ベトナム女児殺害事件から9年、裁判と遺族の現在・賠償問題を追う【2026年最新】
ベトナム女児殺害事件とは、2017年3月、千葉県松戸市で小学3年生だったベトナム国籍のレェ・ティ・ニャット・リンさん(当時9歳)が登校途中に行方不明となり、2日後に隣接する我孫子市で遺体となって発見された事件です。逮捕されたのは、リンさんが通っていた小学校の元保護者会長、渋谷恭正受刑者でした。地域の子どもたちを見守る立場にあった人物が逮捕されたことで、日本社会に大きな衝撃を与えました。
事件から9年となった2026年、リンさんの父親レェ・アイン・ハオさんは、福島県二本松市から遺体発見現場を訪れ、娘が好きだった花を供えました。一方、刑事裁判では2022年5月11日に無期懲役が確定し、民事訴訟でも約7000万円の損害賠償命令が出ていますが、2026年の報道でも賠償金は支払われていないと伝えられています。事件の発生から逮捕、裁判、そして遺族の現在までを時系列で整理します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 事件の概要:2017年3月24日に松戸市で行方不明となり、3月26日に我孫子市で遺体が発見された。
- 裁判の結末:元保護者会長の渋谷恭正受刑者は2022年5月11日に無期懲役が確定した。
- 民事訴訟:遺族には約7000万円の損害賠償を認める判決が出たが、2026年3月の報道でも未払いが続いている。
- 2026年の遺族:父親のハオさん一家は福島県二本松市で生活し、娘の夢を受け継ぐ活動を続けている。
【事件の概要】ベトナム女児殺害事件とは?松戸市で起きた悲劇の全容

被害者は小学3年生のレェ・ティ・ニャット・リンさん

被害者のレェ・ティ・ニャット・リンさんは、ベトナム国籍の小学3年生でした。事件当時9歳で、千葉県松戸市立六実第二小学校に通っていました。
リンさんは日本で生活するなかで学校にもなじみ、将来は日本とベトナムをつなぐ仕事に携わりたいという夢を持っていました。後年の取材では、小学校の文集に「日本とベトナムをつなぐ、架け橋になりたい」という趣旨の夢を記していたことが紹介されています。
しかし、2017年3月24日、学校へ向かう途中で突然姿を消します。
家族が心配して捜索を続けるなか、2日後の3月26日、千葉県我孫子市の排水路脇でリンさんの遺体が発見されました。
遺体発見場所は、リンさんが暮らしていた松戸市とは別の自治体でした。さらに、事件に関係する所持品も別の場所で見つかり、警察は複数の現場を結ぶ捜査を進めました。
逮捕されたのは小学校の元保護者会長だった

捜査の結果、警察が逮捕したのは、リンさんが通っていた小学校で保護者会長を務めていた渋谷恭正容疑者でした。
保護者会長は、学校や地域と保護者をつなぐ立場です。子どもたちの安全を守る活動にも関わっていた人物が、事件の容疑者として浮上したことは、地域住民や保護者に大きな衝撃を与えました。
事件が社会に与えた影響は、単なる殺人事件の枠にとどまりませんでした。学校関係者や地域住民による見守り活動のあり方、子どもと大人の信頼関係、防犯体制の限界など、多くの課題が浮き彫りになりました。
【事件の経緯】2017年3月24日の行方不明から逮捕まで
3月24日:登校途中に行方不明
2017年3月24日、リンさんは千葉県松戸市の自宅を出て小学校へ向かいました。しかし、学校に到着せず、そのまま行方不明となります。
当日は小学校の修了式の日でした。普段どおり登校するはずだった9歳の女の子が突然いなくなり、家族や学校関係者は安否を心配しました。
3月26日:我孫子市で遺体を発見
行方不明から2日後の3月26日、千葉県我孫子市の排水路脇でリンさんの遺体が発見されました。
警察は殺人・死体遺棄事件として捜査を開始。遺体の状況や周辺の遺留物、車両に関する情報などを調べ、事件の全容解明を進めました。
4月14日:渋谷恭正容疑者を逮捕
2017年4月14日、千葉県警は渋谷恭正容疑者を死体遺棄容疑で逮捕しました。
捜査では、遺体に残された付着物などから得られたDNA型鑑定の結果や、車両に関係する証拠などが重要な意味を持ちました。
渋谷容疑者は、リンさんが通っていた小学校の保護者会長を務めていた人物でした。子どもの安全を支える立場にあった人物の逮捕は、地域社会に強い不信感と不安をもたらしました。
5月5日:殺人などの容疑で再逮捕
逮捕後の2017年5月5日、渋谷容疑者は殺人や強制わいせつ致死などの容疑で再逮捕されました。
同月26日には千葉地方検察庁が起訴。刑事裁判では、わいせつ目的略取・誘拐、強制わいせつ致死、殺人、死体遺棄の罪が問われることになります。
なお、事件に関する情報では、4月14日の最初の逮捕と5月5日の再逮捕が混同されることがあります。最初は死体遺棄容疑で逮捕され、その後、殺人などの容疑で再逮捕されたという順序が正確です。
【裁判の時系列】渋谷恭正受刑者の無罪主張から無期懲役確定まで
2018年6月:裁判員裁判が始まる
2018年6月4日、千葉地方裁判所で裁判員裁判の初公判が開かれました。
渋谷被告は起訴内容を否認し、無罪を主張しました。検察側はDNA型鑑定などの証拠を示し、被告が犯人であることを立証する姿勢を示しました。
一方、弁護側は証拠の信用性や捜査の適法性などを争い、犯人性を否定しました。
2018年7月:千葉地裁が無期懲役を言い渡す
2018年7月6日、千葉地方裁判所は渋谷被告に無期懲役を言い渡しました。検察側の求刑は死刑でした。
判決では、DNA型鑑定などの証拠を踏まえて被告が犯人であると認定。被告の説明についても、鑑定結果などと矛盾するとして信用性を否定しました。
ただし、死刑を選択するかどうかについては別の判断が示されました。裁判所は犯行の重大性を認めながらも、殺害について強い計画性があったとは認定できず、場当たり的な側面があったと判断しました。
2021年3月:東京高裁も無期懲役を維持
2021年3月23日、東京高等裁判所は一審判決を支持し、被告側と検察側の双方の控訴を棄却しました。
被告側は無罪を主張し、検察側は死刑が相当だとしていましたが、いずれも認められませんでした。
弁護側は、捜査員が被告のたばこの吸い殻を取得した方法などについても問題を提起しました。しかし、高裁はごみの所有権が放棄されていたことなどを踏まえ、重大な違法があったとは認めませんでした。
検察側は最高裁への上告を断念し、被告側のみが上告しました。
2022年5月11日:最高裁が上告を棄却
2022年5月11日、最高裁判所第一小法廷は被告側の上告を棄却しました。
これによって、渋谷恭正受刑者の無期懲役が確定しました。事件発生から約5年、長期にわたった刑事裁判に区切りがついたことになります。
事件から判決確定までの時系列一覧
| 年月日 | 出来事 | 内容・結果 |
|---|---|---|
| 2017年3月24日 | 行方不明 | 松戸市で登校途中のリンさんが行方不明になる。 |
| 2017年3月26日 | 遺体発見 | 我孫子市の排水路脇で遺体が発見される。 |
| 2017年4月14日 | 容疑者逮捕 | 渋谷恭正容疑者を死体遺棄容疑で逮捕。 |
| 2017年5月5日 | 再逮捕 | 殺人などの容疑で再逮捕。 |
| 2017年5月26日 | 起訴 | 千葉地方検察庁が殺人などの罪で起訴。 |
| 2018年6月4日 | 初公判 | 裁判員裁判が始まり、被告は無罪を主張。 |
| 2018年7月6日 | 一審判決 | 千葉地裁が無期懲役を言い渡す。 |
| 2021年3月23日 | 控訴審判決 | 東京高裁が双方の控訴を棄却し、無期懲役を維持。 |
| 2022年5月11日 | 最高裁決定 | 上告棄却により無期懲役が確定。 |
| 2026年3月26日 | 事件から9年 | 父親のハオさんが我孫子市の遺体発見現場を訪問。 |
この事件では、最初の逮捕日、再逮捕日、刑事裁判の判決日、最高裁の決定日を区別することが重要です。特に無期懲役が確定した日は2022年5月11日であり、2021年の控訴審判決と混同しないよう注意が必要です。
【裁判の真相】なぜ死刑ではなく無期懲役になったのか
検察側は死刑を求刑していた
この事件で、検察側は死刑を求刑しました。
その理由には、被害者がわずか9歳だったこと、犯行の悪質性、遺体の遺棄、被害者遺族の強い処罰感情などがありました。
また、渋谷被告は子どもの安全を見守る立場にありました。その信頼関係を背景とする事件だったことも、社会的に厳しく受け止められました。
裁判所が重視したのは殺害の計画性
それでも千葉地裁と東京高裁が無期懲役を維持した背景には、死刑選択に関する量刑判断があります。
日本の刑事裁判では、死刑を選択する際、被害者数だけでなく、犯行の動機、計画性、殺害態様、遺族の処罰感情、前科、犯行後の事情などを総合的に考慮します。
本件では、裁判所は殺害に至るまでの計画性が十分に立証されていないと判断しました。犯行態様の冷酷さを認めながらも、死刑がやむを得ないとまではいえないという結論に至ったのです。
つまり、無期懲役になったのは、事件が軽いと判断されたからではありません。死刑と無期懲役という異なる刑罰の選択について、過去の判例との公平性も考慮した結果でした。
渋谷受刑者は動機を明らかにしたのか
もう一つ、事件の大きな疑問として残っているのが犯行動機です。
渋谷受刑者は刑事裁判を通じて無罪を主張しました。2026年6月のFRIDAYデジタルによる遺族取材でも、無罪を主張していた受刑者から事件の動機や経緯が語られることはなかったと報じられています。
刑事裁判では、裁判所が証拠に基づいて犯人性や犯罪事実を認定し、無期懲役が確定しています。しかし、裁判で犯罪事実が認定されたことと、本人が犯行の動機を説明することは別の問題です。
そのため、事件の動機について遺族が納得できる説明を得られないまま、年月が過ぎています。
判決が確定しても、被害者遺族が事件のすべてを理解できるとは限らない。この点は、刑事司法が担う役割と遺族が求める真相解明との間に残された課題です。
【民事訴訟と賠償金】約7000万円の支払い命令は実現したのか
2020年1月、遺族が約7000万円を求めて提訴
リンさんの両親は、刑事裁判とは別に、渋谷被告に対する損害賠償請求訴訟を起こしました。
提訴は2020年1月23日付で、東京地方裁判所に対し、死亡慰謝料など約7000万円の支払いを求めたものです。
父親のレェ・アイン・ハオさんは、刑事裁判で被告が無罪を主張していたこともあり、民事裁判を通じて事件の真相に近づきたいという思いを示していました。
2021年9月:東京地裁が約7000万円の賠償を命じる
2021年9月24日、東京地方裁判所は遺族側の請求を認め、渋谷被告に約7000万円の損害賠償を命じました。
判決では、リンさんがわずか9歳で命を奪われたことの重大性が認められました。
さらに2022年4月には、東京高裁でも被告側の控訴が棄却され、賠償を認める判断が維持されました。
これにより、遺族側は民事裁判でも賠償を認められる結果となりました。
2026年現在も賠償金は未払い
しかし、賠償を命じる判決が出たことと、実際にお金が支払われることは同じではありません。
2026年3月26日付の千葉日報などの報道によると、ハオさんは、渋谷受刑者から現在まで謝罪がなく、民事訴訟で認められた賠償金も支払われていないと話しています。
ここには、日本の被害者救済制度が抱える問題があります。
民事裁判で勝訴しても、加害者側が任意に支払わなければ、実際の回収には別の手続きが必要になります。判決は賠償請求権を認めるものですが、支払いそのものを自動的に実現する仕組みではありません。
財産の差し押さえなどの強制執行を検討する場合にも、対象となる財産の把握や法的手続きが必要です。
遺族にとっては、刑事裁判で有罪が確定し、民事裁判で賠償が認められても、現実の救済が十分に実現していないという厳しい状況が続いています。
この事件は、犯罪被害者遺族に対して、司法判断だけでなく、実際に賠償を受け取れる仕組みが必要であることを改めて示しています。
【2026年最新】リンさんの遺族の現在と父親ハオさんの思い
事件から9年、リンさんは生きていれば18歳
2026年3月26日、リンさんの遺体が発見されてから9年が経過しました。
この日、父親のレェ・アイン・ハオさんは、千葉県我孫子市にある遺体発見現場を訪れました。
雨が降るなか、ハオさんはリンさんが好きだったピンク色の花を植え、花や線香を供えて手を合わせました。
リンさんは、生きていれば2026年に18歳を迎える年齢です。4月から大学生になっていたかもしれないという思いを、父親は報道陣に語っています。
「悲しみは変わらない。天国で幸せに過ごしてほしい」
千葉日報の2026年3月26日付報道によると、ハオさんは、リンさんの友人たちが成長して大学へ進学する一方で、娘だけは9歳のまま時間が止まっているという、親としてのつらい思いも明かしました。
事件から9年という年月は、数字の上では長い時間です。しかし、娘を失った家族にとって、時間が経過したからといって悲しみが消えるわけではありません。
2026年6月の報道で明らかになった福島県二本松市での生活
2026年6月15日付のFRIDAYデジタルは、リンさんの遺族を継続取材したドキュメンタリー企画をもとに、家族の現在を紹介しました。
報道によると、ハオさん一家は福島県二本松市の山あいにある岳温泉で生活し、ホテルとベトナム料理店を営んでいます。
ホテルの名称は「RBホテル」です。RBは英語の「リバース(rebirth)」に由来し、日本語では「生まれ変わり」という意味を持ちます。
ハオさんは、娘がもう一度この世界に戻ってきてほしいという思いをホテルの名前に込めたと取材で説明しています。
千葉県内で家族が営んでいたベトナム料理店は、新型コロナ禍の影響で閉店したと報じられました。その後、家族は福島県へ生活の拠点を移しています。
同報道では、岳温泉のホテルに加え、二本松駅前の建物を購入し、ベトナム料理店や宿泊客の送迎拠点として整備を進めていることも紹介されました。
事件後、ベトナムへの帰国という選択肢もあったなかで、家族が日本に残る道を選んだ背景には、リンさんが生前に抱いていた夢がありました。
娘が望んでいた日本とベトナムの架け橋になること
リンさんが生前に抱いていた夢は、日本とベトナムをつなぐ存在になることでした。
2026年のFRIDAYの取材では、ハオさんが、娘の夢を引き継ぎ、日本とベトナムの文化交流が生まれる場所をつくりたいという思いを語っています。
ホテルのレストランでは、ベトナム料理が提供されています。春巻きは、リンさんと母親が家庭で一緒に作っていた思い出の料理でもあります。
ハオさんにとって、料理やホテルの経営は単なる事業ではありません。娘がやりたかったことや見たかった景色を、家族が別の形で実現していく取り組みでもあります。
また、事件後に自ら建てた我孫子市の祠も、家族にとって大切な場所です。2026年3月の命日にも、父親は遠く離れた福島県から現場を訪れ、娘を悼みました。
事件の記憶を抱えながら日本で暮らし続けることは、決して簡単な選択ではありません。それでも、家族はリンさんの夢を未来へつなぐために歩み続けています。
【事件が残した課題】学校の見守り体制と犯罪被害者支援
保護者会長という立場が問いかけた子どもの安全
本事件が社会に突きつけた大きな問題の一つは、学校や地域における見守り活動のあり方です。
地域の見守り活動は、教職員だけでは十分に行き届かない登下校時の安全を補う重要な仕組みです。保護者や地域住民が協力することで、子どもたちを犯罪や事故から守る役割を果たします。
しかし、見守りに関わる人物であるというだけで、その人物の安全性まで保証されるわけではありません。
この事件をきっかけに、地域の見守り活動においては、役職や肩書だけを信頼の根拠にするのではなく、複数の大人による確認や情報共有、活動の透明性を確保する必要性が改めて意識されました。
犯罪被害者遺族にとって判決後も続く問題
もう一つの課題は、刑事裁判が終わった後の遺族支援です。
刑事裁判は、被告人の犯罪事実を認定し、刑罰を決めるための手続きです。一方、民事裁判は、被害者や遺族が受けた損害について賠償責任を判断します。
この二つは目的が異なるため、刑事裁判で有罪が確定しても、賠償金の回収や生活再建まで自動的に解決するわけではありません。
リンさんの事件では、刑事裁判の無期懲役確定と、民事裁判での約7000万円の賠償命令という二つの司法判断が存在します。それでも2026年の報道では賠償金の未払いが続いています。
判決を出すことだけではなく、被害者遺族が実際に救済を受けられるところまで支援することが、犯罪被害者支援における重要な課題です。
【ベトナム女児殺害事件】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:ベトナム女児殺害事件はいつ発生しましたか?
A1:2017年3月24日、千葉県松戸市でレェ・ティ・ニャット・リンさんが登校途中に行方不明となりました。3月26日に千葉県我孫子市の排水路脇で遺体が発見されています。
Q2:犯人の渋谷恭正受刑者はどのような判決を受けましたか?
A2:2018年7月に千葉地裁で無期懲役となり、2021年3月の東京高裁でも判決が維持されました。2022年5月11日に最高裁が上告を棄却し、無期懲役が確定しています。
Q3:なぜ死刑ではなく無期懲役だったのですか?
A3:裁判所は犯行の重大性を認めながらも、殺害の計画性について十分な立証がないと判断しました。死刑を選択することがやむを得ないとまでは認められないとして、無期懲役を維持しました。
Q4:約7000万円の賠償金は支払われましたか?
A4:2021年9月に東京地裁が約7000万円の損害賠償を命じ、2022年4月にも高裁で判断が維持されました。しかし、2026年3月の報道でも賠償金は支払われていないと伝えられています。
Q5:リンさんの父親は2026年現在どこで生活していますか?
A5:2026年の報道によると、父親のレェ・アイン・ハオさん一家は福島県二本松市を生活の拠点としています。岳温泉でRBホテルとベトナム料理店を営み、娘の夢だった日本とベトナムの文化交流につながる活動を続けています。
Q6:事件から9年となった2026年、父親は何をしましたか?
A6:2026年3月26日、ハオさんは我孫子市の遺体発見現場を訪れました。リンさんが好きだったピンク色の花を植え、花や線香を供えて娘を追悼しました。
まとめ:ベトナム女児殺害事件から9年、残された課題と遺族の歩み
ベトナム女児殺害事件は、2017年3月に千葉県松戸市で発生した、当時9歳のレェ・ティ・ニャット・リンさんが犠牲となった痛ましい事件です。
小学校の元保護者会長だった渋谷恭正受刑者が逮捕され、刑事裁判では一貫した無罪主張が退けられました。2018年の一審、2021年の控訴審を経て、2022年5月11日に無期懲役が確定しています。
また、遺族が求めた約7000万円の損害賠償についても、東京地裁と東京高裁で支払いを認める判断が出ました。しかし、2026年の報道でも賠償金は未払いのままです。
事件から9年となった2026年、父親のハオさんは福島県二本松市で生活を続けながら、リンさんが夢見ていた日本とベトナムの架け橋となる場所づくりに取り組んでいます。娘が好きだった料理や文化を通じて、その夢を受け継ごうとしています。
この事件を振り返るとき、忘れてはならないのは、裁判の判決確定が遺族の苦しみの終わりを意味するわけではないということです。
子どもを守る地域の安全体制、犯罪被害者遺族への継続的な支援、そして損害賠償を実際の救済につなげる仕組み。これらは事件から9年が経過した現在も、社会に残された重要な課題です。
リンさんが生きていれば迎えていた18歳という節目。その失われた未来を思いながら、遺族が続けている歩みと、事件から社会が学ぶべき教訓を忘れてはなりません。