【1978年】萩本欽一はなぜ24時間テレビの初代総合司会に選ばれたのか
第1回の総合司会は萩本欽一を含む4人

1978年8月26日・27日に放送された第1回「24時間テレビ 愛は地球を救う」で、萩本欽一は初代総合司会を担当した。
公益社団法人24時間テレビチャリティー委員会の公式歴史資料には、次の4人が総合司会として記録されている。
- 萩本欽一
- 大竹しのぶ
- 大橋巨泉
- 竹下景子
チャリティーパーソナリティーはピンク・レディーだった。
第1回のテーマは、寝たきりの高齢者に入浴設備を届けることや、障害のある人のためのリフト付きバス、車椅子の普及など。現在のように幅広い社会課題を取り上げる番組の原点となった。
この年の募金総額は11億9,011万8,399円。初回から10億円を超える寄付が集まったことも、番組の歴史を考えるうえで重要な数字だ。
萩本欽一と番組の関係は2007年以前から続いていた
萩本は第1回だけの出演者ではない。
1979年の第2回、1980年の第3回でも総合司会を担当。1981年の第4回と1982年の第5回ではチャリティーパーソナリティーとして参加している。
つまり、初期の24時間テレビを支えた中心人物の一人だった。
当時の萩本は、コント55号での活躍を経て、テレビ界を代表する人気タレントとして知られていた。
坂上二郎とのコンビによるコントだけでなく、「欽ちゃんのどこまでやるの!」や「ぴったし カン・カン」など、幅広い視聴者に親しまれる番組でも存在感を示していた。
番組側にとっても、萩本の参加は単なる人気タレントの起用ではなく、番組の立ち上げに関わった人物との継続的な関係を示すものだった。
【年代別比較】萩本欽一と24時間テレビの関係・重要記録一覧
ここまでの経緯を整理すると、初代総合司会、マラソンランナー、後年の特別出演という3つの役割が見えてくる。
出典:24時間テレビチャリティー委員会、日本テレビ、デイリースポーツ、オリコンニュース、萩本企画の公開情報。
この一覧から分かるのは、萩本と24時間テレビの関係が、一度の出演で終わったものではないということだ。
特に2007年のマラソンは、第1回から30年という節目に実現した大きな出来事だった。
【2007年第30回】萩本欽一が66歳でチャリティーマラソンに挑戦した理由
2007年8月18日・19日に開催された第30回
2007年の第30回「24時間テレビ」のテーマは「人生が変わる瞬間(とき)」だった。
この年の出演者と担当は次のとおり。
- 総合司会:徳光和夫、西尾由佳理
- メインパーソナリティー:タッキー&翼
- チャリティーパーソナリティー:黒木瞳、新庄剛志
- 番組パーソナリティー:タカアンドトシ
- チャリティーマラソンランナー:萩本欽一
ここで押さえておきたいのは、2007年の萩本欽一は総合司会ではなく、チャリティーマラソンランナーだったという点である。
日本テレビの2007年5月28日付社長記者会見資料では、萩本の起用について、第1回からの番組との縁があり、本人が快く引き受けてくれたことが選考理由として説明されている。
番組が30回目を迎える節目に、初期から関わってきた萩本に再び大役を託した形だった。
66歳で挑んだ70キロの道のり
2007年当時、萩本は66歳。
チャリティーマラソンでは70キロを走ることになった。
8月18日午後6時58分にスタートし、翌19日に日本武道館を目指した。
道中では猛暑や左足の痛みに苦しみ、思うように前へ進めない場面もあった。
日刊スポーツの2007年8月20日付報道によると、東京の最高気温が32.4度を記録した午後には、疲労が顕著になり、座り込む場面もあったという。
それでも沿道の応援に応えながら走り続け、最終的に70キロを完走した。
この挑戦は、単に高齢のタレントが長距離を走ったという話ではない。
番組の原点に関わった人物が、30周年という節目に身体を張って参加したことに大きな意味があった。
2007年の募金額は10億1,544万2,574円
第30回の募金総額は、公益社団法人24時間テレビチャリティー委員会の公式記録によると、次の金額だった。
2007年第30回・募金総額1,015,442,574円
2007年8月18日・19日開催
この数字は萩本個人が寄付した金額ではない。全国の視聴者や協力者から集まった番組全体の募金額である。
また、2007年の番組はタッキー&翼がメインパーソナリティーを担当し、萩本はランナーという立場だった。
個人の出演料と番組の募金総額を結び付けて考えると、事実関係を誤りやすい。
【ギャラ1億円の真相】萩本欽一は本当に出演料を全額寄付したのか
「萩本欽一は24時間テレビのギャラとして1億円を受け取り、その全額を寄付した」
この話は、インターネット上で繰り返し取り上げられている。
実際に報道された逸話だが、重要なのは、その出どころと証拠の性質である。
きっかけは2017年3月の「マヨなか芸人」
2017年3月25日、デイリースポーツは読売テレビで放送された「マヨなか芸人」の内容を報じた。
番組には、萩本と同じ芸能事務所・浅井企画に所属する、ずんやどぶろっくらが出演していた。
そこで紹介されたのが、1978年の第1回24時間テレビにおける萩本の出演交渉の逸話だ。
報道によると、どぶろっくの森慎太郎は、萩本が当初、提示された高額な出演料を何度も断っていたと説明した。
最終的に、これまでにない破格の金額が提示され、ようやく出演を承諾したという。
そして、金額について説明したのが、ずんの飯尾和樹だった。
飯尾によれば、その金額は1億円だった。
飯尾和樹が紹介した全額寄付の逸話
デイリースポーツの記事では、飯尾が紹介した萩本の言葉として、次の内容が伝えられている。
「そのギャラ、全部チャリティーに回してくれ」
つまり、報道された話の筋書きは、次のようになる。
1. 1978年の第1回総合司会を萩本に依頼。
2. 萩本は当初、高額な出演料を提示されても断っていた。
3. 最終的に1億円という金額が提示された。
4. 萩本はその金額で出演を引き受けた。
5. 出演料の全額をチャリティーに回すよう求めた。
このエピソードでは、森慎太郎が交渉の経緯を説明し、飯尾和樹が金額と寄付について紹介している。
したがって、1億円寄付説は、単なる匿名掲示板の書き込みや出所不明のSNS投稿ではない。実際にテレビ番組で関係者が語り、新聞系メディアが報道した逸話である。
では、1億円の全額寄付は公式に証明されているのか
ここが最も大切なポイントだ。
確認できる資料を分けると、次のようになる。
| 検証項目 | 確認できる内容 |
|---|---|
| 1億円という金額 | 2017年の飯尾和樹のテレビ番組での証言として報道 |
| 寄付を求めたという話 | 同じ番組で紹介された証言 |
| 出演交渉の経緯 | どぶろっく森慎太郎による説明 |
| 公式な出演契約書 | 公開資料からは確認できない |
| 1億円の入金・送金記録 | 個人の寄付額として確認できる公開記録は見当たらない |
| 24時間テレビの年間募金額 | チャリティー委員会が公式に公表 |
つまり、1億円全額寄付説には具体的な関係者証言がある一方、金額や送金を裏付ける一次資料が一般公開されているわけではない。
この違いを理解することが、噂の真相を正しく捉えるポイントになる。
証言の存在を否定する必要はない。しかし、証言と会計上の確定記録を同じものとして扱うこともできない。
【24時間テレビのギャラと寄付】出演者の報酬はどう扱われている?
萩本の1億円寄付説を考えるうえで、24時間テレビ全体のお金の仕組みも理解しておきたい。
チャリティー委員会が公表する寄付金の扱い
公益社団法人24時間テレビチャリティー委員会は、全国から集まった寄付金について、全額をチャリティー事業費として使用すると説明している。
一方、委員会の運営経費については、日本テレビを含むチャリティー委員会社が負担する仕組みとなっている。
寄付金の主な活用分野は次の3つだ。
- 福祉支援:福祉車両の贈呈、障害者スポーツ支援など
- 環境保護:清掃活動、自然環境の保全など
- 災害復興:自然災害の被災地支援や義援金の贈呈など
これはチャリティー委員会が公表している寄付金の運用方針である。
出演者のギャラと寄付金は別の会計上の問題
ここで混同されやすいのが、番組出演者の報酬と視聴者から集めた寄付金だ。
両者は同じものではない。
チャリティー委員会の公式説明は、寄付金の使途と委員会運営経費の負担について示しているが、個々の出演者の報酬額や契約条件を公表しているわけではない。
したがって、次の3つは分けて考える必要がある。
| お金の種類 | 意味 |
|---|---|
| 視聴者からの募金 | 委員会が管理し、チャリティー事業に活用 |
| 番組運営経費 | チャリティー委員会社が負担 |
| 出演者の報酬 | 個別の出演契約に関わるもので、全出演者の条件が一律に公表されているわけではない |
萩本の1億円の話も、この仕組みの中で理解する必要がある。
出演料をチャリティーに回したという個別の逸話と、委員会が管理する年間寄付金の総額は別の話なのだ。
公式記録で確認できる金額はどこまでか
参考として、公式歴史資料に記載された金額を比較すると、次のようになる。
| 放送回 | 年 | 公式募金額 |
|---|---|---|
| 第1回 | 1978年 | 11億9,011万8,399円 |
| 第2回 | 1979年 | 7億2,765万7,482円 |
| 第3回 | 1980年 | 9億8,229万3,333円 |
| 第30回 | 2007年 | 10億1,544万2,574円 |
これらはチャリティー委員会が公表している番組ごとの寄付金額であり、萩本個人の出演料や寄付額を示す数字ではない。
【2025年・2026年最新】萩本欽一は24時間テレビに再出演した?現在の活動も紹介
2025年8月31日、24時間テレビ48に生出演
萩本は2007年のマラソンから18年後となる2025年にも、24時間テレビに出演している。
2025年8月30日・31日に放送された第48回「24時間テレビ48 愛は地球を救う〜あなたのことを教えて〜」に、84歳で生出演した。
オリコンニュースの2025年8月31日付報道によると、萩本はチャリティーマラソンランナーを務める横山裕にエールを送った。
その際に伝えた言葉が、
「頑張らなくて良いんだぞ!よっくりいけよ!」
というものだった。
自身もかつて70キロのマラソンを経験した萩本だからこそ、ランナーの苦しさを理解したうえでの言葉として注目された。
また、同日の「全日本仮装大賞」コーナーでは、羽鳥慎一とともに司会を担当したことも報じられている。
2025年の出演は、過去の功績を振り返るだけでなく、現在の番組にも関わる萩本の姿を見せる機会になった。
2026年の萩本欽一は85歳でテレビ出演を継続
萩本欽一は1941年5月7日生まれ。
2026年11月1日時点で85歳となっている。
所属事務所の公開情報では、2026年もテレビ番組や舞台関連の活動が確認できる。
特に注目したいのが、BS日テレの「9階のハギモトさん!」だ。
この番組は、萩本自身の事務所に大学生が制作したセットを設け、新しいテレビの形を模索する企画として紹介されている。
2026年にはSEASON4まで展開され、7月から9月にかけて放送された。
2026年の主な活動
「9階のハギモトさん!」SEASON4
BS日テレ・2026年7月~9月
- 7月4日・11日
- 8月1日・8日・29日
- 9月5日・12日
出演:萩本欽一、杉原凜(日本テレビアナウンサー)ほか
出典:BS日テレ番組公式情報
2026年9月20日には新しい舞台企画にも参加
2026年9月20日には、新宿・バティオスで「欽ちゃんの『9階のハギモトさん!』~未来をさがす舞台・お客は欽ちゃん~」が開催された。
この公演で特徴的だったのは、萩本が舞台の中心で演じるのではなく、客席側の「お客」として参加する構成だったことだ。
主な出演者は、はしのえみら。
萩本企画の公式告知では、チケットは完売と案内されていた。
テレビ番組から舞台へと企画を広げる試みであり、85歳になった萩本が新しい形のエンターテインメントに関わっていることが分かる。
2026年の24時間テレビ49には出演している?
2026年8月29日・30日に放送された第49回「24時間テレビ49」の公式主要出演者情報では、総合司会は内村光良、羽鳥慎一、水卜麻美。
チャリティーランナーは星野真里だった。
公開されている主要出演者一覧では、萩本は総合司会やチャリティーランナーなどの主要担当者として掲載されていない。
そのため、2025年の生出演と2026年の番組出演者情報は分けて考える必要がある。
なお、2026年10月26日に公表された第49回の寄付金報告では、2026年6月1日から9月30日までの寄付金総額は15億5,436万6,256円だった。最終確定は2027年7月初旬の予定とされている。
【よくある質問】24時間テレビと萩本欽一に関するFAQ
Q1:萩本欽一は24時間テレビの初代総合司会だった?
A1:はい。1978年8月26日・27日に放送された第1回の総合司会を担当した。大竹しのぶ、大橋巨泉、竹下景子も一緒に総合司会を務めている。
Q2:萩本欽一が2007年に走った距離は何キロ?
A2:2007年第30回のチャリティーマラソンでは70キロに挑戦し、当時66歳で完走した。
Q3:萩本欽一の24時間テレビのギャラは本当に1億円だった?
A3:2017年の読売テレビ「マヨなか芸人」で、ずんの飯尾和樹が1億円だったと紹介した。全額をチャリティーに回すよう頼んだという逸話も報じられている。ただし、出演契約書や個人の送金記録など、金額と寄付を直接証明する公式資料は公開されていない。
Q4:2007年の24時間テレビの募金総額はいくら?
A4:公式記録では10億1,544万2,574円。これは番組全体の募金額であり、萩本個人の寄付金額ではない。
Q5:萩本欽一は2025年の24時間テレビにも出演した?
A5:はい。2025年8月31日に放送された第48回に生出演し、チャリティーマラソンランナーの横山裕にエールを送った。
Q6:2026年現在、萩本欽一は何をしている?
A6:BS日テレ「9階のハギモトさん!」への出演や舞台企画などの活動が確認できる。2026年9月には同番組から派生した舞台企画にも参加している。
まとめ:萩本欽一と24時間テレビを正しく理解するための3つのポイント
萩本欽一と24時間テレビの関係を振り返ると、1978年の初代総合司会、2007年のチャリティーマラソン、2025年の生出演という大きな節目が浮かび上がる。
特に2007年の70キロマラソンは、66歳で挑んだ記念大会として現在も印象深い出来事だ。
一方、長年語り継がれてきた「ギャラ1億円を全額寄付した」という逸話については、2017年の「マヨなか芸人」で飯尾和樹らが紹介した証言が出発点となっている。報道された証言には具体性があるものの、個人の出演料や送金を示す公式会計資料とは性質が異なる。
【プロの結論】萩本欽一の逸話から読み取るべきこと
この話を理解するうえで、押さえておきたい判断基準は3つある。
1つ目は、出演した年と役割を区別すること。1978年は総合司会、2007年はチャリティーマラソンランナー。両者を混同すると、1億円の逸話の時期まで誤って理解してしまう。
2つ目は、証言と公式記録を分けること。飯尾和樹の証言は逸話の出どころとして重要だが、年間募金額を記録するチャリティー委員会の公式資料とは別の証拠である。
3つ目は、萩本の活動を過去の伝説だけで判断しないこと。2026年もBS日テレの番組や舞台企画に関わり、85歳で新しい表現に挑戦している。
1978年に番組の出発点を支え、2007年には66歳で70キロを走り、2025年には後輩ランナーに言葉を贈った萩本欽一。その歩みは、24時間テレビの歴史そのものと重なる部分が大きい。
1億円寄付説の真偽だけに注目するのではなく、長年にわたって番組と関わり続けてきた実績、そして現在も新しい企画に取り組む姿まで含めて評価することが、萩本欽一という人物を理解するうえで大切だ。
主な参照資料:公益社団法人24時間テレビチャリティー委員会「チャリティーのあゆみ」「寄付金総額」、日本テレビ2007年5月28日定例社長記者会見資料、デイリースポーツ2017年3月25日付記事、日刊スポーツ2007年8月20日付記事、オリコンニュース2025年8月31日付記事、萩本企画・浅井企画・BS日テレの公式公開情報。