【父親の正体】安住譲は元京都松竹の映画俳優だった
川崎麻世さんの父親・安住譲さんは、1960年代に松竹京都所属の俳優として映画に出演していた人物です。
2020年2月、芸能ニュースサイト「ENCOUNT」のインタビューで、川崎さん自身が父親の経歴について詳しく語っています。
父親は本名ではなく、「安住譲」という芸名で映画に出演していたといいます。
安住譲のプロフィールと職業

| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 安住譲(あずみじょう) |
| 職業 | 元映画俳優 |
| 所属 | 松竹京都 |
| 活動時期 | 1960年代 |
| 芸名 | 安住譲 |
| 息子 | 俳優・川崎麻世 |
| 晩年 | 俳優を引退し、再婚していた |
| 亡くなった年 | 1994年とする報道がある |
| 亡くなった年齢 | 60歳 |
ENCOUNTの本人インタビューによると、安住さんは1960年代に松竹京都所属の俳優として映画に出演していました。
一方、2025年10月17日放送の「徹子の部屋」では、川崎さんが父親は途中で俳優を辞めたと説明しています。引退後の具体的な職業については、詳しい情報は公表されていません。
父親の実家は裕福だった?両親が離婚した背景
川崎さんが15〜16歳の頃、週刊誌の報道を通じて父親が生きていることを知りました。
それまで父親は船の事故で亡くなったと聞かされていたため、生存を知ったときには大きな驚きがあったそうです。
その後、母親に事情を尋ね、母親から父方の家庭について説明を受けました。
川崎さんが2020年のインタビューで語った母親の説明によると、父方の実家は事業を営む裕福な家庭だったものの、祖父が財産を使い果たして破産し、両親は離婚することになったといいます。
母親は幼い川崎さんに真実を伝えられず、長年悩んでいたことも明かしています。
これは川崎さんが母親から聞いた家庭の事情であり、父方の事業内容や経営状況などの詳細が公的に確認されているわけではありません。
【幼少期の家庭環境】川崎麻世は1歳半で両親が離婚していた
川崎さんは1963年3月1日、京都市で生まれました。
両親が離婚したのは、川崎さんがまだ1歳半の頃です。
その後は母親とともに大阪へ移り、母方の祖父母に育てられました。
父親の記憶がほとんどなかった理由
川崎さんは2021年のテレビ朝日のインタビューで、父親と一緒に過ごしたのは1歳半頃までで、手元にあった写真も白黒のものが数枚だったと説明しています。
そのため、父親について自分自身の記憶はほとんどありませんでした。
父親が俳優だったことは聞いていたものの、実際にどのような人物だったのかは知る機会がなかったのです。
一方、母親と祖父母からは深い愛情を受けて育ちました。
2025年の「徹子の部屋」でも、川崎さんは祖父母について、明治生まれで厳しかった一方、慈愛に満ちた人たちだったと振り返っています。
芸能界入りに母親と祖父母が反対した理由
意外なのが、川崎さんの芸能界入りに対して、母親と祖父母が当初は反対していたというエピソードです。
その理由の一つが、父親の存在でした。
父親が松竹映画の俳優だったことから、家族は芸能界の表と裏を知っていました。
さらに、父親自身が俳優を辞めていたこともあり、母親や祖父母は芸能界の厳しさを心配していたといいます。
しかし、川崎さんは家族の反対を押し切って芸能活動を始めました。
その後、レギュラー番組が決まり、デビューも実現すると、家族は応援するようになったそうです。
特に印象的なのが祖父の応援です。
大阪で川崎さんのファンが集まった際、移動中のバスから祖父が手を振っている姿を見つけたことがあったといいます。
祖父は雑誌を何冊も購入し、人気投票の応募券を切り取って、川崎さんのために投票していました。
父親との関係は幼少期に途切れましたが、母親や祖父母から受けた愛情は、その後の芸能人生を支えるものになっていたことがうかがえます。
【父親との再会】約30年ぶりに安住譲と対面した経緯
川崎さんが父親との再会を決意したのは、30歳前後のことでした。
それまで父親の生存を知っていても、積極的に会いたいとは思っていなかったそうです。
2020年のENCOUNTのインタビューでは、父親に対して憎しみがあったわけではなく、単純に関心がなかったと振り返っています。
幼い頃から母親と祖父母に愛情を注がれ、父親がいないことを強く寂しいと感じることも少なかったためです。
再会のきっかけは教会で聞こえた心の声
転機になったのは、自身の家庭環境に悩んでいた時期でした。
川崎さんは結婚後、家庭生活の問題などで苦しんでいました。
そんなとき、知人に誘われて六本木のカトリック教会を訪れます。
目を閉じて祈っていたところ、心の中に「お父さんに会いなさい」という声が響いたように感じたといいます。
川崎さん自身は、潜在意識の中に父親への思いがあったのかもしれないと振り返っています。
実は、再会に向けた手がかりはすでにありました。
再会の約4年前、舞台公演の際に父方の叔母が楽屋を訪ねてきており、川崎さんは叔母の連絡先を知っていたのです。
そこで叔母に連絡し、父親との再会を手配してもらいました。
再会した父親は末期がんだった
ところが、ようやく居場所が分かった父親は、深刻な病状にありました。
全身にがんが転移し、半身不随で、言葉を話すことも難しい状態だったのです。
父親はすでに再婚しており、ほかにも子供がいました。
川崎さんは父親と対面した際、最初は写真で見た姿との違いに戸惑ったそうです。
それでも、すぐに父親だと気づき、抱きしめました。
父親は言葉を返せませんでしたが、涙を流して再会を喜んでいたといいます。
川崎さんは2020年のインタビューで、父親の再婚相手から、自分が出演するテレビ番組をカレンダーに書き込んで気にかけていたと聞いたことも明かしています。
自分が知らないところで、父親も息子の活躍を見守っていたのです。
川崎さんは父親に対して、感謝の気持ちを伝えました。
「ありがとうな」「僕は大丈夫やから」
この言葉は、父親を恨んでいなかった川崎さんが、再会した父親に伝えたものです。
長い年月を経て、ようやく親子として向き合えた瞬間でした。
【父親はいつ亡くなった?】1994年11月、60歳で死去
川崎さんの父親・安住譲さんは、再会から約半年後の1994年11月、60歳で亡くなったと伝えられています。
2021年8月のテレビ朝日のインタビューでは、川崎さん本人が父親と再会した年の11月に亡くなったと説明しています。
また、2013年11月14日のデイリースポーツの記事でも、父親と1994年に対面したことや、亡くなった父親の命日が11月13日だったことが報じられています。
このため、1994年11月13日が命日とみられます。
一部の過去記事には没年の計算に食い違いがありますが、本人のインタビューと命日に関する報道を照らし合わせると、1994年11月という整理ができます。
父親の最期に川崎麻世が感じたこと
父親が亡くなるまでの約半年間、川崎さんは何度か父親を見舞いました。
父親の病状は重く、十分に会話することはできませんでした。
それでも、父親が自分を気にかけてくれていたことを知り、親子の関係について改めて考えるようになったそうです。
ENCOUNTのインタビューでは、父親との死別を通じて、自分自身も子供と会えなくなることの寂しさを考えたと語っています。
父親の経験が、その後の自分の家庭や子供との向き合い方にも影響を与えたというのです。
また、父親の葬儀では、川崎さん自身が喪主を務めました。
2024年6月のスポニチの報道によると、葬儀は自宅近くの教会で行われ、面識のない参列者もいる中で喪主として取り仕切ったそうです。
【名前の由来】川崎麻世の「麻世」は父親のキューピー好きが関係していた
川崎麻世さんの名前にも、父親との意外なつながりがあります。
「麻世」という名前は芸名ではなく、本名です。
そして、その由来には父親が大好きだったキューピー人形とマヨネーズが関係していました。
61歳で初めて知った名前の秘密
2024年12月、川崎さんはフジテレビ系「突然ですが占ってもいいですか?」に出演し、自分の名前の由来を明かしました。
きっかけは、実家にたくさん飾られていたキューピー人形です。
母親にその理由を尋ねたところ、父親がキューピー人形を集めるほど好きだったことを知らされました。
さらに、川崎さんの誕生日は3月1日。
この日はキユーピー株式会社が日本で初めてマヨネーズを製造・販売したことにちなんだ「マヨネーズの日」です。
母親から、父親がキューピー好きだったことと誕生日にちなんで「麻世」と名付けたと聞かされたのです。
この話は2024年12月のENCOUNTや日刊スポーツでも紹介されました。
子供の頃は名前がコンプレックスだった
現在では芸能人らしい印象的な名前ですが、川崎さん自身は子供の頃、名前にコンプレックスを感じていたそうです。
日刊スポーツの報道によると、学校では「麻世」という名前を使ったからかいを受けたこともあり、母親に別の名前にしてほしいと伝えたこともあったといいます。
名前の由来を知ったのは60歳を過ぎてから。
幼少期にはほとんど知らなかった父親の趣味が、自分の名前に受け継がれていたという事実は、親子のつながりを感じさせるエピソードです。
【2024年・2025年の近況】父親の墓参りと「徹子の部屋」での告白
父親が亡くなってからも、川崎さんは父親とのつながりを大切にしています。
特に印象深い出来事が、2024年の父の日の墓参りです。
2024年6月、兵庫県西宮市で偶然父親の墓を発見
2024年6月、川崎さんは映画の撮影で兵庫県西宮市を訪れていました。
撮影現場へ向かう途中、偶然目に入った墓地に見覚えを感じたといいます。
確認したところ、そこは生き別れになった父親が眠る墓地でした。
撮影後、スタッフに協力してもらい、父親の墓参りをすることができました。
さらに、その日が父の日だったことも重なります。
川崎さんは自身のブログやSNSで、偶然の出来事に驚き、感謝の気持ちを伝えました。
父親と再会した場所や最後に過ごした時間だけでなく、亡くなった後も思いがけない形で父親と向き合う機会が訪れたのです。
2025年10月17日「徹子の部屋」で父親の職業と家庭環境を告白
テレビ朝日系「徹子の部屋」2025年10月17日放送
2025年10月17日、川崎さんは「徹子の部屋」に出演しました。
番組では、1歳半で両親が離婚したことや、母親と祖父母に育てられた幼少期について語りました。
特に注目されたのが、父親の職業と芸能界入りにまつわる話です。
父親が松竹映画の俳優だったこと、そして芸能界の裏側を知っていた母親や祖父母が、当初は芸能界入りに反対していたことを明かしました。
また、父親が俳優を辞めていたことや、60歳で亡くなったことにも触れています。
同番組では母親が90歳になっても大阪の実家で喫茶店を営んでいることや、祖父母の応援エピソードも紹介されました。
父親との別離だけでなく、川崎さんを支え続けた家族の姿が伝わる放送となりました。
【プロの結論】川崎麻世と安住譲の親子関係から分かる3つの事実
川崎麻世さんと父親・安住譲さんの関係を整理すると、押さえておきたいポイントは3つあります。
1. 父親は芸能界で活動した映画俳優だった
安住譲さんは1960年代の松竹京都所属俳優です。川崎さんが芸能界に進むことに家族が慎重だった背景にも、父親の芸能界経験がありました。
2. 約30年ぶりの再会は、父親の最期に間に合った貴重な時間だった
父親は末期がんで会話も難しい状態でした。それでも親子は再会でき、父親が息子の活躍を気にかけていたことも分かりました。
3. 父親との関係は名前や家族観にもつながっている
「麻世」という名前の由来や、自分自身が父親になった後の考え方にも、安住譲さんとの関係が影響していました。
この話を理解するうえで大切なのは、幼少期に一緒に過ごせなかったことと、親子の愛情がなかったことを同じ意味にしないことです。
川崎さんの証言からは、父親との再会が遅かったからこそ、残された時間の意味を強く感じていた様子が伝わります。
【川崎麻世の父親】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:川崎麻世の父親は誰ですか?
A1:元松竹京都所属の映画俳優・安住譲さんです。1960年代に映画へ出演しており、芸名も安住譲でした。
Q2:川崎麻世の父親はいつ亡くなりましたか?
A2:1994年11月に60歳で亡くなったと報じられています。11月13日が命日とする報道もあります。
Q3:川崎麻世と父親は何歳のときに再会しましたか?
A3:約30年ぶりの再会です。本人のインタビューでは31歳のときと説明されています。
Q4:川崎麻世の父親は末期がんだったのですか?
A4:はい。再会時には全身にがんが転移しており、半身不随で話すことも難しい状態だったと川崎さんが明かしています。
Q5:川崎麻世の名前の由来は父親ですか?
A5:はい。父親がキューピー人形を集めていたことと、3月1日のマヨネーズの日にちなんで名付けられたと、川崎さんが2024年に明かしています。
Q6:川崎麻世は現在も父親の墓参りをしていますか?
A6:2024年6月には、兵庫県西宮市で偶然父親の墓を見つけ、父の日に墓参りをしたことを公表しています。
まとめ:川崎麻世の父親・安住譲との別離と再会、その後の親子の絆
川崎麻世さんの父親は、元京都松竹の映画俳優・安住譲さんです。
1歳半で両親が離婚した川崎さんは、母親と祖父母に育てられ、父親の記憶をほとんど持たずに成長しました。
15〜16歳の頃に父親が生きていることを知り、30歳前後で再会を決意。しかし、父親はすでに末期がんを患っており、再会から約半年後の1994年11月に60歳で亡くなりました。
それでも、父親が息子の出演番組を気にかけていたことや、涙を流して再会を喜んでいたことは、川崎さんの心に残り続けています。
2024年の父の日の墓参り、2025年の「徹子の部屋」での告白、そして名前の由来にまつわるエピソード。これらを通して見えてくるのは、長い別離を経ても消えることのなかった親子のつながりです。
2026年現在も、安住譲さんは川崎麻世さんの人生を語るうえで欠かせない存在となっています。