バレーボール男子の深津は誰?深津英臣の2026年代表復帰と兄弟関係を徹底解説
男子バレーボールで「深津選手」と検索すると、中心となる人物は日本代表セッターの深津英臣(ふかつ・ひでおみ)です。1990年6月1日生まれ、愛知県出身。身長181cmのベテランセッターで、2026年10月現在はウルフドッグス名古屋に所属し、男子日本代表でも活躍しています。
深津英臣が注目される理由は、長年にわたる代表経験だけではありません。パナソニックパンサーズで12シーズンを過ごした後、2024-25シーズンからウルフドッグス名古屋に移籍。2025年には日本代表Bチームで復帰を果たし、2026年にはA代表の主力セッターとして大きな役割を担いました。さらに、兄の深津旭弘も東京グレートベアーズでプレーし、次兄の深津貴之は指導者として活動しています。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 人物:2026年の男子日本代表登録メンバーに選ばれている深津英臣。ポジションはセッター、背番号は3。
- 所属:ウルフドッグス名古屋と2026-27シーズンの契約を更新。2025-26シーズンもレギュラーシーズン44試合に出場。
- 兄弟:長男は東京グレートベアーズの深津旭弘、次男はウルフドッグス名古屋のコーチ深津貴之、三男が英臣。
【先に結論】バレーボール男子の「深津」は深津英臣!2026年の日本代表でも活躍

「バレーボール男子深津」という検索で最初に押さえたいのは、深津英臣と深津旭弘という、同じ競技で活躍する兄弟がいることです。
日本代表のセッターとして名前が挙がる深津英臣は、2026年度男子日本代表チームの登録メンバーに正式に選出されています。日本バレーボール協会(JVA)が2026年4月17日に発表した登録メンバーは37人で、その中にウルフドッグス名古屋所属の深津英臣が含まれています。
プロフィールを整理すると、次のとおりです。
- 名前:深津英臣(ふかつ・ひでおみ)
- 生年月日:1990年6月1日
- 年齢:36歳(2026年10月30日現在)
- 出身地:愛知県
- 身長:181cm
- 体重:77kg
- ポジション:セッター
- 所属クラブ:ウルフドッグス名古屋
- 背番号:3
- 出身校:星城高校、東海大学
- ニックネーム:オミ
これらの情報は、ウルフドッグス名古屋の公式選手プロフィールとSVリーグの選手名鑑に掲載されています。
2026年は、単に代表登録されたというだけではありません。バレーボールネーションズリーグ2026でもセッターとして出場し、9月のアジア男子選手権では日本代表のスターティングメンバーを務めました。
9月13日の決勝ではイランを3対0で破り、日本が優勝。2028年ロサンゼルスオリンピックの出場権を獲得した大会で、深津は司令塔としてチームを支えました。
【プロフィール・経歴】深津英臣は星城高校から東海大学、パナソニックへ

星城高校時代に全国優勝を経験

深津英臣の競技人生を語るうえで欠かせないのが、愛知県の星城高校です。
同校ではセッターを務めるとともに主将としてチームをまとめ、インターハイで優勝。J SPORTSの選手紹介によると、この優勝は星城高校にとって初めての全国制覇でした。
セッターは、単純にボールを味方へ上げるだけのポジションではありません。相手ブロックの位置、味方アタッカーの状態、試合の流れを読み、どの選手に攻撃を託すかを判断する役割です。
高校時代から主将とセッターを兼任していた経験は、後の日本代表でのリーダーシップにもつながっています。
東海大学でレギュラーセッターとして成長
星城高校卒業後は東海大学へ進学しました。
東海大学でもセッターとして実績を重ね、全日本インカレ優勝を経験。兄の旭弘に続いてレギュラーセッターとして試合に出場し、大学バレーの舞台で実力を磨きました。
高校、大学を通じて競技環境を愛知県周辺に置きながら、全国レベルの大会で経験を積んできたことが、深津のキャリアの土台になっています。
パナソニックパンサーズで12シーズン活躍
2012-13シーズン、深津はパナソニックパンサーズに入団しました。現在の大阪ブルテオンにつながるクラブです。
2013-14シーズンには正セッターとして出場し、チームのV・プレミアリーグ優勝に貢献。自身も最優秀新人賞を受賞しました。
その後もクラブの中心選手としてプレーを続け、2017-18シーズンには天皇杯、V・プレミアリーグ、黒鷲旗の三冠達成にも貢献しています。
また、入団後は背番号2を着用しました。この番号は、深津が敬愛していたセッター宇佐美大輔が着けていた番号を引き継いだものです。背番号に対する思い入れも、選手としての歩みを知る手掛かりになります。
2017年には日本代表の主将に就任
日本代表では2014年から2021年まで選出され、国際大会を経験しました。2017年には代表主将も務めています。
清水邦広や福澤達哉など、攻撃力の高い選手がそろったパナソニックで、深津はアタッカーの能力を引き出すトスワークを磨きました。
J SPORTSの選手紹介では、練習中から質の高いトスを要求される環境が自身の成長につながったという本人の振り返りも紹介されています。
その後、パナソニックで12シーズンを過ごし、2024年6月に退団が発表されました。2024-25シーズンからはウルフドッグス名古屋に移籍し、新しい環境で競技を続けています。
【2026年現在】ウルフドッグス名古屋所属!SVリーグ2025-26の実績と現在地
2026年10月現在、深津英臣が所属するクラブはウルフドッグス名古屋です。
2024-25シーズンから同クラブでプレーしており、2026年6月17日には2026-27シーズンの契約更新も正式発表されました。本人もクラブを通じて、新シーズンもウルフドッグス名古屋で戦える喜びを伝えています。
背番号3のセッターとして攻撃を組み立てる
ウルフドッグス名古屋での背番号は3。ポジションはセッターです。
セッターの仕事は、攻撃の起点を作ることです。レシーブで返ってきたボールを受け取り、スパイカーが最も打ちやすい位置へトスを供給します。
攻撃のテンポを変えたり、相手ブロックの動きを見ながら攻撃先を選んだりする判断力も求められます。個人の得点数だけでは評価しにくいポジションであり、チーム全体の攻撃力を左右する存在です。
深津の持ち味として評価されているのは、丁寧なトスワークと経験に裏打ちされたゲームメイクです。さらに、勝負どころでチームを鼓舞するリーダーシップも特徴として挙げられています。
SVリーグ2025-26シーズンの出場記録
2025-26シーズンのSVリーグ公式選手記録では、深津はレギュラーシーズン44試合・167セットに出場しています。
これは、シーズンを通してチームの戦力として起用されていたことを示す数字です。セッターの貢献は得点だけでは測れません。試合数や出場セット数に加え、攻撃の組み立てやアタッカーとの連係を見ることで、役割をより正確に理解できます。
また、2024-25シーズンの移籍初年度も、レギュラーシーズンとチャンピオンシップの全試合に出場したとJ SPORTSは紹介しています。
移籍によって出場機会を失うのではなく、新しいクラブでも継続してコートに立ってきたことは、深津の現在地を理解するうえで重要です。
2026-27シーズンも契約を更新
2026年6月17日のウルフドッグス名古屋公式発表では、深津を含む13選手の契約更新が公表されました。
2026-27シーズンも同クラブでプレーすることが確定しており、少なくとも契約面ではチームの継続的な戦力として位置付けられています。
36歳という年齢を迎えた現在も、クラブと日本代表の両方で経験を生かせることが深津の大きな強みです。
【日本代表復帰の経緯】2025年のB代表から2026年のA代表、そしてロス五輪へ
深津英臣の2025年から2026年にかけての歩みは、今回のキャリアで特に注目すべき部分です。
日本代表から離れていた期間を経て、2025年に再び代表登録メンバーへ入り、翌2026年にはA代表の中心的なセッターとして活躍するようになりました。
2025年、4シーズンぶりに代表登録メンバーへ
2025年、深津は2021年以来4シーズンぶりに日本代表登録メンバーに名を連ねました。
ただし、2025年の活動はA代表のネーションズリーグではなく、B代表での親善試合が中心でした。
7月5日と6日に岩手県奥州市で開催された日本B代表対オーストラリアの親善試合では、深津も出場。日本は両日とも勝利し、2連勝を飾っています。
試合後、深津は日本バレーボール協会を通じて次のように振り返りました。
「今回の経験をどう生かしていくかは自分次第なのでさらなる高みを目指して精進していきたい」
このコメントからも、代表復帰を単なる過去の実績の再確認ではなく、自分の実力を見つめ直す機会として受け止めていたことが分かります。
2026年はA代表の主力セッターとして復帰
2026年には状況が大きく変わりました。
日本バレーボール協会が4月17日に発表した2026年度男子日本代表登録メンバー37人に選出され、ネーションズリーグでもセッターとして活動しました。
J SPORTSの選手紹介によると、深津は2026年のネーションズリーグとアジア選手権で全試合にスタメン出場。A代表への復帰は7年ぶりと報じられています。
これは、2025年のB代表での復帰と区別して理解する必要があります。2025年は代表活動への再参加、2026年はA代表で実際に主要大会の先発を担う段階へ進んだという違いがあります。
2026年9月、アジア選手権優勝とロサンゼルス五輪出場権獲得
2026年9月に福岡県で開催されたアジア男子選手権では、日本代表が決勝でイランを3対0で破り、優勝を果たしました。
9月13日の決勝でも、深津はセッターとしてスターティングメンバーに名を連ねています。
この大会の優勝によって、日本は2028年ロサンゼルスオリンピックの出場権を獲得しました。
深津自身にとっても、代表復帰後に主要国際大会の中心選手として結果を残したことは大きな意味を持ちます。
なお、2026年のアジア選手権とアジア競技大会は別の大会です。ロサンゼルス五輪の出場権を獲得したのは、9月13日に優勝したアジア選手権です。
【深津3兄弟の関係】深津旭弘・深津貴之・深津英臣を比較
深津英臣を調べると、必ずといってよいほど登場するのが「深津3兄弟」という言葉です。
実際に深津家は、長男の旭弘、次男の貴之、三男の英臣という3人兄弟で、全員がバレーボールに関わってきました。
J SPORTSの選手紹介によると、3人は愛知県豊田市出身で、小学生の頃から一緒にバレーボールを始めています。兄弟それぞれが選手や指導者として競技に携わっている点が特徴です。
深津3兄弟のプロフィール・所属・役割
| 人物・続柄 | プロフィール | 2026年の所属・役割 | パリ五輪との関係 |
|---|---|---|---|
| 深津旭弘・長男 | 1987年7月23日生まれ、183cm、セッター | 東京グレートベアーズ所属、背番号3 | 2024年パリ五輪の男子日本代表選手 |
| 深津貴之・次男 | 1988年11月9日生まれ、愛知県出身 | ウルフドッグス名古屋のコーチ | 2024年パリ五輪の男子日本代表コーチ |
| 深津英臣・三男 | 1990年6月1日生まれ、181cm、セッター | ウルフドッグス名古屋所属、背番号3 | 選手としてのパリ五輪出場はなし |
この比較で分かるように、旭弘と英臣はともにセッターですが、所属クラブが異なります。一方、貴之は選手ではなく指導者としてウルフドッグス名古屋に所属しています。
兄・深津旭弘は東京グレートベアーズのセッター
長男の深津旭弘は1987年7月23日生まれ。身長183cmのセッターで、東京グレートベアーズに所属しています。
経歴は星城高校、東海大学、JTサンダーズ広島、堺ブレイザーズ、東京グレートベアーズです。英臣と同じ高校・大学を経験しながら、別々のクラブで競技キャリアを積んできました。
東京グレートベアーズは2026年6月22日、旭弘との2026-27シーズンの契約継続を発表しています。背番号は3です。
また、旭弘は2024年パリオリンピックの男子日本代表メンバーに選出されました。兄弟の中で、パリ五輪に選手として出場したのは旭弘です。
次兄・深津貴之はウルフドッグス名古屋のコーチ
次男の深津貴之は1988年11月9日生まれ。現在はウルフドッグス名古屋でコーチを務めています。
日本バレーボール協会の2026年度男子日本代表スタッフにもコーチとして掲載されています。
さらに、2024年パリオリンピックの日本代表スタッフにも名前がありました。つまり、旭弘が選手として、貴之がコーチとしてパリ五輪に関わっていたのです。
兄弟のつながりを調べる際には、選手としての所属とスタッフとしての所属を分けて見る必要があります。
英臣と旭弘はどちらもセッターだが、所属クラブは違う
英臣と旭弘は同じセッターというポジションで、背番号もそれぞれのクラブで3番です。
しかし、同じチームでプレーしているわけではありません。
旭弘は東京グレートベアーズ、英臣はウルフドッグス名古屋。異なるクラブに所属しながら、国内トップリーグで同じポジションを担っています。
また、代表歴にも違いがあります。旭弘は2024年パリ五輪の選手メンバーに選ばれましたが、英臣は選手として選出されていません。その後、英臣は2025年に代表復帰し、2026年にはA代表で主要大会の先発を務めています。
同じ兄弟でも、それぞれ異なる時期に代表で役割を担ってきたことが、深津3兄弟の競技歴の興味深い部分です。
【混同しやすいポイント】パリ五輪の深津は英臣ではなく旭弘
深津英臣と深津旭弘をめぐって、特に間違えやすいのがパリオリンピックへの出場歴です。
日本バレーボール協会の2024年パリオリンピック男子日本代表メンバー一覧には、セッターとして深津旭弘が掲載されています。一方、深津英臣の名前は選手一覧にありません。
また、スタッフ欄には次兄の深津貴之がコーチとして掲載されています。
したがって、パリ五輪については次のように整理できます。
- 深津旭弘:パリ五輪の男子日本代表選手。
- 深津貴之:パリ五輪の男子日本代表コーチ。
- 深津英臣:パリ五輪には選手として出場していない。
「2025年に代表復帰」と「2026年にA代表復帰」は別の話
もう一つの混同ポイントは、日本代表への復帰時期です。
2025年にはB代表の親善試合に参加し、代表のユニフォームを再び着用しました。その後、2026年にはA代表の主要大会で先発セッターを務めています。
この2つを一括りにして「2025年にA代表へ完全復帰した」と理解するのは正確ではありません。
代表登録メンバーに名前があること、大会の最終メンバーに選ばれること、実際に先発出場することは、それぞれ異なる段階です。
2026年の日本代表登録は大会出場の確約ではない
2026年度の日本代表登録メンバーは37人です。この登録はシーズンを通じた代表活動の候補となる枠組みであり、すべての選手が全大会に出場するわけではありません。
深津英臣の場合は、登録にとどまらず、ネーションズリーグやアジア選手権で実際に先発出場したことが重要です。
選手の現在地を調べる際には、JVAの年度別登録メンバーと各大会の出場メンバー・試合記録を照らし合わせると、誤解を防げます。
【バレーボール男子の深津】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:バレーボール男子の深津選手は誰ですか?
A1:代表セッターとして注目されるのは深津英臣です。1990年6月1日生まれ、身長181cmで、ウルフドッグス名古屋に所属しています。
Q2:深津英臣は2026年も日本代表ですか?
A2:はい。2026年度男子日本代表登録メンバーに選出され、ネーションズリーグやアジア選手権でセッターとして出場しました。
Q3:深津英臣はパリオリンピックに出場しましたか?
A3:選手としては出場していません。2024年パリ五輪に出場した深津選手は兄の深津旭弘です。次兄の深津貴之もコーチとして大会に参加しました。
Q4:深津旭弘と深津英臣は兄弟ですか?
A4:はい。深津旭弘が長男、深津英臣が三男です。次男の深津貴之もバレーボールに携わっており、3人兄弟全員が競技に関わっています。
Q5:深津英臣の現在の所属チームと背番号は?
A5:2026-27シーズンもウルフドッグス名古屋に所属し、背番号3でプレーしています。ポジションはセッターです。
Q6:深津英臣は何歳で身長は何cmですか?
A6:1990年6月1日生まれで、2026年10月30日現在36歳です。身長は181cmです。
Q7:深津英臣と深津旭弘は同じチームですか?
A7:違います。英臣はウルフドッグス名古屋、旭弘は東京グレートベアーズに所属しています。両者ともセッターとしてプレーしています。
まとめ:深津英臣の現在地と2028年ロサンゼルス五輪への展望
バレーボール男子の「深津」という検索で中心となる人物は、ウルフドッグス名古屋所属の深津英臣です。
星城高校での全国優勝、東海大学での成長、パナソニックパンサーズでの12シーズン、そして2017年の日本代表主将就任。長年にわたって積み重ねてきた経験が、現在のプレーを支えています。
2024-25シーズンからはウルフドッグス名古屋へ移籍し、2025年にはB代表で復帰。2026年にはA代表の主力セッターとしてネーションズリーグやアジア選手権で活躍し、日本のロサンゼルス五輪出場権獲得にも貢献しました。
また、兄の深津旭弘は東京グレートベアーズのセッター、次兄の深津貴之はウルフドッグス名古屋のコーチです。パリ五輪では旭弘が選手、貴之がコーチとして日本代表に参加しており、英臣とは異なる形で国際舞台を経験しています。
【プロの結論】
深津英臣を評価する際に見るべきなのは、年齢や得点数だけではありません。セッターとしての判断力、アタッカーとの連係、試合を組み立てる能力、そして代表とクラブで培ってきた経験です。
2026年のアジア選手権優勝によって日本は2028年ロサンゼルスオリンピックの出場権を獲得しました。今後は、その大舞台に向けた代表の強化と、ウルフドッグス名古屋でのシーズンを通じたパフォーマンスが注目されます。
深津3兄弟の関係を知るときは、選手としての旭弘、指導者としての貴之、そして現役代表セッターの英臣という、それぞれの役割を区別することが大切です。3人の歩みを整理すれば、男子バレーボール界で深津姓が注目される理由も、より明確になります。
主な確認資料:公益財団法人日本バレーボール協会の2026年度男子日本代表登録情報・大会記録・パリ五輪代表記録、ウルフドッグス名古屋公式選手紹介・契約更新発表、東京グレートベアーズ公式選手情報、SVリーグ公式選手記録、J SPORTS選手名鑑。
主な情報源・照合資料