【36年ぶりの表紙復帰】阿部寛とメンズノンノの歴史は1986年から始まった

目次

阿部寛のメンズノンノにおける最大の実績は、創刊号から43号連続で表紙を担当したことだ。

集英社の公式告知によると、1986年6月号から1989年12月号まで、阿部は同誌のカバーモデルとして誌面を飾り続けた。

この記録を理解するには、当時の雑誌と阿部の立場を知る必要がある。

創刊号の表紙に抜てきされた理由

阿部寛メンズノンノ

阿部は1985年、集英社の「第3回ノンノボーイフレンド大賞」で優勝した。

きっかけは意外にも、モデルへの強い憧れではなかった。

2026年1月1日公開のメンズノンノ公式インタビューで、阿部は大学生時代に賞品の車が欲しくて応募したと振り返っている。

当時、編集部は新しい男性ファッション誌を立ち上げるにあたり、既存のプロモデルとは異なる新鮮な存在を表紙に起用する構想を持っていた。

そこで選ばれたのが阿部だった。

本人の説明によれば、プレ創刊号の反応が予想以上によく、正式な創刊号でも表紙を担当することになったという。

当初から長期間の起用が決まっていたわけではない。本人はインタビューで、撮影を数号経験したころに、しばらく固定で表紙を担当する話を聞いたと語っている。

つまり、43号連続という記録は、最初から設計された長期契約というより、誌面での存在感と読者の反応によって生まれた実績だった。

1986年6月号の撮影場所はセーシェル

創刊号の撮影場所は、インド洋に浮かぶセーシェル諸島だった。

阿部が公式インタビューで特に印象深い表紙として挙げたのも、この創刊号である。

撮影では、顔の下に影ができないよう、下からレフ板で太陽光を当てていたという。強烈な日差しで目を開けるのも難しかったというエピソードも明かしている。

現在の完成された俳優像からは想像しにくいが、当時の阿部はモデルとしての経験も限られた大学生だった。

この撮影の記憶を現在も鮮明に覚えていることからも、創刊号が本人にとって特別な仕事だったことがうかがえる。

43号連続表紙はどれほどの記録なのか

1986年6月号から1989年12月号までを月刊誌の号数で数えると、合計43号になる。

項目 内容
創刊号 1986年6月号
最終連続表紙 1989年12月号
連続表紙数 43号
撮影地 セーシェル諸島(創刊号)
復帰号 2026年1・2月合併号
復帰までの期間 約36年

特筆すべきなのは、単に何度も表紙に登場したというだけではない点だ。

創刊直後から約3年半にわたって同じモデルが誌面の顔を務めたことは、雑誌のブランドイメージと阿部の存在が強く結びついていたことを示している。

【モデル時代の経歴】ノンノボーイフレンドから専属モデルへ

阿部寛のモデル時代を語るうえで重要なのが、「ノンノボーイフレンド」と「メンズノンノ専属モデル」という2つの肩書きだ。

現在では一括してメンズノンノモデルと紹介されることが多いが、公式の歴代モデル紹介では、それぞれ活動時期が区別されている。

1985年、中央大学在学中にモデルデビュー

阿部は1964年6月22日生まれ、神奈川県出身。

中央大学理工学部に在学していた1985年に、集英社のノンノボーイフレンド大賞で優勝した。

本人のインタビューによれば、応募を勧めたのは姉だった。

当時は周囲の友人がアルバイトをして車を購入していたこともあり、優勝賞品の車に魅力を感じていたという。

本人が当初から芸能界入りを目指していたわけではなかったことが、このエピソードから分かる。

また、QTnetが2006年に公表した企業向けプロフィール資料には、1985年のモデルデビューと、1988年3月の中央大学理工学部電気学科卒業が記載されている。

大学生活とモデル活動を並行していたことが確認できる。

ノンノボーイフレンドと専属モデルの違い

メンズノンノ公式サイトの歴代モデル一覧では、阿部の活動を次のように整理している。

- 1987年まで:ノンノボーイフレンド
- 1988年から1990年:メンズノンノ専属モデル

つまり、阿部はメンズノンノの創刊時から表紙を飾っていたものの、最初から専属モデルという肩書きだったわけではない。

女性誌『non-no』の企画から生まれたモデル活動が、男性ファッション誌の創刊によって新たなキャリアへとつながったのである。

この経歴は、阿部寛のモデル時代を正確に理解するうえで欠かせないポイントだ。

【俳優デビューへの転身】『はいからさんが通る』が人生の転換点

モデルとして知名度を高めた阿部は、1987年、映画『はいからさんが通る』で俳優デビューを果たす。

この作品をきっかけに、モデル中心だった活動は俳優業へと広がっていった。

ただし、俳優への転身は必ずしも順風満帆ではなかった。

モデル出身という肩書きが壁になった時代

2026年のメンズノンノ公式インタビューで、阿部はモデルから俳優に転向した当時の苦労について語っている。

当時は「モデルあがり」という見方があり、俳優として評価されるまでに時間がかかったという。

モデル出身という肩書きが長く残り、俳優としての実績を積み重ねても、以前のイメージから抜け出すのが簡単ではなかった。

本人にとっては、モデルとして知られていた時代と俳優として評価される現在との間に、複雑な感情もあったようだ。

一方、現在の若い読者には、阿部がかつてメンズノンノのモデルだったことを知らない人も多い。

これは、俳優としてのキャリアが長年積み重なった結果、モデル時代の印象が相対的に薄れていったことを示している。

モデル時代から現在までの代表的な転換点

俳優としての阿部は、シリアスな役柄だけでなく、コミカルな人物や個性的な主人公も演じるようになった。

特にドラマ『TRICK』や『結婚できない男』、『ドラゴン桜』などは、幅広い視聴者に知られる代表的な作品となった。

映画『テルマエ・ロマエ』では、古代ローマ人という大胆な役柄に挑戦し、俳優としての個性をさらに確立した。

メンズノンノのモデルだったという過去は、俳優としての成功によって消えたのではない。むしろ、現在の阿部寛を形づくったキャリアの出発点として位置づけられる。

【人物・作品相関表】阿部寛とメンズノンノを結ぶ重要な関係

ここで、阿部寛と関係する人物、媒体、作品を時系列で整理する。

年代・時期 人物・媒体・作品 関係・出来事
1985年 中央大学理工学部 在学中にノンノボーイフレンド大賞で優勝
1986年5月発売 メンズノンノ創刊 阿部が創刊号の表紙モデルに起用
1986年6月号 メンズノンノ 43号連続表紙の起点
~1987年 ノンノボーイフレンド 阿部の初期モデル時代
1987年 『はいからさんが通る』 俳優デビュー
1988年3月 中央大学 理工学部電気学科を卒業
1988~1990年 メンズノンノ 専属モデルとして活動
1989年12月号 メンズノンノ 43号連続表紙の最後
2021年 『ドラゴン桜』 鈴鹿央士と共演
2025年12月9日発売 2026年1・2月合併号 鈴鹿央士と36年ぶりの表紙復帰
2026年5月 メンズノンノ 創刊40周年

この関係を読み解くうえで注目したいのが、鈴鹿央士の存在だ。

鈴鹿は現在のメンズノンノモデルであり、俳優としても活動している。

阿部と鈴鹿は2021年のドラマ『ドラゴン桜』で共演しており、2026年1・2月合併号では初めてメンズノンノ誌面でツーショットを実現した。

かつてのモデル界を象徴した阿部と、現在のモデル界を代表する鈴鹿が同じ表紙に並んだことは、単なる懐古企画ではない。

メンズノンノの歴史を、世代を超えてつなぐ演出だった。

【本人インタビューを検証】阿部寛がメンズノンノに特別な敬意を持つ理由

今回の復帰を理解するうえで、最も重要な資料が、メンズノンノ公式ウェブサイトに2026年1月1日に掲載された本人インタビューだ。

このインタビューでは、創刊当時の思い出だけでなく、モデルとして活動していた経験、俳優への転身、現在の若いモデルに対する考え方まで語られている。

「ここから始まった」という原点への思い

阿部は、メンズノンノへの思いを次のように表現した。

「僕自身、『ここから始まった』という思いがあります」 阿部寛/MEN'S NON-NO WEB 2026年1月1日公開インタビュー

この発言は、今回の復帰を象徴する言葉だ。

阿部にとってメンズノンノは、単に若いころに出演した雑誌ではない。芸能界でのキャリアが始まった場所であり、モデルとしての自分を育てた存在でもある。

本人は、モデルとしてのファッション撮影について、メンズノンノと、その創刊メンバーが立ち上げた『UOMO』だけに出演してきたとも説明している。

そこには、仕事の実績だけでは説明できない雑誌への信頼と敬意がある。

若い世代のメンズノンノモデルに感じる刺激

インタビューでは、現在のメンズノンノモデルについても話題が及んでいる。

阿部は、同じモデル出身で俳優として活動する人々に注目していると語った。

その具体例として挙げられたのが鈴鹿央士だった。

2021年の『ドラゴン桜』で共演した際、鈴鹿がメンズノンノモデルであると伝えたことで、阿部は親近感を持ったという。

また、モデル出身の俳優が増えていることについて、同じ道を歩んできた先輩として刺激を受けている様子もうかがえる。

これは、阿部自身がメンズノンノの歴史の一部であることを自覚しているからこその視点だ。

60代になっても新しい挑戦を求める姿勢

インタビューでは、今後挑戦したい役柄や海外生活への関心についても触れられている。

阿部は、これまでのエンターテインメント性の高い作品とは異なる、人間そのものを描くような役柄にも関心を示した。

さらに、1年から2年ほど海外で暮らし、異なる文化や生活を経験してみたいという希望も語っている。

こうした発言から読み取れるのは、過去の成功にとどまらず、新しい経験を求め続ける姿勢だ。

36年ぶりのモデル復帰も、過去の栄光を再現するだけの企画ではなかった。本人にとっても、現在の自分を新しいファッションの中で表現する挑戦だったと考えられる。

【2026年の表紙を分析】創刊40周年と阿部寛の復帰が持つ意味

2026年の阿部寛の表紙復帰は、メンズノンノの創刊40周年と密接に関係している。

2026年1・2月合併号の内容

表紙を飾ったのは、阿部寛と鈴鹿央士。

発売日は2025年12月9日で、2026年1・2月合併号として刊行された。

表紙の撮影コンセプトは「最新の阿部寛さんを、最新の<モード>で撮影する」。

阿部が着用したのは、イタリア・ミラノを拠点とするラグジュアリーブランド、ジル サンダーの衣装だった。

さらに、カバーストーリーではエルメスやプラダなどのファッションも披露している。

誌面には、創刊号から43号連続で阿部が担当した過去の表紙も特別掲載された。

つまり、今回の企画は単独の新作ファッション撮影ではなく、過去のアーカイブと現在の阿部を並べる記念性の高い構成になっている。

増刊号の表紙は『鬼滅の刃』

ここで注意したいのが、2026年1・2月合併号には通常版と増刊があることだ。

種類 表紙
通常版 阿部寛・鈴鹿央士
増刊 『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』キービジュアル

阿部の36年ぶりの復帰が掲載されたのは通常版である。

増刊の表紙も別の大型企画として展開されており、両者を混同しないことが大切だ。

2026年5月に創刊40周年を迎えたメンズノンノ

メンズノンノは1986年5月に創刊号が発売され、2026年5月に創刊40周年を迎えた。

集英社のメディアビジネス部が2026年1月に公表した資料によれば、阿部と鈴鹿が表紙を飾った通常版と、鬼滅の刃を表紙にした増刊は、ともに完売した。

同資料では、両号の合計実売部数が前年同期比138.2%だったことも報告されている。

これは阿部の復帰だけでなく、複数の表紙企画や付録を含む号全体への関心を示す数字だ。

ただし、前年比138.2%は合併号の通常版・増刊を合わせた実売部数の比較であり、阿部の表紙だけによる販売効果を示す数字ではない。

なぜ今、阿部寛だったのか

編集上の狙いは、過去と現在のモデルを同じ画面に置くことにある。

阿部は創刊当時のメンズノンノを象徴する存在であり、鈴鹿は現在のモデルと俳優の両方を担う存在だ。

両者には、ファッションモデルとして活動した後に俳優としても活躍するという共通点がある。

この構図は、雑誌が40年間にわたって育ててきたモデル文化を表現するうえで非常に分かりやすい。

また、若い読者にとっては阿部のモデル時代を知るきっかけになり、かつての読者にとっては創刊時代の記憶を呼び起こす機会になる。

40周年という節目に阿部が選ばれたことには、こうした世代をつなぐ意味があったと考えられる。

【プロの結論】43号連続表紙と36年ぶりの復帰から見える本当の価値

阿部寛とメンズノンノの関係を振り返ると、注目すべきポイントは3つある。

第一に、阿部は単なる元モデルではなく、雑誌の創刊期を象徴する存在だったこと。

1985年のモデルデビューから、1986年の創刊号、43号連続表紙、そして1988年からの専属モデル活動まで、その経歴は雑誌の成長と重なっている。

第二に、モデルから俳優への転身には、長い評価の変化があったこと。

モデル出身という肩書きに悩んだ時期を経て、映画やドラマで幅広い役柄を演じる俳優へと成長した。モデル時代は俳優としてのキャリアとは別物ではなく、その原点だった。

第三に、36年ぶりの復帰は、過去の再現ではなく次の世代への継承だったこと。

鈴鹿央士との共演は、阿部の時代と現在のメンズノンノを結びつける象徴的な企画だった。

読者がこの話題を調べる際には、次の3点を押さえておくと情報を正確に理解できる。

- 43号連続表紙は1986年6月号から1989年12月号までの記録。
- 36年ぶりの復帰は2026年1・2月合併号の通常版で実現。
- 1985年のモデルデビューと1987年の俳優デビューは別の出来事であり、モデル活動と俳優活動は一時期並行していた。

この3点が、阿部寛とメンズノンノの関係を理解するための基本的な判断基準となる。

【阿部寛とメンズノンノ】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:阿部寛はメンズノンノの専属モデルだった?

A1:はい。メンズノンノ公式の歴代モデル紹介では、1987年までノンノボーイフレンド、1988年から1990年までメンズノンノ専属モデルとして記録されている。

Q2:阿部寛の43号連続表紙はいつからいつまで?

A2:1986年6月号の創刊号から1989年12月号まで。合計43号連続で表紙を担当した。

Q3:阿部寛が36年ぶりに表紙へ復帰したのは何年何月号?

A3:2026年1・2月合併号。2025年12月9日に発売された通常版で、鈴鹿央士と一緒に表紙を飾った。

Q4:阿部寛がモデルになったきっかけは?

A4:1985年、中央大学在学中に姉の勧めで集英社の第3回ノンノボーイフレンド大賞に応募したこと。賞品の車も応募の動機だったと本人が語っている。

Q5:阿部寛の俳優デビュー作は?

A5:1987年公開の映画『はいからさんが通る』。メンズノンノのモデルとして活動していた時期に俳優の道へ進んだ。

Q6:2026年の表紙で阿部寛と共演したモデルは誰?

A6:鈴鹿央士。2021年のドラマ『ドラゴン桜』で阿部と共演しており、今回メンズノンノ誌上で初めてツーショットを披露した。

Q7:メンズノンノは2026年に何周年を迎えた?

A7:1986年5月の創刊から40周年。2026年1・2月合併号は、その記念イヤーのスタートを飾る号として刊行された。

まとめ:阿部寛とメンズノンノの40年が示すもの

阿部寛のモデル人生は、1985年のノンノボーイフレンド大賞受賞から始まった。

1986年6月号の創刊号で表紙を飾り、43号連続という記録を達成。その後、1987年に『はいからさんが通る』で俳優デビューし、モデルから俳優へと活躍の場を広げていった。

そして2025年12月9日発売の2026年1・2月合併号で、鈴鹿央士とともに36年ぶりの表紙復帰を実現した。

今回の復帰が印象的なのは、若いころの姿を懐かしむだけではなく、60代となった現在の阿部寛を新しいファッションで表現したことにある。

メンズノンノの40周年は、雑誌の歴史を振り返る節目であると同時に、次の世代へモデル文化をつなぐ機会でもあった。

阿部寛にとってメンズノンノは、過去の栄光ではなく、今も大切にしているキャリアの原点なのである。


主な参考資料:集英社『MEN’S NON-NO WEB』2026年1月1日付阿部寛インタビュー、同誌2026年1・2月合併号発売告知、同誌歴代モデル一覧、集英社メディアビジネス部の2026年1月資料、オリコンニュース、QTnet公表プロフィール資料。