【高校時代】千葉県立千葉高校で医師を目指した少女が文系に転向した理由

目次

岩田明子さんの出身高校は、千葉県立千葉高校です。千葉県内でも知られる進学校で、岩田さんは高校時代、理系クラスに所属していました。

意外なのは、当初の夢が政治記者でも法律家でもなく、医師だったことです。

本人が2023年のENCOUNTのインタビューで明かしたところによると、物理と化学が苦手だったため、医師になるという目標を断念。高校2年生の夏に文系へ進路を変更しました。

この文理転向は、進路を決めるうえで大きな転機になりました。理系のまま医学部を目指すのではなく、得意科目を生かして新しい進路を切り開く選択をしたのです。

文系に移ってからは、数学や現代国語など、自分の得意分野を伸ばす勉強方法に切り替えました。その後、東京大学へ進学しています。

興味深いのは、医師になる夢を諦めた後も、人の命や人生に関わる仕事をしたいという思いが残っていたことです。その気持ちが、後に司法試験を目指す動機につながっていきました。

つまり、医師志望から法律、そして報道へと進路は変わっても、人間の人生に深く関わる仕事を求める姿勢には一貫性があったと考えられます。

【東大法学部時代】テニスサークルと大学祭、司法試験に打ち込んだ学生生活

岩田明子若い頃

高校卒業後、岩田明子さんは東京大学に進学しました。最終学歴は東京大学法学部であることが、所属事務所ホリプロの公式プロフィールにも記載されています。

東京大学では、入学後の1・2年生は教養学部に所属し、3年生から法学部などの専門課程へ進む仕組みです。

岩田さん自身の回顧によれば、大学1年生のときには東大のテニスサークルに所属。大学祭にも参加し、勉強だけではない学生生活を楽しんでいました。

大学1年生ではテニスサークルに所属

本人がENCOUNTのインタビューで語った大学時代のエピソードには、テニスサークルで青春を過ごしたという話があります。

司法試験の勉強に本格的に取り組む前に、大学生活を楽しんでおきたいという思いがあったそうです。

大学1年生の頃には交際相手もでき、本人の言葉では「人並みに青春を謳歌」していた時期もありました。ただし、その交際は長く続かなかったと振り返っています。

こうしたエピソードからは、現在の政治解説で見せる落ち着いた表情とは違う、普通の大学生としての一面が伝わってきます。

大学3年生から司法試験を目指す

学生生活の大きな転換点は、大学3年生で司法試験を目指し始めたことでした。

法律家を志した背景には、医師になりたいと思っていた頃から続く、人の人生に関わる仕事への関心がありました。

司法試験の勉強を始めると、生活は一変します。

岩田さんは、予備校、大学の図書館、自宅を往復する毎日を、本人の表現で「砂漠の三角生活」と振り返っています。

当時の司法試験は論文試験の難易度が高く、特に憲法や刑法などの公法系科目で苦戦したそうです。大学に在籍できる期間を延ばし、6年生まで受験に挑み続けました。

2025年1月には、フジテレビ系「ワイドナショー」に出演した際、司法試験について「1回も受からなかった」と自ら明かしています。東大法学部卒業という学歴だけでは突破できない試験の厳しさを物語るエピソードです。

【進路の転換点】司法試験に合格できず、NHKへの就職を決めた意外な経緯

岩田明子さんの若い頃を語るうえで、司法試験と就職活動の関係は欠かせません。

大学6年目になっても司法試験の論文試験で苦戦していた岩田さんは、卒業後も受験を続けるのか、それとも社会人になるのかという選択を迫られました。

そこで始めたのが就職活動です。

第一志望はNHKではなく山一證券だった

意外にも、当初の第一志望はNHKではありませんでした。

2023年のENCOUNTのインタビューによると、岩田さんは山一證券のアットホームな社風に魅力を感じていました。ほかにも東京電力や日本開発銀行など、複数の企業を受験しています。

山一證券から内定を得たものの、採用担当者から長期的な視点で入社を再考するよう促されました。その後、山一證券は1997年に自主廃業を発表します。

岩田さんは後年、この出来事を振り返り、採用担当者が親身になって助言してくれたのだと受け止めています。

NHKを選んだ理由は「知らない世界を見たい」という気持ち

NHKは、マスコミ業界で当時採用試験を受けられた数少ない選択肢でした。

家族や親戚からは、それまでの学生生活や性格を考えると、マスコミ以外の企業のほうが向いているのではないかと勧められていたそうです。

しかし、就職先を決める段階になって、未知の世界に飛び込んでみたいという気持ちが強くなりました。

司法試験の勉強に集中してきた学生生活から一歩外に出て、幅広い世界を知りたい。その思いからNHKへの入局を決めたのです。

ここで注目したいのは、岩田さんが最初から政治記者を目指していたわけではないことです。法律家への道を断念した後、報道の世界へ進んだことが、その後のキャリアを形づくりました。

【岩田明子の経歴年表】1996年のNHK入局から安倍晋三番記者まで

東京大学卒業後、岩田さんは1996年4月にNHKへ入局しました。初任地は岡山放送局です。

最初から政治部に配属されたわけではありません。岡山では地方記者として事件取材を経験し、その後、東京の政治部へ異動しています。

本人の回顧記事とホリプロ公式プロフィールをもとに、学歴から2026年の活動までを時系列で整理します。

時期 人物・出来事 キャリア上の意味
高校時代 県立千葉高校。理系クラスで医師を志望 高校2年生の夏に文系へ転向
大学1・2年 東京大学で教養課程を学ぶ テニスサークルや大学祭を経験
大学3年以降 東京大学法学部で学び、司法試験に挑戦 予備校と大学図書館で勉強する生活へ
大学6年目 司法試験を受験しながら就職活動 NHKへの就職を決断
1996年4月 NHK入局・岡山放送局へ配属 警察・裁判所・検察庁などを担当
2000年 東京放送センター報道局政治部へ異動 官邸記者クラブに所属
2002年 安倍晋三官房副長官の番記者を担当 安倍氏を長期にわたり取材
2008~2009年 外務省記者クラブ、菅直人副総理担当 外交・政権中枢の取材を経験
2013年 NHK解説委員室へ異動 政治担当解説委員と政治部記者を兼務
2022年7月 NHKを退局 フリージャーナリストへ転身
2023年 ホリプロ所属・著書『安倍晋三実録』を刊行 執筆・メディア出演の活動を拡大
2026年 YouTube「TABOO CRASH岩田明子のオフレコ部屋」を展開 政治・社会問題の発信を継続

主な出典:ホリプロ公式プロフィール、本人のインタビュー、2026年の所属・執筆者プロフィール。

岡山放送局で経験した新人記者時代

1996年にNHKへ入局した岩田さんは、岡山放送局に配属されました。

当時、配属希望として挙げていたのは横浜、静岡、名古屋だったそうです。千葉の実家から帰りやすい場所を希望していましたが、実際の辞令は岡山でした。

岡山での4年間は、岡山県警察や地方裁判所、地方検察庁などを担当する事件記者として過ごしました。

いわゆる「サツ回り」と呼ばれる仕事です。警察や検察の関係者を訪ね、事件や事故の背景、捜査の進展を取材する業務で、新人記者にとって厳しい環境でした。

本人は当時、取材先との関係づくりに苦労し、何度も仕事を辞めようと考えたと振り返っています。

そんなとき、取材先の警察官から、小さくても自分の実績をつくってから辞めるよう助言されたことが、その後の記者人生を支えたと語っています。

司法試験の勉強で身につけた法律的な知識に加え、事件現場での取材経験を積んだことは、その後の政治報道にも生かされたと考えられます。

2000年の政治部異動と安倍晋三氏との出会い

2000年、岩田さんは東京の報道局政治部へ異動しました。

本人の回顧によれば、当初は社会部を希望していたものの、配属されたのは政治部でした。

政治取材の経験が乏しかったため、最初は首相の動静を追う「総理番」の仕事にも苦労したといいます。

その後、森喜朗首相や小泉純一郎首相の担当を経験。2002年には当時の安倍晋三官房副長官の番記者を務めるようになりました。

ホリプロの公式経歴では、安倍氏を20年以上にわたって取材したことが紹介されています。

この長期取材が、後に政治外交ジャーナリストとして活動する際の大きな専門性につながりました。

【若い頃の写真】東大時代やNHK新人記者時代の画像はある?

岩田明子さんの若い頃の写真を探す読者にとって、注意したいのが写真の撮影時期です。

2023年のENCOUNTには「東大時代を語る岩田明子さん」というキャプション付きの写真が掲載されています。ただし、これは東大在学中に撮影された学生時代の記念写真という意味ではなく、大学時代について語る本人のインタビュー写真です。

一方、2025年の週刊女性PRIMEの記事には、NHK時代の取材中の写真が掲載されています。こちらは若い頃の仕事ぶりを知る手がかりになる資料です。

写真を見る際は、次の3つを区別すると混乱しません。

  • 学生時代の写真:大学在学中に撮影されたものかどうか、撮影時期の説明を確認する。
  • インタビュー写真:学生時代を振り返っていても、写真自体は取材時に撮影された場合がある。
  • NHK時代の写真:実際の取材活動中の姿を確認できる資料として参考になる。

若い頃の写真として紹介されている画像をすべて学生時代の写真と受け取るのは適切ではありません。掲載媒体のキャプションや撮影時期を確認することが大切です。

【2026年現在】岩田明子は何をしている?NHK退局後の活動と評価

岩田明子さんは2022年7月にNHKを退局しました。その後は政治外交ジャーナリストとして、テレビ出演、執筆、講演など活動の幅を広げています。

2023年にはホリプロに所属。NHK時代の政治報道に加えて、一般向けの番組や幅広いジャンルへの出演にも取り組むようになりました。

2026年はYouTubeでの発信も展開

2026年現在、ホリプロ公式プロフィールには、YouTube番組「TABOO CRASH岩田明子のオフレコ部屋」が掲載されています。

同番組は2026年から始まった配信企画で、公式プロフィールでは毎週木曜日21時30分の配信と案内されています。

政治や社会問題の解説に加え、テレビでは取り上げにくい取材の裏側などをテーマにしています。

また、日刊SPA!では政治情勢に関する記事を執筆。2026年10月にも政治関連の論考が掲載されており、ジャーナリストとしての活動を継続しています。

所属事務所のプロフィールでは、千葉大学客員教授としての肩書も確認できます。

【プロの結論】岩田明子の若い頃から読み解くキャリア形成の特徴

岩田明子さんの経歴には、3つの大きな転換点があります。

第一は、高校2年生の文理転向です。医師という当初の目標を諦めながらも、得意分野を見極めて進路を変更しました。目標を変えることを失敗と捉えず、新しい可能性を探した経験です。

第二は、司法試験への挑戦と方向転換です。東京大学法学部卒業という経歴だけを見ると、最初から順調にキャリアを築いてきたように感じるかもしれません。しかし、実際には司法試験に合格できず、大学に6年間在籍しながら将来を模索していました。

第三は、岡山での事件取材です。希望とは異なる赴任地で、警察や検察を相手に取材経験を積みました。政治部への異動後も、現場で培った粘り強さが記者としての土台になったと考えられます。

特に注目したいのは、法律の知識と事件取材の経験が、政治報道に結びついた点です。政治家の発言や政策を理解するには、制度や法律の知識だけでなく、関係者の証言を集め、事実関係を確かめる取材力が必要になります。

岩田さんの場合、法学部での学び、司法試験への挑戦、岡山での事件取材という異なる経験が、政治記者としての専門性を形づくりました。

一方、政治家との長期的な関係を築く番記者には、情報へのアクセスと取材対象から距離を保つ姿勢の両方が求められます。本人も過去のインタビューで、安倍氏との取材関係について振り返り、記者と取材先の距離感をめぐる反省を語っています。

岩田明子さんの若い頃から学べるのは、学歴や資格だけでキャリアが決まるわけではないということです。目標の変更、挫折、現場経験をどう次の仕事につなげるかが、その後の専門性を左右するのです。

【岩田明子の若い頃】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:岩田明子の出身高校はどこですか?
A1:千葉県立千葉高校です。高校時代は理系クラスに所属し、当初は医師を目指していました。

Q2:岩田明子は東京大学の何学部出身ですか?
A2:東京大学法学部です。大学1年生の頃はテニスサークルに所属し、大学祭なども楽しんでいました。

Q3:岩田明子が文系に転向したのはいつですか?
A3:高校2年生の夏です。物理と化学が苦手だったことから、医師になる夢を断念して文系に転向しました。

Q4:岩田明子は司法試験に合格していますか?
A4:合格していません。大学3年生から挑戦し、大学6年目まで受験を続けましたが、2025年のテレビ出演でも一度も合格できなかったと本人が明かしています。

Q5:岩田明子がNHKに入局したのは何年ですか?
A5:1996年4月です。最初の赴任地は岡山放送局で、警察や検察などを担当する事件記者として経験を積みました。

Q6:岩田明子は若い頃から政治記者を目指していたのですか?
A6:いいえ。学生時代は司法試験を目指しており、当初からマスコミ志望だったわけではありません。就職活動を経てNHKへの入局を決めました。

Q7:岩田明子は2026年現在、何をしていますか?
A7:政治外交ジャーナリストとして執筆やテレビ出演、講演などを続けています。2026年からはYouTube番組「TABOO CRASH岩田明子のオフレコ部屋」でも情報を発信しています。

まとめ:岩田明子の若い頃は挫折と挑戦を重ねたキャリアの出発点

岩田明子さんの若い頃は、医師を目指した高校時代、文系への転向、東京大学法学部での学生生活、司法試験への挑戦という、複数の進路変更を経験した時期でした。

大学時代にはテニスサークルや大学祭を楽しむ一方、司法試験の勉強に長い時間を費やしました。しかし、合格には至らず、就職活動を経て1996年にNHKへ入局します。

岡山放送局での事件取材を出発点に、2000年の政治部異動、2002年からの安倍晋三氏の番記者担当、2013年の解説委員就任へとキャリアを重ねました。

2022年のNHK退局後も、政治外交ジャーナリストとして活動を続け、2026年にはYouTubeでの発信にも力を入れています。

若い頃の経歴を知ると、現在の岩田明子さんの専門性は、東大卒という学歴だけで生まれたものではないことが分かります。進路の変更や司法試験の挫折、地方での地道な事件取材。その一つひとつが、政治報道の現場で活躍するための経験になっていたのです。


主な確認資料

- ホリプロ公式プロフィール・経歴
- ENCOUNT「元NHK岩田明子さん、就活の第一志望は山一證券」
- PRESIDENT Online掲載の本人回顧インタビュー
- デイリースポーツ「司法試験に不合格し続けた過去」
- 日刊SPA!・2026年の執筆者プロフィール
- 週刊女性PRIME掲載のNHK時代の写真・インタビュー