合前に控室を訪れ、「千種と飛鳥がダンプは大嫌いだって言っていた」といった話を伝えていたという。

しかし、後になって、それらの話は会長による作り話だったと分かったとダンプは振り返っている。クラッシュ側にも同じような話が伝えられていたため、双方の不信感が膨らんでいったという。

ただし、すべてが演技だったわけではない。

ダンプ自身も、当時は長与を本当に嫌いになり、激しい怒りを抱いていたと回想している。長与の人気上昇と自分のヒールとしての立場、そして試合での激しい感情が重なり、リング上の対立は現実の感情にも及んでいた。

ここに、2人の不仲の本質がある。

団体が作った対立の構図に、選手本人のプライドや怒りが加わり、演出と本音の境界が曖昧になっていった。

【関係史年表】極悪同盟とクラッシュ・ギャルズの抗争から現在まで

ダンプ松本と長与千種の関係を時系列で整理すると、単純な敵対関係ではなく、友情、競争、対立、和解という複雑な変化が見えてくる。

時期 出来事 2人の関係・意味
1980年8月8日 全日本女子プロレスでデビュー 同期入門の仲間として出発
1983年 クラッシュ・ギャルズ結成 長与が飛鳥とタッグを組み人気を獲得
1984年 ダンプ松本へ改名、極悪同盟結成 クラッシュの対抗勢力として本格的に敵対
1985年8月28日 大阪城ホールで敗者髪切りデスマッチ ダンプが勝利し長与が丸刈りに
1986年11月7日 大阪城ホールで髪切りマッチ再戦 長与が勝利しダンプが丸刈りに
2024年9月 同期3人の交流が話題に ダンプが「同期で良かった」と投稿
2025年6月 長与が入院中のダンプを見舞う ダンプが感謝と親友としての思いを表現
2026年8月8日 長与がデビュー46周年を迎える ダンプをかけがえのない敵役だったと評価

この年表で注目したいのは、1985年の敗者髪切りマッチだけで2人の関係を判断できないことだ。

1986年には再戦が行われ、今度は長与が勝利してダンプが丸刈りになっている。最初の試合だけを見ればダンプが圧倒的に勝った印象が残るが、実際にはその後、立場が逆転する試合も実現していた。

また、2024年から2026年にかけては、かつての抗争を懐かしむだけでなく、互いの存在を肯定する発言や交流が続いている。

【検証資料 2】ダンプ松本長与千種の活動歴およびメディア掲載記録(出典:クランクイン!)

【1985年8月28日】大阪城ホールの髪切りデスマッチは何が起きたのか?

ダンプ松本と長与千種の名前を語るうえで、絶対に外せないのが1985年8月28日の大阪城ホール大会だ。

この試合は、敗者がリング上で髪を切られるという過酷な条件が付いた敗者髪切りデスマッチだった。

観衆1万1000人が見守った伝説の試合

ベースボール・マガジン社の週刊プロレス編集部による記録では、当日の観衆は1万1000人。大阪城ホールは満員となり、女子プロレス史に残る大舞台となった。

長与は紋付袴姿で登場。試合では凶器攻撃を受けて大流血しながらも、最後まで抵抗を続けた。

セコンドのジミー加山がタオルを投入したものの、長与はそれを投げ返す。しかし、ダンプの強烈なイス攻撃を受け、10カウントでKO負けとなった。

試合時間は11分4秒。勝者となったダンプによって、長与の髪はリング上で刈られた。

この光景に会場のファンは悲鳴を上げ、涙を流したと伝えられている。テレビ中継にも抗議が殺到するほどの衝撃だった。

なぜ髪切りマッチはこれほどの衝撃を与えたのか

当時のクラッシュ・ギャルズは、単なる人気レスラーではなかった。

歌手活動やテレビ出演を通じて、女子中高生を中心に絶大な支持を集めていた。長与の髪は、スターとしてのイメージを構成する大切な要素でもあった。

その長与が、敗北によって大勢の観客の前で髪を切られる。ファンにとっては、応援していたスターが屈辱を受ける瞬間だった。

一方、ダンプにとっては、極悪同盟のヒールとしての存在感を最大限に示す機会となった。

テレビ朝日POSTのインタビューでは、ダンプは試合後に500~600人ほどのクラッシュ・ギャルズのファンが極悪同盟のバスを取り囲み、車体を揺らしたと回想している。

ダンプ自身が「本当に殺されると思った」と振り返るほど、観客の感情は激しかった。

1986年11月7日には立場が逆転

実は、ダンプと長与の髪切りデスマッチは1985年の一度だけではない。

1986年11月7日、同じ大阪城ホールで再戦が実現した。

この試合では、ダンプが長与に対してフォークや一斗缶などを使った攻撃を仕掛け、長与を追い詰めた。しかし、長与は驚異的な粘りを見せ、最後は逆転勝利を収めた。

結果はダンプの敗北。今度はダンプ自身がリング上で髪を刈られることになった。

週刊プロレス編集部の記事によると、ダンプは堂々と髪切りの儀式に臨み、長与との因縁に新たな決着をつけた。

この再戦は、1985年の一方的な勝敗だけでは語れない、2人の競争関係を象徴する出来事だ。

【極悪女王の実話と史実の違い】ダンプ松本と長与千種は本当に憎しみ合っていた?

2024年9月にNetflixで配信されたドラマ『極悪女王』は、ダンプ松本を中心に、1980年代の女子プロレス界を描いた作品だ。

ダンプ松本役をゆりやんレトリィバァ、長与千種役を唐田えりか、ライオネス飛鳥役を剛力彩芽が演じた。

作品では、松本香と長与千種の同期時代から、クラッシュ・ギャルズと極悪同盟の抗争、そして1985年の髪切りマッチまでが描かれている。

実際にあった出来事とドラマの演出

『極悪女王』は実話を基にしたフィクションであり、ドキュメンタリーではない。

実際にあった出来事として確認できるのは、以下のような歴史的事実だ。

  • ダンプ松本と長与千種が1980年にデビューしたこと。
  • 1983年に長与とライオネス飛鳥がクラッシュ・ギャルズを結成したこと。
  • 1984年にダンプ松本が極悪同盟の中心選手となったこと。
  • 1985年8月28日に大阪城ホールで敗者髪切りマッチが行われたこと。
  • 長与が敗れてリング上で髪を切られたこと。

一方、ドラマでは複数の出来事や人物の感情を物語として見せるため、時間の整理や場面の再構成が行われている。

特に重要なのは、実際には1986年11月7日に行われた髪切りマッチの再戦で、長与がダンプに勝利し、今度はダンプが丸刈りになったという事実だ。この再戦はドラマの中心的なクライマックスには含まれていない。

長与千種本人も制作に参加していた

長与は『極悪女王』にプロレススーパーバイザーとして参加した。

2025年11月に公開されたスポーツコミュニケーションズのインタビューでは、俳優たちにプロレスの基本を指導し、当時を知る立場から作品の監修にも携わったことを明かしている。

俳優たちはMarvelousの道場でトレーニングを行い、体重を増やし、受け身や実際のレスラーが使用していた技を習得したという。

長与は完成した作品について、衣装や昭和の時代背景などがよく再現されていたと評価している。一方で、過去を振り返ることで複雑な心境にもなったと語った。

ドラマが伝えたものは単なる不仲ではない

作品の価値は、ダンプと長与が憎み合ったという表面的な部分だけにあるわけではない。

同期として苦労した2人が、それぞれ異なる立場でスターになり、女子プロレスを盛り上げるために激しい抗争を繰り広げた。その背景には、選手個人の感情だけでなく、当時の興行やテレビ放送の仕組みもあった。

長与本人が制作に参加し、過去の試合を再現するために協力したことも、作品を理解するうえで重要なポイントだ。

【検証資料 3】ダンプ松本長与千種に関する近況・インタビュー報道記録(出典:Yahoo!ニュース)

【2026年の現在】ダンプ松本と長与千種の活動・評判・共演エピソード

2026年現在、2人はそれぞれ異なる立場から女子プロレスに関わっている。

長与千種はMarvelousの代表として後進を育成

長与千種は女子プロレス団体Marvelousを率いる代表であり、プロデューサーとして興行の運営や選手の育成に携わっている。

2026年8月8日のデビュー46周年大会では、団体の10周年を迎えた節目に日本武道館進出への目標を改めて掲げた。

後楽園ホール大会の動員については、会場が8割程度埋まったことに手応えを感じながらも、満員ではないことに妥協したくないと語っている。さらに、12月20日の後楽園ホール大会での満員を目指し、その先に日本武道館を見据える考えを示した。

長与にとって、現在の活動は自身がスターとして活躍することだけではない。次の世代の女子プロレスラーを育て、団体を発展させることも大きな役割となっている。

ダンプ松本は2026年も現役復帰への意欲を示す

ダンプ松本も、長年にわたって女子プロレスラーとして活動を続けている。

ただし、2026年初頭には膝の手術という大きな出来事があった。

テレビ朝日ニュースなどの報道によると、ダンプは2026年1月に膝の手術を受けるため入院。手術後はリハビリに取り組み、本人もリングへの復帰を目標に掲げていた。

2月には手術後の経過やリハビリについて自身のSNSで報告し、リングに戻るために努力する姿勢を示した。

2026年10月末時点では、具体的な復帰日程についての新たな確定情報は確認できない。したがって、手術後の復帰状況については、本人の今後の発表が注目される。

2025年にはダンプ・長与・ブル中野の3人でトークショー

2人の交流を示すエピソードとして、2025年1月のトークショーも挙げられる。

日刊スポーツによると、ダンプ松本は長与千種、ブル中野との3人でトークショーを開催したことを自身のSNSで報告した。

ダンプは「ピーだらけ(笑)」と振り返り、年末にも3人でトークショーを開催したいと話したという。

極悪同盟のダンプとブル中野、そしてクラッシュ・ギャルズの長与。かつてはリング上で激しくぶつかり合った選手たちが、今では笑顔で同じステージに立っている。

現在の評判は「伝説のライバル」であり「本物の戦友」

現在のダンプ松本と長与千種に対する評価を考えるうえで、重要なのは、どちらか一方を単なる勝者や敗者として扱わないことだ。

ダンプは日本中から嫌われるヒールとして、自分の役割を徹底した。その存在があったからこそ、クラッシュ・ギャルズの正義の側としての魅力も際立った。

一方、長与はスターとして人気を集めながら、凶器攻撃や流血を伴う過酷な抗争を受け止め、女子プロレスの試合に新たな可能性を示した。

2024年の『極悪女王』配信後には、当時を知らない世代にも2人の関係が広く知られるようになった。さらに、2025年の見舞いやトークショー、2026年の長与の46周年発言が、過去の抗争を現在の友情へとつなげている。

ファンの反応にも、単なる懐古だけではなく、2人が今も交流していることへの喜びや、当時の女子プロレスを再評価する声が見られる。

現在の評判を一言で表すなら、女子プロレス黄金時代を作り上げた、代わりのいないライバルであり戦友という評価がふさわしい。

【ダンプ松本と長与千種の関係】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:ダンプ松本と長与千種は現在、仲良しですか?
A1:はい。2025年には長与が入院中のダンプを見舞い、ダンプも長与への感謝と友情を表現しています。2026年8月には長与も、ダンプが自分にとって必要な敵役だったと振り返っています。

Q2:ダンプ松本と長与千種が不仲になった本当の理由は何ですか?
A2:同期時代は仲間でしたが、クラッシュ・ギャルズと極悪同盟の対立が本格化し、団体側から互いの悪口を伝えられたことも不信感を強めたとダンプは回想しています。人気や立場の違い、本人たちのプライドも重なり、実際の憎しみにまで発展しました。

Q3:1985年8月28日の髪切りデスマッチはどちらが勝ちましたか?
A3:ダンプ松本が11分4秒でKO勝ちしました。敗れた長与千種は大阪城ホールのリング上で髪を刈られました。翌1986年11月7日の再戦では長与が勝利し、今度はダンプが丸刈りになっています。

Q4:Netflixの『極悪女王』はすべて実話ですか?
A4:実在の選手や試合、当時の女子プロレスブームを基にしたフィクションです。実際の出来事を再現した部分がある一方、ドラマとしての脚色や時間の再構成もあります。長与千種本人もプロレススーパーバイザーとして制作に参加しています。

Q5:長与千種は2026年現在、何をしていますか?
A5:女子プロレス団体Marvelousの代表として、興行の運営や選手の育成に取り組んでいます。2026年8月8日にはデビュー46周年を迎え、日本武道館進出を目標に掲げました。

Q6:ダンプ松本は2026年現在も現役ですか?
A6:現役レスラーとして活動を続けており、2026年1月には膝の手術を受けたことを公表しました。術後はリハビリとリング復帰への意欲を示しています。

まとめ:ダンプ松本と長与千種は宿敵から親友へ、女子プロレス史を作った2人

ダンプ松本と長与千種の関係は、1980年の同期デビューから始まり、1980年代の女子プロレス黄金時代を経て、大きく変化してきた。

かつては同じ立場で苦労を重ねた仲間だった2人。しかし、長与とライオネス飛鳥によるクラッシュ・ギャルズの結成、ダンプを中心とする極悪同盟の台頭によって、互いに対立する存在になった。

1985年8月28日の大阪城ホールで行われた敗者髪切りデスマッチは、その因縁を象徴する歴史的な試合だった。さらに翌1986年の再戦では勝敗が逆転し、2人の競争は新たな伝説を残した。

しかし、2025年の見舞いや交流、そして2026年8月の長与の発言が示すように、現在の2人は互いの存在を認め合っている。

【プロの結論】本当の因縁は、敵対した時間ではなく互いに必要とした関係にある

ダンプ松本と長与千種の歴史から読み取れるのは、優れたライバル関係には、単なる勝ち負けを超えた価値があるということだ。

長与がスターとして輝くためには、観客の感情を揺さぶる強烈な敵役が必要だった。そしてダンプが史上屈指のヒールとして名を残すためには、立ち向かうにふさわしい存在である長与が必要だった。

両者の関係は、女子プロレスという興行の中で生まれた対立でありながら、選手本人たちの人生にも深く刻まれた。

だからこそ、2026年に長与が語った「敵がダンプ松本じゃなきゃダメだった」という言葉には重みがある。

かつての憎しみを否定せず、むしろ自分の人生に必要だった経験として認める。その姿勢こそ、2人が長い年月を経てたどり着いた関係の答えなのだ。

ダンプ松本と長与千種は、単なる元ライバルではない。女子プロレスの歴史をともに作り上げ、現在も互いの存在を大切にする、かけがえのない戦友なのである。