渋谷川の源流は新宿御苑のどこ?下の池と玉川上水・清正井、暗渠の歴史を2026年最新解説

目次

渋谷川の源流はどこにあるのか。答えは、東京都新宿区の新宿御苑にある「下の池」だ。池の東側から水が流れ出す場所には、現在も小さな水の流れが残っている。高層ビルが並ぶ渋谷の街を流れる川が、実は緑豊かな庭園の池から始まっているという事実は、東京の地形と水の歴史を知るうえで興味深い。

ただし、現在の渋谷川の水源を新宿御苑だけで説明することはできない。江戸時代には玉川上水の余水吐から流れ込む水が重要な役割を果たし、明治神宮の「清正の井」からも湧水が流れ込んでいた。さらに、宇田川や穏田川、河骨川などの支流が複雑な水系を形成していた。2026年現在、東京都の河川整備方針にも新たな動きがあり、渋谷川の歴史と現状を理解するための重要な節目を迎えている。

📌 【この記事の重要ポイントまとめ】

  • 源流の場所:新宿御苑の東側に位置する「下の池」が、現在も水の流れを確認できる渋谷川の源流として知られている。
  • 水源の歴史:玉川上水の余水吐、新宿御苑の湧水、明治神宮の清正井など、複数の水源が渋谷川を支えてきた。
  • 暗渠化の理由:治水対策、下水道整備、都市開発、1964年東京オリンピックに向けた都市基盤整備が大きく影響した。
  • 現在の流れ:御苑から流れ出た水は短い区間で暗渠に入り、稲荷橋付近から下流の開渠とは水の供給経路が異なる。
  • 2026年最新情報:東京都は2026年3月に河川整備基本方針を変更し、夏には河川整備計画の変更原案に関する意見募集を実施した。

【源流の場所を特定】渋谷川は新宿御苑の「下の池」から始まる

渋谷川源流

渋谷川源流の場所を探すなら、まず訪れたいのが新宿御苑だ。

新宿御苑は東京都新宿区内藤町にある国民公園で、日本庭園や風景式庭園、整形式庭園などを楽しめる都心の大規模な緑地である。その園内にある複数の池のうち、渋谷川の源流として案内されているのが「下の池」だ。

下の池のどこから水が流れ出しているのか

目印になるのは、下の池の東側にある水の出口だ。池の端に設けられた小さな堰のような場所から水が流れ出し、園内の樹木に囲まれた水路を進んでいく。

水路の始まりには擬木橋が架かっている。池の水面から水路へと流れが移る様子を観察でき、都心の公園の中に小さな川の始点が残っていることを実感できる場所だ。

渋谷区が過去に公開した「渋谷川って、どんな川だったの?」という展示資料でも、新宿御苑の下の池から流れ出る水が渋谷川の源流として紹介されている。

ただし、ここで押さえておきたいのは、源流からの水がそのまま渋谷駅まで地上を流れているわけではないという点だ。

下の池から流れ出した水は、御苑内では短いながらも目で追える水路を形成する。しかし、御苑の外へ出る付近で暗渠に入り、地上から姿を消す。水の流れを実際に確認できるのは、源流からごく限られた区間なのである。

新宿御苑の下の池が源流として重要な理由

渋谷川は、武蔵野台地の東端に形成された谷を流れる都市河川だ。新宿御苑周辺は、その上流域にあたる。

東京都建設局の河川資料によれば、渋谷川・古川の流域には新宿御苑や明治神宮などの大規模な緑地が存在する。こうした緑地は、都市化が進んだ東京に残された水循環の重要な環境でもある。

つまり、下の池は単に歴史的な川の跡を示す場所ではない。現在も水が動いている、渋谷川の水の歴史を目で確かめられる場所なのだ。

【水源の真相】玉川上水の余水吐と明治神宮「清正の井」はどう関係する?

渋谷川の水源を調べると、必ず登場するのが玉川上水の余水吐と明治神宮の清正井である。

この2つは、新宿御苑の下の池と同じ場所にあるわけではない。それぞれ異なる水の供給経路を持ち、歴史的な渋谷川の水量を支えてきた。

玉川上水の余水吐とは何だったのか

玉川上水は、江戸市中に飲料水を供給するために整備された水路である。承応2年(1653年)に工事が始まり、翌1654年に完成したとされる。

多摩川の羽村取水堰から四谷大木戸まで約43kmを自然流下で導水する大規模な水道施設だった。

四谷大木戸には、水質や水量を管理する水番所が設けられていた。ここで水量を調整し、市中への配水に必要のない水を吐口と呼ばれる水門から南側へ排出していた。

東京都水道歴史館のデジタルアーカイブには、四谷大木戸の水番所と渋谷川方面への吐水門に関する写真資料が残されている。これは、玉川上水と渋谷川が歴史的に水路で結ばれていたことを示す重要な記録だ。

新宿御苑の庭園にも玉川上水の余水が使われていた

環境省の新宿御苑の歴史資料によると、1772年(安永元年)、内藤家の下屋敷に玉川上水の余水を利用した庭園が造られ、「玉川園」と名付けられた。

その庭園は、現在の新宿御苑に受け継がれている。玉藻池もその歴史を伝える場所の一つだ。

玉川上水の余水吐から流れ出た水は、新宿御苑の東縁を通り、玉藻池や上の池、中の池、下の池などの水路と関係しながら、渋谷川方面へ流れていたとされる。

2019年にまとめられた玉川上水・分水網関連遺構の調査報告書でも、四谷大木戸の余水吐から流れた水が新宿御苑の池を経由し、渋谷川へ合流する経路が記録されている。

玉川上水の水はいつまで渋谷川に流れていたのか

ここには、少し複雑な歴史がある。

東京都建設局の河川整備計画では、明治31年(1898年)の淀橋浄水場完成に伴い、江戸時代から続いていた玉川上水の落とし水がなくなったと整理されている。

一方、玉川上水・分水網関連遺構の調査報告書では、近代水道への転換後も淀橋浄水場からの余剰水が四谷大木戸まで導水され、渋谷川などに流されていたと記録されている。その流れは、昭和40年(1965年)の淀橋浄水場廃止に伴って途絶えたとされる。

つまり、江戸時代の落とし水と近代水道期の余剰水は、同じ水路の歴史に属していても、供給の仕組みが変化していた。1898年を境に、渋谷川へ向かう水がすべて一斉に消えたと理解するのは正確ではない。

明治神宮の清正井も渋谷川の水源の一つ

もう一つの重要な水源が、明治神宮御苑内にある「清正井(きよまさのいど)」だ。

加藤清正が掘ったと伝えられるこの井戸は、都内でも知られた湧水地点である。

明治神宮の公式案内によると、清正井の湧水量は毎分平均約60リットル。水温は四季を通じて約15度で、湧水は一年中絶えることがないという。

この水は菖蒲田を通り、御苑内の南池(なんち)へ流れ込む。その後、南参道の神橋の下をくぐり、渋谷川へ注ぐ。

ここで重要なのは、清正井が新宿御苑の下の池とは別の場所にあることだ。下の池から流れ出す水と、清正井を水源とする南池の水は、それぞれ異なる経路を持ちながら、渋谷川の水系を構成している。

渋谷川の源流を一か所だけで説明できない理由は、こうした複数の水源と支流が存在していたためである。

【関係図・歴史年表】渋谷川と支流のつながりを一覧で整理

渋谷川の歴史を理解するには、本川と支流、さらに水を供給していた水路を区別する必要がある。

東京都建設局の2026年版河川整備基本方針や、渋谷区の河川資料をもとに、水の流れと現在の姿を整理した。

名称・場所 歴史的な関係 2026年現在の状況
新宿御苑・下の池 渋谷川の源流として知られる 池から流れ出す水路を確認できる
玉川上水・余水吐 四谷大木戸から余水を渋谷川方面へ供給 歴史的な水路。かつての導水は終了
明治神宮・清正井 南池を経由して渋谷川に注ぐ湧水 毎分約60リットルの湧水が続く
宇田川 渋谷付近で渋谷川と合流する支流 暗渠化され、下水道幹線として利用
河骨川 宇田川の支流。「春の小川」のモデルとされる 暗渠化。旧河道の痕跡が残る
穏田川(隠田川) 原宿方面の旧河川。渋谷川水系の一部 暗渠化。旧渋谷川遊歩道などに面影が残る
笄川 天現寺橋付近で渋谷川と合流し古川につながる 暗渠化され、下水道幹線となった
渋谷川・古川 天現寺橋を境に名称が変わる本川 稲荷橋付近から開渠となり、東京湾へ流れる

宇田川と河骨川はどのようにつながっていたのか

宇田川は、渋谷川の水系を構成する代表的な支流の一つだ。現在の渋谷区神山町や代々木公園周辺の谷筋を流れていた。

その宇田川の支流として知られるのが河骨川(こうほねがわ)である。

河骨川は、小田急線の代々木八幡駅付近を流れていた小川で、童謡「春の小川」のモデルになったとされる。

東京都建設局の資料でも、大正元年(1912年)に発表された「春の小川」は、渋谷川の支流だった河骨川を歌ったものと紹介されている。

当時の河骨川周辺には田畑や水車があり、現在の渋谷からは想像しにくい農村の風景が広がっていた。

穏田川はキャットストリート周辺の歴史と関係する

原宿から表参道方面にかけての水の歴史を語るうえで欠かせないのが穏田川だ。隠田川とも表記され、かつては渋谷川水系の水路として利用されていた。

現在のキャットストリート周辺には、かつての河道に沿った曲線的な道が残されている。

渋谷区の公式案内でも、明治通りの宮下公園付近から表参道方面へ延びる「旧渋谷川遊歩道」は、渋谷川の暗渠として紹介されている。

現在のおしゃれな店舗が並ぶ通りの下に、かつての水路が隠れているというわけだ。

天現寺橋から下流は古川と呼ばれる

渋谷川は、渋谷区と港区の境界にある天現寺橋付近で名称が変わる。

天現寺橋より上流が渋谷川、下流が古川だ。古川は港区内を東へ流れ、浜松町付近から東京湾へ注いでいる。

東京都の最新の河川資料では、渋谷川と古川を合わせた河川延長は約6.8kmとされている。

古い資料には約7.0kmという数字もあるが、資料の年代や河川区間の設定を確認して比較する必要がある。

【暗渠化の理由】なぜ渋谷川と支流は地上から姿を消したのか

かつて水車が回り、農業用水として利用されていた渋谷川が、なぜ現在のような都市河川に変わったのか。

その背景には、東京の急速な都市化と、治水・下水道整備という大きな課題があった。

第一の理由は水害対策と宅地化

渋谷川の流域は、武蔵野台地の谷筋に沿って形成されている。周囲には台地と低地が入り組み、雨水が谷底へ集まりやすい地形的特徴がある。

都市化が進むにつれて住宅や工場が増え、河川周辺の土地利用も大きく変化した。

戦前から水害対策や宅地化、下水道整備を目的として、小規模な河川の埋め立てや暗渠化が進められていた。

水路を地上に残すよりも、地下に収容して道路や住宅地として利用する方が、都市整備を進めやすかったのである。

第二の理由は生活排水と工場排水による水質悪化

明治中期以降、渋谷川や古川の周辺には工場、商店、住宅が次々と進出した。

昭和20年代以降には、機械金属工場などが川沿いに集まり、渋谷川周辺は工業地帯としても発展していく。

一方で、川は生活排水や工場排水の流入によって汚れていった。人々が川に背を向け、排水路として利用する状況が続いたことも、河川環境の悪化につながった。

東京都建設局の河川整備資料も、都市化による水質悪化や水量減少を、現在の河川環境に影響を与えた要因として挙げている。

第三の理由は東京オリンピックと都市基盤整備

暗渠化が大きく進んだのは、昭和30年代から40年代にかけてだ。

1964年の東京オリンピックに向けて、東京では道路、高速道路、住宅、下水道などの社会基盤整備が進められた。

渋谷川の上流部や支流も、その都市整備の流れの中で地下へ移されていった。

渋谷区の展示資料によると、宮益橋より上流を暗渠化して下水道幹線として利用する方針が決まり、上流部の暗渠化工事が進行した。昭和30年代末までには、稲荷橋以北と支流のほとんどが地上から姿を消していた。

東京都の2026年版河川整備基本方針でも、稲荷橋より上流の暗渠化は昭和36年(1961年)から昭和45年(1970年)にかけて行われたと整理されている。

暗渠化は、オリンピックだけが原因だったわけではない。水害対策、下水道整備、土地利用の高度化が重なり、東京の都市構造そのものが変わる中で進んだのである。

暗渠化によって川は完全になくなったのか

答えは違う。

暗渠化とは、川の流れを地下の水路に収容することだ。地上から水面が見えなくなっても、地下には水路や下水道幹線として旧河川の経路が残っている。

渋谷区内では、現在も曲がりくねった道路や緑道、橋の名前、地形の高低差などから、かつての川筋を読み取れる。

キャットストリートや河骨川の旧河道は、その代表例だ。川そのものが消えたというより、都市の地下に姿を変えて残っていると考える方が実態に近い。

【2026年最新】渋谷川の水源と水の流れは現在どうなっている?

渋谷川の現在を理解するためには、源流の水と、渋谷駅周辺で見ることのできる開渠の水を区別する必要がある。

現在の渋谷川は稲荷橋付近から地上に現れる

東京都建設局が2026年に公表している河川整備基本方針によると、現在の渋谷川・古川はJR渋谷駅前の新渋谷橋を上流端とする二級河川だ。

総延長は約6.8km。内訳は渋谷川が約2.4km、古川が約4.4kmとなっている。

現在、地上の開水路として水面が現れるのは、河川の最上流にあたる新渋谷橋から約60m下流側、稲荷橋付近からだ。

稲荷橋より上流の河川と支流は暗渠構造となっており、千駄ヶ谷幹線や宇田川幹線などの公共下水道が上流域の雨水を集めている。

つまり、現在の渋谷川は、歴史的な源流から地上を連続して流れる自然河川とは異なる構造になっている。

稲荷橋より下流の水はどこから来るのか

ここで注目したいのが、東京都が進めてきた「清流復活事業」だ。

渋谷川では、上流部の暗渠化によって自然の流量が減少した。そのため、東京都は下水道の高度処理水を河川へ導水し、水量の確保に取り組んできた。

東京都建設局の公開資料によると、平成7年度(1995年度)から並木橋上流で高度処理水の導水が行われている。

また、恵比寿東公園付近では地下鉄日比谷線からの浸出水を利用する取り組みも紹介されている。

したがって、渋谷駅南側で見ることのできる渋谷川の水は、新宿御苑の下の池から流れ続けてきた水だけではない。高度処理水などを活用して、都市河川としての水量を確保しているのである。

この仕組みを知ると、渋谷川の水の流れが少ない場所や、場所によって水量が異なる理由も理解しやすくなる。

2026年は河川整備計画の見直しも進行

2026年の重要な動きとして、東京都による河川整備方針の変更がある。

東京都建設局は2026年3月26日、渋谷川・古川の河川整備基本方針を変更した。気候変動による降雨量の増加などを考慮し、今後の河川整備の基本的な考え方を更新したものだ。

さらに、2026年6月26日には河川整備計画の変更原案に関する意見募集を発表。7月1日から31日まで都民からの意見を受け付け、8月1日更新の東京都の案内では募集終了が公表された。

9月16日には第21回河川整備計画策定専門家委員会が予定され、渋谷川・古川の変更原案も議題に含まれた。

11月1日時点で東京都の公表一覧に掲載されている策定済みの河川整備計画は令和6年9月版であり、2026年の変更原案については、意見の反映状況を計画公表時に掲載するという案内が残っている。

このため、2026年は河川の安全性や環境保全を見直す過程にある年として捉えるのが適切だ。

ただし、こうした河川整備の変更は、渋谷川の源流が別の場所に移ったことを意味するものではない。新宿御苑の下の池や明治神宮の清正井という歴史的な水源と、現在の河川管理の仕組みは分けて考える必要がある。

【暗渠散策ガイド】渋谷川の源流と水路の痕跡を歩いて楽しむ方法

渋谷川の魅力は、現在の水面だけではない。かつての流路が道路や遊歩道として残っているため、街を歩きながら水の歴史をたどることができる。

① 新宿御苑の下の池で源流を観察する

最初に訪れたいのは、渋谷川の源流として知られる下の池だ。

池から水が流れ出す場所と、その先の短い水路を観察すると、渋谷川の始まりを実感できる。

新宿御苑は国民公園として一般公開されているが、開園時間は季節によって変わる。2026年の公式入園案内では、一般入園料は500円。訪問前に最新の開園時間と休園日を確認しておきたい。

② キャットストリートで旧渋谷川の流路を探す

原宿から渋谷方面へ歩くなら、キャットストリートとして知られる旧渋谷川遊歩道が興味深い。

現在はファッションや飲食店が集まる商業エリアだが、その下にはかつての河川の流路がある。

道路が緩やかに曲がっていることや、周辺の地面との高さの違いなどに注目すると、暗渠ならではの地形を読み取れる。

渋谷区の公式案内でも、旧渋谷川遊歩道は宮下公園付近から表参道方面へ延びる暗渠として紹介されている。

③ 河骨川の旧河道と「春の小川」の碑を訪ねる

童謡「春の小川」の歴史をたどりたい人には、代々木八幡駅周辺がおすすめだ。

この付近には、河骨川が流れていた歴史を伝える石碑がある。

現在は水面を見ることができないが、旧河道に沿った道の形や緑道を見ながら歩くと、かつての小川の姿を想像できる。

東京都建設局の案内でも、山手通りと井の頭通りが交差する付近の代々木八幡駅近くに「春の小川」の石碑があると紹介されている。

④ 稲荷橋から渋谷川の開渠を眺める

実際に水面が見える渋谷川を楽しみたいなら、稲荷橋から下流へ向かうとよい。

渋谷ストリーム周辺では、都市の建物と川が共存する景色を楽しめる。河川沿いには広場や歩行空間も整備され、かつて排水路として扱われていた川が、街の景観資源として活用されている。

ただし、渋谷川のすべての区間で川沿いを自由に歩けるわけではない。建物や道路に囲まれた場所も多く、橋の上から水面を観察する区間もある。

散策で知っておきたい3つの判断基準

  • 本物の水の流れを見たい人:新宿御苑の下の池や明治神宮の清正井がおすすめ。
  • 都市の歴史や暗渠に興味がある人:キャットストリートや河骨川の旧河道を歩くとよい。
  • 現在の渋谷川の水面を見たい人:稲荷橋から渋谷ストリーム周辺の開渠区間が適している。

反対に、源流から渋谷駅まで、自然の川が連続して流れている景色を期待すると、実際の状況との違いに驚くかもしれない。現在の渋谷川は、暗渠と開渠、下水道、人工的な導水が組み合わさった都市河川だからだ。

【よくある質問】渋谷川の源流に関するFAQ

Q1:渋谷川の源流は新宿御苑のどこにありますか?
A1:新宿御苑の園内にある「下の池」です。特に池の東側の水の出口が、渋谷川の源流として知られています。池から水が流れ出す短い水路を実際に見ることができます。

Q2:玉川上水の余水吐は現在も渋谷川に水を流していますか?
A2:現在は流していません。四谷大木戸の余水吐は歴史的な水源の一つでしたが、近代水道への転換を経て、調査報告では1965年の淀橋浄水場廃止とともに導水が途絶えたとされています。

Q3:明治神宮の清正井も渋谷川の源流ですか?
A3:はい。清正井の水は南池を経由し、南参道の神橋の下を通って渋谷川へ注ぎます。新宿御苑の下の池とは別の水源です。

Q4:渋谷川は現在も地上を流れていますか?
A4:流れています。渋谷駅南側の稲荷橋付近から下流は開渠となっており、天現寺橋を経て古川へつながります。ただし、上流部と多くの支流は暗渠化されています。

Q5:キャットストリートは昔の渋谷川だったのですか?
A5:キャットストリートの一部は、旧渋谷川の流路に沿って整備された遊歩道です。現在は地下に水路が収容されており、地上にはかつての川筋を伝える道の形が残っています。

Q6:「春の小川」は渋谷川そのものを歌った曲ですか?
A6:正確には、渋谷川の支流だった河骨川がモデルになったとされています。河骨川は宇田川の支流で、現在は暗渠となっています。

まとめ:渋谷川の源流は都心に残る水の歴史を伝えている

渋谷川の源流として現在も水の流れを確認できる場所は、新宿御苑の下の池だ。池の東側から流れ出す水は、かつての渋谷川が現在も水の痕跡を残していることを教えてくれる。

その歴史をさらに深く見ると、玉川上水の余水吐や明治神宮の清正井など、複数の水源が渋谷川の流れを支えてきたことが分かる。宇田川や河骨川、穏田川などの支流も、かつての渋谷の風景を形作っていた。

【プロの結論】渋谷川を理解する鍵は「源流」と「現在の水路」を分けること

渋谷川の歴史を調べる際、最も重要なのは、源流の場所、歴史的な水源、現在の河川管理という3つの視点を混同しないことだ。

新宿御苑の下の池は、現在も水の流れを確認できる源流地点。玉川上水の余水吐は江戸時代から近代水道期にかけての歴史的な水源。清正井は現在も湧水が続く別系統の水源である。

一方、渋谷駅付近で見られる開渠の渋谷川は、高度処理水などを活用して水量を確保する都市河川だ。源流から渋谷までの水が、そのまま一続きに流れているわけではない。

2026年は東京都が河川整備基本方針を変更し、気候変動を踏まえた今後の河川整備について検討を進めている。これからの渋谷川では、治水の安全性だけでなく、都市の水辺環境や歴史的な景観をどう守るかも問われていく。

新宿御苑の下の池から、キャットストリート、河骨川の旧河道、稲荷橋へと視点を広げてみると、普段歩いている東京の街並みが違って見えてくる。渋谷川は、地上から姿を消した川ではなく、都市の変化とともに流れ方を変えてきた川なのである。