【なぜ15頭が南極に残された?】第一次南極地域観測隊から第三次観測隊までの経緯
タロとジロの物語を理解するには、1958年2月に起きた南極観測計画の変更を知る必要がある。
日本の南極観測は、1957年から1958年にかけて実施された国際地球観測年の国際協力事業の一環として始まった。1956年に観測船「宗谷」が日本を出発し、翌1957年には第1次南極地域観測隊が昭和基地を開設した。
当時、雪上車だけでは対応できない地形や移動上の問題を補うため、犬ぞりが重要な輸送手段だった。北海道で訓練された樺太犬22頭が南極に渡り、そのうち19頭が越冬に参加した。
1958年2月、第二次越冬計画が断念される
問題が起きたのは、第1次越冬隊と交代する予定だった第2次観測隊が南極に向かったときだった。
砕氷船「宗谷」は厚い海氷に阻まれ、昭和基地への接近が困難になった。悪天候も重なり、米国の砕氷船「バートン・アイランド号」による救援を受けながら撤収する事態となった。
第2次越冬隊の計画は断念され、第1次越冬隊の隊員たちは帰国することになった。
しかし、問題は人間だけではなかった。
基地にいた樺太犬15頭を船まで連れて帰ることもできず、犬たちは昭和基地に残されることになったのである。
国立極地研究所の記録によると、隊員の中には越冬を続けたいと訴える声もあった。犬を残して帰国することは、犬ぞりを担当していた隊員たちにとっても苦渋の決断だった。
ここで整理しておきたいのは、第一次観測隊の越冬が失敗したわけではないという点だ。第1次隊は越冬を成功させている。断念されたのは、翌年の第2次越冬計画だった。
1956年から1961年までの主要な出来事

| 年月 | 出来事 | 犬たちの状況 |
|---|---|---|
| 1956年 | 第1次観測隊が宗谷で日本を出発 | 樺太犬22頭が南極へ |
| 1957年 | 昭和基地開設、第1次越冬 | 19頭が越冬に参加 |
| 1958年2月 | 第2次越冬計画を断念 | 15頭が昭和基地に残される |
| 1959年1月14日 | 第3次観測隊が生存を確認 | タロとジロが発見される |
| 1960年7月 | 第4次越冬中 | ジロが南極で死亡 |
| 1961年5月 | タロが第4次隊とともに帰国 | 北海道大学植物園で暮らす |
| 1968年2月 | 昭和基地付近で犬の遺体を発見 | 第三の生存犬に関する調査につながる |
| 1970年8月11日 | タロが老衰で死亡 | 14歳7か月 |
【15頭のうち7頭死亡・6頭行方不明】タロとジロ以外の犬たちの運命

1959年1月14日、第3次南極地域観測隊が昭和基地に到着したとき、15頭の犬たちの状況は想像以上に厳しいものだった。
確認された結果は次のとおりだ。
1959年1月14日に確認された15頭の内訳15頭
7頭
鎖につながれたまま死亡
6頭
行方不明
2頭
タロとジロが生存
鎖につながれた7頭はどうなった?
7頭は、首輪と鎖につながれた状態で死亡していた。
南極では、風雪によって視界が奪われ、気温も急激に低下する。人間でさえ安全な基地の外に出ることが危険な環境だ。
自由に移動できない犬たちにとって、食料を探すことも、吹雪を避ける場所を見つけることも難しかった。
彼らは雪や氷の中で命を落としていた。
行方不明の6頭はどこへ行ったのか?
残る6頭は、発見時に姿が確認できなかった。
首輪や鎖から逃れ、基地の周辺から移動した可能性が考えられるが、1959年の調査では全頭の所在を突き止められなかった。
この6頭については、後年になって新たな事実が浮かび上がる。
実はタロとジロ以外にも生き延びた犬がいた?
注目されるのが、嘉悦洋氏のノンフィクション『その犬の名を誰も知らない』で紹介された、もう1頭の犬の存在だ。
1968年2月、昭和基地の近くで、かつて置き去りにされた樺太犬の遺体が発見されていた。
この情報は当時広く知られず、第一次越冬隊で犬の世話を担当し、タロとジロとの再会も果たした北村泰一氏が、その事実を知ったのは1982年だったという。
嘉悦氏と北村氏による調査では、その犬は行方不明になっていた6頭のうちのリキだった可能性が高いと推定された。
リキは経験豊富な年長犬であり、タロとジロを助けていたのではないかという仮説も示されている。
つまり、1959年に生存が確認されたのはタロとジロの2頭だが、彼ら以外にも一時的に生き延びた犬がいた可能性があるのだ。
【タロとジロの生存理由】なぜ約1年間も南極で生き延びられたのか?
タロとジロの生存は、南極観測史上でも特に大きな謎として語り継がれている。
基地に残された犬用の餌が、そのまま残っていたことも分かっている。
国立極地研究所の南極・北極科学館が紹介した記録では、犬用の餌だった身欠きニシンには手がつけられていなかった。
では、2頭は何を食べていたのだろうか。
理由1:基地周辺や食料の貯蔵場所を利用した可能性
北村氏の証言を基にした調査では、昭和基地周辺や犬ぞりによる内陸調査の途中に設けられた食料の貯蔵場所が注目されている。
当時、南極観測隊は移動中に必要な食料を一定間隔で保管していた。
さらに、昭和基地近くの氷原に設けられた食料貯蔵場所では、海水が流入して肉類が残された経緯もあったとされる。
こうした食料に犬たちがたどり着き、生存に利用した可能性がある。
理由2:リキという年長犬が助けていた可能性
生存理由を考えるうえで、特に興味深いのがリキの存在だ。
タロとジロは、南極に渡ったときにはまだ幼い犬だった。犬ぞりの訓練でも、経験豊富な成犬と同じように行動できる段階ではなかった。
一方、リキは犬ぞりの経験を積んだ年長犬だった。
嘉悦氏と北村氏の調査を紹介した資料では、リキが2頭を導き、食料を確保できる場所まで連れて行った可能性が考察されている。
犬ぞりでは、先導犬の判断や犬同士の序列が重要だった。極限状態でも、こうした集団行動の性質が生存に関わった可能性は十分に考えられる。
ただし、リキが実際にどのように行動し、どれだけの期間2頭と一緒にいたのかを直接記録した資料があるわけではない。
理由3:樺太犬が持っていた寒冷地への適応力
樺太犬は、北海道や樺太などの寒冷地で使役されてきた犬種だ。
南極観測では、雪上車が使えない場所や雪上車だけでは移動が難しい場所で、犬ぞりが活躍していた。
タロとジロも、南極での活動を想定して訓練されていた。
寒さに適応した体格や被毛、長距離移動を支える体力は、生存を支えた要素の一つだったと考えられる。
ただし、寒さに強いことだけで、約1年間の無人環境を生き抜けた理由のすべてを説明することはできない。
生存理由について分かっていること・仮説の整理
| 論点 | 内容 | 確認状況 |
|---|---|---|
| 基地の犬用餌 | 身欠きニシンが残されていた | 国立極地研究所の紹介記録 |
| 食料貯蔵場所 | 残された肉類などを利用した可能性 | 北村氏らの考察 |
| リキの存在 | 年長犬として2頭を導いた可能性 | 調査に基づく仮説 |
| 樺太犬の特性 | 寒冷地への適応力や体力 | 犬種の特性 |
| ペンギンや魚の捕食 | 生存の食料として語られることがある | 具体的な摂食記録は確定していない |
重要なのは、タロとジロの生存を単なる奇跡として片付けないことだ。
食料を得られる環境、鎖から逃れられたこと、犬同士の行動、寒冷地に適応した身体的特徴。複数の要素が重なった可能性がある。
そして、リキの存在が明らかになったことで、2頭だけの物語として理解されてきた生存劇にも、新たな視点が加わった。
【タロとジロのその後】帰国したタロと南極に残ったジロの生涯
生存確認後、タロとジロはすぐに日本へ帰国したわけではない。
2頭は南極に残り、第3次、第4次の観測隊員たちと生活を続けた。
ジロは1960年7月、南極で病死
ジロは第4次南極地域観測隊の越冬中、1960年7月に南極で亡くなった。
テレビ朝日の報道によると、当時の年齢は4歳6か月だった。
タロとともに生存を確認され、日本中の注目を集めたジロだったが、日本の土を踏むことはなかった。
その後、ジロの剥製は国立科学博物館に収蔵された。
タロは1961年5月に帰国、北海道大学植物園で余生を過ごす
タロは、1961年5月、第4次南極地域観測隊とともに日本へ帰国した。
帰国後は北海道大学植物園で暮らすことになった。
帰国したタロは、昭和天皇・香淳皇后両陛下との対面も果たしている。また、1963年5月には南極観測船「宗谷」の乗組員とも再会した。
そして1970年8月11日、老衰のため亡くなった。
享年は14歳7か月。南極から帰国した後も、北海道で穏やかな余生を送った。
タロとジロの現在は?剥製として残る2頭の姿
2026年現在、タロとジロはともに剥製として保存されている。
| 犬の名前 | 現在の展示先 | 展示場所 |
|---|---|---|
| タロ | 北海道大学植物園 | 博物館本館 |
| ジロ | 国立科学博物館 | 日本館2階北翼 |
タロの剥製については、北海道大学植物園の公式案内でも展示が紹介されている。
ジロについては、国立科学博物館の常設展示データベースに「カラフト犬(ジロ)」として登録され、剥製であることと展示場所が明記されている。
生きたタロとジロに会うことはできないが、2頭が南極で生き抜いた歴史を伝える姿は、現在も日本の博物館に残されている。
【映画『南極物語』と実話の違い】感動の名作はどこまで史実なのか?
タロとジロの物語を全国に広めた作品が、1983年公開の映画『南極物語』だ。
監督は蔵原惟繕。高倉健、渡瀬恒彦、夏目雅子、荻野目慶子らが出演した。
南極観測隊と樺太犬たちの別れ、極限環境で生きる犬たち、そして1年後の再会を描いた作品で、公開当時、大きな社会的反響を呼んだ。
ただし、映画はドキュメンタリーではない。実際の出来事を基にした劇映画であり、史実と異なる部分もある。
違い1:実在の隊員と映画の登場人物は名前が違う
特に重要なのが、映画に登場する隊員の名前だ。
実際に第1次越冬隊で犬ぞりを担当した菊池徹氏は、自身の手記で、映画の登場人物と実在の隊員の関係について説明している。
| 映画の登場人物 | 演じた俳優 | 実在のモデル |
|---|---|---|
| 潮田暁 | 高倉健 | 菊池徹 |
| 越智健二郎 | 渡瀬恒彦 | 北村泰一 |
| 小沢越冬隊長 | 岡田英次 | 西堀栄三郎 |
菊池氏の手記によると、タロやジロをはじめとする犬の名前、昭和基地、宗谷、年月日などは史実に沿っている一方、隊員の名前は映画用に変更されていた。
そのため、映画の人物名をそのまま実在の観測隊員の名前として覚えてしまうと、歴史上の事実と混同することになる。
違い2:南極で撮影された映画ではない
映画の舞台は南極だが、実際の撮影はカナダの北極圏で行われた。
南極で大規模な映画撮影を行うことは、輸送や宿泊、機材の設置、安全確保などの面で非常に難しい。
実際の南極観測を経験した菊池徹氏も、映画制作に協力し、カナダ北極圏でのロケ地選定や犬ぞりの技術指導などに関わった。
つまり、画面に映る雪原や基地の風景は、南極の実景をそのまま撮影したものではなく、北極圏で再現された映像なのである。
違い3:犬が魚を食べる場面にも映画独自の演出がある
興味深いのが、犬たちが魚を食べるシーンだ。
菊池氏の手記によると、映画の撮影では犬が魚を食べる場面を撮影するため、カナダで魚を購入して用意したという。
しかし、菊池氏自身は、南極の現地で犬に魚を与えたことはなく、氷の割れ目から魚が飛び出してくるような状況でもなかったと記している。
撮影では犬が魚をなかなか食べず、演出上の工夫を重ねて撮影したエピソードも紹介されている。
この証言は、映画で描かれた犬たちの食生活と、実際の南極での生活を区別するうえで重要だ。
違い4:第三の犬リキの存在は映画に描かれていない
映画の中心となるのは、15頭の犬のうち生きていたタロとジロの物語だ。
しかし、1968年に発見された犬の遺体や、その後のリキに関する調査は、1983年の映画公開時には広く知られていなかった。
そのため、映画で描かれる物語と、2020年刊行の『その犬の名を誰も知らない』によって紹介された新たな調査成果には違いがある。
映画の感動を否定する必要はない。ただし、作品を通じて史実を知る場合には、実際の観測記録や関係者の証言も合わせて見ることが大切だ。
【2026年現在】タロとジロに関係する展示施設はどこ?
タロとジロの歴史を実際に感じたい人にとって、注目したい施設は3か所ある。
1. 北海道大学植物園:タロの剥製
北海道札幌市にある北海道大学植物園では、博物館本館でタロの剥製を見ることができる。
植物園の公式案内でも、南極観測で活躍した樺太犬タロの剥製が展示物として紹介されている。
タロが日本に帰国してから最期まで暮らした北海道で、その姿を見られることにも特別な意味がある。
2. 国立科学博物館:ジロの剥製
東京都台東区上野公園にある国立科学博物館では、ジロの剥製が展示されている。
展示場所は日本館2階北翼の「日本人と自然」。
国立科学博物館の常設展示データベースにも登録されており、ジロが南極で亡くなった後も、その姿が標本として保存されていることが分かる。
3. 国立極地研究所 南極・北極科学館:樺太犬のブロンズ像
東京都立川市にある国立極地研究所の南極・北極科学館では、初期の南極観測で活躍した樺太犬のブロンズ像を見ることができる。
この像は、もともと東京タワーの入口に設置されていたもので、2013年に日本動物愛護協会から国立極地研究所に寄贈された。
同館では、昭和基地のジオラマや犬ぞり、防寒着など、南極観測の歴史に関係する展示も見られる。
2026年時点の公式案内によると、開館時間は10時から17時まで、最終入館は16時30分。入館料は無料で、日曜日・月曜日・祝日・第3火曜日などが休館日となっている。
1月14日は「愛と希望と勇気の日」
タロとジロの生存が確認された1月14日は、「タロとジロの日」と呼ばれるほか、「愛と希望と勇気の日」としても知られている。
この呼び名には、極寒の南極で生き延びた2頭の姿を通して、命の尊さや生きる希望を伝えたいという意味が込められている。
国立国会図書館のレファレンス協同データベースでも、1月14日とこの記念日の由来が紹介されている。
毎年この日になると、南極観測の歴史やタロとジロの物語が改めて取り上げられる。
【よくある質問】タロとジロに関する疑問(FAQ)
Q1:タロとジロは何年何月何日に発見された?
A1:1959年1月14日。第3次南極地域観測隊が昭和基地で2頭の生存を確認した。毎年1月14日は「タロとジロの日」「愛と希望と勇気の日」とも呼ばれている。
Q2:タロとジロは何を食べて生き延びた?
A2:具体的な食料は確定していない。基地に残された犬用の身欠きニシンは食べられていなかった。食料貯蔵場所に残された肉類などを利用した可能性や、年長犬リキが2頭を導いたという仮説が紹介されている。
Q3:置き去りにされた15頭のうち何頭が死亡した?
A3:1959年の調査では、7頭が鎖につながれたまま死亡し、6頭が行方不明、2頭が生存していた。さらに1968年には別の樺太犬の遺体が発見され、行方不明だったリキの可能性が指摘されている。
Q4:タロとジロは現在どこで見られる?
A4:タロは北海道大学植物園、ジロは国立科学博物館に剥製として展示されている。また、国立極地研究所の南極・北極科学館では樺太犬のブロンズ像を見学できる。
Q5:映画『南極物語』は完全な実話?
A5:実際の南極観測とタロ・ジロの生存確認を基にした映画だが、登場人物の名前や演出には脚色がある。また、撮影は南極ではなくカナダ北極圏で行われた。
まとめ:タロとジロの奇跡が伝える南極観測の歴史
タロとジロが南極で生き延びた理由には、現在も解明しきれていない部分が残っている。
1958年2月、第二次越冬計画の断念によって昭和基地に残された15頭。そのうち7頭は鎖につながれたまま命を落とし、6頭は行方不明となった。
そして1959年1月14日、第3次南極地域観測隊によってタロとジロの生存が確認された。
その後、ジロは1960年に南極で亡くなり、タロは1961年に帰国。北海道大学植物園で暮らし、1970年に14歳7か月で生涯を終えた。
さらに、1968年に発見された第三の犬の遺体とリキの存在をめぐる調査は、これまでの物語に新しい視点を加えた。
【プロの結論】タロとジロの物語から読み取るべき3つのこと
1. 生存の背景を考えること。 2頭の生命力だけでなく、食料の確保や犬同士の協力、経験豊富な犬の存在にも目を向けたい。
2. 15頭すべての命を記憶すること。 感動的な再会の陰には、亡くなった犬たちと行方不明になった犬たちの歴史がある。
3. 映画と史実を区別すること。 『南極物語』は名作であると同時に、実際の観測隊員の記録や後年の調査と照らし合わせることで、さらに深く理解できる。
2026年現在、南極観測は国立極地研究所を中心に継続されており、昭和基地も科学研究の重要な拠点として機能している。かつて犬ぞりが担っていた輸送の役割は、時代とともに変化した。
1月14日にタロとジロの名前を思い出すとき、2頭だけでなく、南極に残された15頭すべての犬たちにも思いを向けたい。タロとジロの物語が今も人々の心を動かすのは、単なる奇跡の再会ではなく、極限の環境で生きようとした命の記録だからだ。